猫面冠者Ⅱ

主に東洋大学を中心に野球・駅伝などの記録・歴史・エピソードなどなど…。

植木等さんの東洋大学卒業年は…?

2018-02-18 22:16:00 | インポート
*本記事はH29年10月にUPいたしましたが、絶版になっていた『夢を喰いつづけた男―おやじ徹誠一代記』がH30年2月6日にちくま文庫で復刊いたしましたので、再度トップに持ってきました。
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東洋大学のOBである故植木等さんのHNKのドラマ『植木等とのぼせもん』が話題になっているようであります。
わたくしはお気に入りの人物やあるいは小説などが映像化されたものを見ると、自分が思い描いていたイメージとの違いに違和感を抱いてしまうことが往々にしてあるのでこのドラマも見ていませんが、今年は没後十年目ということもあってか2月に別冊宝島『植木等と昭和の時代』という本も発売されるなど、今も猶そのキャラクターには多くの人を魅了するものがあるようです。

ところで、以前から気になっていたのが植木さんの東洋大学卒業年でして、Wikipediaにはこの頃の事について
1939年 - 僧侶としての修行をするべく、東京・駒込の真浄寺へ小僧になるため上京。
1944年 - 旧制京北中学校卒業後、東洋大学専門部国漢科に入学。在学中からバンドボーイのアルバイトを始める。
1946年 - テイチクレコードの新人歌手コンテストに合格。
1947年 - 3月に東洋大学専門部国漢科卒業後、東洋大学文学部(旧制)入学。
1950年 - 東洋大学文学部国漢科(旧制)卒業[6]。ほどなくして結婚。
(2017年9月18日時点のWikipedia)

とあり、先ほどご紹介した別冊宝島なども同じく昭和25年東洋大学国文科卒業としております。

Wikipediaの方には
東洋大学の公式サイトや校友会誌などでは「昭和22年3月専門部国漢科卒」という肩書きになっていることから中退という説もある(http://www.toyo.ac.jp/campus/gakuho/196/196toyo14.pdf http://www.toyo.ac.jp/news/detail.php?news_id=752など。※ 長男の生年とも合致しない)

という注も付けられています。URLはいずれもリンク切れですが、東洋大学発行のものは校友会報などでも昭和22年専門部国漢科卒業としています。
画像
                  (『東洋大学校友会報』112号)

また、植木さんが父徹誠氏との半生を語った『夢を食いつづけた男』にも
昭和二十二年秋、私の声が歌手・植木等としてはじめて電波に乗った。その時、すでに東洋大学を卒業し、結婚していた。
(『夢を食いつづけた男ーおやじ徹誠一代記』朝日文庫版)


と書かれております。


ご本人も大学も昭和22年専門部国漢科卒業としているのに何故昭和25年国文科卒業説が流布しているのでしょうか?。

色々調べているうちに、昭和54年10月発行のキネマ旬報増刊『日本映画俳優全集』に以下のような記述があるのを見つけました。
…44年、文京区原町の京北中学を卒業し東洋大学専門部に入学、47年卒業。次兄がすでに病死、長兄も戦死したため寺の後を継ぐ必要に迫られ、東洋大学文学部国文科に進み50年卒業する。
しかし、子供時代からの音楽への夢を捨てきれず、大学在学中から音楽グループを作ったり、品川・鈴ヶ森の進駐軍用クラブ・マンハッタンで歌を歌ったりするうち、八重洲口の東京クラブで知り合いになったハナ肇(本名・野々山定夫)とともに刀根勝美楽団のバンド・ボーイを始める。
(『日本映画俳優全集』の第8刷・1994年刊)

