Riang,Liang

Riangはマレー語で「陽気な」、Liangは中国語で「明るい」という意味!マレーシアから陽気で明るい話をお伝えします。

やしの実と津波

2005-12-28 00:32:18 | 自然

12月26日。津波の大災害から1年が経ちました。
マレーシアの隣国、インドネシアではまだまだ悲惨な状態が続いています。

今回は今年の1月末に新聞に載ったインドネシア人のある男の人の話を紹介します。私の記憶に残っている話ですので、内容は少し違うかもしれませんが、聞いてください。

あるインドネシア人の男の人(仮名Aさん)は2004年12月26日の大津波で沖に流さた。周りにはAさんだけでなく、何人かの人が流され、流木につかまっていた。
Aさんは大きめの流木に乗り、流れついた固いやしの実を自分の歯で割り、やしの実(食べられる白い部分)とジュース(やしの実の中のジュース)を飲んで、飢えをしのいだ。

日が経つにつれ、周りの人達は陸に向かって、泳ぎ始めた。しかし、Aさんは決して泳がなかった。体力がないこの状況で泳いでも、陸に着く前に泳ぎ疲れ、死んでしまう。それを知っていた。案の定、泳いだ人は、亡くなっていった。
Aさんはとにかく、流れ着いたやしの実を食べ、1ヶ月の間、沖にいた。「いつか、誰かが自分を見つけてくれる。」それだけを信じて。
1ヶ月経ったある日、Aさんはフィリピン漁船に見つけられ、見事、救出された。

皆さん、やしの実をご存知ですか?普通の包丁でも切るのも大変なやしの実です。
それをどうやって歯で割ったのでしょうか。
そして、周りの人達が泳いでも、決して泳がなかったAさん。
やしの実を歯で割ることができるたのも、体力がない時に泳いでも意味がないことを冷静に判断することができたのも、Aさんが普段の生活の経験から学んだものなのです。私はこの記事を読んだ時、日本人がAさんと同じような状況に遭った場合、何人の人が生き残れるだろうか?と思ってしまいました。

私達日本人の毎日の生活はどうでしょうか。家庭にあるものも、街にあるものも、全てのものが電気、機械で自動的に動き、自分の手や頭を使って、何かをするということが少ないですよね。便利で速くて、楽なことは確かです。でも、私達、何か困った時に手や頭を使っていますか?

何かが壊れれば、電話で業者を呼んで修理を頼むか、すぐ新しいものに買い換えることができます。新しい製品が出れば、まだ使えるものを捨てて、飛びついてしまいます。日本はバブルの頃に較べれば不景気だと言われていますが、世界に較べれば、本当にまだまだお金持ちの国だと言えます。
修理して使えば、まだ使えるもの、まだ壊れていないのに使えるものが家にありませんか。ちょっとしたことでも手間がかかることから逃げてはいませんか。

以前日本に住んでいた頃の私は便利社会に埋もれていました。台湾、マレーシアに住み始めて、その生活が変りました。業者を呼んでも来るのは明日、あさってならまだいいほう。そうなった時、誰も助けてくれないのです。頼れるのは自分だけでした。手間がかかることもやってみようとか、修理して使ってみようとか、難しくてもとりあえず、やってみようとか、そう思えるようになりました。(もちろん、台湾、マレーシアは他の多くの国に較べても便利な国だと言えますが、日本は世界一便利な国だと思います。)

忙しい日本社会ですから、「そんなのめんどくさいし、時間がないよ~。」と言われてしまいそうですが、便利さ、速さ、楽さだけが全てではないと思います。毎日の生活のちょっとした手間もAさんのように自分の経験となっていくのです。そして、私達の身の回りにある物ももっと大切にして使ってもらいたいと思います。私達のちょっとした気持ちがゴミの量を少なくし、環境にもいい影響を与えていくと思います。
もちろん、私もまだまだですが、頑張ります。

 


台湾から

2005-12-27 01:13:12 | 

23日の朝、突然、電話が・・・。「今、タイからマレーシアのバターワースに向かっているところ、夜、クアラルンプールに着くよ!」台湾に住んでいた時の台湾人の友人Aがカナダ人の彼Pと一緒にクアラルンプールに遊びに来るとのこと・・・。
クリスマス前後に遊びに来るとは言ってたけど、まさか、今日とは思わなかったので、家に着くと、すぐ軽く掃除をして、彼女達を迎えました。

実は、私、1999年から2001年まで台湾の台中に住んでいました。Aとはその時以来の友人。Aとは週末、よく遊びにでかけたり、新年にAのお父さんの中華を食べさせてもらったり、今年の5月にはWと一緒に台湾に旅行に行って、家に泊めてもらったり、A一家にもAにも本当によくしてもらっています。

