あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

安楽死という選択~麻呂の最期を迎えて

2024-10-07 | 愛犬がいる暮らし

麻呂が夜中に声を上げて

うろつくのは老化現象の

ひとつだろうと考えていた。

夜は母屋に麻呂と母だけだ。

随分前から

「声をあげてかわいそう。」

と、母は私に訴えていた。

真剣に聞いていなかったのが

悔やまれる。

そうこうするうちに昼間も

声を上げて痛がるようになった。

鎮痛剤は効果がない様子。

3日木曜日に診察を受けた。

誤嚥性肺炎に掛かっていたし、

血液検査の数値が相当悪い

らしかった。

麻呂はもう3日ほど食べて

いなかった。

点滴で栄養剤を入れてもらえば

回復するだろうと思っていたが

処置されなかった。

「早ければ今夜でしょう」

という主治医の言葉を聞いて

やっと麻呂の危機的な状態が

飲み込めた。

昼間は啼き声を上げることが

あっても割とすぐに眠った。

今思えば傷みが酷くて意識が

飛んでいたのかもしれない。

眠りが異常に深かった。

麻呂との別れが近いと悟った

私は後悔したくなかった。

幸いこの夜から4日、お休みが

取れた。

予定がほとんど入っていない

4日間でもあった。

奇跡だねと妹も言った。

木曜日からほとんど

つきっきりで麻呂を介護した。

自分のベッドでおしっこを

したくないから吠えることが

あると分かった。

井戸水ではあっても蛇口の

水は飲まない。

水槽の水だけ飲むことも分かった。

相変わらず食べ物は受け付けない。

どこかが痛むのか声を上げる。

しばらく抱っこしては寝かし

つけた。

20時くらいから明け方まで、

吠えては眠りに落ちるのを

数回繰り返して朝になった。

リビングで夜通し麻呂と

一緒に過ごした。

15年もあったのに麻呂と

ずっと一緒に過ごしたことが

多分ない。

いつも何十時間も私の帰りを

待っていたに違いない。

「ずっと一緒だよ」と

声を掛けると、あたたかい

気持ちがほんのり私の胸に

拡がった。

これこそが一番大事なこと

だったと気づいた。

常につまんない用事とか、

鳴かず飛ばずの歌活動に

かまけて留守をしたんだなと

我が身を振り返るばかり。

木曜日夜を麻呂は乗り切った。

金曜日の夜になり土曜日の

朝になり。

細切れに吠える麻呂をあやして

寝たり起きたりしていた私は

時間の感覚が分からなくなった。

土曜の夜の大事な予定を

すっぽかしてしまった。

その夜のことだ。

麻呂の苦しみ方が鋭角になった。

ワンワンではなくキャーという

甲高い声で前足をバタバタ

させる。

20分くらいだったのが

少しづつ伸びて1時間近くも

苦しんだ。

ヨシヨシとあやしながら

いつの間にか自分もソファで

寝落ちしていたのだった。

後で思えば座敷でゆうゆうと

一緒に眠れたのに。

窮屈なソファからなぜか離れず。

はっと気づくと朝まで

2時間近く麻呂も私もぐっすり

眠った。

日曜日の早朝を迎えた。

麻呂はいつもより苦しそうな

声を上げた。

1時間近く苦しんでほぼ

意識を無くした状態で静かに

なった。

麻呂のお腹が動いているかを

確認しなくてはもはや

生きているがどうか分からない。

この2、3日でもやせたのが分る。

5キロ以上あった体重は半分に

なっただろう。

お腹をなでるとあばら骨が手に

触った。

もうこのまま目覚めないかも。

覚悟したが1時間後に起きて

また声を上げ始めた。

いつまでこの状態が続くのだ?

