悟りへの道標(悟った人の言葉を紹介していきます)

現在は主にニサルガダッタ・マハラジ(1897~1981)の言葉がメインです。みんなで悟りましょうヽ(=´▽`=)ノ

1979年9月17日「お前さんはもうとっくに、体と心から離れとるんやで」

2016-09-20 03:01:46 | ニサルガダッタ・マハラジ
1979年9月17日

訪問者:西洋神学には有名な犠牲の法則あんねん。それには2つの恩恵あってな。いっこは、悪い習慣犠牲にしたら、再発が絶たれるだけやなくて、意志力も増大すんねん。もういっこは、何か欲しいもんできたら、絶対与えられんねん。この法則ってマハラジとも合うとるんか?

ニサルガダッタ:100%正解や。意志力育つし、欲しいもん与えられるやろ。犠牲いうんは、自分自身を手放して寄付することや。もっと高尚な表現やったら放棄言われとるもんや。

訪問者:この目的達成すんのに初めに放棄したらええもん勧めてくれんか?

ニサルガダッタ:ここに来るからには、ワイはお前さんのこと普通の人間や思っとらん。ここ来る前にもう十分学んできとる思っとんねん。せやから、あからさまにこれ捨てぇあれ捨てぇとは言わん。なんでやゆーたら、お前さんのスタンダードはめっちゃ高い、そんなもんよりもっとめっちゃ高いて信じとるからや。お前さんは普通の探求者やないねん。お前さんは賢い頭もっとる。せやからこういうふうに話すねんで。

訪問者:そういう類の自信持っとったら、そのスタンダードに沿うん難かしなんで。

ニサルガダッタ:特定のスタンダード維持せいゆーて頼んどるんやない。ただ在るもんを見いゆーて頼んどんねん。

訪問者:欲しいもん手に入れるん助けてくれよる犠牲、その犠牲についての質問に関連してやけど、欲求それ自体は習慣ちゃうやんな?欲求は無知から生じるもんちゃうやんな?

ニサルガダッタ:雨滴が落ちる。雨は落ちー風は吹くーいうんが、雨風の本質ちゃうんか?何や欲するいうんは、身心とのアイデンティティーがあるうちは自然や。せやけどいっかい超えたら、何の欲もあらへん。

訪問者:「身心から離れたら離れただけ欲減って、要るもん簡単に満たされる」っちゅーのが、ワイの体験や。

ニサルガダッタ:「ワイは離れつつあるわ」いうて思うことも正しいもんちゃう。もうとっくに離れとるからや。自我が完全に溶けてなくなったらな、お前さんぎょうさんの体使うねん。

訪問者:知ってか知らずか?

ニサルガダッタ:すべては現れや。個性なんか何もあらへん。すべてに遍満しとんねん。知ってする必要あらへん。

訪問者:単純に起きとるだけなんか?知ってか知らずかいう問題あらへんのか?

ニサルガダッタ:せや。なんでこういう諍い通常運行なんや?なんでワイらに争いあるんや?皆ここに、何や深っかい霊的観念抱えて来とんねん。自分は霊的知識持っとる思て、ワイからはっきりした証明ほしいねん。「せや、お前さんはほんまよう知っとる」ゆーな。こんなんせえへんで。ワイはそういう輩の観念ぶっ飛ばすねん。せやからVSや。こうやって不和が始まんねん。

訪問者:せや、ワイはこのVSんためにここ来とるんや。せやのに心は、観念抱いとるもんは恐れとる。意志の力だけがワイ支えとんねん。

ニサルガダッタ:誰がその意志力認識しとるんや?

訪問者:認識するもんのこと聞きたいんやったら、心はいつでも答え出せる、心はいつでも観念出せる能力あんねんけど、ワイは今それをあるがままに、最大限努力して見とんねん。

ニサルガダッタ:それはOKや。ワイはお前さんが心意識と同一化しとること知っとる。わかっとんねんで。

訪問者:ワイも知っとる。

ニサルガダッタ:その”ワイ”を知ろうとせえ。

訪問者:おう。ここに行こゆーて初めて自覚したとき、心めっちゃ興奮しとったわ。ぎょうさんの質問と、「マハラジと一緒におるいうんは、どないな感じなんやろ?」いう考えのせいでや。せやけど、それが心のゲームってこと、めっちゃはっきりわかっとった。せやからワイにとってここに毎朝来んのは、ワイ個人にとっては心のゲームやいうことわかっとんねん。ワイには、それがVSに入らんとあかんねん。

ニサルガダッタ:心の性質理解してんから、平和達成したんか?

訪問者:瞬間はあるけど、その後また心うろつくねん。

ニサルガダッタ:自分は心ちゃうことわかっとるやん。お前さんがここ来たときに、心のゲーム見る境地に到達しとったんか?それか、それより前か?

