悟りへの道標(悟った人の言葉を紹介していきます)

現在は主にニサルガダッタ・マハラジ(1897~1981)の言葉がメインです。みんなで悟りましょうヽ(=´▽`=)ノ

1979年9月21日「器と氣と識は1つや。んで、お前さんはそれ超えとんねん」

2016-09-29 05:41:06 | ニサルガダッタ・マハラジ
1979年9月21日

訪問者:全現象を幻いうて見なしたら、それって想念とどう違うん?

ニサルガダッタ:そうやって区別されんのは、この世の活動のためだけや。ぜーんぶ同じもんや。

訪問者:人が「ワイは想念から解放されとる」て言うとき、そいつは頭の瞑想から解放されとる。せやけど目え開いたら、幻は続いとんねん。それって想念から解放されとるんか?

ニサルガダッタ:幻いう言葉のけて、ブラフマいう言葉に代え。お前さんが変えれんのは言葉だけや。他には何もあらへん。お前さんは知識求めてジュニャーニんとこ行くけど、いったい何の知識を求めとんのや?誰がその知識求めとんのや?お前さんはマーヤ、幻についての知識求めとんねん。せやけど、「知識欲しとんのは誰なんか」っちゅーことに十分注意払わんのや。

訪問者:賢者いうんは、あらゆる疑問を解き明かせる人のことや。相対的な疑問も絶対的な疑問もな。せから、そういう疑問が賢者にぶつけられんねん。

ニサルガダッタ:賢者に疑問ぶつけたら、それでお前さんの問題解決する思うんか?お前さんは賢者に、疑問の内容に基づいて質問しとんのか?質問しとるとき、心に自分の自己留めとんのか?

訪問者:ワイが今困っとんのは、ここから帰った後の人生の、個人としての振る舞い方や。体と体の行為をサポートするときに、心が心をどないして面倒見んのか気になんねん。

ニサルガダッタ:心が100%浄化されたら、その心はあらゆるもん世話すんねん。

訪問者:わかったわ。せやけどワイを悩ませとんのは、浄化が起きるまでの時間待ちや。

ニサルガダッタ:生気が流れとるうちは、心は流れとんねん。

訪問者:ワイは道の分岐点に来とるみたいや。せやから…

ニサルガダッタ:ワイがお前さんに言うとんのは、「この体と生気と意識は1つや。そんで、お前さんはそれ超えとんねん」いうことだけや。帰ってからどない振舞えばいいかは、お前さんの心が決めてくれるわ。身心独自の傾向と状態に合わせて働かせえ。せやけど、「自分はそいつらちゃう」いうことわかっとき。

訪問者:どっか南の島探しよってからに木の下座ってこれに没頭したらええんか、社会に戻って前にしとったこと続けたらええんか知りたかってん。

ニサルガダッタ:お前さんは自分の体とか生気を浄化するつもりなんか?

訪問者:せや。

ニサルガダッタ:この会話アホらし思うんやったら、放って好きなことし。ワイの言うこと聞いてワイの言葉に従わなあかんなんて言うてへん。

訪問者:マハラジが言うてきたこと理解しとんで。マハラジはいろんなちゃうやり方で繰り返し言っとんねん。わかっとる!

ニサルガダッタ:”我在り”いう感触以外、他に何があるんや?なんでマーヤやらブラフマやら何やら見つけようと腐心しとるん?この”我在り”いう原理が何なんか理解せえ。そしたら仕舞いや。観念のせいで”我在り”が奴隷なっとんねん。

訪問者:相対的境地に戻るけど…ワイは、ここ来る前にやっとった活動に戻ればええんか?

ニサルガダッタ:その人は、体か生気か”我在り”のどれに属しとんのや?