今回の2人の旅は台湾→タイ→マレーシア→シンガポール→マレーシア→タイ→台湾で、バックパッカーでタイ→マレーシア→シンガポールの移動はバスと電車を使うらしい・・・。

23日の夜、Wとバス・ステーションに迎えに行き、久しぶりのご対面。カナダ人のPとはお初。彼は台湾で英語教師をしながら、音楽活動をしていて、台湾ではCDを発売し、来年、カナダでも売り出す予定。なので、この旅にもギター持参。

我が家に着いたのは11時過ぎ。これからのスケジュールを聞くと、明日の夜にはマラッカ(マレーシアの南)に行きたいとのこと・・・。「そんなに早く、もう一泊していけば?」と私。彼女達が言うには、中の移動が、バス、電車なのでそんなに時間を使えないらしい。「うん、それなら、仕方がないなあ~。」

Aとは台湾時代の友人の近況を。私の中国語のクラスメイトだったカナダ人のDは台湾人と結婚して、台中に旅行会社を始めたとか、日本人のAは子供を産んで、子育て中とか、日本人のKはカナダに行って、今は日本だとか、アメリカ人のNと日本人のSカップルとは連絡をとってないが、今頃、どうしてるかな?アメリカかな?なんて、台湾時代の友人の話題ばかりで、とっても懐かしい~。
彼のPは中国語を勉強中らしく、テキスト持参。旅行中なのに、えらいわ~。「Aと毎日、話していれば、上手になるよ!」と私。英語、フランス語ができるし、音楽をやっていて耳もいいはずだから、3つ目の言語もすぐ上達するんじゃないかな~。

24日、朝、起きて、中華のブランチをして、ヒンズー教のBatu Caves に。Batu Caves は洞穴の中にヒンズー教が祭られているところです。かなり神秘的なところですよ。洞穴には金毘羅さんのように階段があって、それを登っていかなければなりません。それと、ここには自然の猿たちがたくさん、走り回わり、観光客からもらえるえさに飛びついています。猿たちもヒンズー教では神様なので、大事に扱われているようですね。

階段の隣には新しくなったお寺が・・・。ここは初めてなので、私も中へ。象の神様、牛の神様、ねずみの神様など、いろいろな色鮮やかな動物の神様が出迎えてくれました。お祈りをしてくれるお坊さんが「こっち、こっち。」と言っていましたが、私達はヒンズー教徒ではないので、「いいです。」と断わって、外に出ました。2人は登山開始。私は友人を何回も連れてきているので、下で休憩。

2人が戻ってきて、「どうだった?」と聞くと、「なかなか!」と。ここはヒンズー教なので、2人の外国人には異文化を感じるところでしょうね。

その後、1月1日に引越し予定の新居へ。Wはそこで業者の人と、ペンキ塗りをしていました。2人に中を案内して、「今度はここで寝られるよ。」と部屋を紹介。
まだ、何もないので、イメージがわかないだろうけど、また、是非、遊びに来て欲しいなあ。

それから、ツインタワーがあるKLCCへ。
映画にも出た建物なので、Pが是非、行きたいと。
KLCCのショッピングセンター、外の公園をぐるっと回りました。
スターバックスで休みながら、彼の音楽活動に興味がある私。「どうして、音楽を始めたの?いつから?何の楽器ができるの?」など質問。彼はピアノ、ギター、ベース、ドラムができるんですって。
私もピアノ、ドラムはできるので、彼に「いつ、また楽器を始める?」と聞かれ、「ピアノもドラムも高いからね~。買うとしたら、キーボードかな?今は歌を歌ってるしね。」と。

一先ず、家に帰って、2人は出発の準備。Pはギターをポロロンと弾いてくれました。
適当に弾いているようだけど、素敵な曲だわ。
台湾で出したCDが売れるといいねえ。そして、カナダでも。

5時半過ぎ、家を出発。昨日と同じ、バス・ステーションに向かいました。
「マラッカ行きのチケット、すぐ取れるといいけど、万が一、取れなかったら、もう一泊しなね。」と。
車を駐車できないので、バス・ステーションの向かい側に、車を止め2人は荷物をとって、出発。Pからは「本当に長い間、運転させてしまって、どうもありがとう。」「いやいや、またマレーシア、遊びに来てね。また家に泊まっていいので。」Aとは運転席、助手席で、ハグをして、「またね。」と。

10分後に電話が鳴り、マラッカ行きのチケットが取れたと。
よかった、よかった。
これからの2人の旅も楽しくいけるといいなあ。
また、2人に会えるのを楽しみにしてます!