訪問者:前や。それは成長の一部やってん。10年前に何か起こってん。言うとることからしたら、お前さんがサット・グル呼んどるもんが、この名前付けられへんもんや思うわ。ワイは10年間、そのコールに従ってきてん。その内側にあるもんと、マハラジと一緒におることで経験しとるもんには、何の違いもあらへん。テクニックの点で疑問あるんや。目え瞑って”我在り”に留まったら、初めは暗闇見えるやん。その薄明りは明澄さに変わって、無限になるいうて知られとる。どないしたらそれ達成できるんや?

ニサルガダッタ:なんでそれ変えたいん?

訪問者:闇を光に変えんのを、闇に気づいとる者ができるんやったら、なんで闇ん中でぐずついとんのや?なんで光楽しまんのや?

ニサルガダッタ:闇を光に変えるお前さんて誰や?その闇ん中にいろんなの光の明かりが注がれとる。それ闇ちゃうねん。甘露の淵や。そん中潜り。あとは任せえ。

訪問者:”我在り”いう状態には、もういっこ問題出てくんねん。初めのうちその状態は、頭そのものん中に収まっとるように感じられんねん。その後ものごっつい力に発達すんねん。その解放は実際そう、部屋を満たす意識の溢れ出す奔流や。これって適っとる?

ニサルガダッタ:身体意識持たんと喋り。お前さんが言うた、自然に部屋に溢れる意識は、部屋と宇宙を完全に占めとんねん。意識に定着する過程で、意識は宇宙に広がんねん。完全に広がったら、ブラフマ穴、ブラフマ・ランドラに落ち着くねん。

訪問者:シャクティ、クンダリニー・ヨーガの生徒ぎょうさんおるやん。他の人らが言っとるように、ジュニャーニが自分の修行を通して、自分の”在る”を通してクンダリニー覚醒させんのって必須なん?

ニサルガダッタ:ジュニャーニはクンダリニーになんかまったく興味あらへん。お前さんが生まれる前、クンダリニーどこおってん?このクンダリニーいうもんはお前さんが知覚しとるだけのもん、お前さんが見とるだけのもんや。皆いろんな名前で呼んどんねん。そんだけや。

訪問者:せやけどヨーギん中には、7つのチャクラ通り抜けて脊柱に沿って走るいわれとる力に集中しとる者もおるで。

ニサルガダッタ:お前さんの言っとることは正解や。せやけどそれは、お前さんの誕生以前にはあらへんかったもんや。ただの思考や。

訪問者:せやったらそういう人ら皆、惑わされてクンダリニー・ヨーガの研究続けとんのか?

ニサルガダッタ:誰でも修行したいもん何でもできんねん。せやけどそれ何や?ゼロ、無や。

訪問者:言うとることからしたら、これぜんぶ意識ん中のゲームみたいなもんで、意識との自己同一化を選んだら無限のゲームプレイできるってことや。

ニサルガダッタ:人は何選んでも何好んでも、その仕事や娯楽に従事するよう誘われんねん。

訪問者:ワイらのやっとることは、プレイするほんまのゲーム見つけよいうて頑張っとんねんけど、相変わらずそれは意識ん中の1ゲームにすぎへんねん。

ニサルガダッタ:プレイしとんのお前さんやあらへんで。お前さんは見とんねん。

訪問者:ワイを意識ん中でプレイさせ続けとんのは、何も起こらんいう恐れやっちゅーことわかってん。意識から自分が解放されたみたいになったとき、それでも物事は起こんねんけど、それはワイの欲から生じたもんちゃうねん。宇宙が起こさせとんねん。

ニサルガダッタ:それ見とるとき、お前さんは意識ん中おるんか?

訪問者:たぶんそっから出とる思うわ。夢をいっこの夢として見とる。

ニサルガダッタ:お前さんには、自分がその中にいんのか外にいんのかわからへんねん。ただ単純に見とるんや。

訪問者:体と繋がっとるうちは、観照者は何とかしてそのまま夢ん中おる思うねん。

ニサルガダッタ:せや、観照者が目え覚めてへんねん。それ夢や。

訪問者:夢見と目覚めの間の時間みたいなもんや。そん時人は、突然自分が夢見とること気づくねん。その夢ん中で目え覚めた人の連続性は壊れてへん。ワイは夢ん中で目え覚めとんねん。

ニサルガダッタ:その夢がお前さん自身や。お前さんが見るもんみんな、夢やあらへん。それが、お前さんである”自分”や。すべてを見とる意識は、夢それ自体を通して見とんねん。

訪問者:精神が不安定なときマントラって助けなるんか?

