あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

歌が取り持つ縁

2024-02-26 | 私が歌手

偶然が重なり41歳で歌い始めた。

最初はライブハウスのバンドで

バックコーラスだった。

楽しくて楽しくて、

土曜日のバンド練習が楽しみだった。

片道1時間半。

22時から始まって終わると

深夜1時過ぎで帰宅は

2時を回ったが苦痛ではなかった。

雨の日も雪の日も濃霧の日も

猛烈な睡魔に耐えながら

通ったものだ。

2年後にバンドが解散して

オリジナル曲をギターで弾き語る

スタイルになった。

知っているコード(和音)は

たったの10個とか。

同じコード進行で何曲も出来た(笑)

ピアニストを紹介してもらい

イベント出演した時に

お客様だったのがOさん。

それからOさんがお客様を

集めて下さりご自宅で

「お茶の間ライブ」を

したのが初めてだったか・・。

お知り合いのお宅や宿でも

ライブさせてもらった。

お客様を紹介して下さり

ライブ会場を紹介して下さった。

「良く備北でライブするね」

と言われるのはOさんの影響。

Oさんが地道ににいやを広めて

下さったからだ。

ライブに来られた方からオファーを

頂けるようになった。

私もお客様も20歳年を重ねた。

皆さんライブに来られる回数が

減り気味。

ちょっとの間、Oさんに合わない

時期があった。

その間に病気治療をされていた。

凄く気遣いされる方だ。

ご病気とは気づかなかった。

気まぐれに出した年賀状だが

お電話を下さった。

ちょっと辛そうだった。

その後Oさんのお友達から、

ご自宅に訪ねようと誘ってもらった。

療養中のOさんを私などが

訪ねて良いものかとだいぶ迷った。

長いお付き合いとはいえ

日常的に行き来しておらず、

ご無沙汰気味だ。

遠方から来た・・と、

返って負担を掛けないかと思った。

「まりさんに会うのを楽しみに

されている。行きましょう」

という言葉に背を押された。

リビングに入るとOさんは

ベッドに横になっておられた。

自分が何を言うか予想を

していなかったけれど

ご主人が「にいやさん」と

出迎えて下さり、

挨拶をする余裕もなく

私はOさんの手を取って

何も発する言葉がなかった。

タラタラと涙が流れる。

Oさんは張りのある声で

相変わらず気遣いの人だった。

お友達がお世話に来ておられた。

Oさんの人柄よね~とつくづく思う。

私の介護をしてくれる人は

今のところ見当たらない。

と言うとそのお友達が、

「私が行こうか?」と言って

下さったのでちょっと安心(笑)

リビングに2枚私の写真が

飾ってあった。

若かった。

40代と50そこそこくらか?

そう言えば「かわいいでしょ~」と

あの頃Oさんが誰彼ともなく

私を押して下さった。

「そうでもない」と内心私は

自分のことをそう思ったし

Oさんにそう言われた人たちが、

苦笑いしている気がしたものだ。

還暦越えの自分でも

Oさんにとって私はずっと

あの頃のにいやなのだろう。

「私はにいやさんと生きて来た」

と言われた。

それは本当の言葉なのだった。

心から応援してもらったということ、

どれほどOさんが私を支えて

下さったかということに、

今更のように思い至った。

こんな私を?と少し疑っていた

と思う。

20年の間には多くの人と

ぎくしゃくしても来た。

Oさんは20年というもの

ゼンゼン変わっておられない

と、初めて!思った。

なんて私は失礼な人間だった

だろう・・。

Oさんに申し訳なさすぎた。

Oさんが好きな「生かされて」

を歌う。

泣けて来てちゃんと声が出ないし、

20年も暗譜していない自分を

恥ずかしいと思いながら歌った。

Oさんが涙をぬぐいながら

聴いて下さった。

お友達も涙をぬぐわれた。

逢いに来て良かった。

歌を聴いてもらって良かった。

そうして気づいた。

歌っていたから出逢えた。

歌そのものに力があることに。

その歌に関わっている自分は

幸せで、

そして聴いて下さる人に対して

いくらかの責任があることに。

更に私が目指す方向性は

そこであって新屋まり存在の

意義だと。

その覚悟を持てないでどこを

目指そうとしていたか?と

強烈に思った。

大事なことに気づいていなかった

と思い知った。

ある決意がわいて口をついて

言葉が出た。

「これからは1曲1曲に

魂を込めて歌います」

誰より自分に向かって宣言した。

ご主人もお友達ももちろん

Oさんも私の宣言を

喜んで下さったと感じた。

翌日は「Peace Concert」だった。

そのことを意識していた。

これからも迷わず進むと

言いたいがきっと

迷ったままとりあえず

どこかへ進もうと喘ぎながら

歌っていくのだろう。

このままの私で常にOKだけを

下さるOさんに恥ずかしくない

新屋まりを見せて行きたい。

 

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