猫面冠者Ⅱ

主に東洋大学を中心に野球・駅伝などの記録・歴史・エピソードなどなど…。

日本代表、世界一周:第15回日米大学野球代表=東洋大野球部の歴史ーエピソード⑤

2019-06-16 23:12:00 | インポート
*2019年6月16日更新:本記事は2008年8月にUPしたものですが、1986年9月刊『週刊ベースボール』に掲載された前田祐吉「全日本チーム米欧長期遠征レポート」の記事を一部抜粋して追記いたしました。

今年は世界大学野球選手権が開催されるため、日米大学野球は行われない。
スタッフは昨年に引き続き青学大・河原井監督らが務め、代表選手選考も昨年秋に候補合宿を行うなどしているが、かつての日米大学野球では大学選手権優勝チームの監督が代表監督に選ばれ、選手も優勝校は最大九名まで代表に加えることができた。大学選手権優勝校へのご褒美的な側面もあったのである。東洋大が大学日本一になった昭和六十一年の第十五回大会も佐藤(現姓高橋)監督と選手六名がえらばれている。この大会は米国開催の年だったが、代表チームは引き続きカナダで行われる四カ国対抗大学野球とオランダで開かれるアマチュア世界選手権の代表も兼ねており、アメリカ・カナダ・オランダの3カ国を1か月以上にわたって転戦する、学生としては異例の長期遠征となった。
また、その関係もあってこの大会から日米大学野球は七回戦制から五回戦制となった。
代表チームは次のメンバーである。

第15回日米大学野球・四カ国対抗大学野球・第29回世界アマチュア野球選手権代表
ポジション氏   名 所 属 学 年出身高校
*総監督前田  祐吉慶応大
*監  督佐藤  昭雄東洋大
コーチ太田垣克幸流通経済大
投手石井  丈裕    法政大4年 早稲田実
   岩本  利仁    立命大4年 尼崎西
   松田  大    青森大4年 八戸商
   西崎  幸弘     愛知工業大 4年瀬田工
   阿波野秀幸亜細亜大4年桜 丘
猪俣  隆法政大4年堀越学園
保坂  彰茂東洋大2年横浜商
西岡  剛近畿大4年近大付
八野田充彦流通経済大1年樹 徳
捕手森   浩之東洋大4年PL学園
高田  誠法政大4年法政二
宮里  太専修大4年都 城
内野手佐藤  公宏早稲田大4年PL学園
蛭田  広則東洋大4年東洋大姫路
為永  聖一駒沢大4年佐賀商
安岡  靖晃明治大4年高知商
田中  泰東洋大4年東洋大姫路
原   則明近畿大4年近大福山
相場  勤慶応大4年桐 生
外野手今井  克善駒沢大3年松 代
内藤  雅人東洋大4年静岡学園
丸   忠幸流通経済大4年茂原工
加藤  正樹早稲田大3年PL学園
忍成  功好東洋大4年川越商


*四カ国対抗とアマチュア野球世界選手権の監督は前田祐吉氏、日米大学野球では総監督。
*四カ国対抗後四名は帰国、世界選手権は二十名となる。
*流通経済大・八野田投手は東海大・原辰徳以来、史上二人目の一年生


佐藤監督の話 今年はいくつか有利な条件がある。私自身、過去三度コーチを務め、二度はアメリカに行った。移動があり、時差の調整も必要だった。それが、今年は一か所でやるので、選手も落ち着いて力を出し切ってくれるだろう。選手層も厚く、アメリカでの初優勝もありうる。そのつもりで頑張ります。(『朝日新聞』昭和六十一年六月十七日付朝刊)