 KLCCで撮った写真。
 2人の楽しそうな姿。

 許可をもらったので、載せてしまいまーす。

 


クリスマ・スコンサート2

2005-12-26 01:22:41 | 趣味

21日(水)、またまた、クリスマスコンサートがありました。今度はマレーシア最大と言われているMID VALLEY ショッピングセンターに付属している2つのホテルで歌いました。ホテルといっても、ディナーショーとかではなく、フロントでホテルに泊まっているお客さんたちに聞かせるんです。

平日なのに、クリスマス前でショッピングセンターは大賑わい。駐車場まで行くにも、車を止めるのにも一苦労でした。

前回のホールで行われたコンサートとは違い、服装も少しカジュアルになり、男性陣も集まってくれたので、混声Coirになりました。男の人が入ると、低音の響きが利いて、さらに美しくなるんですよね。バスの人と話してても声がよく通って、聞きほれてしまうぐらい。実は、マレーシアのカラオケコンテスト優勝者も混じっているんです。

まず、これが私達の練習風景。
発声練習、曲目の確認、あとは世間話・・・ですかね。  

 まだ、全員集まっていない
 のですが・・・。メンバーは華人
 がほとんど、インド人もちらほら。
  

 今日は赤、もしくは緑の
 クリスマスカラーをいれた
 服装です。

 

  まず、CITITEL HOTEL 7:00スタート。今回の伴奏は 持ち込みキーボードです。
 お客さんも何が始まるの?という感じで見ています。

11曲を歌いました。

1、Hark! The Herald Angels Sing
2、O Come, All Ye Faithful
3、Christmas Lullaby 

この「Christmas Lullaby」は前回のホールのコンサートでは、男性陣がいなかった為、ボツになってしまったんです。今回は男性の声が入り、引き締まって、なかなかいい歌声が聞かせられました。

4、Jingle Bells

おなじみの「Jingle Bells」。子供が一緒になって歌っていました。

5、Ding Dong! Merrily on High
6、Silent Night / Night of Silence(2曲)

「Silent Night / Night of Silence」は前回のホールでと同様、ソプラノ+テノール、アルト+バスのかけあいです。

7、White Christmas 

「I'm dreaming of a White Chirstmas ~」のあの曲です。

8、Silver Bells
9、Oh Holy Night 

指揮をしてくれた男性が最初、ソロで歌い、盛り上がりで私達も歌います。

10、We Wish You A Merry Christmas

最後のこの曲、皆さんも知っていると思いますが、私の大好きな曲です。クリスマスとお正月が待ち遠しいなあと思ってしまうんですよね。最後にはやっぱり盛り上がりました。

第一幕終了。
ホテルのスタッフ&お客さん拍手

さあ、次はショッピングモールを皆で歩いて、次のホテルに向かいました。
モールの中を列になって歩きながら、「Jingle Bells」「We Wish You A Merry Christmas」歌うんですよ。恥ずかしい~
でも、これは西欧のChoirの伝統なんですって。
クリスマスにChoirたちは列になって歌いながら、貧しい人の家や老人の家を訪問し、歌を届けるそうです。最高のクリスマスプレゼントですよね
その名残で私達も・・・
買い物客は驚いて見てましたが・・・。

新しくできた Boulevard Hotel 到着。
同じくフロントの前で8:00にスタート。

曲目は同じですが、
8、「Silver Bell」 で前回のホールのコンサートで歌った Brian さん のソロにチェンジ。イギリス人(おそらく?)だけあって、英語の発音は素晴らしく聞きほれました!!

Boulevard Hotel のほうが、天井が高く、音も響いて教会で歌っている雰囲気だったのと、2回目で私達の緊張もほぐれていたようで、大成功。ただし、お客さんが少し少なかったですが・・・。

第2幕も無事、終了。
拍手

なんと、このコンサート報酬が・・・
ホテルのビッフェの料理が用意されていました。趣味で歌を歌って、おいしい料理が食べられて、いいんでしょうか?

8:30過ぎ、ホテルのレストランに向かいました。
それぞれ席に座り、仲良くなった友人達と話に花が咲きます。

あ、っと時計を見ると、もう10:00。
そろそろ帰らないと・・・。

うん?次の練習はいつなのかな?
メンバーの1人が「1月からか、おそらく Chinese New Year 明けからか」と。
11月、12月はコンサートの練習で忙しかったから、1ヶ月ぐらい休憩ですよね。年末、旧正月前はそれぞれ忙しいので。

皆にさよならをして、ホテルを出ました。
駐車場に着くと、大渋滞。外に出るのに30分もかかってしまいました。

でも、楽しい仲間達と歌を歌うと、気分も晴れて、こんな渋滞なんて、と思ってしまいます。一足先に楽しいクリスマスをまた味わえました。

         モールに飾られていた風船のクリスマスツリー。
    国教はイスラム教ですが、何と言っても他民族の
    マレーシア。華人のクリスチャン、インド人
    のクリスチャンもわりと多いんですよ。

    25日(日)は祝日。振り替え休日で26日(月)も
    お休みです!
                                     
