日本会議福岡

「誇りある国づくり」へ、発言し行動します

軍歌祭・特別攻撃隊慰霊祭のご案内

2006年03月08日 | 行事案内

 3月10日(金)は101年前の日露戦争において、有色人種である日本の25万の陸軍が世界一の大国であった白人社会のロシアの30万の陸軍と満洲(今の中国が占拠して居る東北)の奉天で大会戦を行い、日本が勝ったという世界的な記念すべき日です。戦前は「陸軍記念日」と言う祝祭日でした。
 昨17年は旧陸軍士官の会(偕行会)に本会も共催という形で、「日本の正しい戦争展」「記念講演会」など100周年記念行事をいろいろ行いました。今年も3月10日偕行会の主催で天神の大丸上16階の福岡国際ホールで15時50分から陸上自衛隊第4音楽隊の演奏があり、16時45分より「軍歌祭・懇親会」(ここからは有料1人9,000円、偕行会員の同伴者扱の場合は5,000円となって居ります)が行われます。御希望の方はなるべく偕行会員の同伴者として御参加下さい。

 今年も桜と共に「特別攻撃隊慰霊祭」が各地で行われる季節となりました。

(イ)18年3月30日(木) 東京・靖国神社にて特別攻撃隊戦没者合同慰霊祭が10時30分より受付、12時から13時まで昇殿参拝が行われます。(玉串料2,000円)

(ロ)18年4月6日(木) 都城市都島町旧陸軍墓地にて都城市特別攻撃隊戦没者慰霊祭が9時30分より受付で10時から11時40分まで式典が行われます。

(ハ)18年4月9日(土) 南さつま市(合併により今迄の加世田市含む)万世特攻平和祈念館にて第35回万世特攻慰霊碑慰霊祭が11時より受付、13時から15時まで慰霊祭が行われます。

(ニ)18年5月3日(水) 鹿児島県知覧特攻平和観音堂前にて知覧特攻基地戦没者慰霊祭が11時より受付で13時より行われます。

出席される方、又はお問い合わせは副会長 菅原道之事務所までご連絡下さい。
TEL 092-412-3979  FAX 092-412-3893
メール sugahara@elf.coara.or.jp   (道)


『炭鉱の真実と栄光-朝鮮人強制連行の虚構』の推薦

2006年03月05日 | 図書紹介

 諺に「一犬虚に吠えて万犬実を伝う」とある。一匹の犬がものの影におびえて吠えると他の多くの犬も吠え出す。転じて一人が嘘をつくと、多くの人はそれをよく確かめもしないで事実として語り継いでいくとの謂である。今日歴史教科書にも登場する「朝鮮人強制連行」はその一つである。

 そもそも戦前に「強制連行」という言葉はない。この言葉の初出は昭和40年に出版された朴慶植著の『朝鮮人強制連行の記録』と言われている。平成15年川口外務大臣(当時)は、国会で山谷えり子議員の「強制連行はあったのですか」との質問に対し、「そのような事実はございません。国民徴用令が一時期朝鮮半島に適用されたことがありましたが、それは合法的なものでした。そして大部分が、自由渡航、自由契約でした」と答弁している。即ち、日本政府も強制連行については否定しているのである。

 我が国は昭和13年に国家総動員法が成立し、翌14年に「朝鮮人内地移送計画」が策定された。以後終戦までの約6年間、同計画に基づき、多数の朝鮮人労働者が日本に集団的に渡航した。これを労務動員という。労務動員は形態により自由募集(14年7月~)、斡旋(17年2月~)、徴用(19年9月~20年5月)の三期に分けられるが、いずれも合法的に進められた。国会で議決し国家の法に基づき実施される行為が、どうして今日強制連行のイメージで流布されている人権蹂躙や恐喝、人攫いのような悪逆非道な手段で行なわれるはずがあろうか。もしそれが実行されたならば、連行された被害者の親や家族、地域の住民が黙っているはずはない。逆に朝鮮独立の好機として、民族の誇りと威信をかけて朝鮮人が各地で蜂起し、我が国の朝鮮統治を根底から覆す大事件に発展しているはずである。しかしそのような痕跡は存在しない。