ニサルガダッタ:なる。マントラは揺れ動く心を止めるためだけのもんや。

1979年9月16日「『我在り』いう知識が現れる前、それがパラブラフマンや」

2016-09-18 20:55:48 | ニサルガダッタ・マハラジ
1979年9月16日

ニサルガダッタ:ヴィシュヌの炎は永遠に燦然と輝くもんとされとる。その炎がこの体に入ったいうことは、性質が変化したいうことちゃうねん。動物に入っても人間に入っても元の性質は失われとらん。お前さんが「ワイがおるんや」言うて、それを自分自身として主張しとっても、変わらんと1つや。意識の帝国はお前さんのもんや。それ悟ったら、自分が一人の人やないてわかるわ。

訪問者:マハラジは、「世界は意識を通って出てきてん。その意識が”我在り”や。その裏にあんのが気づきや。せやけどそこには、”自”意識はあらへん」言うとった。気づきいう言葉で暗示されとるんは、この存在や。存在はさらに所有権を暗示しとる。それは「存在って誰のもんなんや?」っちゅーこと意味しとる。そしたら”自分”いう感覚に戻ってくんねん。

ニサルガダッタ:お前さんの目覚めの状態を理解して知っとんのは誰や?

訪問者:その”ワイがおる”や。

ニサルガダッタ:目覚めの状態が”ワイがおる”や。せやけど、誰がその”ワイがおる”見とん?目覚めの状態以前に、お前さんおらんかったんか?

訪問者:気づき、”在る”いう感覚には基点があんねん。そんでその基点は、自身を”在る”とか”ワイ”ゆーて感じるところにいつでも戻ってこなあかんねん。

ニサルガダッタ:気づきの感覚の裏に所有者なんかおらんで。

訪問者:なんでそのこと知ってるん?

ニサルガダッタ:それはただ在んねん。描写超えとるから、言葉は何の役にもたたん。それが不滅の境地や。この現象はその動きにすぎへんもんや。誰もパラブラフマンにならんし、誰もパラブラフマンになれん。それは在んねん。”ワイがおる”いう知識がお前さんに現れる前、それがパラブラフマンや。

訪問者:”ワイがおる”が自我と心と同じもんやっちゅーことは理解できんねん。でも神は自分で自己紹介しとって、「ワイはーワイで在るもんで在るやでー」が真理や言うとったで。そこには2つの”在る”が入っとんねん。

ニサルガダッタ:1この”ワイ”は土台、もう1こは動宇宙や。

訪問者:後ろ下がって”ワイがおる”から抜け出しても、やっぱり”ワイ”いう感覚そのままやねん。

ニサルガダッタ:ちゃんと戻れば”ワイがおる”いう意識は消えるんや。そこに動きなんかあらへん。

訪問者:グルって太陽にたとえられてきてん。グルから光放射されとるけど、その光に向き直って進むんは探求者の責務や。

ニサルガダッタ:グルいうんは、遍満しとる最も純粋な意識のことやで。

訪問者:せやけど本には「サーダカが師を探しとる」っちゅーシチュエーション描かれとって、「グルはもっと熱心で、サーダカの発見をもっと切望しとる」らしいで。

ニサルガダッタ:ここにどんな本も一切持ち出しなや。直接尋ねえ。グルいう言葉も使いなや。最も純粋な意識、そんだけや。

訪問者:この最も純粋な意識の前に留まっとる探求者がおんねん。「純粋意識は自身を、個人的にも非個人的にも現す」らしいわ。そんときグルは、サーダカを光に向けるよりも、サーダカに個人的な関心もっとるんか?

ニサルガダッタ:真の探求者いうんは、自己オンリーの知識の獲得望んどる者のことや。残りの望みはお前さんに、サーダカやなくてジーヴァ呼ばれる権利くれるわ。こんなんお前さんの知性が凧揚げしとるだけやで。

訪問者:それって「純粋意識の前におるサーダカは、純粋意識がサーダカを愛するよりも、純粋意識を愛しとる」っちゅー意味か?

ニサルガダッタ:それは2つやあらへん。1つや。何の違いもあらへん。

訪問者:それは絶対なるもんの次元のもんや。

ニサルガダッタ:その愛の流れ感じるんやったら、その流れがお前さん自身の純粋意識やねん。
「ワイは誰々を愛しとる」とか「ワイはグルを愛しとる」とか「グルはワイを愛してるはずや」って思いなや。知りたいと思っとるんは、愛と一緒に流れとるんは、お前さん自身の自己や。その愛が、自己を愛する自己や。

訪問者:せやけどこれ悟るん助けてくれるために、純粋意識から絶えず生じとるもんがあるっちゅーことは、ほんまなんか?

ニサルガダッタ:グルの記憶が浮かぶんは、純粋意識全体が1つになりたいと願っとる者らだけや。

訪問者:ワイらは、「純粋な心は、自己実現を達成する必要条件の1つや」って信じさせられとる。
”純粋”やったら、心の内側の幸先良い想念理解するんか?それか、その内容に関係あらへんとどんな想念でも理解すんのか?

