猫面冠者Ⅱ

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〝延長45回〟を戦った東洋大OB:白川不三夫選手=東洋大野球部の歴史―人物⑨

2014-08-31 12:57:00 | インポート
*6年前にUPした記事ですが、高校軟式野球の“延長50回”が話題になっているので再度トップに持ってきました。

昭和44年から47年まで在籍した白川不三夫選手は拓大一高出身、甲子園出場はならなかったが当時の新聞を見ると高三時は拓大一高の四番を打ち、昭和43年の夏の東京都予選ではシード校として三回戦から登場、初戦の対駒込高戦は10-3でコールド勝ち、続く佼成学園戦に2-4で敗れている。

翌年東洋大学に進んだ白川選手は一年春からベンチ入りし、春の開幕初戦の対芝工大戦にさっそく代打で登場している。最終戦では初めて6番レフトでスタメン出場し4打数2安打を記録している。
秋のリーグ戦では初戦から6番ライトに定着し4カード目の対中大戦では満塁ホームランを放っている。

昭和44年10月7日
対中大一回戦
中央大010 030 000  4
東洋大420 002 00X  8
(中)杉田・滝・皆川-浅野・中村
(東)会田・下田-柴原
本:白川(東) 三:滝(中) 二:榊原・中村・江口(中) 富川2・岡田・柴原・柳瀬(東)
10本の長打が飛びかう打撃戦だったが、なんといっても白川の満塁本塁打の効果は大きかった。
東洋大は一回、富川、柳瀬の安打に四球をからませて一死満塁の好機をつかみ、白川がリリーフした滝の四球目を右翼席いっぱいにたたき込んだ。(『毎日新聞』昭和四十四年十月八日付朝刊)

満塁で初ホームランを放った白川選手は以後ライトのポジションを確保し、二年秋にはベストナインに選ばれ、四年時には春・秋とも全試合で四番を打った。

卒業後は三協精機に進み都市対抗にも出場、昭和52年の第46回大会では登板こそ無かったが投手として登録されている。
しかし、三協精機の野球部は昭和53年で休部してしまった。

その後、白川選手の名前が新聞に載るのは軟式野球の大会であった。

天皇賜杯第38回全日本軟式野球大会
昭和58年9月19日:準決勝 開始8:50
ライト工業010 001 002  4
山形新聞社000 000 000  0
(ラ)白川-上条
(山)田中-鈴木



準決勝を白川選手の完封で勝ちあがったライト工業は翌日の決勝戦で球史に残る試合を展開する。

昭和58年9月20日:決勝 於・茨城県営堀原運動公園野球場
ライト工業(東京都)000 000 000 000 000 000 000 000 000 00
田中病院(宮崎県)000 000 000 000 000 000 000 000 000 000
000 010 000 000 001  2 (延長45回)
000 010 000 000 000  1
ライト工業田中病院
(中)右成瀬18(中)和田16
(二)青柳17(二)18
(中)佐々木15(右)甲斐18
(一)白川14(三)姫野18
(三)大林15(投)池内17
(左)川井17(捕)稲田16
(捕)上条17(中)左小川15
(右)(一)石野16
走中赤坂13(左)高瀬
(投)小山13
高橋高見
大塚
146192150170
1296224
1661121

二塁打:高瀬・甲斐・小川(田) 盗塁:成瀬2・佐々木・大林3・赤坂2(ラ)甲斐・小川(田)
失策:成瀬・白川・大林(ラ)稲田・石野(田) 捕逸:上条(ラ)
開始8:50 終了17:15 試合時間:8時間19分(中断6分)

朝から8時間19分・・・壮烈決勝戦〝超〟延長45回 
壮絶な戦いは、ついに守備の乱れから勝負が決まった。延長四十五回、ライト工業は白川が中前打し、待望の先頭打者を出塁させた。大林はすかさず捕前バントしたが、稲田捕手が判断よく二封。こんどは大林が二盗した。このとき捕手の送球が大きく逸れて大林は三進。続く川合の投ゴロでホームに滑り込み、池内の本塁送球が間にあわず決勝点となった。田中病院が六回一死二、三塁の好機に2-3からスクイズをかける、とこれがはずされてダブルプレー。ライト工業も七回一死一、三塁でエンドランをかけると打球が二直になって併殺。たがいによく守りあった。
二度目のヤマ場は延長三十五回。ライト工業は大林が右前打で出て二盗、川合の一ゴロで三進したあと、上条の投ゴロで待望の先取点を奪った。その裏、田中病院は二死、甲斐が左中間に二塁打したものの、姫野は遊ゴロに倒れ、勝負が決まったと思われたが、一塁手があせって落球、二塁から甲斐がホームにかけ込んで幸運な同点に追いついた。・・・中略・・・一人で投げ抜いた田中病院の池内投手の投球数は516球、ライト工業の小山投手は369、大塚投手は111球を投げ合せて1023、打数は両軍合わせて296を数えた。
何も食べず……「汗も出ません」
○…両チームとも昼食の用意などはなかった。延長25回後、グラウンド整備の間に7分間休んだだけ、食事もとらず飲み物だけで戦った8時間19分。その間ライト工業ベンチのスポーツドリンク40本、清涼飲料40本、コーヒー30カンが消えた。「もう汗も出ません。やっと終わった」と白川一塁手はフラフラですぐにでも座り込みたいような口ぶり。白川と同じ三協精機からの移籍組の小山投手は「あとは大塚がいるから勝てると思ったが、とにかく疲れはてた」とぐったり。大塚は桐蔭学園の夏の甲子園投手。三協精機から日本鋼管へと進んでのライト工業入りした切り札だった。美濃部監督は、甲子園ボーイ5人、三協精機組4人をはじめ、六大学、東都などの経験者をそろえながら、このところ国体などでも不振だったため、この優勝には涙で顔がくしゃくしゃ。「ひとつの失策が命取りになるので気がかりだった。相手の池内に比べればこちらの投手は楽だったはず。六回のピンチが一番つらかった。敵に疲れを見せてはいかんだけ考えてました」とナインの健闘をたたえた。
(『毎日新聞』昭和五十八年九月二十一日付朝刊)

決勝の口火を切る中前打を放った白川選手だが、三十五回に痛恨のエラーをした一塁手というのも白川選手のようだ・・・。

*9月11日追記
平成11年にベースボールマガジン社から発行された『野球界 魅惑の大記録』というムックにこの試合の記事が掲載されている。白川選手は三十五回のエラーについて「早くマウンドに行きたくて、目線を切った。タイミングは余裕なのに、それでグラブの土手に当てて。ショック以外の何ものでもないですよ。やっと終わりだ、と思ったら振り出しですから・・。みんなに申し訳なくて」と語っている。
一方、相手の池内投手は白川選手の事を「最も怖かった」と話している。実際、この試合で4安打を放っているのは両チームを通じて白川選手一人だけだ。
また同誌によれば田中病院・池内投手の投球数、516球は誤報で522球が公式記録との事である。両チーム投手の投球内容は下記の通り。

回数打者球数安打三振四球死球失点自責点
小山3512439613126010
大塚1033111440000
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
池内4516152218129021

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