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教基法につきまとう「欠落感」

2006年11月07日 | 教育

 ひどいなあ、立花 隆氏でさえもこんな認識しかもっていないとは。

 朝日新聞の夕刊(11月6日付)の1面で「わたしの教育再生」シリーズが始まった。第一回は今をときめく評論家兼ノンフィクションライターの立花隆氏である。

 彼の主張するところは本会審議直前の教育基本法改正に異を唱えているところにある。読んでみると、なるほど朝日新聞のトップバッターとしての面目躍如ありありで、「基本法に書かれていることはすべて当たり前のことだ。このような普遍的な価値にかかわる問題を、なぜ。バタバタとろくな審議もなしに急いで決めようとするのか、不可解としか言いようがない」という調子の斬り捨て御免である。ここで多くの読者はふむふむとうなずいて立花隆氏に共感して読むのであろうか。論者が有名人だからなおさら始末が悪い。

 この松五郎は凡夫にすぎないから、教育基本法なんて読んだこともなかったが、日本会議で運動をするようになってはじめて基本法を読んでみた。書棚の小六法(有斐閣版)を取り出して読んで見ると教育基本法は9行の前文のあとわずか11条にしかすぎない。法律の素人でも簡単に読み込むことができる分量である。そんな程度であるから、このブログを閲覧される方もぜひ一度目を通されたい。

 読後感の第一印象は抽象的な理念をのべたもので、あくまで理念法に過ぎないところが基本法たるゆえんであろうか。それにしてもこの法律にはある種の深い「欠落感」がつきまとうのは何に由来するのだろうかと思った。このあたり立花隆氏には分からないのかもしれない。それはあくまで「個人」として踏ませるべき教育理念は美しく書かれているが、「国民」としてのあるべき姿に教育がどのようにかかわるかがまったく書かれていない。誰でも知っている。個人は国民であり、国民は個人でもある。これはまぎれもない事実である。たとえて言うならば教育基本法は一枚の紙の裏か、表か、いずれかの一面しか書いていない。欠落感の由来は実はここにあるのだと分かった。

 さらにはもうひとつ。道徳教育の必要性を示した項目がないこともこの基本法の大きな「欠落感」を醸し出している原因であろうと思われる。しかし「徳目の涵養」が基本法から完全に欠落したのはなぜであろうか。それには明確な理由がある。基本法制定当時には、実はまだ「教育勅語」が残っており、基本法の発効と同時に、教育勅語の継続が前提されていたという事実を後世のわれわれは知っておかねばならないと思う。教育基本法の実施から1年後に突如としてGHQの指令で教育勅語の廃止がなされたという。基本法とセットであるべき教育勅語の廃止を外国勢力に強要された結果、当然ながら徳目の涵養が欠落したまま今日を迎えてしまった。ひいてはそのことが、国民のひとりひとりとしておのれを持することを期待するものもまったく失われてしまったのである。

 ところで「教育基本法はなぜできたの」として立花隆氏はこう言う。「先の戦争において日本が極端な国家主義と民族主義に走り、教育が国家の手段と化していたからだ」そして「教育がそのような役割を果たしたのは、教育を国家の完全な奉仕者たらしめる『教育勅語』が日本の教育を支配していたからだ」と。・・・実は国民はこの伝説にだまされやすいのである。戦後の迷妄の重要な淵源のひとつでもある。

 いかにも評論家らしくわが持論に導くべく修飾語を妖しく操ってはいるが、ここに大きな見当違いと嘘があることは賢明なる諸氏にはもはやお分かりだと思う。先に紹介したように、戦後の教育基本法の制定はけっして氏が主張するように教育勅語の廃止に代わるものではなく「あくまでも教育勅語とセットであることを想定したものであった」という基本的認識が立花隆氏にはないのである。このあたり9.11テロと特攻隊員を同列視した評論でマスコミに登場した氏のフィクションライターとしての“面目躍如たる”ものを同じように感じるのである。また、マスコミはこういう有名人の誤った言説を検証する義務がありはしないか。真のジャーナリズムとはそうしたものであろうと思うこともぶつぶつと付け加えておきたい。  (松五郎)