 昭和14年7月から終戦までの約6年間に労務動員で我が国に渡航した者は、66万7千人と記録されている。これだけでも相当な渡航者数である。しかし自由渡航者と言われる人々はそれよりも遥かに多い。労務動員が敷かれる(昭和14年)前に我が国に自分の意思で渡航した者は約80万人、労務動員が敷かれた後も120万人余りの朝鮮人が自由に渡航している。これだけの人々が我が国に渡ってきた背景には、当時朝鮮から見て日本は如何に魅力的であったか、また生活の糧を得る場があったかを証明するものである。もし我が国に辿り着いて、朝鮮人の虐待や迫害、虐殺、強制労働、極端な差別、不当な使役などが行なわれていれば、とても200万人以上の人々が自分の意思で渡航してくることはあり得ない。

 本書(A5版 108頁)は、元炭鉱マンであった著者(佐谷正幸氏)が自らの経験と関係資料を広く渉猟して記したものである。当時、その噂すら耳にしなかった朝鮮人の強制連行、強制労働、虐待、虐殺の話が今日まことしやかに流布され、また戦後の我が国の復興を支えた花形産業であった炭鉱のイメージが「暗い、汚い、危険、きつい」等の最低の産業に貶められたことに、著者を含め当時の炭鉱マンの人々の悲憤が伝わってくる。  

 本書を手にして戴ければ、炭鉱における朝鮮人強制連行の話が如何に歪曲され、捏造されているかが判明する。このような虚構が実話として喧伝され続けることは日韓にとって不幸なことであり、両国の将来に多大な悪影響を及ぼすことは必至である。既にその兆候は顕われ始めている。今は一日も早く真実が多くの人々に解されることを期待したい。
 ご参考までに、本書の「はじめに」と「目次」を掲載する。ご高覧願えれば幸いである。


≪はじめに 

 朝鮮人強制連行については、昭和40年に朝鮮総連の朴慶植氏が著書に書いたことを端を発し、これが次第に蔓延して中学の歴史教科書にまで引用、掲載され、更にこれが虚構であることが判明した後も、平成16年1月の全国大学入試センター試験の世界史で、「日本への強制連行があった」を正解とする問題が出題され、受験生の一人が採点の除外を求める仮処分の命令を申し立て、国会議員団が文部科学省にその不見識を糾弾する事件が起きた。
 一方今、旧産炭地の筑豊地方では、巷の本屋や地方自治体の図書館には、強制連行論作家やその共鳴者による朝鮮人強制連行に関する書籍が溢れ、講演会や記念碑見学会も行われ、新聞やテレビは、これらや強制連行犠牲者追悼のニュースを流し続けている。特に平成12年12月に、在日韓国人のぺ・レソン氏等が飯塚市に納骨式追悼堂「無窮花堂」を建立して以来、新聞は事ある毎に朝鮮人強制連行犠牲者追悼の記事を書きたて、テレビも放映するようになった。又、たまたまこれとほぼ同じ時期の平成12年1月、強制連行論者の武富登巳男、林えいだい両氏の共編で海鳥社より『異郷の炭鉱-三井山野炭鉱強制労働の記録』という極めてセンセーショナルな表題の本が刊行された。
 しかし、戦前は朝鮮人も日本国民であり、自国民に対し、強制連行のような野蛮な行為が果たして行われたであろうか。体制として朝鮮人強制連行がなかったことは、日本政策研究センターの『強制連行はあったのか-朝鮮人・中国人「強制連行」論の虚構』や在日2世から帰化した東京都立大教授・鄭大均著『在日・強制連行の神話』にまとめられており、明らかであり、又元朝鮮総督府警察部長・坪井幸男氏と同地方課長・太子堂経慰氏の対談(正論2003年3月号)でも明らかにされている。更に国の立場としては、平成15年9月、国連における北朝鮮の「800万人強制連行」非難に関し、後に詳述するが川口外務大臣は国会答弁で「強制連行はなかった」と明言している。
 このように、既に体制として強制連行はなく、内地と同じく合法的な戦時労務動員であった事は明白であり、送り出す側の元朝鮮総督府職員も強制連行がなかったことを証言しているが、今度は労務動員を受け入れた筑豊の現場において、果たして強制連行に相当するような受け入れ方をしたのか、強制連行論者がいうような朝鮮人のみを差別する苛酷な強制労働があったのか否か、筑豊で究明し、発信していかなければならない。これは筑豊人に課せられた義務である。
 そこで、先ず内地への労務動員の実態の概要を前記文献『強制連行はあったのか』、『在日・強制連行の神話』、『正論』を中心に整理し、次に筑豊の現場における資料や証言により、朝鮮人の就労状況を究明して行く。
 これまでは、炭鉱に何の寄与もせず、責任も持たない言わば余所者の作家や元教師が朝鮮人強制連行を喧伝し、筑豊と炭鉱を非難してきたが、本稿では戦時中炭鉱で働いた炭鉱マンの証言や炭鉱の資料に基づいて朝鮮人強制連行の虚構を解き明かすものである。特に前述『異郷の炭鉱』については、元三井山野炭鉱マン達の反論の遺稿が見つかったので、これを現場からの証言に加えた。
 この「強制連行」と共に筑豊のイメージを暗くしているのが「炭鉱犠牲者」という言葉であり、あたかも炭鉱が人をあやめる場であるかのように聞こえる。本書はこの2つに光を当て、炭鉱の真実を明らかにせんとするものである。≫