ニサルガダッタ:完全に心投げ捨てえ。そんなもん身心意識の指標にすぎへんもんや。お前さんには、形も名前もあらへんねん。川から水生じたら、性質変わったか?水の容れもんはただの想像や。水は1つや。すべての偉大な化身たちを通して、誰が現れとるんや?ロバとかブタを通して、誰が同いで現れとるんや?あらゆるもんはみんな、意識オンリーや。

1979年9月14日「お前さんはもうとっくに究極なるもんや。何かであろうとしなや」

2016-09-18 06:28:27 | ニサルガダッタ・マハラジ
1979年9月14日

訪問者:瞑想中静寂に達したとき、「ワイって何者や?」て聞いたら、もっと深い静寂が訪れんねん。そこでは「自分」いう観念は起きへん。これがその境地なんか?せやったら、自己悟る前に垣間見ることってあるんか?

ニサルガダッタ:こういう体験は、お前さんの誕生境地内のもんや。

訪問者:ワイが言っとる境地は、誕生が忘れられとる境地や。名前と形も忘れられとんねん。

ニサルガダッタ:三昧とか瞑想についてお前さんが説明したもんは、正解や。せやけどやっぱり、身心から生まれた想像の産物や。その静寂もやけど、お前さんが瞑想中にどんな体験しとっても、意識内に限定されとるもんや。意識は生まれて、消えんねん。意識より前に、お前さんはおるんやで。

訪問者:「自己は自ら輝いとる」とか「自己は光や」、それに「自己の光が反映されて、意識は現れる」とも言われとる。マハラジが仄めかしとる境地は、その光追い求めれば発見できるんか?

ニサルガダッタ:お前さんの前に現象化されたもんは、ぜーんぶ意識から生まれたもんや。

訪問者:自己そのものと等しい自明灯のこと、ワイは話しとんねん。真理の探求者やったら、その光見つけたら真理見つかるんか?

ニサルガダッタ:真の気づきがあんねん。そっから意識は生まれとる。そんでその意識が、お前さんの"我在り”いう感覚やねん。自分の意識と1つになり。それがお前さんにできる全てや。そしたら、終の境地がお前さんに現れるはずや。お前さんにできんのは、起こっとるもんを見ることだけや。それゲットすんのにできることなんか、なーんもあらへんねん。

訪問者:マハラジの気づきを抑制せんと要になっとる自明灯が、マハラジの気づきの中にはあるんか?

通訳:前にそれマハラジ認めとったで。そういうもんは唯の名前や。お前さんはそれ、真の気づき、終の境地、自明灯いうて呼べんねん。せやけど、意味は同じや。

訪問者:それって文字通りちゃうやんな?

通訳:文字通りちゃう。

訪問者:多くのアドヴァイタ・ヴェーダンタの宗教本には、「自己に気づくとき、浸透する輝きがあるんや。世界やマーヤに含まれとるその輝きは、原初の輝きの反映やねん」いう見解記されとる。それって文字通りちゃうん?

ニッサルガダッタ:マーヤは、描写不可能な一なるもんの現れや。意識は、このすべてを通して自身を表しとんねん。そんでお前さんは、その意識の前におんねん。意識がこの現象世界の本質や。そんでお前さん、絶対なるもんが、意識の本質や。
お前さんがどんなもん読んどっても、それは作者の観念にすぎへんもんや。そういうもんってお前さんの個人的な知識と合うてるんか?

訪問者:いーや。こういうもんは”我在り”いう感覚手に入れるためのガイドラインや。「すべてのグルは1つや」とも言うてんで。

ニサルガダッタ:グルは、”我在り”いう同一遍満意識や。サット・グルは、”我在り”いう一等観念も含めたこういう観念ぜーんぶ超えとんねん。

訪問者:この超越って、一歩一歩段階踏んでされるもんなん?それか、瞬時に起きるん?

ニサルガダッタ:お前さんは「体が生まれときに、子供は生まれんねん」て言うとんねん。その体できんのに9ヶ月かからんかったか?その9ヶ月勘定に入れるんやったら、ステップバイステップや。せやなかったら、誕生それ自体がビックラポンや。

訪問者:ええやろ。妊娠期間があんねんな。それって事実を正確に類推したもんなん?

ニサルガダッタ:9ヶ月のやつさえ不正確な類推あんで。その妊娠期間以前に、お前さんはおんねん。ぜーんぶマーヤや。誰も生まれてへんし、誰も死なへん。それ歪みや。

訪問者:それほんまや。せやけどワイらん中には、他の人らより歪んどる者もおる。問題は、いかにして歪みを少なくするかっちゅーことや。

ニサルガダッタ:また元のポジション戻り。せなあかんことなんか何もあらへん。自分の”在る”ん中いとけば、起きる定めのもんは起きんねん。真理に到達することを深く切望せなあかん。理解を激しく要求せなあかんねん。グルはそんな人に訪れて、殻破ってくれんねん。

訪問者:せやな。せやけど他に、「無欲でおらなあかん」いう指示あんで。切望も欲や。

ニサルガダッタ:そんときには必要なもんや。無欲になるっちゅーんは最後の欲やさかい、ないとあかんねん。

訪問者:この切望はどうやって自分自身現したんや?