 

    ※前回のクリスマスコンサートの記事、作業中の
      ミス(おそらく?)で消えてしまいました。
      ごめんなさい。
      もらったコメントだけ残っています。


マングローブと津波

2005-12-20 23:30:08 | 自然

マングローブ、皆さんも知っていますよね?
海水と淡水が入りまじる沿岸に生育する植物です。
マングローブは「八重桜」のような固有名詞の名前ではなく、広葉樹林、
針葉樹林などと同じように区分されるものだそうです。
いろいろな種類のマングローブがあるんですよ。

マレーシアではランカウイ島、サバ州、サラワク州などで見ることが
できます。最近ではマングローブのエコツアーなども行われています。

去年12月26日のインド洋沿岸で起きた津波のこと、覚えていますか。
マレーシアはちょうどインドネシアのスマトラ島に隠れた為、他の隣国に
に較べて被害はあまりなかったのですが、実は、もう一つ被害を少なくした
理由があるんです。
それがマングローブなんです。

以下はマレーシアの邦人新聞「日馬プレス 2005年1月15日」の記事です。

マングローブ湿地帯の保護論者たちは、何十年にわたってその重要性を指摘し、
開発によって損なわれないようにすべきだと繰り返し訴え、しばしば受け入れられなかったが、
このほどアブドゥラ首相という強力な味方が現れた。
同首相は「マングローブがなければ、12月26日に起こった津波による被害は
より大きなものになっていただろう。マングローブは大波の防御壁になるので
手をつけてはいけない」と述べ、「海岸の開発によって湿地帯を取り除くべき
ではない。マングローブが津波によって損傷を受けたのであれば、移植すべきだ」と指示した。
1997年のベトナムでの研究報告書によると、1.5kmの幅にわたって群生する
樹齢6年のマングローブが、高さ1mの波を海辺で5cmに減少させたという。

もし、10メートルの津波が来た場合、たったの50センチに減少させることが
できるのです。この数値には本当に驚きますよね。
マングローブの木がマレーシアの沿岸に生育していなかったら・・・、
考えただけで、ぞっとします。もっと被害は大きかったでしょう。
まさに、マングローブは人間を守る、命の木と言えますよね。

アブドルラ首相のこのような一声でマレーシアのマングローブが
保護されていくことを願うばかりです。

果実の王様

2005-12-18 15:19:49 | 食べ物

南国マレーシアで、果実の王様と言われている果物、何か知っていますか?
「ドリアン」です。

ドリアンのシーズンは6~7月。12~1月なんです。そう、今が、食べ頃。
日本の皆さんはドリアンの生っている姿、見たことがないのでは?
どうぞ、ご覧あれ。
                           

そう、ドリアンは木に生るんです。そして、切って採取するのではなく、自然落下したのを採取するんです。実が熟すと自然に落ちるので、ドリアンが上から落ちてきて、頭にあたって死んだ人もいるそうです。
雨が降らない晴天の日、朝、落ちたドリアンはおいしいと言われています。

食べたことがある人も苦手と言う人が多いでしょうね。
ドリアンの強烈なにおいはねずみが逃げるほどと言われているんです。マレーシアのホテルでは「ドリアン持込禁止」のポスターがよく貼られています。
実は私もマレーシアに来た当初はどうしてこれが「おいしい!」と言える果物のなのか信じられず、食べられませんでした。

ところが、私がよく山登りに行く水晶山(水晶の原石がある山)のドリアンを食べてから、なんと、食べられるようになってしまいました。ここのドリアンは甘くて、少し、苦くておいしいんですよ。

それから、街角で売られているドリアンを買うようになり、「利きドリアン?」ができるようになりました。甘い、苦い、酸っぱい、ミルクのような味、ドリアンと言っても種類も様々なんです。人によって好みも様々なので、自分にあったテイストを探すんですよ。農薬が使われていたりするとおいしくないのは確か。
街角のドリアンだと、まず味見をして、いくつか買うのが通。だいたい値段は1つ、90円から300円ぐらい。大きさ、おいしさによって違います。

でもこのドリアン、注意が必要!!食べると、体を温める(かなり熱くする)果物なので、のどが痛いとき、咳が出るとき、体の調子が悪い時は絶対禁止。もっと、調子が悪くなります。(経験済み)食べすぎると、調子が悪くなる場合も・・・。
そして、食べ合わせにも注意が必要!!ビールを飲みながら、ドリアンを食べると醗酵し(?)「死ぬ!」(死ぬほどの目にあう)と言われている。

体を熱くする果物なので、食べた後は、水、もしくは塩水をたくさん飲んだほうがいいと言われてます。水で体の温度を下げ、のどやお腹を塩で殺菌するんです。
マレーシア人風にするなら、ドリアンを食べた後、実を取り出したくぼみに塩水を入れて、飲むといいとか!!
それか、体を冷やす果物、マンゴスチンと一緒に食べると中和されていいそうです。

とにかく、元気な時にトライして、食べすぎなければ、大丈夫!マレーシアに旅行に来たら、是非、ドリアン、トライしてみてくださいね!