≪目次 
 Ⅰ、戦前、戦中の朝鮮人の内地渡航、就労状況
 Ⅱ、朝鮮人強制連行とは
 Ⅲ、就労先における朝鮮人強制連行の虚構究明
 Ⅳ、飯塚市庄司の納骨堂「無窮花堂」建立の経緯と問題点
 Ⅴ、労務動員者遺骨の処理
 Ⅵ、強制連行論の害毒
 Ⅶ、郷土筑豊のイメージアップのために ≫


ご希望の方は本会までご注文下さい。1冊800円(送料実費)です。  (敏)


FM-MiMiラジオ『日曜討論』番組視聴のお奨め

2006年03月03日 | 日曜討論

 毎週日曜日午前10時から12時30分までFM-MiMi『日曜討論』が生番組で放送されている。主催者は「FM-MiMi 日曜討論番組を支える会」(小菅亥三郎代表世話人)である。
 平成15年8月30日、女性センター・アミカスで本会主催による「『男女共同参画社会を考える』講演会」(講師:伊藤哲夫氏)を開催したことがきっかけで、当時福岡コミュニティ放送㈱の渕上当社長とのご縁が生まれ、同年10月5日より今日まで1回も途切れることなく2年半に亙って放送されてきた。既に番組の回数は120回を超えている。本会も、『日曜討論』の「国益を守り、真実を語り、誠心を尽くす」をモットーに「誇りある国をつくり、活力ある国民を育てる」との目的に賛同し、番組構成のための資料提供や出演者依頼に協力している。

 現在は第20回目のシリーズ(毎シリーズ6回で構成。今回は事情により5回で構成)を迎え、タイトルは「日本の安全保障を考える」である。今シリーズの担当者は、平成16年3月11日に本籍を日本の固有の領土・竹島に移して全国的に注目された濱口和久氏(防衛大学出身/日本政策研究センター研究員)である。今回のシリーズに安全保障が取り上げられたのは、それが我が国の国益を守る最重要の課題に他ならないからである。