訪問者:体や。

ニサルガダッタ:この3つの存在の観照者であるお前さんは、どう属しとんのや?そいつらは何千年も仕事し続けれんねん。どないしてお前さんは属しとんのや?その質問が出んのは、お前さんが、生気が抜けよったら分解して腐る体に関心もっとるからや。お前さんはその体と同一化して抱きしめとんねん。

訪問者:せや。

ニサルガダッタ:嫁とか子も含めてお前さんの近親は、お前さんの体が分解するとき近づかんやろ。

訪問者::ほんまそうや。

ニサルガダッタ:わかったら、自分の仕事続け。心配しなや。

ラーマがインドからランカの海渡りたかったとき、猿たちがめっちゃ助けてくれたっちゅーて言われとる。せやからラーマは、その猿皆に天上の至福授けてん。そのときの猿たちが今、西洋の国で楽しく暮らしとんねん。物質の恩恵享受して、ラーマがくれた天の喜び楽しんどんねん。天を得たいがためにぎょうさん苦行してきよるリシたちも、そこに生まれて楽しく過ごしとんねん。そんで今、そいつらはもううんざりしよってからに、もういっかいラーマ探そいうてここに来始めとるんや。

1979年9月20日「お前さんの”在る”はテープレコーダーとかフィルムみたいなもんや」

2016-09-28 04:24:02 | ニサルガダッタ・マハラジ
1979年9月20日

訪問者:徳と信仰って何なん?

ニサルガダッタ:徳いうんは、「お前さんが自分知って、その知識ん中に住んだときに、お前さんが持っとるもん」や。お前さんは真理知って行為せなあかんねんで。

訪問者:「徳は態度や。そんで自分で手に入れられるもんっちゅーよりも、賢者からの恩寵で生じる」「同じく、信仰は自己悟りに必須なもんであって、これも賢者からのギフトで生じる」この2つの意見にコメントくれんか?

ニサルガダッタ:お前さんの言うたことは正解や。それは個人の善行のために言われとるもんや。せやけどワイの言うとるもんは、普遍的な現象についてだけで、人格についてやあらへん。

訪問者:マハラジはたまに、進歩した魂のこと話すやん。「すべての魂は等しい」言うとるみたいやん。優劣あらへんっちゅーよりも、全人類にたいする同胞愛いう感覚あるみたいや。

ニサルガダッタ:ワイらは、あらゆる普遍領域と密接に繋がっとんねん。普遍的同胞愛は、どんな微粒子ん中にもあんねん。食べもん中でもお前さんの体ん中でもや。個人が捨てられて、溶けたら、体とすべての行為は普遍的なもんになんねん。それらは普遍的に役立つんや。そっから「自分の」行為やいうて主張することなんかあらへん。

訪問者:ぜんぜんワイの質問答えてへんやん。

ニサルガダッタ:お前さんは個人として質問しとるけど、ワイは現象原理から答えとんねん。「個人が他人とどう振舞うべきか」については、別の学校いっぱいあるわ。

訪問者:昨日、断食の有効性について質問あったやん。マハラジは個人的な回答あげてたやん。

ニサルガダッタ:それは無知な輩のための回答や。進んだ探求者のためのもんとちゃうねん。

訪問者:ワイは、自己悟りに向かうん助けてくれる援助求めとってん。

ニサルガダッタ:自己悟りいう問題あらへん。「お前さん」はすべてを悟っとる。すべてを経験しとる。すべてを観照しとる。お前さんはそういうもんより前におるんや。どないなもんでも、お前さんの心の底に抱いとる強烈な確信が、起こるんやで。

訪問者:ワイがした質問は、もう答えられた主要なもんは置いといて、小さな一筆や。その一筆が、絵に加えられる最後の一筆やねん。

ニサルガダッタ:お前さんがあらゆる魂のいっちゃん中心になったら、「最後の一筆の加え方」について他人の助け求める必要あるか?お前さんは誰にも依存しとらん。すべてがお前さんの「我在り」いう確信に依存しとんねん。その絵は今完成してん。お前さんは自分の認識得たんや。お前さんの認識は自己に留まっとる。

訪問者:これは新しい経験、新しい適応や。

ニサルガダッタ:ぜんぜん新しいもんちゃう。いっちゃん古くて不滅なもんや。

訪問者:わかる、わかるで!「明け渡さなあかん」いうて言われとるけど、何を明け渡すんや?

