日刊ミヤガワ

作家・表現教育者宮川俊彦によるニッポン唯一、論評専門マガジン。

1月30日 ピーク

2009年01月30日 | Weblog
日刊ミヤガワ1856号 2008 1.30

「ピーク」

日刊を書き忘れるほど仕事の山に囲まれている。分析は今週が山。あぁ対談本はあるし、次の本はあるし、毎小も書き忘れて催促されて焦る。そんな時に限って一晩かけた分析結果が相手方に文字化けして何度も送り直す。そんなものなんだなと頬を掻く。
そういう日に限ってラジオの生放送が入る。20分も喋ってしまった。しかも大分放送。かつての教え子がいるからと聞きなさいメールを送ったが、宮崎だってばと返信が来た。それでも聞こうとすれば聞けると送り返したが返事はない。
オバマから始まって作文やスピーチの極意について喋った。頭が朦朧としているから何を喋ったかは記憶にない。ただローカルではもったいないと終わってから思っていた。
本当は体が先週辺りからきつくなっているのだが、没頭していると元気になる。困った体質だ。疲れて少し仮眠を取ると足はジタバタ騒いでいるし、脳幹からチョロチョロと首の変に流れ来るもねのを感じる。ギョッとするが血液も一端休むのだろうと都合よく解釈する。
相談事のメールもあるがなかなか返事まではいかない。こんなときもある。山が低くなっていく快感だけがある。明日は一時から何組もの客が来る。五週目だが講義はする。12時までに仕上げなくてはならないがどうも覚束なくなってきた。延ばせば先がきつくなる。
ここを越したら楽になる。そういう峠の坂道の真ん中にいる。
そんな時はいろんな構想が生まれる。毎年そうだが、このピーク時にほぼ一年間の為すべきことが決定される。例えば講義は原点からずっと軌跡を辿ることをしようと決めた。これは見学も可。収録も可とする。そして現在の到達地点まで、一年くらい掛かるかな、やってみようと思った。これはボクが記録するのでなく希望者にさせよう。多分なんらかの体系はできる。また不備も見える。集成としてみたい。作文なんか嫌いだよん、という原点から。したいと思いつつしなかった。辿ってみたい。
二月の後半と五月と九月に講演会をやる。一年間学士会館の講演会はしていない。一年は執筆に没頭した。これでも心血を注いだ。もう少しで出口が見える。これはやらないといけない。自主講座はボクには不可欠だ。
企業論文は少し底上げになってきたがまだ教育性が弱い。啓発が必要だ。分析から見えた言語状況に立脚した教育政策が必要になる。真っ当な指導者がいないと考えられる。育てなくてはならない。
などなど。空間が限定されると思考は拡大していく。こんなことを考えながらまた一年を作り上げる。ボクにはこの時間は肝要なのだと痛感する。
やるしかない。そう追い込んでやってきた。生きることに意味や理屈をどれだけつけても大したことはない。生きている以上やるしかないことをやるだけのことなのだと、忙殺の渦中でこそ確認できる。ぼんやりしていたらボクはきっとロクなことはない。思考が自傷に直結してしまう。
人は持つていくものと残すものと秘して残すものと選別しなくてはならない。そうはいっても何も残せるものではない。それは未練というもの。分かっていて選別していく。
やはり三千年は生きたいものだ。

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