  今年2月17日の産經新聞「正論」欄にクライン孝子氏が、「肝心な問題から目をそらす国会論戦」と題して次のような内容を記された。
《 年明け早々、日本にとってまことに嘆かわしく、由々しい事件が相次いだ。
 一つは、ヤマハ発動機が軍事転用可能な高性能無人ヘリコプターを中国に不正輸出し、外為法違反容疑で摘発された事件だ。
 相手には人民解放軍傘下の兵器メーカー「保利科技有限公司」(ポリテク社)も含まれている。しかも、中国側から事実上の工作資金として毎年三千万~五千万円が流れていたことも判明、日本の大手メーカーが、中国の対日工作に協力するという信じ難い事実が浮き彫りになった。
 ついで在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)傘下の「在日本朝鮮人科学技術協会」(科協)に、陸上自衛隊の最新型地対空ミサイルシステムの機密情報が流れていた事件が明らかになり、さらには、大手メーカー「ミツトヨ」による中国やタイ、北朝鮮への核関連機器の不正輸出事件も明るみに出た。
 ところが何ということだろう。日本の国会は、この国の安全保障の根幹に関わる重大な問題には目もくれず、昨年より持ち越された耐震強度偽装問題、年明けとともに強制捜査が始まったライブドア事件、さらには米国産乳牛の再禁輸や防衛施設庁談合事件を「4点セット」として取り上げ、まるで天地がひっくり返らんばかりの大騒ぎをしている。
 
私など、当地ドイツから日本の国会におけるこの空虚な討論風景を眺めていると、いったい日本は、これで二十一世紀を生き抜くことができるのだろうか、もしかすると滅亡の運命をたどるのではないか、と少なからず心配になってくるのである。
   ‥‥(中略)‥‥
 これら一連の国際社会での動きは、日本の能天気な政治の現状とも微妙に重なり合う。実は日本は、自らが知らぬ間に米中の情報戦争に巻き込まれており、その渦中で一種の代理戦争を国内で演じさせられているのではないか。そんな気すらしてくる。
 日本の国の軍備は、予算ベースでも近代化レベルでも世界有数の位置にあり、アジアではトップクラスと聞く。それなのに、こと情報戦の世界では、攻守両面ともに他国に大きく遅れをとっている。まるで目隠しでジャングルを進むような暗然たる状況にある。何とかならないものか。いや、即刻何とか対策を講じなければ、この国の未来はないものと断言していい。

 これは、戦後我が国が軍事を否定的に捉え、自国の安全保障を他国に委ねてきた結果に他ならない。

 『日曜討論』の今シリーズ「日本の安全保障を考える」が、その任の万分の一をも担えるわけではないが、国民の一人としてこの問題を真剣に考え、呼びかけていくことは大切である。今回のシリーズの内容(予定)は、
 2月26日(日) 「竹島問題」 
 3月 5日(日) 「中国の脅威」 
 3月12日(日) 「日本国憲法と自衛隊①」
 3月19日(日) 「日本国憲法と自衛隊②」
 3月26日(日) 「タブーを斬る!『徴兵制等は必要か』」
である。関心や興味を持って戴ける方、ご意見のある方々は是非ご視聴願いたい。      
 ラジオでの聴取(FM 76.8MHz)はラジオ局(福岡市早良区百道)より半径25kmの範囲の方に限られるが、インターネットでは(http://www.fmmimi.com)、放送の時間帯なら国内外どこからでも受信できる。これまで番組へのメールやFAXは、県内は言うに及ばず宮崎、川崎、札幌から、また米国のフロリダからも届いた。同番組ではメールやFAXは随時紹介されるので、視聴に際しては是非ご意見やご感想をお寄せ願いたい。「国益」を論じ、対社会的に寄与できる番組が一つでも多くなることを願って、『日曜討論』番組を視聴し、内容に参加して戴ければ幸いである。  (勝)


高砂義勇兵の碑の撤去を巡って

2006年03月02日 | 中国・台湾問題

 先月17日(金)夜8時頃、日華(台)親善友好慰霊訪問団に電話があった。電話の主は、『中國時報』東京支社の黄菁菁(コウセイセイ)記者であった。内容は、「現在、本国(台湾)の議会で高砂義勇兵英霊記念碑の存続及び撤廃を巡ってガタガタしている。あなたは記念碑に日本人として参列している方とお聞きしているので、ご意見をお伺いしたい」とのことであった。

