


人が暮らしているので、生もあれば死もあります。島内で亡くなる人は年間に数名はお見えになります。出生は年間に十数名なので、その差はどうなっているのでしょうか。島外で亡くなった人数は計算していないかもしれません。
死亡者が出ると葬式となります。島には専門の葬儀屋がいませんので、集落の人達が集会所に集まって手作りの葬式を出すようです。島には坊主が住んでいないので、役場ではお経を録音したカセットテープを貸し出してくれるそうです。棺桶や祭壇なども貸し出してくれるかもしれません。質素といえば質素であり、簡素な葬式だそうです。島で出会った宮古島出身の老婆は、「葬式をするなら沖縄本島でしたい。南大東島での葬式は寂し過ぎる。本島のように派手で賑やかな葬式を出したい」と申されていました。
葬式がおわると火葬になるのですが、島の西側には村営の火葬場が設置されています。ここで火葬されて骨上げされるのですが、火葬場が設立されたのは1981年(昭和56年)になってからのこと。それ以前は文字通り「野辺の送り」ということで、地面に薪を並べ、その上に棺桶を置いて火葬にしていたそうです。当時の役場の職員から体験談を聞くと、大変な仕事だったようです。もっと前の戦前では、土葬や風葬だったようです。
火葬場の近くには墓地もありますが、写真で見られるように荒涼とした砂漠の中の墓地という雰囲気でした。内地の墓地と違い、緑陰や芝生などの緑色をした風景がないからでしょう。この墓地も改葬して整理する計画があるそうです。では、墓地を持っていない島民は、どこに遺骨を納めるかと言えば、村営の納骨堂に納めるのです。ここには建物の回りに樹木があり、やすらいだ気持ちになれるでしょう。


南大東島には、浄土宗の「大東寺」という寺社がありました。1918年(大正7年)に開基して、住職も住んでいたのですが、1945年(昭和20年)の空襲で焼失してからは廃寺となってしまいました。現在は、両側ある大東寺の文字が刻まれた門柱のみが残ってました。戦前の島内の宗教は浄土宗が大半でしたが、これは当時に島を所有していた製糖会社の政策によるものらしい。戦後になってキリスト教や複数の新興宗教が入ってきたようです。島のあちこちで公明党のポスターを見かけたので、信者はお見えになるようです。しかし、教会や伝道所などの宗教施設を見かけなかったので、各宗教団体はどこで宗教行事を行っているのか不明です。