以下、代表チームの足跡を追ってみる。

昭和61年
6月23日
結 団 式

6月25日:オープン戦・於明大グラウンド
日本生命030 000 020  5
日 本010 000 210  4

(生)早瀬・伊藤・田島・土手本
(日)石井・保坂・松田-森・高田・宮里
本:田中(早瀬) 三:藤内(生)・宮里 二:大西(生)・森・安岡

6月26日:オープン戦・於明大グラウンド (5回降雨コールド)
AIA 001 00  1
日 本401 18  14

(A) クロス・ジョリー
(日)西崎・猪俣-宮里・高田
本:今井2・(クロス・ジョリー)・加藤(クロス) 二:安岡・為永・相場
*AIA=全米キリスト教系学生選抜


6月28日
日 本 出 発

第15回日米大学野球:於米ミシガン州バトルクリーク

7月1日:第一戦(5回降雨コールド)
日 本000 00  0
米 国010 1X  2
(日)保坂-森
(米)ヘレディア-フルトン
本:アザール(保坂) 二:為永・相場

7月2日:エキジビションマッチ
モーガン100 000 010  2
日  本230 013 40X  12

(日)松田・八野田・石井-宮里・高田
*モーガン=地元クラブチーム

7月3日:第二戦
米 国000 300 021  6
日 本000 010 100  2
(米)コフ・タナー-フルトン
(日)西岡・阿波野・西崎-森
二:佐藤・内藤・フルディック

7月4日:エキジビションマッチ
フェラーリ101 150 000  8
日   本304 102 01X  11

(フ)カラジム・マークス・カスト・ブラント-ランディ・ベック
(日)岩本・八野田・西崎-高田
本:ダナン(八野田)・モリソン(八野田)
*フェラーリ=地元クラブチーム

7月5日:第三戦
日 本111 000 000  3
米 国303 003 00X  9
(日)猪俣・石井・松田-高田・森
(米)ヘレディア・マニュエル-フルトン
本:リー(猪俣)・ホリンズ(猪俣)・ナレスキー(石井) 三:相場・フルトン 二:ヒルドレス2

7月6日:第四戦(ダブルヘッダー第一試合)
米 国000 324 000  9
日 本000 202 002  6
(米)レムリンジャー・デジェース-フルトン
(日)保坂・岩本・西岡-森
本:田中(レムリンジャー)・リー(岩本) 二:ナレスキー・森・為永・相場

7月5日:第五戦(ダブルヘッダー第二試合・7回コールド)
米 国000 100 1  2
日 本000 420 X  6
(米)タナー・マニュエル-フルトン
(日)阿波野・松田-高田
二:アザール・相場・佐藤・高田

米国:4勝1敗
最高殊勲選手:アザール
最優秀投手  :ヘレディア
最優秀打者  :リー
敢 闘 賞   :相場

第三戦後の佐藤監督の談話。
「・・・・米国遠征で何とか初優勝したいと思って来たが、一戦が雨による不運なコールド負け。二戦も波に乗れず、三連敗は残念だ。」(『朝日新聞』昭和六十一年七月七日付朝刊)

従来7回戦制で行われてきたこの大会も、今年は後に続く4か国対抗の日程のためか、5回戦制の短期決戦となり、全試合がミシガン州バトルクリークで行われた。
バトルクリークはシカゴとデトロイトの中間に位置する人口5万4000人程の静かな町で、コーンフレークのケロッグ社の本社と工場があり、最近数社の日本企業が進出して地元の期待を集めている。

試合は接戦の1回戦を目のため5回コールドゲームで負けたあと2、3、4回戦とも一方的に打ちまくられて連敗。最終戦にようやく一矢を報いて、1勝4敗で終了した…中略…日本がチームを編成してわずか一週間で足らずの合宿で練習と試合をこなしただけで米国に向けて出発したのに対し、米国チームはバトルクリークに来るまでに、各地を転戦して15試合を消化していた。しかもこの15試合が選手の選考を兼ねており、選手にとっては全く気の抜けない緊迫した試合であったことが想像できる。米チームはこの15試合を全勝で終え、自信をもって日米野球に臨んできた。
一方、日本チームは、我々コーチ陣もベストメンバーの編成に暗中模索なら、選手たちも互いに遠慮がちで、チームが一丸となって相手に当たるムードができていない状態であった。この両軍の仕上がりの差が、今年の日米野球の勝敗を一方的なものにしたような気がする。
(『週刊ベースボール増刊号』1986年9月:前田祐吉「全日本チーム米欧長期遠征レポート」より)