  私は日華(台)友好親善慰霊訪問団を主宰し、平成11年より毎年11月23日から26日迄の3泊4日台湾を訪問している。趣旨は、先の大東亜戦争で日本人として亡くなられた台湾人3万3千余柱に対して慰霊祭を執り行い、日本国民として深甚なる追悼と感謝の誠を捧げるためである。
 私が初めて台湾を訪問する時、福岡県郷友会の日高清副会長(当時)より「台湾へ行くのであれば観光だけでは駄目だ。慰霊を忘れてはならない」と諭された。以来私は「慰霊」を第一義に掲げ、毎年20名前後の団員を募り訪台している。主な訪問箇所は、宝覚禅寺、鎮安堂・飛虎将軍廟、台湾高砂義勇隊戦没英霊記念碑などである。いずれも日本人として戦われた台湾人の軍人・軍属、或いは日本人が祀られた慰霊地である。毎年11月25日には地元主催で、台湾の靖國神社と称される宝覚禅寺で、大東亜戦争で戦死した元日本軍人・軍属3万3千柱及び台湾住民で戦争の犠牲者となった人々の霊を弔う慰霊祭が行なわれるので、この日にあわせて訪台している。
 台湾は戦後日本から独立したとはいえ、戦前まで50年間は我が国の領土であり、台湾人は日本国民であった。当時日本国民として我が国の為に生命を捧げられた英霊や戦没者の方々に対し、私共日本国民は日本人の英霊と同様に最大限の敬意を表すべきだと思っている。その思いで7年間、私は日華(台)親善友好慰霊訪問を行なってきた。

 先程の黄記者に対して私が答えたコメントが、翌日(2006年2月18日)の『中國時報』に掲載された。私の趣旨に理解を示して下さったのであろう、紙面では「台湾はもっと度量をもつべきである」との見出しが掲げられた。ご参考までにその内容を下記にご紹介したい。尚、新聞の訳は訪問団のほうで行なった(【】の部分は新聞記事には掲載されていないが私が述べた内容なので補足した。下線の部分は新聞では入れ替わっている。私の言葉として掲載されているので、私のほうで入れ替えた)。

《 台湾はもっと度量をもつべきである

 台北県烏来郷に高砂義勇隊の慰霊記念碑を建設することが、日本軍国主義の復活を象徴することだとして、物議をかもし出している。記念碑の設置を支持している日本人はこのことをどのように思っているのであろうか。日華(台)親善友好慰霊訪問団の小菅亥三郎団長は、「歴史的には彼らはまぎれもなく【東アジアにおける英・米・蘭の植民地支配を打破すべく】日本軍として戦い、戦死したのであるから、台湾の人たちは【そういう大義のために殉じた英雄を輩出させた国にふさわしい】度量をもち、私たち・日本人にその碑を建設させるべきだ」と言っている。
 
昨年、日本の「産経新聞」が「台湾高砂義勇隊慰霊碑が取り壊されるにあたって」との記事を掲載すると、多くの読者から沢山の反響が寄せられた。「産経新聞」が読者のために特別募金口座を開設したところ3,000万円を超える募金が集まり、今年になって慰霊碑の移設が可能となった。しかし、台湾でそのことが報道されると、記念碑を排除しようという騒動が起こった。「産経新聞」に記載してある「高砂義勇兵慰霊碑保護会事務局」は広報担当者が不在ということで論評を避けた。
 訪問団を率いて訪台し、高砂義勇隊慰霊碑の前で慰霊式に出席したことのある小菅団長は「日本統治下の台湾も大東亜戦争を戦ったが、とりわけ高砂義勇隊は相当の戦死者を出しながらも、その英雄的戦いぶりは未だに語り草になるほど日本人の尊敬を集めている」と言った上で、「国民党による占領後の台湾では、日本のために命を捧げた英霊は無視された」、「日本人の考えによるとこれらの忠魂は落ち着く所がないため、慰霊碑を建立することが必要であり、そのことは英霊を慰めるだけでなく、未来永劫にわたって祖先の英雄的功績を顕彰し続けることになる」と強調した。》

 私が残念なのは、日本を代表する新聞社が日本人としての立場からの意見を発表できないことである。『中國時報』からの私への取材も結局は産経新聞の「高砂義勇兵慰霊碑保護会事務局」がノーコメントだったことによる。おそらく現在の歴史教育が改善されない限り、日本人としての歴史が回復される営みが真剣に模索されない以上、こうした歴史問題に対して日本人は自信を持てずに発言できないのではないかと危惧される。国民が自国のことを正しく語れないことは、まさに国家的損失以外の何物でもない。

