猫面冠者Ⅱ

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立教大が最後に日本一になった1958(昭和33)年春の六大学野球観客数

2017-06-11 08:01:00 | インポート
第66回の大学野球選手権も佳境を迎え、決勝戦は立教大と国際武道大の対戦となりました。
国際武道大が勝てば初優勝。一方の立教大は四回目の優勝をかけた決勝戦ではありますが、前回の優勝は59年前の昭和33年・第六回大会でありますから、今の選手にとっては遥か昔、お爺ちゃんお婆ちゃん達の青春時代の出来事でありましょう。

当時は立教大の黄金時代で昭和32年春からリーグ戦四連覇を達成した時期でありました。

この選手権最後の優勝となった昭和33年はミスターこと長嶋茂雄が立教大を卒業して巨人軍に入団した年でもありますが、先日野球とは別件で当時の読売新聞を見ていたところ、六大学野球の記事の中に観客数が記載されているのに気が付きました。ただし、試合毎のデータとしての数字ではなく記事の末尾に記載されているだけなので、合計なのか平均なのか、或はある時点での数字なのかはっきりは致しませんが、一応書き写してまいりました。
併せて六大学と同じ日に行われたプロ野球の試合の内、東京近郊や巨人戦の観客数も控えてきたので、下記にまとめてみました。



4/13 (土) 立 ー 法 早 ー 明 35,000 ........... 巨人 ー 国鉄 後楽園 22,000
4/14 (日) 早 ー 明 立 ー 法 40,000 巨人 ー 国鉄 後楽園 42,000

4/20 (土) 明 ー 慶 法 ー 東 15,000 大洋 ー 国鉄 川崎 1,000
4/21 (日) 法 ー 東 明 ー 慶 35,000 阪神 ー 巨人 甲子園W 55,000

4/28 (土) 立 ー 早 50,000 巨人 ー 中日 後楽園 40,000
4/29 (日) 立 ー 早 45,000 巨人 ー 中日 後楽園 45,000
4/30 (月) 明 ー 慶 10,000

5/4 (土) 慶 ー 東 明 ー 法 15,000 巨人 ー 国鉄 後楽園 20,000
5/5 (日) 明 ー 法 慶 ー 東 15,000 巨人 ー 国鉄 後楽園 40,000

5/11 (土) 早 ー 東 立 ー 明 15,000
5/12 (日) 立 ー 明 10,000 毎日 ー 阪急 後楽園 9,000
5/13 (月) 早 ー 東 立 ー 明 15,000 毎日 ー 大映 後楽園 3,500

5/18 (土) 立 ー 東 慶 ー 法 25,000 巨人 ー 国鉄 後楽園 25,000
5/19 (日) 慶 ー 法 立 ー 東 20,000 巨人 ー 国鉄 後楽園W 45,000

5/26 (日) 早 ー 法 東 ー 明 20,000 国鉄 ー 中日 後楽園W 38,000
巨人 ー 大洋
5/27 (月) 東 ー 明 慶 ー 法 12,000 東映 ー 大映 駒澤 1,500
5/28 (火) 慶 ー 法 東 ー 明 20,000 大映 ー 南海 後楽園 4,000
巨人 ー 広島 広島 6,000
6/1 (土) 立 ー 慶 40,000 巨人 ー 中日 名古屋 45,000
毎日 ー 南海 後楽園 20,000
6/2 (日) 立 ー 慶 50,000 毎日 ー 南海 後楽園W 28,000
6/3 (月) 立 ー 慶 45,000

6/9 (日) 早 ー 慶 60,000 阪神 ー 巨人 甲子園 40,000
6/10 (月) 早 ー 慶 60,000 毎日 ー 西鉄 後楽園 25,000


652,000 555,000
29,636 26,429



よく言われるように戦前から昭和30年代の前半まではプロ野球よりも六大学の方が人気が高く、長嶋茂雄がプロ入りしたこの年でもまだ早慶戦や優勝のかかった立教・慶応戦はプロ野球並の観客を動員しています。

また、当時はまだ進学率も低く(昭和35年で高校進学率が約60%、大学約8%・短大約2%)、神宮球場で母校の応援をするのは憧れであり、限られた一部の人の特権でもあった時代で、この辺りの事情もオールドファンが目立つ今日の球場風景とは違い、学生を野球に駆り立て要因だったのではないでしょうか…。



*立教・慶応戦が早慶戦の前の週に一試合で行われています。
六大学野球では戦前から開幕戦は前季の一位と六位で組まれていましたが、昭和22年の秋に慶應が優勝し早稲田が最下位になった時、早慶以外の四校の主将・主務が連名で“23年春は慣例にのっとり早慶戦を開幕戦で行うべし”という趣旨の申し入れを行うという事件が起きました。
OBたちの仲裁により早慶戦は従来通り最終週に行われるのですが、その際に出された妥協案が“優勝校は翌シーズンの日程を八週か九週のいずれかを選べるようにする”というものでした。
ですので、この時も前期優勝校の立教が九週を選択し、第八週に一試合で日程を組んだものと思われます。

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