四カ国対抗大学野球:於カナダ・キンダスレー市

7月8日:対韓国一回戦
韓 国040 000 000  4
日 本100 000 14X  6
(日)西岡・松田-森

7月10日:対米国一回戦
日 本003 021 211  10
米 国002 011 000  4
(日)西崎・阿波野-森

7月11日:対カナダ一回戦
カナダ400 000 013  8
日 本110 050 03X  10
(日)石井・猪俣-高田
本:アングース(カ)

7月12日:対韓国二回戦
日 本000 200 100  3
韓 国220 100 21X  8
(日)保坂・松田-森

7月13日:対米国二回戦
米 国101 200 000  4
日 本300 200 00X  5
(日)西岡・西崎-森
本:スティーブ(米)・田中(日)

7月14日:対カナダ二回戦(7回コールド)
日 本430 330 5  18
カナダ005 000 0  0
(日)猪俣・保坂-高田・宮里
本:相場・森・田中(日)・バイコウスキー・ラウスン(カ)

予選リーグ結果
日 本:5勝1敗
韓 国:3勝3敗
米 国:3勝3敗
カナダ:1勝5敗

7月15日:優勝決定戦
韓 国000 000 000  0
日 本020 200 00X  4
(日)石井-森

同  日 :3位決定戦
米 国6-5カナダ

優勝:日本
最優秀選手:佐藤
ベストナイン:田中(一塁手)・佐藤(二塁手)・為永(三塁手)・加藤(外野手)

初の4か国対抗戦は、カナダのサスカチュワン州キンダーズリー(ママ)に、日、米、韓、カナダ、の4チームが集まって、7月八日に開幕した。
キンダーズリーは、カナダ中西部の大平原の真ん中にある人口5000人の町で、地平線まで続く小麦畑の風景に国の広さを痛感させられた…(中略)…日本チームが日米野球を終えて、ようやくエンジンがかかり始めた状態で臨んだのに対し、韓国とカナダは共に助走不足、米国はやや中だるみ気味というのが4チームの状態だったように思われる。日本は初戦の韓国戦に逆転勝ちを収めたことが、その後の流れをよくし、米国、カナダにも勝ってラウンド・ロビン一回戦を首位で通過した。日本チームは西崎、西岡、阿波野らの投手陣が頑張り、打線もよく打ってチームにまとまりと自信が芽生えてきた。
(『週刊ベースボール増刊号』1986年9月:前田祐吉「全日本チーム米欧長期遠征レポート」より)


7月16日
オランダへ移動
阿波野・岩本・原・丸の4名は帰国。投手7名野手13名の態勢で世界選手権へ。

第29回世界アマチュア野球選手権:於オランダ・アムステルダム

7月19日
開  幕(日本はこの日試合はなし)

7月20日:対ベネズエラ
ベネズエラ100 000 000  1
日    本000 215 10X  9
(べ)プレート・ベラスケス・セラー
(日)西崎・猪俣-森・高田
7月21日:対西インド諸島
日    本000 030 000  3
西インド諸島110 000 12X  5
(日)石井・保坂・松田-森
(西)ロベルド・ボネファシア
本:ニコリア2(石井)

7月23日:対ベルギー(7回コールド)
ベルギー000 000 1  1
日   本115 510 X  13
(ベ)デヴィット・フレイミンクス・マテス-ローワース
(日)猪俣・八野田-高田
三:宮里 二:宮里・ティリアコス・デランノイ

7月22日:対イタリア
イタリア000 000 000  0
日  本200 100 00X  3
(イ)ラダエリ
(日)西岡-森
三:宮里 二:森・ビアンキ

7月25日対プエルトリコ
プエルトリコ200 021 000  5
日    本001 100 000  2
(プ)フェリシアノ・ロドリゲス・フェレス
(日)西崎・猪俣-森
本:ヘルナンデス(西崎)・今井(フェリシアノ)・モラレス(西崎)・ガルシア(西崎) 二:モラレス・今井

