あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

訃報に際して

2024-03-28 | 私が歌手

活動初期から応援して下さった

Oさんが昨日亡くなられた。

朝旅立たれたそうだ。

密教によれば晴天の朝、

肉体を離れるのは吉兆。

不遜かもしれないけれど

私には喜ばしいと思えた。

実は1週間前くらいに

Oさんが去られる気がした。

その感覚は言葉にしがたいが

夜中にふいにそう感じて

オイオイと声を上げて泣いた。

しゃくりあげるほどの激しさで

自分で「どうした?」と思うほど。

父が死んだとき以上に悲しいと、

どこか冷めた見方があった。

肉体を離れたことがある人から

実際に聞いたことがあるが

(木内鶴彦氏を検索ください)

肉体を離れたら体調が良くなった

と感じたそうだ。

Oさんのご家族の心痛を思えば

失礼なのかもしれないけれど・・。

Oさんは楽になられたと思った。

闘病はさぞ辛かっただろうと思う。

心からお疲れ様でしたと伝えたい。

我が父の時のことだが、

病室に入るや母は父に向かって

深く頭を下げて「ご苦労さまでした」

と言った。

忙しい人だったと父の事を

言ったことがある。

保証人になったことで

莫大な借金が出来たこともある。

それらすべてを母の一言が

物語っていた。

私は母をあっぱれだと思った。

生きているだけで難行苦行という

見方もある。

それらを振り払い笑って生きる。

強くてしなやかでなくては

自分どころか他人を応援なんて

できない。

Oさんは20年以上にもわたり

にいやを応援下さった。

Oさんのご家族にも会わせて下さった。

Oさんが一時退院されたので

会いに行きましょうと

ご友人から声を掛けてもらったし

ご自宅に伺ったら別の友人が

お世話をされていた。

私にはとうていそんな友人は居ない。

いつも誰かを気づかい、

誰かを楽しませてOさんは逝かれた。

近くの小さな社にお参りした。

Oさんに伝言を取り持って

下さいとお願いした。

「お疲れ様でした」

「長い間応援して下さり

本当に有難うございました」と。

「ゆっくり休んで下さいね」と

言いかけてちょっと違うかも

と思えた。

これまで存在していた「幽界」は

そのシステムごと無くなったそう。

これから地上を去る人は

そこに留まらずもっともっと

広い世界でより自由に飛び回れる。

Oさんにもそうであって下さいと、

取り次いでもらった。

めったに着ることのない喪服を

着てみたら私の肉体は一回り

育っていた。

やれやれと思いながら準備完了。

ふとした瞬間にとてもとても

寂しくなった。

Oさんの私への応援は

信じられないほどで、

沢山の人と縁を繋いで下さった。

私はいつもどこかで自分に

自信がなくて、

自分を許せなくて、

このままの自分じゃダメだ

と思っている。

当然他人からもそれに見合った

つっこみが入ることになる。

Oさんはそんな私に自信を持てと

教えて下さったのだろう。

自分を大切にしても良いと。

終生変わらず私にOKだけを

出し続けてくれた唯一の人。

私を生んだ人間でさえそうでは

ない。

母は毎日のように

「大事になる」とか「それじゃダメ」

と無意識に私を口撃してくる。

得難い縁を頂いたと今更のように

思う。

恩返しはもうできない。

けれど歌がつないでくれた縁。

これから歌を通じて出会う人に

Oさんから頂いた愛を

パスしていきたいと思う。

命は永遠だと思っている。

「私は娑婆世界で、

Oさんはあちらの世界で

まだまだ終わらない旅を

続けるんですね。」と話した。

心よりご冥福をお祈りします。

 

 

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