オーキッド

2005-12-14 01:20:17 | 自然

今日、スーパーに買い物に行ったら、オーキッドが売られていて、思わず買ってしまいました。びっくりするのがその値段。いくらだと思います。なんと、約150円。そして、この量。日本じゃ考えられない値段ですよね。

                   

一つの花瓶に収まりきらず、一輪挿しの花瓶も使いました。

オーキッドはマレーシアでよく栽培されている花です。常夏の国の花なので、暑さに強く、長持ちするんです。茎の上から下まで花がついているので、枯れてきても、下から切りながら使える花なんですよね。花だけ、水に浮かべてもとってもかわいいですよ。


老黄瓜スープ

2005-12-14 00:57:45 | レシピ

マレーシアの華人達は毎日の食生活の中で漢方の素材を取り入れています。実は私達日本人も知らないだけでその素材を使っているんですよね。

今日はとっても簡単な漢方素材を使った「老黄瓜スープ」を紹介します。

まず、老黄瓜って何?ですよね。
老黄瓜、英語だと Old Cucumber 。マレーシアの大きめの薄グリーンのきゅうりを収穫せずにそのまま3か月生らしておくと、外見が茶色のきゅうり、老黄瓜になるとか・・・。
味は冬瓜です。日本の皆さんには冬瓜で代用して下さい。

代用できる冬瓜も、とっても体にやさしいんですよ。利尿を促進させて、体内の余分なむくみをとってくれます。また、体内にこもった熱や毒素も取り去ります。

それから、このスープに入れるなつめ。なつめは簡単に手に入れられる漢方素材です。胃腸機能の調整、血行をよくする、滋養強壮などに加え、精神を安定させる働きがあります。体力、気力ともに補ってくれる食材です。

老黄瓜スープ (冬瓜スープ) 材料 (2人分)

老黄瓜 (冬瓜) 1本
豚バラかたまり肉 200グラム
なつめ 6、7個
塩 少々

1、老黄瓜 (冬瓜)の両端を切る。端から端まで縦に皮をむくところ、むかないところを作る。断面図にすると、4辺縦に皮をむき、4辺縦に皮を残す。(煮崩れを防ぐため。皮を残すのに抵抗がある方、煮崩れが気にならない方は全部むいてしまってください。)
1,5~2センチ等間隔の輪切りにする。それをまた半分に切り、半月切りにする。中の種をスプーンで取り除く。(※写真参考)

2、鍋に水1600ml、1700mlを入れる。(中鍋の7,8割の水の量。多めに入れても大丈夫。)
水の状態で1で切った老黄瓜(冬瓜)、豚肉、なつめ、塩少々を入れ、火をつける。
沸騰するまで強火。沸騰したらあくをとり、弱火で2時間煮込む。途中、万が一、水の量が少なくなったら、足してもOK。最後に味を確認し、味が薄ければ、塩を加える。

注意:鍋のかけ忘れにご注意。

水の量が少なくならない限り、2時間以上煮込んでも大丈夫です。濃い目の味が好きな人は試してみてください。もし、2時間も時間がないという人は瓜を薄めに切って、1.5時間ぐらい煮込んだらどうでしょうか。

残業などで、夜遅くに晩ご飯をとらなければいけないということがありますよね。気になるのは次の日の朝の胃腸の具合。そんな人には是非、このスープ。飲んだ後、すっきりするんですよ。胃腸の働きをよくする、なつめのおかげでしょう。もちろん、味も日本人好み。かなり、はまると思います。

冬瓜、夏の野菜ですよね。そう、日本は今、冬。マレーシアは常夏なので、忘れていました。日本の皆さん、すみません。このレシピ、来年の夏に活用してくださいね。

  

 皮をとりながら、食べるのは
 めんどくさいかもしれませんが・・・
 マレーシア中華風に試すのも
 面白いと思いますよ!
 


モスク

2005-12-10 00:10:20 | 宗教、祭り

帰り道の途中、イスラム寺院モスクに車を止めました。
巨大なブルーモスクと夕方の景色。大理石で作られ、人工で作られた池が周りを囲んでいます。巨大さと美しさに惚れ惚れする Wilayahモスク。

  このモスク、クアラルンプール中心地から
  少し離れている為、観光客はほとんど訪れていない
  穴場のモスクなんです。

  あまりの大きさで写真の中に入りきらないので、
  
後ろに下がって、下がって、撮った1枚。

  マレーシアでは国教がイスラム教なので、
  このモスクも国の税金で建てられています。
  もちろん、イスラム教徒ではない、華人、
  インド人の税金も
モスク建設の資金に。
                      (私の税金もここに投資、寄付(?)されている。)  