7月26日対コロンビア
日   本710 101 203  16
コロンビア002 000 100  3
(日)石井・保坂-森 
本:安岡・宮里・エレーラ

7月27日対台湾
日 本012 010 000  4
台 湾201 002 00X  5
(日)西岡・松田-森
(台)陳義信・徐江欽・黄平洋-徐忠男
本:呂明賜

7月28日対米国
日 本100 300 000  4
米 国000 100 000  1
(日)西崎-森
(米)レムリンジャー・サーレス・タナー
本:エイザー(西崎) 二:宮里・安岡

7月30日対オランダ
日  本012 030 000  6
オランダ002 010 001  4
(日)猪俣・石井-高田
(オ)デブレーフ・ライスト-ハルデルマン
*この試合で、田中泰三塁手が3回の守備中に打球を左頬上部に受け負傷、五針縫う。
7月31日対キューバ
キューバ210 100 000  4
日  本000 020 000  2
(キュ)ティセルト-カストロ
(日)西崎・松田-森・高田
本:ムニョス

8月1日対韓国
韓 国100 020 000  3
日 本020 000 000  2
(韓)李光雨・朴東熙
(日)石井・西崎-高田
二:姜起雄・盧燦嘩

8月2日
閉  幕(日本は試合なし)
順位    キュ西ベル
優勝キューバ10勝1敗
二位韓  国8勝3敗
二位台  湾8勝3敗
四位米  国7勝4敗
五位日  本6勝5敗
六位イタリア6勝5敗
七位プエルトリコ5勝6敗
八位ベネズエラ5勝6敗
九位オランダ5勝6敗
十位コロンビア3勝8敗
十一位西インド諸島2勝9敗
十二位ベルギー1勝10敗
*勝敗が同じ場合の順位は得失点差による。韓国と台湾は得失点差も同じだった為同率二位。

8月4日帰国

12ヵ国のチームがオランダに集まった世界大会は、さすがにアマチュア野球界最大のイベントとしてのスケールと雰囲気を備えた大会であった。
全チームと全役員がアムステルダムのノボテルというほってるに泊まり、ロッテルダム、ハーレム、ユトレヒト、アインドホーベンの4球場を使って、12チームによる1回戦総当たりのリーグ戦で行われた。
アムステルダムはソウルの次、’92年のオリンピック招致を目指しており、そのためにもこの大会を成功させなければという熱意が感じられた。日本チームには、大会期間を通じて世話役としてオランダ在住十数年の荒巻さんという婦人がついてくださった。ご主人は日航勤務で、現地生まれのお嬢さんまで、家族ぐるみで選手の面倒を見てくださったので、心おきなく試合に集中できた。
日本チームは、最終的には6勝5敗の5位とやや不本意な成績に終わったが、5敗のすべてが接戦で、完敗した試合はなく、選手たちは森主将(東洋大)を中心によく頑張ってくれた。特に宮里(専大)は不慣れな外野手として三番を打ち全試合に出場を果たした。優勝したキューバには2対4、2位の台湾にも4対5と共に松田(青森大)の好リリーフで善戦、継投の時機を誤らなければ勝てたかもしれない試合であった。
(『週刊ベースボール増刊号』1986年9月:前田祐吉「全日本チーム米欧長期遠征レポート」より)




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東洋大学の全日本大学野球選手権戦績Ⅷ:平成29年・平成30年・令和元年

