もう何十年前の話。
僕がSEという仕事をしていた時の話だ。
当時はまだインターネットも今のように普及してなかったので、
パソコンの使い道なんてのは一般の人にはゲームぐらいの時代だ。
その頃に僕はSEという仕事をしていた。
入社してすぐはプログラミングの勉強のようなものが始まる。
4月から9月ぐらいまではそんな感じだったかな。
9月になって、やっとプロジェクトに配属になった。
最初は簡単なお仕事。
僕はちょっと前に問題になってた汎用系と言われる古い言語を使う仕事をしていた。
いわゆる金融系だね。銀行、保険、クレジットカードとか。
最初は先輩SEの下でプログラマーとして仕事をする。
先輩が作った基本設計書をプログラムにする仕事。
最初の仕事はゆっくりな感じだったので、
1週間に1本ぐらいプログラムを作って、先輩に見てもらうみたいな感じ。
問題が無ければ、テストデータを流して、バグがないか確認する。
それの繰り返し。
最初は良かったんだ。
が、そのプロジェクトが終わって、次のプロジェクトからが地獄だった。
てか、それがSEの世界だった。その頃の。
1日1本プログラムを作って、翌日にはテストして完了させる。
それが永遠と続く感じ。
ちょっとでもミスると計画が遅れるから残業の嵐。
途中で打ち合わせなんかも入るから、もう時間がない。
朝の6時半ぐらいには出勤して、終電で帰るみたいな感じだった。
家に帰るのが1時ぐらいだから、実質として3時間ぐらいしか寝てない。
じゃないと新人では終わらなかった。
まぁ、この頃が一番辛かった気がする。
体力的にも精神的にも。
そんなのが1年半ぐらい続いて、ようやくSEの仕事を任されるようになった。
設計の方だ。
が、これもすごく大変で、プログラマーとの意思疎通が出来てないと、
とんでもないものが出来上がったりするし、「てにをは」の使い方によって、
プログラマーから確認の連絡がガンガン来る状況。
この頃には仕事がつまらなくなったのと、
体力的に限界が来ていた。
そのタイミングで体調を崩して、1ヶ月半の入院となった。
仕事中に激痛になって、昼休みに病院に行ったら即入院って感じで。
それから徐々にモチベーションが落ちたのもあるし、
このままだと身体が持たないと思ったのもあり、
転職することになった。
転職する前に少しバイトとかしたんだけど、
そこで一緒になったバイトの奴もSEを辞めてきたらしく、
彼の話も地獄のような話だった。
あの頃はSE不足だったのもあり、本当に大変な時代だったんだと思う。
しかも、僕が辞めた最後のプロジェクトなんかさ、
当時の厚生労働省関連のプロジェクトだったんだよね。
働き方改革なんて、あったもんじゃない。
普通に会議が22時〜とかで設定されてたりするんだから。
一度なんて、会議待ちしてたら、前の会議が長引いて終わらなくて、
結果として終電が無くなる時間になって、待った挙句に参加せずに帰ったこともあった。
だったら、もっと早く帰ってたわ。
もしかしたらね、あの時期を耐えてね、
今もSEしてたら、高いレベルの技術を身に付けてたかもしれない。
あんなハードな毎日だったからね。
あの頃の同期の奴らとは連絡も取ってないけど、
続けてるのは何人ぐらいなんだろうか?
僕がSEという仕事をしていた時の話だ。
当時はまだインターネットも今のように普及してなかったので、
パソコンの使い道なんてのは一般の人にはゲームぐらいの時代だ。
その頃に僕はSEという仕事をしていた。
入社してすぐはプログラミングの勉強のようなものが始まる。
4月から9月ぐらいまではそんな感じだったかな。
9月になって、やっとプロジェクトに配属になった。
最初は簡単なお仕事。
僕はちょっと前に問題になってた汎用系と言われる古い言語を使う仕事をしていた。
いわゆる金融系だね。銀行、保険、クレジットカードとか。
最初は先輩SEの下でプログラマーとして仕事をする。
先輩が作った基本設計書をプログラムにする仕事。
最初の仕事はゆっくりな感じだったので、
1週間に1本ぐらいプログラムを作って、先輩に見てもらうみたいな感じ。
問題が無ければ、テストデータを流して、バグがないか確認する。
それの繰り返し。
最初は良かったんだ。
が、そのプロジェクトが終わって、次のプロジェクトからが地獄だった。
てか、それがSEの世界だった。その頃の。
1日1本プログラムを作って、翌日にはテストして完了させる。
それが永遠と続く感じ。
ちょっとでもミスると計画が遅れるから残業の嵐。
途中で打ち合わせなんかも入るから、もう時間がない。
朝の6時半ぐらいには出勤して、終電で帰るみたいな感じだった。
家に帰るのが1時ぐらいだから、実質として3時間ぐらいしか寝てない。
じゃないと新人では終わらなかった。
まぁ、この頃が一番辛かった気がする。
体力的にも精神的にも。
そんなのが1年半ぐらい続いて、ようやくSEの仕事を任されるようになった。
設計の方だ。
が、これもすごく大変で、プログラマーとの意思疎通が出来てないと、
とんでもないものが出来上がったりするし、「てにをは」の使い方によって、
プログラマーから確認の連絡がガンガン来る状況。
この頃には仕事がつまらなくなったのと、
体力的に限界が来ていた。
そのタイミングで体調を崩して、1ヶ月半の入院となった。
仕事中に激痛になって、昼休みに病院に行ったら即入院って感じで。
それから徐々にモチベーションが落ちたのもあるし、
このままだと身体が持たないと思ったのもあり、
転職することになった。
転職する前に少しバイトとかしたんだけど、
そこで一緒になったバイトの奴もSEを辞めてきたらしく、
彼の話も地獄のような話だった。
あの頃はSE不足だったのもあり、本当に大変な時代だったんだと思う。
しかも、僕が辞めた最後のプロジェクトなんかさ、
当時の厚生労働省関連のプロジェクトだったんだよね。
働き方改革なんて、あったもんじゃない。
普通に会議が22時〜とかで設定されてたりするんだから。
一度なんて、会議待ちしてたら、前の会議が長引いて終わらなくて、
結果として終電が無くなる時間になって、待った挙句に参加せずに帰ったこともあった。
だったら、もっと早く帰ってたわ。
もしかしたらね、あの時期を耐えてね、
今もSEしてたら、高いレベルの技術を身に付けてたかもしれない。
あんなハードな毎日だったからね。
あの頃の同期の奴らとは連絡も取ってないけど、
続けてるのは何人ぐらいなんだろうか?