ニサルガダッタ:自分自身を明け渡すんや。所有物だけやのうてな。知識ぜーんぶ明け渡すんや。慈善にはいろんな種類あるけど、最高の慈善は”我在り”いう知識放棄することや。それ捨てたらお前さん、生と死から脱け出すねん。

訪問者:ワイらってどないして世界に入るん?

ニサルガダッタ:入んのやめてみい。お前さんは何もしてへんねん。目覚めの状態は「活動」を現しとる。熟睡は「平和」「静寂」や。この2つの状態があったら、それは”我在り”があるいうことや。せやけどお前さん、絶対なるもんは、目覚めの状態でも熟睡でも”我在り”でもないねん。

訪問者:なんでワイはこの体を、特定の体を自分いうて感じるんや?

ニサルガダッタ:体のこと考えんのやめえ。目覚めと熟睡だけを自分いうて掴んどき。

訪問者:どないしたら死の恐怖消せるんや?

ニサルガダッタ:お前さんが死を信頼しとるさかい、そいつに好き勝手させとんねん。15日間質問しなや。ただ静かに質疑応答聞いとき。お前さんの疑問みーんな自動的に答えられるわ。ただ静かにしとき。
この連中ん中で1人開いたら、ワイはそれで十分や。これが”在る”から”無い”への最後の一歩や。これまでの無数の生で何手に入れて蓄えとっても、ぜんぶここで爆破されんねん。

訪問者:ちょうどそのことについて、ワイら昼飯んとき話しとったんや。ここはユニークで理想的な場所や。何かもってきたら、お返しにぎょうさん無を手に入れるっちゅーな。

ニサルガダッタ:その通りや。完全な無や。

訪問者:質問あんねんけど…犬って自分が犬やっちゅーこと知っとんのか?それか、ただ”我在り”いうて知っとるだけなんか?

ニサルガダッタ:そいつを犬いうて呼んどんのは、お前さんや。そいつは自分が犬なんてこと知っとらん。

訪問者:腹減ったとき、犬には「ワイ腹減ったー」いう感覚あるんか?それか、空腹感だけがあるんか?ワイが聞いとんのは、ある有名なヨギが「ほとんどの動物はー飢えに気づいとるだけでなー”我在り”持ってへんでー」言うとったからやねん。

ニサルガダッタ:そいつは知っとる。動物でも知っとんねん。そいつの唯一のアイデンティティーは、体や。せやから、いっつも自分の体守ろうとしとんねん。鳥とか虫とか人間が、自分の”我在り”なくさんように体守っとんのと同じや。

訪問者:瞑想行しとる人らは、「自分」中の違う意識レベルに達してるようにみえるわ。こういうレベルって3つの主状態と同じくらい本物なんか?それか、心の創造物なんか?

ニサルガダッタ:認識だけを知れい!お前さんの”在る”はテープレコーダーとかフィルムみたいなもんや。そこにはこれぜーんぶもうとっくの昔に記録されとって、「目覚めの状態」と「眠り」と「瞑想やら何やらいう状態」に映されとんねん。せやけど、第一条件は「自」意識や。この自己知識ゲットして、その静けさん中に留まれば、すべての宇宙がこの微細な意識ん中にもうとっくに存在しとるっちゅーこと悟るわ。この知識みーんなこの世の知識や。せやけどお前さんは、それ理解して悟らなあかんねん。
今お前さんは、”在る”について言葉で与えられた知識もっとる。せやけどお前さんがその”在る”に留まったら、すべてが意識の戯れやいうこと悟んねん。自分の意識ん中にそれがもうとっくの昔に記録されとるいうこと悟ったら、お前さんそれ捨てるやろ。その意識は使い捨てなんや。
「自分」は欲の塊や。その欲満たそうとするかわりに、この「自分」は何なんか見極め。欲を理解せえ。この世のもん一切、ワイにはなんも魅力あらへん。もし誰かがワイに金とかダイヤよこしてもや、そいつにどっかやりー言うわ。そんなもん何の役に立つねん。食べれるかっちゅーんや。
ワイにはな、ワイのグルの記憶がいっちゃん貴重なもんや。ワイは奇跡起こす力にもかまけへん。そういう力のためには、一定の儀式、一定の訓練に従わなあかんねん。