2019-06-16 09:29:00 | インポート
第六十六回:平成29年(2017) 出場十一回目:一回戦敗退

6月5日:一回戦 於・東京ドーム:試合開始11:33 終了14:15 観衆2500人
東海大北海道010 400 002  7
東 洋 大000 020 000  2
(東海)太田・徳橋ー新井
(東洋)飯田・上茶谷・中田・山下(雅)・甲斐野・片山(翔)ー西川
本塁打:今川(海) 三塁打:有間・新井(海)西川(洋) 二塁打:有間・赤尾(海)原澤(洋)
東海大北海道 ..... 東洋大
(三) 中西 (東海大四) 4 0 0 (中) 竹原 (二松學舎大附) 2 0 0
(一) 松永 (関東一) 4 1 0 (左) 古田 (天理) 3 1 0
(二) 福田 (東海大四) 3 1 0 (三) 田中(也) (帝京) 5 2 0
(右) 大河内 (東海大四) 2 0 0 (二) 中川 (PL学園) 4 0 0
(中)左 今川 (東海大四) 3 1 1 (一) 佐藤 (聖光学院) 2 0 0
(指) 有間 (前橋工) 4 3 3 打一 原澤 (前橋工) 3 2 1
走指 大図 (東海大望洋) 0 0 0 (捕) 西川 (浦和学院) 2 1 1
(捕) 新井 (大谷室蘭) 4 2 1 (指) 片山 (来) (桐蔭学園) 5 1 0
(左) 赤尾 (東海大相模) 4 1 2 (遊) 小川 (霞ヶ浦) 1 0 0
馬目 (東海大山形) 0 0 0 打遊 津田 (浦和学院) 2 1 0
(遊) 山口 (柏日体) 4 0 0 (右) 宝楽 (PL学園) 0 0 0
打右 末包 (高松商) 2 0 0
蛭田 (平塚学園) 1 0 0
堀北 (龍谷大平安) 0 0 0
32 9 7 32 8 2
東海大(道) ..... 東洋大
太田 (駒大苫小牧)  5      25 7 3 5 2 飯田 (常総学院)  3 2/3 16 6 3 1 5
徳橋 (武修館)  4      18 1 4 6 0 上茶谷 (京都学園)     1/3 1 1 0 0 0
中田 (大宮東)  4 1/3 16 1 8 1 2
山下(雅) (東邦)          0/3 1 1 0 0 0
甲斐野 (東洋大姫路)     1/3 1 0 1 0 0
片山(翔) (大社)     1/3 1 0 0 0 0



東洋大・高橋監督「完敗です」再三好機逃し初戦敗退
6年ぶりの日本一を目指した東洋大(東都)は、初戦で姿を消した。
毎回出塁し、1回と7回以外の7イニングは得点圏まで走者を進めたが、5回に2点を挙げるのが精いっぱいだった。先発した飯田晴海投手(4年=常総学院)も右中間スタンドへのソロ本塁打を浴びるなど、4回途中5失点と精彩を欠いた。
高橋昭雄監督(68)は「実力負け、完敗です。飯田が打たれたならしょうがない。飯田で勝ってきたし」と話した。
東海大北海道・今川が先制V弾 強豪東洋大から金星
昨年8強の東海大北海道が強豪東洋大を7-2で下し、3年連続で初戦を突破した。2回1死。5番今川優馬中堅手(3年=東海大四)が、右中間スタンドに今大会第1号となる先制アーチを突き刺した。「完璧な当たりだった」。東洋大のプロ注目右腕、飯田晴海(4年=常総学院)の出はなをくじいた。
努力が生んだ本塁打だった。東海大四(現東海大札幌)では少数派の軟式出身ながら、14年夏の甲子園では代打で安打を放った。大学では層の厚さもあり、昨年の全日本選手権ではボールボーイ。1年後、やっとベンチ入りをつかんだ。6人きょうだいの長男。前日に弟妹全員から無料メールアプリ「LINE」で励まされ発奮した。
今年3月、練習試合で右足首靱帯(じんたい)を切断。全治1カ月と診断されたが、「全然問題ない」と、5月中旬の春季リーグ第2節から強行出場した。高橋葉一監督(51)も「キャンプから今年にかける思いがあった。努力の人間」と評価する。
今川の先制パンチで打線が爆発した。4回には4本の長短打で一挙4得点で突き放した。飯田対策のために、投手を2メートル手前から投げさせた打撃練習が成果を生んだ。今川は「飯田さんとやれるのが楽しみだった」と笑みをこぼした。
4度の優勝を誇る強敵を破っても、今川は「チームとしては日本一が目標。ここで気を抜かず、1つずつ勝ちたい」と気を引き締める。まずは2年連続8強入りへ、明日7日に桐蔭横浜大(神奈川)と激突する。
(『日刊スポーツ』平成二十九年六月五日付)