一読するとこれで納得してしまいそうですが、『夢を食いつづけた男』などの記述と比べると疑問な点がいくつか出てきます。

“次兄がすでに病死、長兄も戦死したため寺の後を継ぐ必要に迫られ、東洋大学文学部国文科に進み”とありますが、長兄の徹氏の戦死を知らされたのは
昭和十八年の秋だったと記憶している。高野町のおやじから真浄寺の私に電話がかかってきた。
「等。残念なことだけれども、驚くな。徹が戦死した。おふくろが泣いているから、できれば来て、慰めてやってくれないか」
私は住職に事情を話した。「家に帰っても良いですか」「ああ、行ってきてやんなさい」。私は大急ぎで帰った。
(『夢を食いつづけた男』)

とあるように、昭和18年の秋(戦死したのは昭和18年1月26日、ニューギニア近海)ですので、東洋大の専門部へ進んだ時点ですでに寺を継ぐのは既定の路線だったはずです。
しかも、そのために専門部卒業後に再度大学の国文科に進学するというのもおかしな話で、仮に専門部からさらに大学へ行にしても当時の東洋大には仏教学科が存在してましたので、そちらに進むのが筋ではないでしょうか。

また、“子供時代からの音楽への夢を捨てきれず”とありますが、確かに植木さんは小学校の頃から歌が得意で、通っていた分教場の代表として本校の学芸会に唯一人代表として出演するなどしていたようですが、職業として芸能界を考えるようになるのは大学時代に入った軽音楽同好会での体験からであります。
「それで、都内に三カ所あった軍需工場に慰問に行くわけ。これが、女工さんたちからもてたのなんのって。京都の大谷大学の方に行かなくてよかった、と心から思ったね。東洋大学に入って軍需工場に慰問に行ったのが、その後の僕の人生を決めたような気がするの。やっぱり、坊主の暮らしって面白くなさそうだし、こういう風に好きなことで暮らしていけたら楽しいだろうなってね」
(戸井十月『植木等伝ーわかっちゃいるけど、やめられない』)

戸井十月の『植木等伝』は晩年の植木さんに取材し、亡くなった年の十月に刊行されたものでありますが、軽音楽同好会での慰問がきっかけで芸能界というものを意識するようになり、在学中の昭和21年1月にテイチクレコードが行った新人歌手のコンテストに参加し1500人の中の4人に選ばれ、この頃から学業のかたわら、所謂“バンドボーイ”の仕事もはじめ、そこで野々山定夫(=ハナ肇)との運命的な出会いをするわけであります…。
(ここで“京都の大谷大学の方に行かなくてよかった”言っていることからも、東洋大進学時に将来僧侶となることが意識されていたものと思われます)


今でこそ俳優やタレントの経歴をまとめた名鑑類はコンビニなどでも目にすることができますが、キネマ旬報の『日本映画俳優全集』はこの種のものとしては初めての試みだったようで、「編集おぼえ書き」という記事によれば俳優諸氏へのアンケートを発送したり、電話取材のほかに図書館で古い新聞や雑誌の記事をかなりの量で収集したようでありますが、多忙なタレントさんは電話取材でもつかまらないことが多かったようです。それだけに植木さんのデビュー前の部分は断片的なエピソードをつなぎ合わせて書かれたのではないかと思われます。
また、以前UPした“昭和10年にマラソンの世界最高記録を出した池中康雄さんの東洋大学在学年について”の記事でも触れましたが、戦前に専門学校から昇格した私立大学は引き続き専門部という形で専門学校にあたる制度も残しておりました。
一方、大学部の方は予科(二年乃至三年)→大学(三年)という過程を経ていきますが、予科と専門部を混同している方もいらっしゃるようです。
そういった、諸々の理由で『日本映画俳優全集』には昭和25年国文科卒と書かれてしまい、先ほども書いたようにこの種のものとしては初めての大掛かりなものだっただけに、以後定説化してしまったのではないでしょうか?。

ということで、植木等さんの東洋大学卒業は三年制の専門部国漢科で、卒業年は昭和22年が正しいものと思われます。


*ついでに言っておきますと、京北中学卒業というのも誤りで、植木さんは昼間真浄寺の小僧として働きながら京北実業の夜間部に通っておりました。




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