訪問者:シッディ(超能力)持ってへん賢者たちは、そういう儀式せえへんからなんか?

ニサルガダッタ:ジュニャーニは力なんか求めへん。なんでやゆーたら、微細な意識ん中にそういうもんぜーんぶ含まれとるからや。マルチエネルギー、マルチパワーや。ジュニャーニはもうとっくの昔に捨てとるんや。

訪問者:マハラジは、ナヴァナートの伝統に従っとんのか?

ニサルガダッタ:ワイはあらゆるバリエーションに従っとる。

訪問者:マハラジは自分のこと、グルの足跡を追う者いうて思っとんのか?

ニサルガダッタ::カレに足跡あらへん。足あらへんねん。

1979年9月19日「心の認識には、お前さんは影響されへん。お前さんは心を超えとんねん」

2016-09-22 06:15:18 | ニサルガダッタ・マハラジ
1979年9月19日

訪問者:2,3年前に集中行始めてん。暫くしたらそのおかげで、心操縦するフックとハンドル見つけてん。ワイは一定期間いっこの訓練し続けてんな。黒地の背景にいっこの物を心で映像化すんねん。他の一切のけてや。集中行って脳の皺そのものを変質させるくらい強力なもんやっちゅーことわかってん。この行続けてええんか?そんで最終的にはどないな結果なるん?

ニサルガダッタ:お前さんがお前さん自身を知らへんかったら、集中の結果わからんやろ。いっかい自分の自己知ったら、集中要らんくなるわ。集中は誰のもんで、何のためのもんや?

訪問者:心を一点に集中させる能力はな、どんな形の瞑想でも前提になるもんや。心静めれるいうんは、どんなタイブの悟りでもその基礎になんねん。なんでやゆーたらすべての想念は、想念の裏にあるもんが自身を明らめる前に根絶されなあかんもんやからや。せやからワイは瞑想学ぶん選んだんや。

ニサルガダッタ:何やお前さんが習得したいもん、達成したいもん、悟りたいもんって、瞑想とか集中によって生じるもんなんか?瞑想より前に、もうとっくにある存在あらへんか?

訪問者:せやな。

ニサルガダッタ:お前さんの瞑想からその存在が生まれるいうことはあらへん。それはもうとっくに在んねん。

訪問者:その存在曇らせる鬱陶しい想念あらへんかったら、もっと簡単にその存在と自己同一化できんねん。

ニサルガダッタ:「自分が達したい願っとるその存在に、自分は達しとらん」っちゅー想念だけがネックや。

訪問者:せやけどワイが今達しとんのは、集中行で心静めて心操縦できるようなったからこそや。

ニサルガダッタ:お前さんは自分の悟りとか理解として、自分の観念とか想像に自分で意味付けた通りのもん見つけんねん。

訪問者:瞑想は、不可欠な感覚を獲得しようとすんのに役立つっちゅーことが一般に認められとる。たとえば、「ワイはすべてに浸透しとる無限の光、”我在り”や」瞑想は、マハラジが指しとる境地の玄関に連れてってくれんねん。

ニサルガダッタ:せや。この瞑想はお前さんがサーダカになるよう導くやろ。お前さんは何を求めとんのや?瞑想って単に初期の境地やで。

訪問者:せやけど助けにはなるやろ?