ベスト8 ドットコム・試合前シートノック動画




第六十七回:平成30年(2018) 出場十二回目:初戦敗退(七回コールド)

6月13日:二回戦 於・東京ドーム:試合開始11:55 終了13:45 観衆2700人
東洋大000 102 0  3
九州産大034 010 2x  10
(東洋)上茶谷・梅津ー佐藤(都)
(九産)岩田ー揚村
本塁打:横田2(九)酒巻(東) 二塁打:横田(九)山田(東)
東洋大 ..... 九産大
(中) 竹原 (二松學舎大附) 4 0 0 (二) 柳内 (九州学院) 4 2 4
(左) 飯塚 (藤代) 3 1 0 (遊) 児玉 (文徳) 4 2 1
(捕) 佐藤 (聖光学院) 3 0 0 (三) 岩城 (東海大五) 4 2 0
(二) 中川 (PL学園) 3 0 0 (指) 脇坂 (九州国際大付) 4 1 0
(右) 山田 (桐生一) 3 2 0 (一) (大村工) 4 1 0
(指) 岡崎 (帝京) 3 1 1 (左) 西山 (熊本工) 3 1 0
(一) 堀北 (龍谷大平安) 1 0 0 (捕) 揚村 (飯塚) 4 2 0
打一 酒巻 (成田) 1 1 2 (右) 武上 (飯塚) 2 0 0
(三) 津田 (浦和学院) 3 0 0 (中) 横田 (大牟田) 3 3 5
(遊) 小川 (霞ヶ浦) 2 1 0
26 6 3 32 14 10
東洋大 ..... 九産大
上茶谷 (京都学園) 2 1/3 17 7 2 2 4 岩田 (九産大九州) 7 29 6 2 2 2
梅津 (仙台育英) 4 1/3 19 7 5 0 4


投手乱調 V候補沈む
「あっという間で、頭が真っ白に……」。本塁打を浴びてコールド負けが決まった瞬間、東洋大の梅津はぼうぜんとしていた。
リーグ戦3連覇の立役者だった上茶谷が二回に連打などで3点を失い、三回途中で降板。1死満塁で救援した梅津もいきなり連打を浴びてしまう。「交代のとき、上茶谷が『ごめん』と。抑えるつもりが逆になって申し訳ない。相手はみなバットが振れていて、流れを断ち切れなかった」。敗戦後、梅津は目を赤くして悔しさをかみしめた。
同じ初戦負けでも昨年とは状況が違う。梅津、上茶谷に抑えの甲斐野。右腕3人がそろって最速150㌔台を誇る今秋のドラフト1位候補へと成長した今年、ライバル校の多くが打倒目標に掲げる実力随一の優勝候補と見られていた。
杉本監督は試合後、上茶谷の体調が万全ではなかったことを明かし、「それでも出来は悪くなかったが、一度流れが傾くとこうなるのがトーナメントの怖さ」と実感を込めた。掲げてきた「年間4冠」の目標は、春でついえてしまった。

九産大打撃好調 横田2打席連発
九産大は七回2死一塁、横田が2打席連続の本塁打。これで本人も「想像もしなかった」コールド勝ちだ。東洋大の「150㌔トリオ」の2人を打ち崩した。ほぼ全員が指2本分短くバットを握って鋭い振り。14安打のうち9安打を三回までに集め、上げ潮に乗った。この大会は8強どまりで、準々決勝敗退が過去7度。「次も自分たちの野球で勝ちたい」。目標とした4強入りに挑戦する。
(『朝日新聞』平成三十年六月十四日付朝刊)