 
イスラム教徒は毎日5回の礼拝(日の出前、正午過ぎ、日没前、日没後、夜)をしなければなりません。
学校やデパートや大きいビルには礼拝部屋がついているので、
外出中でも礼拝は可能。水で手足を洗い清め、礼拝部屋へ。礼拝時刻になるとモスクからアザーン(礼拝を呼びかける声)が流れ始めます。

毎週金曜日のマレーシアのランチタイムは長めに設定されています。なぜなら、イスラム教のマレー人達がモスクに行って、集団礼拝をする日。大きいモスク周辺は必ずと言っていいほど、大渋滞。

モスクで礼拝をする時も、学校、デパートなどの礼拝部屋で礼拝する時もイスラム教聖地であるメッカのカアバ神殿に向かって、お祈りをします。
マレーシアのホテルに泊まると、そこでも礼拝ができるように、天井に礼拝の方角を示す矢印キプラを目にすることができます。

日本から友人が来た時、2度ほど、このWilayahモスクの中を見学しました。もちろん、中に入る時は靴を脱ぎ、男性は長袖、長ズボン、女性は長袖、ロングスカート、頭にはトドンをかぶらなくてはいけないんです。その日の服装が半そで、スカート、短パンの場合でも、受付で貸してくれるのでご安心を。

このモスク、中ももちろん、大理石。男の人が礼拝するところは1階の絨毯張りの礼拝堂。端から端まで100mぐらいはある広さ。女の人は1階ではなく、2階で礼拝をしなければなりません。

そして、敬虔なモスリムなら一生に一度は聖地メッカに巡礼に行きたいと思うようです。もちろん、巡礼は全てのモスリムに課せられたものではないですが・・・。体力、お金のあるものだけが巡礼に行き、男性はハジ、女性はハジャの称号を得る。白い帽子をかぶったハジ帽は特別な意味を持つと言われています。

イスラム教、イスラム文化は奥が深い。
私もまだまだ勉強中です。


ラケット

2005-12-09 00:12:19 | 環境・健康

今日の我が家の気温29度。湿度56%。日本はこれから、最も寒い季節。反対にマレーシアは1月、2月にかけて、乾季が始まる。

今回は、ちょっと暑さが恋しくなっている日本人の皆さんに来年の夏に向けて、ある商品をご案内!

年中常夏のマレーシア。南国マレーシアの蚊は南国で生きてるだけあってとっても強い。一度、刺されると、かゆさも腫れあがり方もこれが半端じゃない。日本人が口をそろえて言うのはマレーシア人と一緒にいる場合、刺されるのは日本人だけ・・・。決まって言われるのは「日本人の血は甘いから、蚊が寄ってくるんだ!」By マレーシア人。体が酸性だと刺されやすい、お茶などのカフェイン類、ビールを飲むと蚊が寄って来るとか。水をたくさん飲むと刺されないと口々に言うマレーシア人。

ときどき、ニュースになるのがデング熱で有名なデング。知らない間に刺されて、高熱が出て、風邪かな?と思って、病院に行くと、即、入院することに。気付かないでほっておくと、死ぬことも・・・。デングに刺されるのは運であるし、万が一、刺されても、病院に入院すれば治るものなので、日本の冬のインフルエンザぐらいと思って、生活している私。

とにかく、どんな虫にも刺されない予防をするのが一番・・・。
日本から持ってきた蚊取りスプレー、虫よけスプレー、ベープマットなどは子供だましのようなもの。
マレーシア産の蚊取りスプレー、ベーブマット、リキッドは効果があることはあるのだが、マレーシアの恐るべし蚊を殺すのでかなり強烈。家の中でそれを使うと、のどは痛くなるし、目は痛いし、息は吸えないし、体に悪い環境ホルモンを撒き散らすようなもの。

 そこで、マレーシアの家によくあるのがこれ!
 なんだかわかるかな?
 バトミントンのラケットでもテニスのラケットでもない、
 蚊取りラケット。
 
中に電池を入れ、ボタンを押すと、電気が流れる。
 ボタンを押しながら、蚊をめがけて、ラケットを振ると、
 電気ショックで蚊が死ぬ仕組み。

 これなら、体に優しく、遊び心で蚊を捕まえることができる!!
 蚊が張り付いた瞬間も、なぜか達成感が・・・。うん、私だけ?
 
これ、日本でも売れるんじゃない?と思うのは私だけかしら。

 (ただし、触るとビビッと電気が走る。濡れた手で触ったり、子供が使うのは危ない
  かもしれない。
やっぱり、日本じゃ無理かな?いや、改良の余地はあるかも!!)

