時には、旅の日常

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初海外1990 チェコスロバキア&DDR-10~プラハ城下散策

2018-08-07 00:54:51 | チェコスロバキア
 プラハ城から、城下のマラー・ストラナ(小地区)を散策して、旧市街広場へと戻ります。

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 プラハ城前の、広い広場に陣取って、広場を囲む華麗な建物を眺めてから、高台にある城の前の広場からプラハ市街を一望。
 迷路のような路地を抜けて、マラー・ストラナと呼ばれる地区へと入り、プラハのランドマークであるカレル橋を渡って、旧市街広場までの散策を楽しみました。

 街角の其処此処に、共産主義時代の残滓や、自由をもたらすであろう新たな時代への期待感とが混じり合った、不思議な雰囲気を感じながらの散策となりました。


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 プラハ城(Pražský hrad)の西に位置する、マチアス門(Matyášova brána)附近にて。

 城内の、旗がたなびいている一角は、チェコスロバキア大統領官邸となっていました。
 旗が翻っている場合は、大統領在邸とのことでした。

 プラハ城内も、至る所で修復工事の真っ最中といった様相を呈していて、ここでも手前の高い柵で、官邸はシャットアウト状態でした。
 今日では、この辺りはこんな感じ…とても綺麗にお化粧直しされていますね!



 ビロード革命で共産党独裁政権が崩壊した直後の1990年当時は、このような政治的なポスターが、所構わずといった勢いで、貼り出されてもいました。

 この辺りで見かけた、そうしたポスター。
 チェコスロバキア人民党(Československá strana lidová)という政党のものでしょうか。

 左は、全体主義(totalita)に×が付けられ、その下に民主主義(demokracie)とあります。
 右は、標語のような体裁ですね。
 訳してみると、次のような意味の言葉が述べられていました。

  信仰と真実
  正義と愛
  自由と民主主義
  伝統と展望
  健康と社会保障
  教育と文化
  多彩な繁栄
  チェコスロバキア人民党

 この頃は、共産党の官製プロパガンダではなく、言いたいことを自由に述べることができる喜びのような空気を、一旅行者でも感じ取ることができました。



 城の西へ開けた門。
 この門が正門となるのでしょうか。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 この門のすぐ背後正面の建物に見えているのが、マチアス門です。

 大統領官邸も城内にあることから、衛兵が門の前に立哨していました。
 衛兵の制服も、この当時はまだ共産政権時の軍服のままで、色合いも地味で「質実」なイメージ。
 右肩のモールが、官邸警備のエリートであることを、アピールしているようですね。

 くすんだ緑色の外套が地味な色合いなだけに、ダブルのボタンやモール、ベルトの金色がとても鮮やかに映えて見えました。
 私は、この共産主義国によくある、こうした地味な色合いの制服、好きなのですが(^^;)

 因みに、今日では衛兵の制服はもちろん、全面的に改まっています。



 プラハ城の門前の広場(フラチャニ広場/Hradčanské náměstí)の北側に建つ、大司教宮殿(Arcibiskupský palác)。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 「華麗」という言葉に相応しい、華やかな雰囲気を纏った宮殿です。
 かつての大司教という立場の聖職者の、権勢が偲ばれますね。

 1990年当時、この宮殿は、国立美術館(Národní galerie)の西洋美術展示施設となっていました。
 大司教宮殿も例にもれず、お化粧直しの工事中。
 やはり、目を引いたり、著名な建物から、優先的に工事が着手されている様でした。



 プラハ城の衛兵が立っている門から西の方向、フラチャニ広場の様子。
 とても広い広場です。

 正面の建物は、チェコスロバキア外務省別館であった、トスカナ宮殿(Toskánský palác)。
 街中に、「宮殿(パラーツ/palác)」という名の付いた建物が溢れているプラハ。
 こうした点も、古都の風格ですね。




 高台に位置しているフラチャニ広場の端から東側を眺めると、プラハ(Praha)の街の眺望が広がっています。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 それぞれ、上の画像が東の方向、下の画像が東南の方向の眺めです。
 東の方向には、旧市街広場(Staroměstské náměstí)に面して建つ、旧市街市庁舎(Staroměstská radnice)やティーンの前の聖母教会(ティーン教会/Kostel Matky Boží před Týnem)の尖塔、更にジシュコフテレビ塔(Žižkovská televizní věž)等を見渡すことができました。
 東南方向には、屋根の装飾が金色に輝く国民劇場(Národní divadlo)の大きな建物を、画像中央に見ることができますね。