試合前シートノック


第六十八回:令和元年(2019) 出場十三回目:準々決勝敗退

6月12日:二回戦 於・神宮球場:試合開始11:59 終了14:38 観衆4000人
東 洋 大013 001 020  7
桐蔭横浜大000 000 010  1
(東洋)村上・松澤・河北―佐藤(都)
(桐蔭)関野・三浦・登坂―手島・大貫・森下
本塁打:松本渉(東) 二塁打:山崎・木村(東)
東洋大 桐蔭横浜
(中) 松本 (龍谷大平安) 3 3 1 (遊) 杉山 (湘南工科大附) 4 0 0
(左) 小峰 (帝京) 1 1 1 (指) 鈴木 (常総学院) 4 1 0
(右) 山田 (桐生一) 4 0 1 (左) 道上 (日南学園) 4 0 0
(捕) 佐藤(都) (聖光学院) 3 2 0 (右) 大神田 (日大明誠) 4 1 0
(指) 山崎(基) (愛工大名電) 4 2 2 (中) 山ノ井 (作新学院) 3 0 0
(遊) 小川 (霞ヶ浦) 3 0 0 (三) 渡部 (日本ウェルネス) 3 0 0
(一) 諏訪 (浦和学院) 5 0 0 (一) 石橋 (盛岡大附) 2 0 0
(三) 津田 (浦和学院) 4 0 0 打一 霜田 (東農第二) 0 0 0
(二) 木村 (霞ケ浦) 4 1 0 (二) 山口 (尾道) 2 0 0
打一 山根 (岡山理大付) 1 0 0
小林 (育英) 0 0 0
(捕) 手島 (山梨学院) 1 0 0
打一 鹿糠 (盛岡大附) 1 0 0
大貫 (日本大学) 0 0 0
打一 内山 (青森山田) 1 0 0
森下 (岡山理大付) 0 0 0
31 9 5 30 2 0


東洋大 桐蔭横浜
村上 (智辯学園)  7      24 2 6 1 0 関野 (湘南学院)  2 2/3 14 4 1 4 4
松澤 (帝京)  1      5 0 1 1 0 三浦 (川崎北)  5 1/3 26 5 5 5 3
河北 (浦和学院)  1      4 0 2 1 0 登坂 (市立川越)  1      3 0 1 0 0



東洋大・村上、60キロ差緩急で7回2安打8強入り

東洋大先発のエース村上頌樹投手(3年)が、7回を投げ2安打に抑える完璧な投球。攻撃陣も松本渉外野手(1年)の公式戦初となる右越え本塁打を含む9安打7得点と投打に圧倒し、8強入りを果たした。

村上は、東洋大のエースとして堂々と全国のマウンドに立った。「2年連続で初戦敗退。まずは初戦突破が目標だった」。初回、カウントを悪くする展開も2三振と二ゴロで3者凡退に抑えると波に乗った。「緩急を意識した」という投球は、140キロ前半の真っすぐに「80~90キロくらい」というカーブが軸。同じ球種にも緩急をつけ、相手打者を手玉に取った。

リードする佐藤都志也捕手(4年)は「芯に捉えられたのはわずか2~3球だった」と4回まで3者凡退を続ける完璧な内容だった。

対戦した桐蔭横浜の大神田丈主将(4年)は「チェンジアップ、フォークと同じような軌道で落差が違って絞りきれなかった。変化球が一級品でした」と脱帽した。

13日の準々決勝では明大と対戦する。「今日は森下さんが投げずに終わっている。明日は(投げ合ったら)負けたくない。連投はリーグ戦でもやっているので大丈夫。優勝するには明治と対戦しなくてはいけない。それが早いか遅いか。絶対に勝ちたいです」と静かに闘志を燃やした。
(2019年6月12日付『日刊スポーツ』Web版)


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2回戦 桐蔭横浜大 vs. 東洋大 ハイライト【全日本大学野球選手権2019】


