時間は売るほどある。あせる必要などどこにもない。
別府に到着した 旅の二日目の夜 叔父の家を訪ねました。彼は65歳で四国での事業を終え、この地で夫婦二人悠々自適暮らしています。近くに娘夫婦が住み、実の娘と孫娘二人は毎日顔を見せてくれます。夫婦二人で穏やかにうまく老いていけていると感じました。叔父は笑って「時間は売るほどある。あせる必要などどこにもない」こんな普通の幸せな老後もあるのでしょうが、私にはずっと先の話という感は否めません。「8万時間のコア」を求めて残りの四年間を納得いくまで探し続けることにしました。
第一章:旅・国内編(4)九州縦断 その2
二日目は 長崎「平和公園」「めがね橋」「有田焼美術館」へ その後「柳川の船下り」を体験し 「湯の町別府」へ入り「海地獄」を観光。夕刻老舗旅館「亀ノ井」へチェックインする日程です。
朝一番に予定通り長崎の「平和公園」「めがね橋」他にも何ヶ所かを観光後 旧鍋島藩「有田焼窯元」へ立ち寄りました。
有田焼 三つの流れ
焼き物の歴史と奥の深さはその土地を訪ねない限り生涯知らないままに終わったことでしょう。有田焼には大きく分けて三つの流れがあるそうです。まず「古伊万里系」、あとに続く「柿右衛門系」、「色鍋島系」です。
▼大勢の名もない陶工たちがほんとうは「古有田焼」とでもいうべき「古伊万里」を後世に残したのだそうです。特徴は、全面模様が多く、金や赤を大胆に使い、鳳凰あり、龍あり、あるいは菊、ぼたん、松竹梅と多彩な絵柄は、豪華絢爛の名にふさわしいものです。
▼「柿右衛門系」となると、「古伊万里系」とまったく印象が一変します。にごし手の地肌をバックに、絵はやや控え目に、左右のバランスをくずして、独得の調和美を格調高く見せるそのスタイルはヨーロッパマイセン窯でコピーがつくられるほどにもてはやされたのだそうです。
▼藩御用か、禁裡、幕府への献上用につくられたもうひとつの流れが「色鍋島」です。鍋島藩は、この「色鍋島」を徹底的に保護したのです。廃藩置県とともに藩窯の歴史は終わっても、その情報、流麗、気品の伝統は変らず 上絵を描いた赤絵師のひとりが、今右衛門家で、今も、優雅で貴族的な絵柄で人々をひきつけているのです。
先輩でもある知己のひとりが引退後陶磁器の収集と漆塗り教室へ通うことで多くの時間を使っています。そこそこ充実した日々を送る姿を見るにつけ こちらも旅の先々で陶磁器に興味を持とうと学習するのですが、いまひとつ私の「コア」にはなりえないのでした。
その日予定されていた三番目の訪問地は柳川です。中世の蒲池氏の築城にはじまる柳川城の城下町として繁栄した柳川は堀割が張りめぐらされた水の都。川くだりで風情ある歴史の街を眺めていた頃いつしか旅も中盤に差し掛かっていました。柳川での昼食は絶品の「鰻重」でした。詳しくは次回に触れることにします。
初めての出会いにヒントが
旅をすると色々な初めての「出会い」が待っています。それは歴史であったり、瀬戸物であったり、食べ物であったりします。初めての土地の文化を知り、新たな出会いは衰え始める脳に刺激を与え続けることができます。「何でも見てやろう」「どこへでも行ってやろう」団塊世代共通の納得するまで探求する行動基準がそこに見え隠れしています。初めての土地での出会い いつしか「8万時間」のコア探しのヒントがそこに埋まっているように思えるようになりました。
翌三日目は「湯布院」「阿蘇」「高千穂峡」観光予定です。
次回は 8. 「九州縦断の旅」その3です。
今日もお立ち寄り戴き 有難うございました。
もうひとつのブログ
◆4Travel.「Donkyさんの旅のブログ」」(2013年6月投稿開始)は
URL:http://4travel.jp/traveler/donky2013/
9 | 「九州縦断」旅の記録(1)・・・佐世保・ハウステンボス・長崎 |
10 | 「九州縦断」旅の記録(2)・・・柳川川くだり |