ニサルガダッタ:お前さんは「お前さん目え覚めとるで」て教えられなあかんのか?

訪問者:たまにあるわ。

ニサルガダッタ:お前さんそれわかっとるやん。

訪問者:えーっと、たまにサーダカは頭どつかれなあかんねん。

ニサルガダッタ:せやな。お前さんの”在る”は、お前さんに所有権あんねん。それは人生ん中でいっちゃん重要な資産であり、せなあかんこと何でもしてくれんねん。お前さんが生まれる前の、お前さんの境地は、体が死んだ後もお前さんのもんで、それがお前さんの永久資産や。お前さんの"我在り”は、お前さんの究極資産に費やされんねん。

別の訪問者:質問ー。ワイの両親とグルがただの観念やっちゅーことわかったら悲しくなんねんけど、何でなん?めっちゃ愛しとるから、その人らを観念いうて見なしたら苦しみ起きんねん。

ニサルガダッタ:「自分は生まれた」いう観念以外、どんな他の観念もあらへん。すべての親とグルの根底には、原初の幻あるんや。

訪問者:嫌っとるもんは簡単にいくねんけど、好いとるもんはそうはいかん。それが苦しみもたらすねん。

ニサルガダッタ:せなあかんもんがされとらんくて、したあかんもんがされとんねん。せやから、こういう苦しみあるんや。体に愛縛っとったらあかんで。体との自己同一化の感覚克服せえ。グルへの愛は、二元性の感覚あらへん愛や。

訪問者:自己悟った人はこんな少なく、悟りたい願っとるサーダカはこんな多い。なんで成功掴んだ人こんな少ないんや?

ニサルガダッタ:すべては自然や。この現象には何の原因もあらへん。せやから、「なんでほとんどシッダにならんのか?」いう質問に、原因として指摘できるもんは何もあらへん。この質問は回答不可能や。
身心に条件付けされとらん愛であろうとしてみ。お前さんがその愛やったら、それはトータルで完全な愛や。せやけどそれがお前さんの身心から生じとるもんやったら、それがおまえさんの不幸の根元や。
肉体愛から解放されて初めて、無執着は起こんねん。身心の境地から解放されて、愛の境地ん中におり。そしたら、それがあらゆる至福の源泉になんねん。

訪問者:ときどき霊的感応が、静寂ん中におるサット・グルとの至高の感応がある気がすんねん。

ニサルガダッタ:それはええセンスや。せやけど、私的なもんや。

訪問者:敬愛するもんに没入するまでは、あるいは個人的なもんかもしれん。せやけどそうなったら、非個人的になるやろ。

ニサルガダッタ:今朝、ワイらが礼拝しとったの見とったか?

訪問者:おう、見とったで。

ニサルガダッタ:暗い闇もないしー日の光もないしー深い眠りもないしー目覚めもないしー飢えもないしー渇きもないー。これがその境地や。せやけど、これはワイの表現や。お前さんは、「自分はそん中にいてる」いうて感じとるけど、ワイは、「ワイはそん中におらん」て感じとる。ワイは礼拝してバジャンすんねんけど、そん中にはおらんねん。ワイの真の境地はそれ超えとるんや。

訪問者:「自己が自己を礼拝しとる」て感じたわ。

ニサルガダッタ:なんて呼ぼうが構わんけど、やっぱり観念や。お前さんがどんな観念発しても、それがお前さんの未来形作んねん。せやから、どんな観念も持たんとき。お前さんはもう既に究極なるもんや。何かであろうとしなや。

訪問者:この相対的存在の現実面にはどう対処したらええんや?詳しく言うと、ワイらが生きとる労働、達成、ゴール志向の社会と、ワイらの家族のことや。こういうもんにはどうしたらええんや?

ニサルガダッタ:この世の現れは、五大元素意識から出てきたもんや。その意識には、この現象世界の面倒見なあかん責任あんねん。世界はお前さんの意識の現れや。せやけど、お前さんは意識やあらへん。この原理理解して、自分の好き人生送り。

1979年9月11日「一切が”我在り”の現れや。”我在り”よりも前に、お前さんはおる」

2016-09-17 03:44:54 | ニサルガダッタ・マハラジ
1979年9月11日

ニサルガダッタ:人は自分自身に、罪と徳についての観念負っとんねん。あらゆる種類の観念で、自分で自分縛っとる。
意識は、個人が抱く観念に従って無限の現象体をとんねん。ワイがやろうとしとることは、その観念正すことや。

訪問者:来世の原因って何なん?