6月13日:準々決勝 於・神宮球場:試合開始9:00 終了11:03 観衆5500人
明治大101 010 000  3
東洋大000 000 000  0
(明治)森下―西野
(東洋)村上・渡邉・松澤・河北―佐藤(都)
二塁打:北本2(明)
明治大 東洋大
(遊) 添田 (作新学院) 4 1 0 (中) 松本 (龍谷大平安) 4 1 0
(中) 丸山 (前橋育英) 3 1 0 (左) 小峰 (帝京) 4 1 0
(右) 内山 (静岡) 3 1 0 (右) 山田 (桐生一) 4 2 0
(三) 北本 (二松學舍大附) 4 2 2 (捕) 佐藤(都) (聖光学院) 4 1 0
(一) 喜多 (広陵) 3 0 0 (指) 山崎(基) (愛工大名電) 4 1 0
(指) 公家 (横浜) 3 0 0 (二) 木村 (霞ケ浦) 3 1 0
和田 (常総学院) 1 0 0 (一) 諏訪 (浦和学院) 2 0 0
(左) 陶山 (常総学院) 4 1 0 廣岡 (拓大紅陵) 1 0 0
(捕) 西野 (浦和学院) 4 0 0 齋藤 (東洋大牛久) 0 0 0
(二) 清水(頌) (春日部共栄) 3 0 0 (三) 津田 (浦和学院) 2 0 0
市岡 (龍谷大平安) 0 0 0 (遊) 小川 (霞ヶ浦) 2 0 0

小泉 (聖光学院) 0 0 0
32 6 2 30 7 0

明治大 東洋大
森下 (大分商業)  9      32 7 4 1 0 村上 (智辯学園)  6      27 6 4 3 1
渡邊 (報徳学園)  1      3 0 0 0 0
松澤 (帝京)  1      3 0 0 0 0
河北 (浦和学院)  1      3 0 0 1 0



東洋大の村上、佐藤のバッテリーは明大エース・森下に脱帽
東洋大(東都大学)は、明大(東京六大学)に7安打完封負け。最速149キロ右腕・村上頌樹(しょうき、3年)と今秋ドラフト候補・佐藤都志也捕手(4年)は、相手のドラ1候補右腕・森下暢仁(まさと、4年)に脱帽した。

 エース・村上は12日の7回112球から連投。初回1死で2番打者にフルカウントからの外角直球がわずかに外れた。「そこで切り替えられなかった。引きずってしまった」。2死から二盗の後、フォークが浮き、先制中越え二塁打を許した。6回6安打3失点(自責1)で森下との投げ合いに敗れ、「大学NO1と言われているので、負けたくない気持ちがあったけど、全然、力が足りなかった。悔しい」と唇をかんだ。

 智弁学園で16年センバツ優勝、今春リーグ戦でMVPを含む4冠の右腕でも、森下との力の差を痛感した。「オーラがあって、雰囲気から余裕。簡単に打者を手玉に取っている。全然、違うと感じた。全部が一球品。自分にはないところ。真っすぐの質から変化球。自分がベンチから見ても、安心するような投手だった。(投げ合って)すげえと思ったのは、初めてですね。森下さんのような圧倒的な力をつけたい」と語った。

 佐藤は6回2死一、二塁で152キロの直球に三邪飛。「チャンスで打ち切れなかった。4番として情けない。球が伸びてきて、見逃せばボールかもしれないけど。投げ切った森下君がすごかった」。昨年の大学日本代表で同僚だった右腕に「予想以上かな。見た中でトップ3に入る投手。受けたのと打席では感覚が全然違う。ピンチになるほどギアを上げてくる」とお手上げ。9回に二塁内野安打を放ったが、2死二塁からの左前安打で本塁憤死。整列で森下に「やっぱ、えぐいわ」と声をかけた。
(2019年6月13日付『スポーツ報知』Web版)

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準々決勝 明治大学 vs. 東洋大学 ハイライト【全日本大学野球選手権2019】


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