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相場三昧 マーケットウォーカー

株・商品・FXマーケットに立ち寄る
SOUL, SMOOTH JAZZを愛するトレーダー

 

曲がり屋 2

2010-08-11 13:59:52 | 相場の張り方
先日の健康診断の結果が送られてきた。

胸部X線・心電図・貧血・肝機能・血中糖質・糖代謝・血圧・ヘマトクリット・・・、
すべて正常、判定A

これで、気をつけるのは相場の病気だけだな(笑)

「曲がりの病気 2」

先物相場に志を持つ人は、曲がりの病気は避けて通れない仕組みである。
であるから、相場に曲がるということは日常茶飯事。決して恥ずかしいことではない。
ただし、この病気だけは非常に苦しい。
苦しいのは病気を可愛がるからである。矛盾しているようだが、これがすべてである。

病人には医者、そして薬、周囲のあたたかい看護を必要とするが、曲がりの病気は
それらすべてが、逆に病気を酷くする。お金が続かず玉が切られる。これは死である。
死ぬ時は、再起不能なくらい無理してきている。それを思うから、なかなか死ねない。
もっと早く死んでいればよかったと思うのは、随分あとからだ。

この病気のタチの悪さは、なんの前触れもなくある時ふいと治ることである。
治ると見るや、今度は当たりの病気が始まる。
曲がりの病気も死に病であるが、当たりの病も死に病である。
当たって当たって、大当たり、大儲けした人は、必ずもっと大きな曲がりの病気が
来るものである。相場の方程式でいえば、大当たりに当たったあとは必ず
死ぬような曲がり方をする。

まあ、やられるまで止めれないから
   遅かれ早かれこうなる運命なんだろう(苦笑)


Christina Milian ~ Someday One Day (with lyrics)


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曲がり屋 1

2010-08-11 13:02:19 | 相場の張り方
今のところ大きく下げてるねえ、まあ商品が反発しているので多少救いがあるが。

久しぶりに「相場の張り方」シリーズから 曲がりについて

「曲がりの病気1」
相場の世界の曲がりの病気は材料見るから相場が見えなくなるように思う。
材料に詳しい人、いうなら玄人中の玄人。現物事情から各節の手口の誰が売った、
誰が買った。それも落ち、建ち、追証も刻々と情報が入る。
しかし、利食いの急所で利食いせず、更に攻めて行って天井を掴むとか三年に一度
あるかという大安値を叩きにいく。

「思いありて、思いなし」その域に達するまでには、血のにじむような大曲がりの
繰り返しということになるかもしれない。
よくベテランが言う言葉に、前回やった失敗と、同じような失敗をまたやった。
なぜだろうーーーと。失敗のパターンは不変にしてこれを繰り返す。
それを破るためにには修行しても駄目で、どれだけ多く曲がりの病魔に苦しんだか
ーーーだけだろう。

相場道、最高の境地は初心に還るーといわれる。罫線にしても血眼になって、
あらゆる線という線を引いて、得るところがあるかというと、たいがいは徒労である。
しかし夢中で引いている時は、まだまだ徒労に終わるということに気が付かない。
線に執着しているから線が見えない。

伊藤一刀斎影久は「無心のうちの反射」ということを教えた。術の病から脱すれば、
それができる。材料にこだわる。罫線にこだわる。人の手口にこだわる。
これすべて病気である。と判れば、あとに残るものはない。
その残るものがないようにせよということである。

そのあたりが大変難しい。判っているのと実行できないの違いか。




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三位の法

2010-07-11 16:47:14 | 相場の張り方
えっ~~と、前回の続き

宗久は、公案の示す「風・旗・心」の絡みを次のように解いた。

相場は、「旗」すなわち水準、「風」すなわち天候などの材料
そして「心」 すなわち心の動きである人気。この三つによってつくられる。
宗久はこの三つを組み込んで「三位の法」とした。

宗久は大きな悟りを得て、再び米相場に挑戦すべく今度は経済の中心地である
大阪堂島に場所を移した。当時の大阪は、その財力で江戸を上回るスケールだった。
相場の資金をととのえた宗久は、大局観と戦術を立てるためにしばらく静観していたが
まず、買いから出た。その玉に利が乗ってくるとさらに買い進んだ。

