
2月末のこと。
駐車場に停車していた
無人の車をひっかけてしまった。
相手と自分の車双方に修理が
発生した。
保険会社さんから相手に
支払いが立ち私の方の車も
修理してもらった。
保険料が3段階また上がった。
60を超えると値上がりすると
聞いていたが私の保険料は
相応にバカ高くなった(涙)
あとひと月でめでたく
3段階下がるという通知を
開封して2時間後の事故。
いろいろやらかしながら生きて
いる次第。
それにしてもひと月もの間、
軽トラに乗るというのは想定外
だった。
軽トラでギターのレッスンへは
行けないので伸ばしていたが
レッスンがなければどこまでも
ギターに触らないし指関節が固まる。
覚悟をしてレッスンを予約。
広島市中区へ軽トラで出動した。
安佐北区には時々だが
軽トラが走っていて心強かった。
が、安佐南区ではかなり減って
中区には1台も走っていない。
かなり場違いな感じよね。
遠い昔の話だが、
東京で営業職だった頃は
ミッションのワンボックスで
ウロウロしていた。
ミッションだしサイズは軽トラと
同じ。
自分の肉体の一部くらいに
ワンボックスカーと一体化
していたものだ。
南青山の会社からすぐに国道246。
そこは片側6車線くらいの大通り。
いつも渋滞している。
出てすぐに一番右の車線に移動
しなくては右折不可能で
信号手前なので減速する車に
右手を挙げてすみません~という
リアクションをしつつ5車線
またぐという荒業をしていた。
慣れるのには相応の日にちが
掛かったが、新入社員で
国道に出ることができず
営業に行けなかったという逸話
を聞いたことがある。
ある日、南青山の交差点のなんと
先頭で!エンストしたことが!
エンジンが掛からないので
車を降りて押しながらハンドルを
操作して道の脇まで移動したっけ。
慣れない東京を慣れない運転で
営業から帰ると1日で1キロ
やせていたものだ。
青山通りに比べたら平和大通りは
かわいいものだと思えた。
右折して駐車した。
軽トラから出るところは誰にも
見られていないと思うが、
恥ずかしいを通り越して、
可笑しくなったので私は
微笑んでいたと思う。
「ここまで軽トラで来た」
というが師匠は特段の
リアクションなく。
後日「かっこいいじゃないか」
と誰かに褒められた。
誰だったか忘れた。
そんなこんなで不自由な日々を
乗り切ってめでたく愛車とご対面。
スライド式ドアが新品になった。
ひと月の間ですっかり軽トラの
ミッションに慣れていたので
愛車のエンジンを掛けて
出発するのに戸惑ったくらいだ。
シェンタになってから事故をする。
車に振り回されている気がする。
機材を積んで歌いに行くのに良い
と思ったからだが、
これから先(たぶん人生最後の車)は
小ぶりなのにしようと思っている。
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