ニサルガダッタ:サーダカは瞑想行せなあかん。お前さんが求めとるセンターに達すんには、瞑想は100%必要や。せやけど瞑想するもんは、瞑想よりも前におんねん。

訪問者:昨日の夜瞑想しとったら、質問より前の回答としてマハラジが言うたことが心に浮かんできてん。そんで「質問は、回答と触れて初めて生まれる」っちゅーことわかってん。そんでいっこ疑問が出てきたんや。マハラジが「ワイらは体やあらへん」て言うとき、体いうんは形のこと言うとるんか?

ニサルガダッタ:この体がどないして作られたんかっちゅー知識、何か持っとるか?

訪問者:体と意識は同時発生や。体より前の知識なんかあらへん。

ニサルガダッタ:なんでこの体が出てきたんか、どないしてこの意識がお前さんに現れたんか知らんとあかんで。

訪問者:正直にこの質問答えなあかんのやったら、ワイが知りたいゆーて求めとるもんは、相変わらずワイより前におんねん。

ニサルガダッタ:その地点、その質問だけを熟考せえ。この意識はどないしてお前さんに現れたんや?

訪問者:究極なる実在が宇宙のすべての微粒子ん中におるんやったら、いっちゃん微細な物質の体は究極なる実在ちゃうんか?

ニサルガダッタ:この体の原因はどんな微粒子や?答えあるか?

訪問者:体、世界、ジーヴァ、神の原因は、”我在り”や。”我在り”が生じたら、他もみんな生じんねん。

ニサルガダッタ:そんで?

訪問者:2つの流れの合流点として体が現れんねん。その流れに元から備わっとる知識が形を成すんや。そうやって体は生まれんねん。

ニサルガダッタ:胎児の9ヶ月間は、”我在り”いう知識あらへんかってん。”我在り”は、体が生まれた後に出てきたんや。

訪問者:ちゃうやろ。マハラジは「”我在り”は妊娠したときに創られる」言うとったやん。

ニサルガダッタ:受胎の瞬間、「ワイは存在しとる」いうてわかっとったんか?

訪問者:いーや。せやけどそれは、ワイがそんとき無能やっただけかもしれん。

ニサルガダッタ:母ちゃんと会うまで、何や知っとったんか?
教え込まれてから、「自分は赤ちゃんや息子や何や」いうて意識しだしてん。そんときまでは、自分のことも覚えとらんかったんや。

訪問者:それ前に言うたことと矛盾しとんで。

ニサルガダッタ:前言うたことぜんぶ、お前さんにまったく合うてへんねん。どっか放り。砂糖作っとる物質は、サトウキビん中にあんねん。砂糖食べて、茎捨てえ。同じで、今言うとることぜんぶ、茎からとった砂糖や。その甘さには名前も形もあらへん。”自分がおる”いう甘味を、お前さん知っとるし、ワイ知っとる。その味はどうなんのや?

訪問者:ワイは味わい続けんねん。

ニサルガダッタ:その味は永遠には続かん、終わりのあるもんや。いっかいこれ理解したら、お前さんの未来はどないや?

訪問者:未来は謎のままや。

ニサルガダッタ:その甘さに謎なんてありうるんか?

訪問者:その甘さはいつか消えるもんや。せやから甘さん中に謎なんかありえへん。その味が謎なんやなくて、味わっとるもんが謎や。味わっとるもんが意識なんか?

ニサルガダッタ:お前さんは知っとる。その答え知っとんねん。その味は五大元素の性質や。体の素が五大元素やねん。お前さんは体やあらへん。体と氣が合わさったもんが意識を生んどんねん。お前さんは意識やあらへん。お前さんは基礎原理や。そん中いとき。

訪問者:ここにおってマハラジが何度も何度もリピートすんの聞くんと、バッとそれに直面するんではまったく別もんや。初対面で完全にはっきりするわけやないねん。

ニサルガダッタ:誰が誰に直面するって?それぜんぶただの想念や。お前さんは何や理解しとるけど、自分が理解したもん認めれへんねん。せやから静かにして、それん中いとき。

ニサルガダッタ:どっから来たんや?(別の訪問者に)お前さんや。

訪問者:ラマナアシュラムからや。

ニサルガダッタ:そこでええサマーダーンあったか?

