
「人生の節目の旅」は後付けだが
その節目とは定年退職ですぅ。
自分が定年退職だなんてね。
京都で目覚めたら快晴。
気温は2度と低かったが
清々しい朝だった。
14時45分京都駅集合で
チェックアウトも行先もフリー。
昨日歩き疲れた為に、
朝から足腰がきしんでいた。
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極力タクシーを使わないで
効率よく歩きたい。
まずはホテルの隣の護王神社に
お参り。
和気清麻呂が祀られている。
あたくし一時期、清麻呂の
熱狂的ファンでした。
この神社では狛犬が猪。
お参りしてから気づいたのだが
足腰の神様だった。
なんてタイムリー。
そこから京都御所が目と鼻の先
だったのにうっかりタクシーを
拾ってしまい晴明神社に行った。
「きよあきら」さんが正しい
読み方のよう。
何某かの縁を感じて2年近く前に
お札を手に入れた。
効果は1年ほどとか。
なので返しに来た。
そこからまた京都御所まで
歩いて戻ると言う妙なルート取り。
足腰が痛くてかなりなダメージ。
そして京都御所はぞっとするほど
広いぞと覚悟した。
御所には10数年前に行ったが、
朱塗りの建物が増えていた。
順路通りに一方通行で歩く。
各所に職員が立っていた。
色々な種類の松がどれも美しくて、
微に入り細に入り手入れされている。
青空を背景にくねくねと曲がる
不思議な枝を凄いなーと
思いながら見上げた。
池に橋が架かる綺麗な庭園も
堪能した。
そこからグーグルマップで目に
留まった「京都市平安京創生館」へ。
タクシーの運転手が知らなかった。
ボランティアガイドさんに言うと
「そりゃ、もぐりやな」と言っていた。
公民館的な施設で入場無料だった。
私はマニアックではないけれど
そんな人向けだった。
平安京の大きな模型があった。
300年間くらいの間の建造物
だそう。
この時点で両脚が痛むくらい疲れていた。
行くかどうか迷ったがせっかく
ルート上にあるからと
思いを決して二条城へ行く。
鴬張りの床をキコキコと
鳴らしながら歩く。
将軍が大名に謁見する部屋、
洋風に言えば「バンケットルーム」
が大小様々ある。
襖絵は模写だそうだが本物の
雰囲気は味わえた。
お腹がすいたところで城内に
カフェを発見。
お庭を見ながらきな粉と
あずきのお餅を食べた。
京都は欧米人観光客が多い。
女性よりも男性のカップルか
小グループが目についた。
最後に御金神社へお礼参りに。
お金の神様では最強と言われて
いるのを多くの人が知っていて
以前、初めて来た時に神社が
思いの外小さいことと参拝客が
凄く多いのに驚いた。
警備の人まで居た。
あの日はたまたま一粒万倍日だった。
だから賑わっていたかと思えば、
今回もやっぱり警備の人が居て
賽銭箱まで長蛇の列だった。
前回お参り来た直後に私の口座に
そこそこのお金が振り込まれた。
年金の調整分だと。
私には意味不明。
金額も大きいのだった。
「眠れるCDを作るからお金下さい」
とお願いしたら振り込まれたと
私は思っている。
なのにCD制作はとん挫したまま。
一応お礼に来た次第。
色々な神社巡りをしたが
今回はどうも手ごたえが無い。
どの神様のリアクションも薄くて
私の内面もいまいち
整っていないのを感じた。
明確な目的があってお参りを
したわけでもないし
こんなもんかと思いつつ、
京都駅に行く前に西本願寺へ
寄ることにした。
何度かお参りしたし、
団体でお参りしたり、
合唱団に混じって歌いに
来たこともあれば、
新屋まりとして門徒会館ホールで
歌わせてもらったこともある。
なによりも檀家である我が家の
本山。
父のお骨の一部を納骨させて
もらっている。
私の中ではスピリチャルなことも
真宗の教えも違和感なく
まるっと収まっている。
真宗の教え
「占いまじないの類を信じるな」
も正しいと思っている。
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そんなことを思いながら本山の
山門をくぐると込み上げてきた。
「え?どうして?」と思う自分。
壮大な建物が出迎えてくれる。
世界一の木造建築の圧倒的な
壮大さと美しさは息をのむようだ。
これまで何度も見たけれど
この日は印象が違った。
ど~~んとあけ放たれた山門。
そこには警備も受付も不在。
オープン過ぎるくらいだ。
御影堂も開かれていて三々五々
お参りの人が出入りし、
何をするでもなく腰かけている。
どうしたことかそこからもう
泣きたくて仕方ない。
弥陀堂までの廊下は鴬張り。
二条城と同じだ。
阿弥陀堂で手を合せると
自動的に涙がこぼれ落ちてくる。
自分でも一体何が悲しいのか
それとも嬉しいのか説明がつかない。
親鸞聖人750回大遠忌に
歌を作り給えと進言されて
苦闘の末に生まれた「生かされて」。
お礼を兼ねて一人で奉納に来た。
10数年のことだ。
早朝だった。
本堂で手を合せた。
阿弥陀堂に誰もいなくなった
瞬間があった。
奉納のつもりでそっと歌ったら
泣けてしかたなかった。
あの時と同じような気持ちが
湧いた。
阿弥陀様との縁はほかのどんな
神仏よりも深いと今更のように
思った。
それはとても有難いことだ。
いつも誰かをジャッジし
誰からもジャッジされる私を、
このままの自分で受け入れて
下さる唯一の「存在」が阿弥陀様だ。
言葉にするより前にその安堵感が
涙になってあふれ出るとしか
言いようがない。
このことに気づく為の旅だった
と思い至った。
私は楽しいことよりも
辛かったことを大事にするという
困った性格だが、
これまでの人生丸ごとが、
阿弥陀様とのえにしを知る為に
必要だったとも言える。
足腰が相当疲れたがおかげさまで
実りある旅で締めくくれた。
夕刻妹から「旅行はどうだった?」
とラインが来た。
「色々行ったが西本願寺最高♪」
と返した。









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