ニサルガダッタ:いっかいこの”在る”とか”我識り”が消えて遍在意識に溶けたら、何を来世の種言うんや?

訪問者:生まれ変わりの原因って欲望ちゃうん?

ニサルガダッタ:欲望とか愛情とかが、空気呼ばれとるもんと融合されてへんかったら、そういう意味で遍在ちゃうやろ?どこに個人おるんや?生まれ変わりの種はどこにあるんや?成分調べよったら、凝固した水やで。せやから、お前さん生まれ変わりの話しよるけど、何が生まれ変わるっちゅーんや?この金属見てみい…これ水か?突き詰めたら水でできとるもんでも、お前さんは水呼ばんやろ。せやから、自分自身について知りたいんやったら、ちゃんと識別せなあかん。自分の正体ちゃんと見つけ。なんで来世の心配するんや?今、自分の正体見つけ。関係ないもんみんなのけとき。
この創造物ぜんぶ、空間よりも微細な原理から生じとるんや。その古っるい原理自体が、多様な形に生まれとんねん。これが誕生や…他の転生なんかあらへんねん。
お前さんは、何や自分好みの知識欲しゅうてここ来とんねん。ワイはそんなもんやらん…事実に基づく知識を、お前さんの前に並べるつもりや。お前さんは、ちょうど子供の頃から、いろんなステージに到達してきて、そのすべてが消えてなくなっとる。どんなもん獲得しとっても、ぜんぶ消えんねん。せやったら、自分自身として何にしがみつくつもりや?
あるがままの自分になりたいんやったら、それは無料で有り余るほどあって、何の困難もなしに利用可能や…せやけど、あるがままの自分以外のもんになりたいんやったら、難いで。

訪問者:せやけど、生まれ変わりについて読んだり聞いたりすんで。

ニサルガダッタ:死と生まれ変わり経験したことあるんか?そういうのは他人の考えや。自分の力で自分の正体見つけ…他人の答え受け入れたらあかんで。お前さんは自力で考えれるんや。よお考えて、自分の正体見つけ。今お前さんは現象知識や。お前さんがそれ吸収しようとすれば、それそのものがお前さんにあらゆる知識くれるわ。せやけど、そこだけに住まんとあかんねんで。

訪問者:”我在り”って何意味してるん?

ニサルガダッタ:目覚め、夢見、眠りの3つの状態があること意味しとる。”我在り”は、お前さんがこの3つの状態やっちゅーこと意味しとんねん。この3つの状態がなくなったら、記憶もなくなんねん。せやったら、生まれ変わりいう問題どこにある?
体は死んだら分解されて、ぎょうさんの虫が形成されんねん。形成されるんは、五大元素のエキスが存在しとって、そっから生命が生まれるからや。生命はどない示されとるんや?森羅万象、全宇宙は、食物体を通して表されとるこの生命力で満ちとんねん。
せやから”我在り”、虫とか動物とかいろんなもんの生命力は既に存在しとるもんや。その表現だけが、この物体である食物体を通して得られんねん。
この”我在り”いう一等観念が現れたとき、二元性は始まんねん。ワイはこのカウント始まる前に、ワイ自身でカウントスタートしたんや。それには数あらへん。それが絶対なるもんや。”我在り”いう小っさい動きで、このカウントスタートしたんや。

訪問者:知的には完璧理解しとる。せやけど、それどうやったら悟れるん?

ニサルガダッタ:その知性、誰が理解しとんのや?ソイツは何使って理解しとんのや?

訪問者:ワイらは、完全に覚めとる状態に、超越意識いうて呼んどるもんに入らなあかんねん。その超越意識に、覚めたまま入ることってできるんか?それか入るためには、超越意識縛っておかなあかんのか?

ニサルガダッタ:ワイは自然に眠りに落ちんねん。眠る技学んだわけちゃう。同じで、この意識は無意識ん中に落ちんねん。

訪問者:努力せなあかんのか?これって、恩寵で超越意識に入るっちゅー技なんか?

ニサルガダッタ:お前さんはこの体の形ゲットすんのに努力したんか?自動的に、自然に現れとんねん。これも同じで自然なもんや。せやのにお前さんは絶対者状態に入るために、在るために、何や特別な技術を使いたい、努力したいねん。

訪問者:正しい瞑想って何なん?

ニサルガダッタ:お前さん自身の自己を熟考するとき、それが正しい瞑想や。熟考するときには、何の観念もイメージあったらあかんで。ブラフマンに観念あらへんねん。

訪問者:ワイの心をうろつくままにさせようとしとると、ゆっくり、ちょっとの間安定するようになんねん。想念見れるときもあるわ。せやけど、”我在り”には到達してへんねん。

ニサルガダッタ:お前さんが見なあかんもんは想念やなくて、”我在り”いう意識や。すべてが、”我在り”の現れや。せやけど、お前さんはそれやないねん。お前さんは”我在り”よりも前におんねん。

訪問者:”我在り”は、このカオスな世界ぜんぶを意味しとる…せやさかいどんなときに、ワイは”我在り”をただ見とるポジションにおるんや?