訪問者:サマーダーンが内なる幸せのこと言うてるんやったら、せや、めっちゃあったで。

ニサルガダッタ:不純物を取り除くために液体を沸騰させて、泡が生じなくなったら、その状態がサマーダーン呼ばれとるもんや。心ん中にヴリッティ(動き)がちょっとでもあるうちは、サマーダーンちゃうねん。

訪問者:まだ泡出とる!ディヤーナ(瞑想、熟考)が深まれば深まるほど、体は弱って苦しなんねん。その体調が心乱すねん。何かアドバイスくれへんか?

ニサルガダッタ:暫くはそんな体調出てくるかもしれん。ラマナ・マハルシでも昔体に苦しみあってん(焼けつく感覚)。そういうん怖がりなや。穏やかに自分の瞑想、学習、ナーム・スマラナム(名前を覚えておくこと)続け。皆それぞれサーダナの体験違うんは、道具のプラクリティ(本質)とグナ(性質)が違うからや。

訪問者:体と心を無視すんのに必要な勇気と内なる力を、ワイに授けてほしいねん。

ニサルガダッタ:ラマナ・マハルシへの信頼を絶対に揺るがんもんにして、自分の修行続け。ここ来て聞くのはええけど、お前さんのサット・グルはラマナ・マハルシやっちゅーこと覚えとき。

訪問者:ワイ明日ラマナアシュラム戻んねん。携帯できるプラサードに、マハラジのもん何かくれへんか?

ニサルガダッタ:ワイのプラサードはこれや…お前さんは何があってもラハナ・マハルシにプールナ、ニシュタ・バクティ(完全な、不動の帰依)持たなあかん。お前さんの信心は、雨にも晴れにも、喜びにも苦しみにも、生にも死にも揺らがされたあかん。お前さんはどこにも行く必要ないし、他のどの聖者にも会う必要あらへん。ラマナ・マハルシがお前さんのグルや。

訪問者:ここでマハラジの臨在ん中におるっちゅーことでどんな利益あるんか教えてくれんか?

ニサルガダッタ:計測不可能や。空間を計れへんのと同じで、サット・グル持てる幸運は計り知れへん。そのこと理解できたら、お前さんラッキーやで。

訪問者:ここ来る前は、ワイのハート凍っとる思っとった。せやけど今、偉大な解凍者の臨在ん中で融けとんのわかんねん。

ニサルガダッタ:何でも生じて消えるにまかせえ。お前さんはただの見張りや。この解凍プロセスに傷ついたり首つっこんだりしなや。それただのメンタルレベルのもんで、お前さんの自己とはちゃうもんや。心から生まれた体験はどんなもんでも、お前さんに影響与えることなんかできへん。お前さんは心の認識を、五大元素を超えとんねん。心は五大元素だけでできとんねん。

1979年9月18日「パラブラフマン境地は無認識の境地や」

2016-09-21 04:52:26 | ニサルガダッタ・マハラジ
1979年9月18日

訪問者:実際には、”我在り”いう意識でおったら、今微妙な違いがあることわかるわ。”我在り”に瞑想はできんねんけど、”我在り”いう感覚あらへんねん。何や外っ側にいてるみたいや。

ニサルガダッタ:”我在り”いう感覚から分離しとるゆーて感じとるとき、違いに気づいとる物とか人おるんか?

訪問者:いや、ただの感覚や。

ニサルガダッタ:見極めえ。お前さんは知らんうちに分離しとんのか?

訪問者:観察しとるような感じや。

ニサルガダッタ:ワイらが皆ここにおるんは、「生まれる」いう自分自身の意志選択によるんか?それかこの認識が、知らんうちにワイらに現れたからなんか?