はじめのうち堂島では、「出羽の田舎者が意地になって買いよる」と冷ややかだった。
しかし宗久が当たり続けしかも天井でドテン売りに転じ、これも大成功しては
段々と堂島で注目されるようになった。

堂島で成功した宗久は因縁の地、江戸の蔵前に戦場を移した。ここでも
宗久は連戦連勝した。人々は「酒田照る照る、堂島曇る、江戸の蔵前雨が降る」
とはやした。

・・・。

宗久は他人に自分の相場観を説いたり、相場の仕方について語ることはなかった
ただ、故郷からたびたび訪ねてくる善兵衛(本間家出入りの米屋)だけには
心を広げ熱心に話をした。
現在に伝わる「宗久翁秘録」は、善兵衛が宗久の語ったものを書き留めたものである。

宗久は、かたくなまでに相場を客観視しようとした人で、相場は人為の及ぶものでない
という考えを貫いた。このことは「宗久翁秘録」のすべての項に、にじみ出ている。

なかでもたびたび出てくるのは、「相場を休む」ということである。
もう一つは、「人気の逆を突く」ということである。






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本間宗久 「三位の秘法」

2010-07-09 14:44:50 | 相場の張り方
引き続き「相場の張り方」から 伝説の相場氏 本間宗久

江戸の米相場で、さんざん打ちのめされた宗久は、何故負けたか考えた。
天候、作柄とも申し分なく、数年続いた豊作のあとである。その相場を売って
かなり かつがれた。宗久はさらに売り上がった、確信を持って売り上がった。
しかし、どういう訳か売れば売るほど高くなる。江戸の相場は酒田と違って
財力にものを言わせる天下の富豪がひしめいている。まるでつかみ所のない
資金が相場を動かしている。宗久は、惨めな気分で故郷酒田に戻った。

本間家の準檀家寺である阿雲山海安寺の海山和尚に、相場のことを根本から
考えてみたいと相談した。
江戸の相場の失敗を、宗久から聞いた海山和尚は公案を示した。
世に有名な「非風、非旗」の公案である。これを解けというわけだ。

昔、中国で城に立てられた旗が揺れ動くのを見て、城兵たちが、あれは風の
ために動くのだ、いや旗自身が動いているのだと言い争っているのを聞いた
高名な儒者が「風に非ず、旗に非ず、仁者の心なり」と解いたという公案である。

宗久は、この公案を示され、七日間座禅を続けて、遂に開眼した。
これが宗久の「三位の法」である。


え~~っと、続きは次回!!




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「吉原」と「相場」

2010-07-08 16:49:51 | 相場の張り方
え~~っ、昨日に引続き「相場の張り方」から 言葉の由来

江戸時代史における「吉原の重要性」という論文を読むと、江戸時代の
経済史・法制史・政治史・文化史等のすべては吉原の存在を度外視しては
成り立たないこと知る。

相場社会で「売り玉」「買い玉」「建玉」などの玉(ぎょく)は、普通の人は
(たま)というが、相場社会では「ぎょく」という。
たぶんそれは、吉原から出た言葉ではないかと思う。

「寄り付き」「引け」というような相場界で使われている言葉は、あきらかに
吉原で女郎の目立てをするときに行われたものである。「吉原の四季」
瀧川政次郎著に、遊びの最初の段階で、初度の「立会い」で出来た値段を
「寄付いくら」という。遊女が子の刻ごろ張り見世を仕舞う、この頃の
立会いで付いた値が「引け」という。

「玉」というのは、遊里における線香5本の符号であった。正の字をもって5とする
ようなものだが、線香が消えてしまえば一人酒。芸者などの揚げ代を線香で
計った訳で、「1本で100匁ずつの香をたき」などと。100匁=1歩

相場を張るの「張る」も、もともと遊里の言葉でもある。
また、「踏む」というのも「踏み合い」といって吉原における遊客の争奪戦を
「踏み合い」といってきた。


だからどうした?と言われると返す言葉もありませんが・・・(苦笑)
相場のプチ物知り!?みたいな(爆)



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