ニサルガダッタ:アルジュナに習い。戦場よりカオスな状況ってあるか?線上のど真ん中で、アルジュナは究極の理解に達してん。

訪問者:ワイらは、内でも外でもただ静かに耐えて、カオスな状況をカオスいうて名づけんと見んとあかんねん。カオス超えて、自分の知識もたんと自分の内に新秩序もたらすことってできるんか?

ニサルガダッタ:できる。お前さんが意識から離れたら、平和だけがあんねん。お前さん自身の観念とか知性から計画しようとしとるもんは、ぜんぶ役に立たん。永遠なるもんの周りには、”我在り”の香りあらへん。ソイツは自分が在ること知らんのや。

訪問者:ただ自分の内側に集中するプロセスを促進させるためやけど、霊的に感化されるように交感型のちょっとした助け欲しいわ。

ニサルガダッタ:もう既に起こってるやん。せやなかったら、お前さん去ってるやろ。なんでみんな、ぎょうさん金遣ってごっつ遠くまで旅してここ来とるんや?なんでここ座るんや?ここに何や綺麗な見せもんでもあるんか?ここに来んのは、絶対なるもんが開いとるときや。それは知らん間に開いとんねん…知っとって起きるもんは続かへん。それは知らん間に、自然に開いとるし、お前さんには理解できへんもんや。お前さんが理解するもんみーんな残らへんねん。子供の頃、自分が姿や形とって、後にこんな段階経験するなんてわかっとったか?すべては自然に起こんねん。

訪問者:瞑想中に見えとる紫色の光って、何意味してるん?

ニサルガダッタ:こういうもんはぜんぶ、お前さん自身の光源から創られたイメージや。その光はクリシュナはん、キリスト、ラーマとかの形とるかもしれんけど、それは自己の光、お前さんの創造物や。

訪問者:それにはなんの特別な目的もあらへんの?

ニサルガダッタ:お前さんが、お前さん自身の光を見とんねん。あらゆる聖典は、その原理を讃えるために歌われとんねん。せやけどお前さん、絶対者はその原理やないねん。それがめっちゃ重要ステップなんは、疑う余地あらへん…あの原理は偉大や。せやけど、ワイ、絶対なるもんは、それやあらへん。

1979年9月10日「お前さんの”在る”いう知識に落ち着いたら、他の知識みーんな手に入んで」

2016-09-16 04:14:54 | ニサルガダッタ・マハラジ
1979年9月10日

訪問者:なんでマハラジはワイらに、粗大な形態にケチつけぇ言うんや?

ニサルガダッタ:ケチつけてへん。汚物も体も、あらゆるもんはワイそのものや。せやけど、変形プロセスは絶えず続いとんねん。粗大な形態は、また空間なって、サイクルは続くんや。

訪問者:なんでワイらがそのサイクルの加速気にしなあかんねや?

ニサルガダッタ:誰が加速させとるんや?

訪問者:ワイらみんなやっとる。

ニサルガダッタ:お前さん、自分をつま先から頭のてっぺんまでて認識しとるから言うけど、誰がお前さんに心配せえ言うたんや?

訪問者:2つあんねん…世界と、ワイの苦しみや。

ニサルガダッタ:これが体との自己同一化の座や。

訪問者:ワイの周りのもんぜんぶ無視したらええんか?

ニサルガダッタ:お前さんの理解と同化がその一定レベルに達したら、それ体験して楽しむねん。せやけどいっかいそれ超えたら、ウンコみたいに排泄するわ。ワイはブラフマ神の性質理解したさかい、ブラフマ神になってん。せやけどブラフマ神の性質よりもええもんあったら、捨ててそっち手にすんねん…
こういうもんは、いろんな価値を表す目印とか水準や。
ワイにとっては、問題になる変化なんかまったくあらへん。ワイはダイナミックでもあり、無尽蔵そのものや。流れはあんねんけど、ワイには使い尽くせへん。この世のすべてのもんがワイに溶けて、静まり、休むねん。
グルたちがめちゃめちゃ大切、めちゃめちゃ重要なんは、疑いようもあらへん。せやけど、最後にはソイツらも空間に溶けんねん。お前さんが抱きついて執着しとるもんぜんぶ、消えていくもんや。みーんな捨てて、「自分は何か」理解せえ。

訪問者:質問ありまーす。昨日マハラジは、「”自分は何か”悟りたかったら、”自”意識をただ抱きしめなあかん。」言うとった。それって、弟子とグルの関係と似たようなもんか、同じもんなん?