訪問者:知らんうちに現れたからや。

ニサルガダッタ:この”在り”は、お前さんの知識なしでお前さんにやって来たもんや。せやけどお前さんは、それを自分の意志選択に合わせて使っとんねん。ワイはその個性死刑にしたいねん。ワイがこの判決下すん不公平やろ?せやから、気いつけて考え。その個性が死ななあかんねん。パラブラフマンは完全に公平で、パラブラフマンが真理や。
ワイらが今日ここで喋っとんのは、自分の意志選択によるもんちゃうねん。自分に選択権あるいうて思っとるけど、そんなもんあらへんのや。
お前さんは1日とか1ヶ月サマーディ達成するかもしれへんけど、普通に戻ったら意識は同いなままや。「サマーディ達したで」いうて思うけど、これ思っとるもんがもうとっくの昔にそこおってん。それはお前さんの選択で来とるわけちゃうねん。

訪問者:"我在り”を維持しとる最中、サマーディに入っとるんと同じで身体意識なくせるん?

ニサルガダッタ:サマーディの最中は、”我在り”いう認識は一時停止しとんねん。

訪問者:せやったら何も消えとらんし、何もなくなっとらんのか?

ニサルガダッタ:せや、何もなくなっとらん。

訪問者:これって”我在り”と意志選択と同じもんなん?

ニサルガダッタ:それが”我在り”や。それは自然に現れて、その後で意志選択に使われんねん。観照は意識より前の原理に、絶対なるもんに起きとんねんけど、絶対なるもんは意識の助け借りて観照しとるんや。
夢ん中では物理的な”自分”いう存在あらへんいうのに、それでもお前さんは見とんねん。あらゆるもんの土台がその気づきや。

訪問者:絶対なるもんって自然に現れたり消えたりするん?

ニサルガダッタ:意識以前の境地はいつでもあるもんや。この自然に生滅しとるもんは、意識の性質や。
普通、グルはそれぞれのレベルに応じた教えを説くねん。普通、グルは無知な輩には、「あらゆるもんが意識に溶け込む」いう消滅とか死について語んねん。意識以前の原理について喋らんのは、皆が理解するとは限らんからや。

訪問者:太陽が沈んだ後に、ジュニャーニには別の暁があるんか?ジュニャーニは別の意識もたらせれんのか?

ニサルガダッタ:このジュニャーニ原理には日の出も日の入りもあらへん。ジュニャーニはお前さんの言葉で縛れへんねん。ジュニャーニが絶対なるもんや。

訪問者:意識なしで気づきってあるんかいな?

ニサルガダッタ:絶対なるもん、気づきであるもんは、意識をサポートしとる原理や。

訪問者:せやけど何の気づきなん?気づく対象あらへん気づきなんてあるんかいな?

ニサルガダッタ:パラブラフマン境地には、認識いう性質存在せえへんし、現象意識みたいな装飾とか飾りつけもあらへん。パラブラフマン境地は、自身が存在すること知らんし、この現れもあらへん。世界と宇宙が崩壊しても、絶対なるもんは影響受けんと在り続けんねん。その原理が今、意識の助け借りて話しとんねん。意識圏内では、この現れが絶えず続いとるんや。

訪問者:ワイはよう島で暮らして海見とった。波が絶えず現れては消えてとって、「これは観念や」っちゅーこと悟ってん。「波の戯れと、ワイがこの世に見とるもんには何の違いもあらへん」いうて悟ってん。「ワイの個性はただの一瞬の煌きや」てな。せやけどワイの悟りは、体験の描写だけにとどまっとんねん。

ニサルガダッタ:絶対なるもんは現れとる意識を超えたもんや。それはダイナミックな生命力の戯れ、知識の大洋の戯れや。

訪問者:その原理って波がまだ残っとるあいだは存在せえへんのか?

ニサルガダッタ:絶対なるもんはこの大洋意識原理とは何の繋がりもあらへん。せやけど、絶対なるもんなしには存在できへんねん。絶対なるもんがその原理のサポーターや。