 


戦後60年 2 

2005-12-06 20:11:23 | 戦争

私が会員になっているNPOアジア地域福祉と交流の会という団体(日本登録ACE、マレーシア登録ACS)があります。理事長の中澤さんはマレーシアのサラワク州に住んでいます。私も一年に何回かサラワクに行き、お手伝い(お邪魔し!?)に行っています。

この団体はマレーシアのペナンで知的障害者の施設を運営しており、中澤さんは10年ペナンに住み、活動をし、これからはサラワクでと、おととし引越しされました。サラワクでの活動は始まったばかりですが、先住民族のイバン族の支援などを行っています。なんと中澤さんはイバン族のロングハウス(長屋)に自分の家(ロングハウス)を増築したのです。

ACE&ACSの活動の話、中澤さんとの出会いなどはまたの機会にお話するとして、今回は中澤さんから聞いた話を載せようと思います。私は中澤さんからこの話を今年の8月に聞いたのですが、「ACEだより」第15号にこの話が載せられていたので、抜粋して書かせてもらいます。

ある老婦人の訪問                                                         中澤 健

ある夜、ひとりの婦人がロングハウスに訪ねてきた。80歳を少し過ぎているという、きりりとした上品な感じのこの老婦人は、是非とも日本の人に聞いてもらいたいことがあると、離れた村から一人でやって来た。

彼女は、私の夫は日本人です、と切り出した。1940年頃、日本の○○物産の派遣社員としてボルネオに来た△△氏と彼女は知り合い、結婚した。やがて戦争が始まったが、彼女たちは幸せに暮らしていた。が、やがて戦況は日本にとって厳しいものとなり、1944年、夫に現地の日本軍から召集がかかった。彼は、この地で応召するか日本に帰国するかの選択を迫られた。悩みつつ彼は、必ず帰ってくると妻に言い残して帰国した。夫がこの地を去って間もなく、彼女はお腹に彼の子供がいることを知った。そして出産。男の子だった。

やがて終戦。彼女は産まれた子供を育てながら、夫の戻ってくるのを待った。待って待って待ち続けながら息子を育てた。息子は成人し、ブルネイに就職して行った。独りになった彼女は、それでもまだ夫が帰ってくるのを待っていた。しかし、夫は帰ってこなかった。帰国途中で船が沈んで日本にたどり着けなかったのか、帰国したが何かの事故があったのか、それとも他の事情か、彼女には何もわからない。最近、息子は定年で退職し、今は村に帰ってきて、一緒に暮らしている。

私は、夫をずっと待ち続けたことを夫に知ってほしかった。けれど、夫ではなくてもいい。誰か日本の人に自分が待っていたことを話したかった。60年間待ち続けたことを聞いてほしくてやって来たのだと言って、彼女は話を止めた。

その夜、私はなかなか寝つけなかった。戦争が残したさまざまな傷痕を思った。翌朝、彼女は自分の村に帰って行った。

(ACEだより第15号 より抜粋)

このおばあさんが60年間待ち続けた気持ちがひしひしと伝わってきます。その日本人がどうして帰って来れなかったのか、考えてしまいます。戦争中ですから、亡くなったのかもしれないし、他の事情があったのかもしれない・・・。それでも待ち続けたおばあさん・・・。一目でも会わせてあげられるのならと思ってしまいます。
本当に切ない話です。

もし、2人の出会いが戦後だったら、また話は変っていたでしょうに。
二度とこの親子のような家族を出さない為にも私達は戦争を反対し続けなければなりません。自分が家族と一緒に生活できること、家族と顔を見せ合えることにも感謝しなければなりませんね。

※ボルネオ島・・・マレーシアのサバ州、サラワク州とインドネシア、ブルネイがある島。

 


戦後60年

2005-12-03 21:02:09 | 戦争

2005年も残りわずか1ヶ月。今年は戦争が終わって60年でした。1942年から1945年の3年間、マレーシアも日本に占領されていました。

以前、ブログ「ようかんのアンテナ」の中でコメントで書かせてもらいましたが、自分のブログでも書かなくてはいけないと思い、その記事を書こうと思います。

Wのおじいさんの話です。

戦争中のある朝、おじいさんは自転車で市場に買い物に行きました。そこに通りかかった日本軍の1人。おじいさんにその自転車をちょっとの間、貸して欲しいと言いました。おじいさんは自転車から降りてその自転車を貸しました。

おじいさんはその場所で待っていましたが、何分経っても、その日本人は戻って来ませんでした。
おじいさんは他の日本人に自転車を貸したのにその日本人が帰ってこないんだ。いつ、帰って来るかと聞いたそうです。その日本人は「うるさいーー。」と言って、おじいさんをぼこぼこに殴り蹴飛ばしました。

かなりひどい怪我をして家へ帰ったおじいさん、怪我は治らず、体調を悪くして、そのまま床に就くようになってしまいました。
そして、おじいさんは33歳の若さで亡くなりました。