我慢強い麻呂がこれほどの声を

上げて苦しむのだから

相当辛いに違いない。

誰にもこの苦しみを代わって

やれない。

病院に連れて行くとしたら、

どんな手当をしてもらえるか

と考えた。

もう何日も食べていない。

入院して誰にも看取られず

亡くなることは避けたい。

人為的に眠らせてもらえたら

麻呂は痛みから解放される

と思えた。

日曜日は午前だけの診療だ。

既に9時半。

麻呂が苦しんでいる傍で

知り合いの獣医さんに連絡した。

「麻呂ちゃんの声が聞こえますね。」

と状況が伝わった。

安楽死について知りたかった。

誤嚥性肺炎で心臓病があるなら

痛みより息ができない苦しさが

大きいので鎮痛剤では

効果がないかもしれない

と言われた。

「安楽死は倫理上できない

というお医者さんもいます」

「腕の中で看取る覚悟をするか、

そうでなければにいやさんが

どうしたいかを主治医に

分かり易く伝える必要がある」

と言ってもらえた。

それは大いに役立った。

有難かった。

安楽死の方法を聞いて、

今日対応してもらえるか

病院に聞こう。

そう決めて電話を切った。

それと同時に麻呂は眠った。

最近、眠っても閉じなくなった

左目がうるんでいた。

はっとした。

瞳を覆っていた涙が瞳の

端っこに集まって雫になった。

麻呂は・・泣いていた。

電話の内容を分かっているの

だろうか・・。

麻呂の命を私が強引に

終わらせようとして良いか?

病院に電話をすべきか

麻呂の命が終わるまで

見守るべきかと逡巡する。

10時10分。

病院が閉まる時間が迫っている。

妹に伝えた。

私が決断するべきらしかった。

このまま考えていたら後2時間で

麻呂はまた夜中苦しむことになる。

月曜夕方から私は不在だ。

麻呂にとってはたったひとりで

苦しみに耐えるだけの

永い永い夜が待っている。

私はすぐにでも職を辞したいが

非現実的だった。

病院で対応できないと言われたら、

最期まで看取ると決めて

主治医に電話した。

私が単刀直入過ぎたらしく

先生はやや焦っている様子

ではあった。

安楽死できることとすぐに

対応してもらえることを確認。

母に病院で眠らせてもらうと

伝えた。

「それがええ。」と言った。

病院で妹と待ち合わせた。

麻呂は見た目にはぐっすり

眠っているようだった。

「このまま行けそうな気も

するけど。」と妹は言った。

きっと1,2時間でまた麻呂は

苦しみ始める。

いつもごった返している病院に

我が家の3人だけだった。

私は充分に介護したし

麻呂が充分頑張ったのを

3日半見ているが妹はまだ

諦めがつかない様子だった。

診察室室でしばらく麻呂を

抱っこしていた。

それからすぐに麻酔の点滴。

眠った状態で最後の対面をした。

汚れていた顔や身体が

綺麗になっていて悲壮感が消えた。

かわいさが戻っていた。

3人で「有難う」「頑張ったね」

と声を掛けた。

温かい麻呂に触れた時間は3分ほど。

心臓を止める薬剤が送り込まれて

数秒で心臓が停止した。

あっけなかった。

これで麻呂は苦しまなくて済む。

苦しむ麻呂を見なくて済む。

私は軽く安堵していた。

が、はたして麻呂にとって

良かったかどうか。

麻呂は白い小さな箱の中で

かわいい寝顔で帰って来た。

夕方になると目を覚まして

変わらない日常が戻って来る、

そんな錯覚にとらわれた。

この事態を把握しているはずの

母はまだ飲み込めていないのか

「生きたまま殺したわけよ」

と2回も言う。

「生きたまま殺したって

他人聞きが悪い、

薬で眠らせたんよ」と言うが、

その言葉は痛い。

麻呂の瞳に溜まっていた

涙の意味をあれからずっと

ずっと考えている。

麻呂の遺体が入った

箱を一晩仏壇の前に置いた。

仏壇に向かって座わると、

阿弥陀様の背後から光が

差している。

この光のことを「慈光」

というのだろうか・・。

光は亡くなった麻呂と、

生きている私を優しく

照らしていた。

南無阿弥陀仏の名号を

頂く身の上は幸いだ。

それ以外に思い浮かべるべき

言葉が今は見あたらない。

 

合掌

 


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