その人の名は「器」といった。
うつわ、と読む。
大器晩成などの器の意味かと思いきや、
実家が十二代家慶公の頃から続く漆器問屋の家系とのこと。
この名前も数代おきに受け継がれてきた由緒正しいもので、
先の器氏は日露戦争に従軍したとかなんとか伝えられている。
さて、そんな老舗も時代の波に流されきって半世紀も前に廃業し、
成長した器氏もいまは平々凡々なサラリーマンだったのだが。
悲劇はどこにでも舞い降りるもので。
四十路目前だというのにその気配がまるでない両親が業を煮やし、
よせばいいのに近所のいわゆる遣り手ババアに相談を持ちかけた。
水を得た魚との喩え通り、ババア、東奔西走すること数週間、
結果、どんな繋がりやら、すこぶる条件の良い話を探してきた。
当事者同士の希望もそれなりに満たすだけでなく、
相手は単純に一言で「大金持ち」で片付く資産家だった。
入婿という条件はあったものの、
金の力は多少の理性を吹き飛ばしてしまったらしい。
両親とそのババアの主導のもと、縁談はトントン拍子。
何度かの顔合わせを経て、結納挙式は手の届く範囲となった。
ところで。
不幸中の幸いならぬ、幸い中の不幸とでも言うべきか。
その頃の器氏は諸々が積み重なって多忙を極め、
精神的にずいぶんと衰弱状態にあったという。
縁談は両親その他に一切を任せて仕事に専念していたのだが、
ある時ふと、相手の名前をうまく思い出せないことに気づいた。
確かに少々紛らわしく、よくある名前と見せかけて、
ちょっと不思議な読み方をする名前であった。
なんて名前だっけ?
などという質問をするのは、
相手が誰っであろうとさすがに不味いと考えた器氏。
机とその周辺の書類やらなにやらをかき分け、
何度目かの食事会の案内状の発掘に成功。
ぼんやりとその容姿を思い浮かべてちょっとにやけつつ、
しかし、招待者である将来の義父の名前を見て愕然とした。
ぬくみず。
温水、器、‥‥に、なるのか。
その顛末はなぜか誰も話したがらないという。
うつわ、と読む。
大器晩成などの器の意味かと思いきや、
実家が十二代家慶公の頃から続く漆器問屋の家系とのこと。
この名前も数代おきに受け継がれてきた由緒正しいもので、
先の器氏は日露戦争に従軍したとかなんとか伝えられている。
さて、そんな老舗も時代の波に流されきって半世紀も前に廃業し、
成長した器氏もいまは平々凡々なサラリーマンだったのだが。
悲劇はどこにでも舞い降りるもので。
四十路目前だというのにその気配がまるでない両親が業を煮やし、
よせばいいのに近所のいわゆる遣り手ババアに相談を持ちかけた。
水を得た魚との喩え通り、ババア、東奔西走すること数週間、
結果、どんな繋がりやら、すこぶる条件の良い話を探してきた。
当事者同士の希望もそれなりに満たすだけでなく、
相手は単純に一言で「大金持ち」で片付く資産家だった。
入婿という条件はあったものの、
金の力は多少の理性を吹き飛ばしてしまったらしい。
両親とそのババアの主導のもと、縁談はトントン拍子。
何度かの顔合わせを経て、結納挙式は手の届く範囲となった。
ところで。
不幸中の幸いならぬ、幸い中の不幸とでも言うべきか。
その頃の器氏は諸々が積み重なって多忙を極め、
精神的にずいぶんと衰弱状態にあったという。
縁談は両親その他に一切を任せて仕事に専念していたのだが、
ある時ふと、相手の名前をうまく思い出せないことに気づいた。
確かに少々紛らわしく、よくある名前と見せかけて、
ちょっと不思議な読み方をする名前であった。
なんて名前だっけ?
などという質問をするのは、
相手が誰っであろうとさすがに不味いと考えた器氏。
机とその周辺の書類やらなにやらをかき分け、
何度目かの食事会の案内状の発掘に成功。
ぼんやりとその容姿を思い浮かべてちょっとにやけつつ、
しかし、招待者である将来の義父の名前を見て愕然とした。
ぬくみず。
温水、器、‥‥に、なるのか。
その顛末はなぜか誰も話したがらないという。