おじいさんには子供が4人いました。長女がWのお母さんです。

戦争中だから、こんなことはあたり前に起こっていたかもしれませんが、こんな些細なことで、殴り蹴飛ばされ亡くなったおじいさん、4人の子供をおいて、本当に無念だったと思います。そして、未亡人になったおばあさんと子供達はどんなに悲しい想いをしたでしょうか。戦争を恨み、日本人を憎んだことでしょう。

私がWと結婚をした時、おじいさんのお墓参りに行きました。お墓にはおじいさんの写真が埋め込まれています。(マレーシアの華人のお墓には亡くなった当時の写真を小さい石に印刷して埋め込むのです。)まだまだ若くて、とってもハンサムなおじいさんでした。

お墓参り中、Wの家族達は広東語で話していました。「日本人・・」という言葉だけ理解でき、あの話かな?と思いました。妹さんが私に「私達が何を話してるかわかる?」と聞きました。「わかるよ。おじいさんが日本人に殺された話でしょ。」「戦争だから仕方がない。」私に気遣ってお兄さんが言いました。「日本が悪い。」私はそれだけしか言えませんでした。

それだけでこの話は終わりました。結婚する前も結婚した後もW家族がこの話をしたのはこの時だけでした。もちろん、私達が結婚する時も私が日本人だから、反対だとも言われませんでした。家族、皆がこころよく私を迎えてくれて、本当に有難いと思いました。

実は、お母さんの妹さんや子供達(Wの従兄弟たち)ともかなり、仲良くさせてもらっています。Wが出張でいない時も晩ご飯に招待してくれたり、バスケに誘ってくれたり、本当に私には良くしてくれます。
一度、この叔母さんとWの従姉妹と話をしている時、おじいさんの話になり、今度一緒にお墓参りに行こうということになりました。従姉妹Jが「Wがあなたと結婚する時、おじいさんのことを小さい頃から聞いていたから、どうして日本人と?と思ったの。でもこうやって仲良くなって、そんな気持ち全然感じなくなったわ。」と。本当に嬉しい言葉でした。

戦争が終わり、60年経った今、マレーシアの私の家族、親戚、友達は戦争を過去のものとして私に接してくれます。本当に有難いことです。
Wのおじいさんを殴り蹴飛ばした日本人は無事に日本に帰ることができたのでしょうか。家族達と再会できたのでしょうか。おじいさんのお墓の後ろに日本人戦没者のお墓があり、もしかしたら、ここに眠っているかもしれないと思うと、彼のことも責められません。彼も戦争犠牲者の1人ですから・・・。

今年、中国や韓国で反日デモが行われ、教科書問題、靖国問題が取り上げられました。戦後に生まれた私達はアジアでの戦争の歴史、日本での戦争の歴史をきちんと理解し、後の世代に伝えること、アジアの人の感情を理解して接すること、そして、戦争を反対し続けることを心に入れておかなければならないと思います。

次のWのおじいさんのお墓参りは来年4月(清明節 華人達のお彼岸)に行くことになります。次はどんな気持ちでおじいさんのお墓に行けるでしょうか。


バナナ

2005-12-01 01:04:07 | 食べ物

南国マレーシアの果物、おなじみ、バナナ。マレー語でピサンと言います。
実は世界の栽培のバナナの元祖はマレーシア原産の野生種 Musa a cumenta だと言われているんですって。

私達日本人にとってはバナナはバナナですが、何と言ってもバナナ原産国のマレーシア、種類はたくさんあるんですよ。 ピサン・ヒジャウ(緑色 中サイズ)、ピサン・マス(黄色 小サイズ)、ピサン・ラジャ(一般種)、ピサン・タンド(黒い斑点あり 大サイズ)と分けているそうです。

そのまま食べるのが主流ですが、よく売られているのが、バナナてんぷら。バナナを衣にくるんで揚げたもの。これは想像つきますよね。

そして、バナナは黄色い実の部分だけじゃなく、いろいろなところが食べられているんです。

まず、バナナに花があるの、知っていますか。花はバナナの実の先に咲くんです。赤紫+ピンク色でとってもかわいいんですよ。なんと、その花の部分を食べるんです。花はスーパーや市場などでも売ってます。

そして、バナナの茎もボルネオ島のイバン族の料理(確か、肉野菜炒めだったかな?)に出されてました。さっぱり味のバナナの茎に豚肉がマッチしていて、おいしかったですよ。

それから、食べることはしませんが、バナナの葉。バナナリーフの上にインドカリーをのせて食べたり、ナシレマを包んだり、ココナッツゼリーの入れ物にしたりするんです。バナナの葉もスーパーで簡単に手に入れることができます。

バナナと言っても、種類も豊富で、色々な食べ方、使い方があるのは驚きですよね。


 これがバナナの木&バナナの花です!
 バナナの花はなんとも言えない形でかわいいでしょ

 民家の近くにもバナナの木が生えていて、
 南国ならではの光景。
 
 引っ越したら、バナナの木を庭に植えようかしら