ニサルガダッタ:お前さんがその知識と1つなったら、”我在り”いう知識が宇宙の真のグルやっちゅーこと悟るやろ。

訪問者:ワイが聞いたんは、マハラジに愛情と尊敬感じとるからや。マハラジもめっちゃシンプルですっきりした態度で応えてくれとるて感じとんねん。ワイが”自”意識抱きしめ始めんの、マハラジに助けてもらわなあかんかってん。ワイにはマハラジの智慧が必要やってん。マハラジへの思いはおっきなっとる。ワイは、グルと弟子の関係理解せなあかん。

ニサルガダッタ:知られる物はぜんぶ、まさにその物自体に含まれとんねん。お前さんが言うたことは正解やで。

訪問者:前ここに来て以来、マハラジの姿と、マハラジが語ったことぜんぶ、四六時中浮かんでくんねん。せやけどマハラジが、「お前さんは観念から離れなあかん。それが神であってもや。」て言うたことも覚えとる。

ニサルガダッタ:お前さんの言うとることベリーグッドや。グルいうもんは、お前さんもそのうちなる、知識の権化や。

訪問者:マハラジの言葉受け入れるわ。ワイは行為したらええんか、それとも物事をただ去来させたらええんか?

ニサルガダッタ:為されなあかんもんなんか何もあらへん。流れさせえ。ただ見い。それに何もしなや。太陽は輝いとるし、光は届くところに届くねん。砂糖でできた人形がある。その人形は砂糖オンリーや。同じで、お前さんがグルの姿見るとき、それは知識オンリー、お前さんの意識表しとんねん。その姿は、グルとかクリシュナはんとかキリストとか何かのもんかもしれん…それはお前さんである、知識の権化やねんで。

訪問者:このプロセスで、個人的なもんも宇宙的なもんも、あらゆるタイプの知識、あらゆるタイプの観念が、頼まれもせえへんのにワイの心にやって来んねん。それが流れよったら人に影響するみたいで、関係が変わんねん。この世の出来事にどう対処したらええんか、ワイは完全にわかってへん。

ニサルガダッタ:いっこの人格、幻として行為すんのは、正解やあらへん。お前さんを通してどんな行為が起きても、いっこの人格として携わらんのが、適切で自然な行為っちゅーもんや。

訪問者:ワイが昔旅とか探求しとったとき、いろんな種類のグルたちに出会ったわ。ソイツら、マントラ・ヨーガとかクンダリニー・ヨーガとか教えとった。その根っこにある事実ってなんなん?探求者は、クンダリニーとかチャクラの覚醒のこと知っとらなあかんの?

ニサルガダッタ:自分の”在る”いう知識に落ち着けば、ほかの知識ぜんぶ手に入んで。

訪問者:どこに行っても、このクンダリニー知識がワイについてくるみたいやねん。放ったらええんか見たらええんか、知りたいねん。

ニサルガダッタ:放り。せやけど、自分の”在る”に、お前さん自身の自己にしがみつき。お前さんの”在る”以外、一切受け入れなや。自己知識だけが純粋な知識やねん。

訪問者:ある本でガーヤトリー・マントラ見つけてん…かなり好きで、かなり使えるわ。

ニサルガダッタ:”我在り”いう知識以外は、何も使いなや。他のもんみんな忘れえ。ぎょうさん枝と葉っぱついとる立派な木のこと考え。その根っこに行き。枝やなくてな。

訪問者:なんでグルっていつも、弟子となんかイニシエーションとっとるん?

ニサルガダッタ:それがソイツらの自然な姿や。結婚したら子供が増える…それが夫婦愛の自然な形や。グルと弟子のイニシエーションは、自然なプロセスやねん。

訪問者:ここにイニシエーションってあるん?

ニサルガダッタ:おぉあんで。お前さんはある文もらうねん。そんで気をつけて、その聖なる言葉の意味するもんとして留まるよう言われんねん。

訪問者:そのポジション着くには、どういうふうにしとけばええんや?どうすればええんや?

ニサルガダッタ:聖なる文の意味するもんが自分の自己やっちゅー確信を固く持っとけばええねん。気をつけな、お前さんの注意があらなあかんねんで。

訪問者:イニシエーションお願いすんのって間違いなんか?

ニサルガダッタ:間違いいう問題あらへん。求めれば、与えられんねん。ほんま言うと、それは形式的なイニシエーションや。せやけど、この会話ぜんぶが、イニシエーションの過程に他ならへんねん。

訪問者:それ気づいとるわ。せやけど、形式的なイニシエーションほしいねん。

ニサルガダッタ:叶えられるやろ。せやけどこれと一緒に、形式的なイニシエーション以上のもんもらえんで。その要諦は、「お前さんは、そのように”在”らんとあかん」いうことや。その言葉の意味に注意向けなあかんで。「お前さんはこれ以外の他の何もんでもあらへん」っちゅーな。