  尚、この件についての最終的な決着は、高砂義勇兵の碑は存続されることになったが、残る8基は撤去されることになった[下記の新聞記事参照]。日本国民のために全てを擲って戦われた台湾の英霊の方々を顕彰する碑が失われていくことはまことに残念でならない。碑を失うことは歴史を失うことにほかならない。たとえ碑が失われても私共国民は、台湾の英霊の方々の恩を決して忘れてはならない。

《 台北市郊外の烏来郷に移設が完了した先住民出身「高砂義勇兵」の英霊記念碑が、台北県政府から撤去指示を受けた問題で、同県政府は二十四日、記念碑そのものは存続させ、残る「皇民」など日本語が入った石碑八基を撤去した。作業は設置者である地元の了承を得て行われ、存続の可否をめぐり一週間にわたって揺れたこの問題は、両者がぎりぎりの妥協案を見いだした形となった。 ‥‥(中略)‥‥ 今回の結果について、移設を行った記念協会の簡理事長は「碑を日台のきずなにしたいという日本からの善意を十分に生かせず、申し訳ない。(移設問題で)高砂族の歴史と民族としての思いに台湾中が注目し、記念碑だけは残すことができた」と話している。》[産経新聞/18年2月25日]   (亥)


トリノ冬季五輪でのNHKの偏向放送

2006年03月01日 | マスコミ

 本年2月10日から26日まで17日間に亙って開催されたトリノオリンピックが終了した。我が国は選手113人、役員127人の冬季としては過去最高の人員を派遣し、マスコミや応援団なども大挙して訪伊した。2年前のアテネオリンピックの日本選手団の活躍が想起され、国民の期待も高く、JOCのメダルの獲得目標数は5個が掲げられた。

 しかし日一日と過ぎてもメダルがなかなか取れない日本の選手団に対して失望の念が広がっている時、14日目の23日にフィギュアスケートの荒川静香選手が、フィギュアスケートで日本、いやアジア初の快挙の金メダルを獲得した。表彰台の真ん中でメダルが授与され、栄誉を祝して国旗の掲揚、国歌「君が代」が流れた。荒川選手も声を出して歌った。荒川選手の完璧なまでの、しかも日本の美を備えた演技と、国歌を堂々と歌う姿に国民は涙し、深い感動を持って悦びを共にしたのだった。  

 ところが、この後が問題である。NHKのTV放送は、荒川選手が日の丸の旗をまとい、又は掲げながらリングを回ったが、この場面は放映しなかったのである。金メダルを取った選手に与えられているこの名誉な行為は、国家及び国民にとって誇りである。しかしこの名誉な行為をNHKは国民の目から遮断したのである。選手が国を背負って競技することを許さない意図なのか、或いは国民が愛国心を抱いたり、日の丸を愛する心を持つことが許せないのだろうか。いずれの国がこのような卑劣な所業をおこなうだろうか。公共放送としてのNHKの良識を疑わざるを得ない。  

 既にこの問題は各方面より指摘されているのでご承知の方も多いと思われるが、下記のアドレスより写真をご覧願いたい。NHKには公共放送としての自覚と責任を強く促したい。 (道)

http://ryutukenkyukai.hp.infoseek.co.jp/masscomi3.html

 


ご挨拶

2006年02月24日 | Weblog

 日本会議福岡は平成10年10月10日に設立され、今日まで約7年半の活動を続けてまいりました。14年11月には当時の菅原理事長(現副会長)により日本会議福岡のホームページが開設され、毎月1回更新、その中で福岡の活動や行事報告が紹介されてきました。

 一昨年(16年)5月、私が菅原理事長の後任の理事長への就任と共に、日本会議福岡のホームページの新規立ち上げが望まれていましたが、漸くブログも付設してここに開設する運びとなりました。「誇りある国づくり」を目的に活動しております私共の視点からささやかながら情報を発信してまいりたいと思います。

 なお、掲載内容につきましては本会の公式見解等ではなく、役員・会員から寄せられた様々な情報を提供するものです。何卒ご了承願います。

理事長 山本泰藏