例年、文化の日にあわせて“東京都文化財ウィーク”という催しが行われております。
今年は10月28日(土)から11月5日(日)まで、都内の日ごろは一般に公開されていない文化財を見ることができます。
無料のパンフレットが駅や都区の公共施設などでも配られておりますが、下記リンク先からも見ることができますので、ご興味のある方は覗いてみてくださいませ。
東京文化財ウィーク情報
その中の一つに、明治学院の中にある宣教師館・インブリー館があります。
インブリー館(旧宣教師館)
わたくしは一昨年の文化財ウィークのときに見てまいりました。
さて、このインブリーという人の名前、明治期の野球にご興味のある方には覚えがあるかと思います。
明治23年5月17日、第一高等中学(後に高等学校)が本郷・向ヶ丘の自校グラウンドに明治学院を迎えて行った野球試合での事件、インブリー事件の主人公であります。
平たく言いますと、試合が劣勢で面白くないところへ誰だかわからない外国人が垣根を乗り越えて入ってきて、言ってることも良く分からなかったので頭にきて石をぶつけて怪我させちゃったら、その外国人が相手チームの先生だったという事を、一高=現代の東京大学教養部の学生がやってしまった訳であります。
明治学院野球部の歴史は古く明治18の創部で、白洲次郎の父・白洲文平が初代主将との事であります。
一方の一高野球部の創部は明治21年。野球史では早慶が覇権を握る前を一高の黄金時代としておりますが、インブリー事件の頃はまだ明治学院の後塵を拝していておりました。
このインブリー事件の後、敗北に発奮した一高は所謂“一高式猛練習”をつんで、この年の11月8日に明治学院と再戦し26対21で勝利し、以後“一高時代”を築きあげるのでした。
この“リベンジマッチ”でセカンドを守っていたのが、Baseballを「野球」と訳した中馬庚であります。
筆者が訪れた時もそうでしたが、インブリー館が公開される11月1日~3日は明治学院の学園祭期間でもあります。
お時間のある方は、現代の若者で賑わうキャンパスの一角の洋館で、遥か遠くの明治の野球に思いを馳せてみてはいかがでしょうか……。
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今年は10月28日(土)から11月5日(日)まで、都内の日ごろは一般に公開されていない文化財を見ることができます。
無料のパンフレットが駅や都区の公共施設などでも配られておりますが、下記リンク先からも見ることができますので、ご興味のある方は覗いてみてくださいませ。
東京文化財ウィーク情報
その中の一つに、明治学院の中にある宣教師館・インブリー館があります。
インブリー館(旧宣教師館)
東京文化財ウィーク(11月1日~3日)歴史的建造物3棟の 一般公開のお知らせ
東京都の東京文化財ウィーク開催にあわせて、学校法人明治学院の歴史的建造物である明治学院礼拝堂、明治学院インブリー館、明治学院記念館の3棟の建物内部を一般公開いたします。
年に1度の一般公開です。普段は見学できない建物内部をご覧いただけますので、是非この機会にお越しください。
<建物内部の一般公開>
【日時】11月1日(水)、2日(木)、3日(金・祝)10時30分~16時(入館は15:30迄)
【場所】明治学院インブリー館、明治学院礼拝堂、明治学院記念館
【入場方法】事前予約不要。入場無料。
* 明治学院歴史資料館展示室は3日(金・祝)も臨時開館します。
(明治学院大学HPより http://www.meijigakuin.jp/information/)
わたくしは一昨年の文化財ウィークのときに見てまいりました。
さて、このインブリーという人の名前、明治期の野球にご興味のある方には覚えがあるかと思います。
明治23年5月17日、第一高等中学(後に高等学校)が本郷・向ヶ丘の自校グラウンドに明治学院を迎えて行った野球試合での事件、インブリー事件の主人公であります。
技量は、明治学院がまさっていたので一高勢振るわず六回に於ける形勢は、一高方六点の負け越しと云うありさま、敗勢は挽回の見込みがない。一高の応援隊はしきりに悲憤の涙を流している。丁度此日柔道大会があったので、一高名うての猛者は柔道の稽古着のまま球場へ集まって熱烈な声援をしていた。
丁度此時明治学院の教師インブリー博士が、「入場口が分からないので」校垣(こうえん)をのりこえて球場へ入ってきた。敗戦に気を荒くしたる一高の荒武者連が之を見のがすはずがない。猛者連はスワ一大事とばかりかけつけて博士をとらえて詰問したが、言語が通じないので更に要領をえない。事面倒なりとて、気早の連中は石を投げつけ夫れが為に博士は額に負傷をした。この騒ぎで試合は目茶苦茶になってしまった。相手が外人であったので、国際問題に迄なろうとしたが、其後一高の猛者連が白金へ出かけて謝罪したので萬事は解決した。この日の試合は中止になったが、ナンと云うても一高の敗北は免るることは出きなかった。
(横井春野『日本野球戦史』 昭和七年刊)
平たく言いますと、試合が劣勢で面白くないところへ誰だかわからない外国人が垣根を乗り越えて入ってきて、言ってることも良く分からなかったので頭にきて石をぶつけて怪我させちゃったら、その外国人が相手チームの先生だったという事を、一高=現代の東京大学教養部の学生がやってしまった訳であります。
明治学院野球部の歴史は古く明治18の創部で、白洲次郎の父・白洲文平が初代主将との事であります。
一方の一高野球部の創部は明治21年。野球史では早慶が覇権を握る前を一高の黄金時代としておりますが、インブリー事件の頃はまだ明治学院の後塵を拝していておりました。
このインブリー事件の後、敗北に発奮した一高は所謂“一高式猛練習”をつんで、この年の11月8日に明治学院と再戦し26対21で勝利し、以後“一高時代”を築きあげるのでした。
この“リベンジマッチ”でセカンドを守っていたのが、Baseballを「野球」と訳した中馬庚であります。
筆者が訪れた時もそうでしたが、インブリー館が公開される11月1日~3日は明治学院の学園祭期間でもあります。
お時間のある方は、現代の若者で賑わうキャンパスの一角の洋館で、遥か遠くの明治の野球に思いを馳せてみてはいかがでしょうか……。
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