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日々触れる情報から様々なことを考え、その共有・一般化を図る

ただ自己満足のためだけのお祭り

2005-08-30 22:14:43 | 社会
小池さんと小林さん、お隣ビル同士対決…東京10区 (読売新聞) - goo ニュース


漸く選挙の公示がされ、各候補者も各党の代表も即座に動き出した。電撃の衆院解散から公示まで約3週間、その間マスコミも政治と選挙の話題ばかり、刺客だ新党だと言葉ばかりが踊り、既に食傷気味の感もある。(実際に、盛り上がり(関心度)と投票率が結び付かない「上滑り」の危険性を示唆する識者もいるようだし)

それでもTVのニュースで演説風景などを眺めていたのだが、私の違和感は更に増してしまっていた。

正直なところ、8/11の記事でも書いたが、最近私が政治に関係した話題のエントリーをしているのは、「感化されて」だ。
私が生まれたのは1973年の第四次中東戦争、それを受けた第一次オイルショックの数年後であり、その頃には既に日本は高度経済成長期を終え、国全体も一定の物質的豊かさを達成してしまっていた。極限の貧困にあえいでいる訳でもない、自国内で延々と宗教対立・民族対立が続いていて内乱状態にある訳でもない、充分に恵まれた平和ボケとも言えるような環境で育ってきて、そもそも政治に対する切迫した希求というのが薄い訳だ。

言い換えると、現在、いくら行政も含め到るところで構造的な歪みが目立ち始め先行き不安が増大しているとはいっても、『自分=自分の生活のことを考えていれば、社会全体なんて大きなことを考えて行動しなくても一応暮らせてしまう』が故に、安易に狭い生活現実に逃げ込み易くなる、ってことだ。

所謂「無党派層」というのは私も含めそういう人達のことであり、社会のこと政治のことに全くの無関心って人はそう多くを占めてはいないと思う。ただ自分の身が逼迫しておらず政治に関わる(=選挙権を有効に行使する)内なる必要が生まれにくいから、或いは1票の無力さを感じてしまうような出来事も数多く報道されるから、ニヒルになったり斜にかまえたりって態度になり易いだけだろう。
私の場合も、これまで「ニヒル」ではあったのだが、自分でブログを書くようになってたまたま真剣に考える機会に恵まれた、だけだったりもする。


で、私が感じた違和感というのは何だったのかという話に戻るが、それはこれまでの記事にも書いているように、「現行の選挙運動の意義・必要性」に対してのものだ。
既にネットでは、選挙運動を規定している公選法の古臭さについては以前から指摘されていることでもあり、今では様々な個人(一般人)の政治・社会系ブログだけでなく、著名人も(それぞれ解釈や主張などは微妙に異なるが)このテーマについて言及している。

☆木村剛氏のブログ:『週刊!木村剛』
(1)公職選挙法こそ、ブログの敵だ!
(2)ちょうちんは良くて、ブログはダメなのか?
(3)公職選挙法は憲法違反ではないのか?
(4)なぜマスコミは良くて、ブログはダメなのか!?
(5)公職選挙法に抵触しないブログ活用

☆宮台真司氏のブログ:『MIYADAI.com』
(1)ネット選挙運動解禁直前ならではの「笑い話」があります
(2)すぐ下の文章の参考資料になる、自分の文章に、リンクします
(3)公選法騒動、こんどは総務省が自民党に「警告」しました。

☆日経BP社のニュースサイト:『nikkeibp.jp』内のコラム:『立花隆の「メディア ソシオ-ポリティクス」』第44回「今どきナンセンスな公職選挙法-ネットは解禁でなく義務化せよ」
(1)政府はインターネット利用を積極的に推進すべき
(2)サイバースペースで政策を競え

ちょっと量が多過ぎるので引用や要約は控えさせて頂く。というか、私の無学なエントリーよりは(当たり前だが)余程ためになるので、これらの記事の紹介だけで終わってしまっても悪くはないが、それじゃこのブログの意味も余りないので何かしら書けることは書こうと思う。

結局のところ、現行の選挙運動は、「主に地方において、候補者が自分を支持する後援会や業界団体等のために行うパフォーマンス・儀式」に過ぎないってことだ。

特に都市部の、候補者にしがらみのない人間にとっては、街宣車にとってギャーギャー喚き立てる候補者とウグイス嬢は「うるせ~な~」でしかない。つまり、
☆興味のない人は、ポスターが街中にベタベタ貼り付けてあってもどうせ見ない。見ても何とも思わない。
☆興味のない人は、街宣車が移動しながらウグイス嬢が候補者の名前を連呼しても騒音としか感じない。どこかの場所で立ち止まって候補者がマイクで何を訴えても同じく騒音としか感じないか、聞く気も起きない。
☆逆に興味のある人は、ポスターなんぞ見なくても自分の選挙区の候補者の顔や名前ぐらい分かってるからやっぱり見ない(効果がない)
☆同様に、興味のある人はウグイス嬢に名前呼ばれなくても分かっているし、候補者がマイクで叫ぶ程度の政治的主張くらい既に様々なメディアを通じてかじっているのでやっぱり真剣に聞く気も起きない。

ポスターで到るところに顔と名前を露出させウグイス嬢が名前を連呼することで、有権者の「潜在意識」に候補者の顔と名前を刷り込ませ投票行動に影響させるって効果はもしかしたらあるのかもしれないが、あれだけ無節操だとかえって生理的嫌悪感を刺激して逆効果のパターンの方が多いとも考えられる。

仮に「こういったイベントによって投票率が上がる」にしても、こんなことをしなければ上がらない投票率であれば、そんな選挙などタカが知れている。
個人が政治的な判断をして自分が投票する候補者を決める際には理性的判断がなされるべきであって、各党の公約やマニフェスト、或いは各候補者の主張をきちんと理解し比較検討するなら、話し言葉より書き言葉の方がいいに決まっている。

少なくとも、今の時代、選挙の存在自体が情報が入ってこなくて知りませんでしたなんてことは有り得ない訳で、700億も税金使って人員割いてこんな儀式をやる意味はない。ネットを使って「公平に」文書を提示した方が安上がりでもあるし、ネット環境が身近にない高齢者層に対しては、プリントアウトした文書を公的機関に置いておけばそれで済むのは自明の理である。

私の知り合いに地方で開業医をしている歯科医師がいるのだが、彼の父が歯科医師会のお偉いさん、つまり地元では「名士」にあたる存在のようで、今回の選挙でも何やかんや依頼してくる電話が絶えないらしい。

公選法もさっさと改正しなければいけないが、権力を持っている人間に集票を頼むような現実も同時に変えなければいけないのは事実だろう。有権者個人個人が他に影響されず自分の意思で投票した結果がそのまま反映されるのが民主主義の本来の姿だろうし、「数集め」は単なる本末転倒でしかないんだから。

マスメディアもマスメディアで、冒頭のようなニュースで空疎なイベントを煽っている暇があるなら他に伝えることはあるだろうと思わざるを得ない。