 プラハ城内で大統領官邸となっている一角の屋根に翻っていた、チェコスロバキア大統領旗は、フラチャニ広場からも見ることができました。

 旗の中央部、赤地の部分には、当時のチェコスロバキア社会主義共和国(Československá socialistická republika)の国章があしらわれています。
 リンク先の画像、獅子の頭上に戴いているのが、冠ではなく赤い星であるところに、共産主義国家らしさが出ている紋章ですね。
 獅子の胸の辺りにある、小さな紋章は、チェコ共和国(Česká republika)と共に連邦国家チェコスロバキアを構成していた、スロバキア共和国(Slovenská republika)の国章です。

 今日、両国は連邦を解消して、それぞれ単独の国家となっていますが、国章もこの当時のものとは異なる紋章を、それぞれ採用しています(チェコの国章 / スロバキアの国章)。



 フラチャニ広場から階段を下り、城下に広がる、マラー・ストラナ(小地区/Malá strana)というエリアへ。

 細い路地が入り交じる、迷宮のような雰囲気の街中を、気ままに散策。
 ふと目に留まる街角の風景は、タイムスリップしたかの雰囲気。

 裏町のような、表通りからはあまり目に付かないこうしたエリアは、これまで建物のメンテナンスもあまりされてこなかったのでしょうね。
 そうした、建物のくたびれ具合が、ここでも却って、飾らない古い街のありのままの姿を、今日に見せてくれているようでした^^

 このうらぶれた感じが素敵に感じたこの辺りも、今日ではこざっぱりとした街角へと綺麗に様変わりしています。



 上の画像の、細い路地への入口手前の小さな広場の一角が駐車スペースとなっていて、そこに駐車していた、警察のパトカー。
 物珍しさ?に、ついつい撮影w
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 ボンネットとドアの部分に、当時の警察の略称「VB」の文字が、大きく記されています。
 「VB(ヴェー・ベー)」とは、「公安」を意味するチェコ語(Veřejná bezpečnost)の頭文字です。

 今日のチェコでは、警察は「ポリツィエ(Policie)」と称しているようですね。
 パトカーも、垢抜けました!



 マラー・ストラナの中心部に建つ、聖ミクラーシュ(聖ニコラス)教会(Kostel sv. Mikuláše)の前を、通り過ぎます。

 マラー・ストラナの聖ミクラーシュ教会は、1755年に完成した、カトリックの教会です。
 教会の前には、「聖三位一体の柱(Morový Sloup Nejsvĕtĕjší Trojice)」も建っています。

 この柱の建っているのが、聖ミクラーシュ教会も面している、マラー・ストラナ広場(Malostranské náměstí)。
 地区名を冠した広場ということから、マラー・ストラナの中心ということができます。



 マラー・ストラナ広場から、マラー・ストラナの街を東へと進みます。
 プラハを流れるブルタバ川(Vltava)に架かるプラハのランドマークの一つでもある、カレル橋(Karlův most)を渡って、旧市街(スタレー・ムニェスト/Staré město)へと入り、更にしばらく東進すると、旧市街広場(Staroměstské náměstí)へ到着。
 (画像クリックで、別ウィンドウが開きます)

 良く晴れた日の夕刻の、旧市街広場の情景。
 ワンコも、芝生の上で、ノビノビと寛いでいるといった感じでしょうかw

 西に傾きだしていた陽射しに明るく映えた、プラハの中心部でした。



 更に時間が経過して、すっかり夜の帳が下りた頃、宿へと帰る前にその前を通り過ぎた、国民劇場の夜の姿。
 緑を帯びた色彩に浮かび上がった外壁と、昼同様黄金色に輝く屋根の装飾との、明暗のコントラストがとても印象的なライトアップでした。

 旧市街広場からここへ至るまでに、夕食やら色々あったと思うのですが、そうした写真は撮影していなかったようで、この当時の私の関心が、「食」よりも街の様子等に偏っていたことが窺えて、画像を整理しながら独り苦笑(^^;)
 何はともあれ、この日も良く歩き回った、プラハ滞在3日目でした。

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