あめつちの詩

「あめつち」に響く歌声の持ち主「にいや」こと「新屋まり」が奮闘の日々を綴る。

出雲大社参拝~万事は良縁から

2023-06-12 | 

ブログにアップしたい内容が

音楽活動から乖離していくのです。

変人がばれてしまふ。

けれど、歌に込めているものが

多少でも分かってもらえたら

成功と言えるのではないか?

と、良い方に解釈しとく。

話すのとは違って文字だから

関心のない人にはスルーしてもらお。

自分としては実はあまり

ピンと来ていないけれど、

大国主の命(みこと)に縁がある

ようだ。

で、何の脈略もなく大国主の命に

「来なさい」と言われた気がした。

気のせいが気のせいじゃない

っていうことに幾度か遭遇してきた。

なので「気のせい」と済ませられない

と思っている。

正直なところ面倒だと思った。

手帳を眺めたら週末が良いと思ったが

相変わらず「遠い」「面倒くさい」と

思った。

で、翌朝「玉を取りに来なさい」

と聞こえた。

「玉?」と思った。

いよいよ狂人か変人に自分の

バージョンが変わったかもと思った。

そんな自分につきあう身の上だ。

出雲大社に行くしかないと思った。

土曜日の朝、母に言いだせなかったが

「あんた今日は整体に行くんか」と

母から聞いてきた。

妹と整体のことを話したからだ。

「いいや。出雲大社」と答えた。

「出雲へ?今から?」と驚いたが

「気をつけていきんさい」とあっさりだ。

それから「何をもらいに行くんか」と

妙な質問をしてきた。

「良縁」と答えた。

1時間走ったら石見銀山付近に着いた。

石見銀山の近くの神社にも

大国主の命が祀られているのを

急に思い出して小躍り。

出雲まで行かなくて良いかもしれない。

コロナが落ち着いてにぎわっていた。

1台ギリギリ駐車できた。

で、龍の天井画が有名な神社へ。

手を合わせてもな~~~んにも

起こらないどころか

脳内がしーーーーんと静まり返っている。

「ここじゃないのかな」とは思った。

「出雲へ行け」と聞こえた。

ずるは許されないようだ。

諦めて出雲目指して走りだした。

日本海に出たらトロピカルな景色。

一気に気分が上向いてアイスと

バケットを2つ食べた。

3時間掛かったが13時半に到着した。

大社の付近は凄く賑わっていた。

松の巨木並木を抜けて行った。

大国主の命の巨像と波に乗った金色の玉。

私が受け取るってこれかな~と

思いながら境内へ入ると

拝殿の前に列ができていた。

賽銭箱の前で手を合わせたが

人が気になって集中できない。

本殿前にも長蛇の列だ。

思い切って拝殿内に入れる祈祷を

申し込んだ。

祈祷は初めてだ。

受付に「年貢」と書いてあった。

申込用紙に記入。

住所・名前、数え年とお願い事の

「良縁」に〇をつけた。

待合室は大勢の人。

時間になって拝殿内に案内された。

太鼓と笛の音で式典が始まった。

するとすぐに直系30センチくらい

ありそうな水の玉がイメージで現れて、

ポンと私のてのひらの上に渡された

(気がした)。

「命(いのち)の玉」と聞こえた

(気がした)。

嬉しくて有難くって涙とか鼻水が

マスクの中にあふれて困った。

終わってお下がりを頂戴した。

金額に応じて中身が違うそうだが

最低金額でもお守りとお札と

お米がちょっと入っている包みが

入っていてお得感あった。

更に正式参拝の人に混じり本殿前で

行列している人たちをかき分けて

塀の向こうへ入れてもらえた。

大きな玉砂利が敷き詰められていて

独特の空気感だ。

不思議な涙がずるずる出た。

ずっと奥に大国主の命が祀られている。

「ありがとうございました。」と

お礼をのべて滞りなく終了。

清々しい気持ちで松林を戻り

綺麗な菖蒲を眺めてすぐ隣の

博物館に初めて入った。

銅剣や埴輪がたくさん陳列されている。

レプリカじゃなく本物の国宝は

圧巻の迫力だった。

博物館のカフェでお茶などして

物思いにふけり帰宅した。

十分楽しめた上に晩御飯は

帰宅してから用意した。

本人は自覚していないと思うが

「(出雲大社に)何をもらいに

行くのか」と聞いてきた母は

普段通り目の前で晩御飯を食べている。

不思議な娘を生んだ人だから

ちょっとくらい不思議なのは

仕方ないってか。

 

 


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