悟りへの道標(悟った人の言葉を紹介していきます)

現在は主にニサルガダッタ・マハラジ(1897~1981)の言葉がメインです。みんなで悟りましょうヽ(=´▽`=)ノ

自分を行為者や思てるヤツは、心の奴隷や(1979年8月13日)

2016-09-05 16:42:02 | ニサルガダッタ・マハラジ
1979年8月13日

訪問者:グルは最高の力や。中の世界も外の世界も支配しとる。王様よりも強力や。せやから、グルは最高の詐欺師やねん。グルは無から騙すねんけど、ワイらはぜんぶ失った思うねん。

ニサルガダッタ:それがお前さんの体験やったら、まったく適っとんで。グルはお前さん自身も含め、ぜんぶ奪ってくねん。それはお前さんがグルと別もんやないゆーことや。
お前さんには何も残っとらん。グルだけや。

訪問者:愛がグルを最高の詐欺師に仕立てんねん。

ニサルガダッタ:愛は、誰でも自分に必要なだけもらえんねん。何も要らんかったら、愛なんてあるか?

訪問者:そういう見方したら、ないわ…せやけど、絶対者はいっつもその観念と一緒にされとんで。なんで愛って表すんやろ?

ニサルガダッタ:絶対者は自分のことわからん。自分が何者かわからん。何も要らん。自分に”我在り”言う必要ないねん。アホなヤツらだけが、絶対者の境地をジュニャーニ呼んどんねん。絶対者は自分のこと絶対者とかジュニャーニ言わへん。

訪問者:なんでアホはジュニャーニを愛て観念付けるるんやろ?

ニサルガダッタ:アホには都合いいからや。ジュニャーニの境地に達しとらんうちは、モチベーションの力が要るんや…それ手に入れるために、ジュニャーニんこと「愛、憐れみ、優しさで満ちた」とか言うねん。こういうもんは、アホが支持したり押しつけたりしとるもんや。

訪問者:アホの立場からは、それって正しい見方なん?

ニサルガダッタ:せや、アホにとってはな。ヴィトーバーの偶像あってん…みんな行って祈りよる…「あんたの優しさで、ワイは生かされとる。」とか話しよんねん。なんでそのアホはそんな石(偶像)を大切にしとるんや?生かしてもらわなあかんからや。自分の”自己存在”を永続させたいからや。せやからそんな石拝んどんねん…在るためにな。

訪問者:もしかしてそれも、神がアホを絶対者んとこに連れ戻す道の一つなんちゃう?

ニサルガダッタ:せや、アホにはたくさんの方法とか道があるもんや。

訪問者:無条件の愛って信仰の一形態ちゃうん?

ニサルガダッタ:ワイの立ち位置からしたら、愛は存在の性質や。存在が愛や。この”自己存在”が現れて初めて、愛は存在すんねん。”自己存在”あらへんかったら、愛広がるか?お前さんは、在りたい、自分の存在を続かせたいゆー衝動もっとる…それが愛や。
この現れみんな、存在の海や。お前さんはそれブラフマンの海とかマーヤの海とか呼ぶかもしれんけどな。

訪問者:マーヤ超えて、海超えんのか?

ニサルガダッタ:超えるいう問題どこにあんねん?存在があって…存在がなくなる。何も超えとらん。どっか行くいうて飛行機要求すんのか?どっから現れて、どこに消えてったんや?現れたり消えたりするより前に、お前さんはおるんや。
”自己存在”は”我在りー我在りー”て脈打っとんねん。”自己存在”の感覚があるんは、食物体のエキスと氣があるからや。食べもんのエキスと氣が消えたら、”自己存在”の鼓動は存在せんくなる。存在は非存在に入んねん。
種を発芽させるには、水が必要や。同じで、この”我在り”いう知識の芽生えには、水と食べもんエキスが要んねん。食べもんエキスには、”自己存在”いう性質が休眠状態で入っとる。核自己、アートマンはソイツ自身、食べもんエキス、ジュース使って”自己存在”見んねん。

訪問者:意識は万物共通、普遍的、自発的、一なるもんや。それがなんで、こんだけごっつたくさん違う形で現れるんや?

ニサルガダッタ:それが生まれ持った性質やからや。存在は一つやけど、ごっつ多く現れんねん。

訪問者:サットヴァ・グナって何や?

ニサルガダッタ:食べもんエキスのエッセンスが”自己存在”で、それがサットヴァ・グナや。サットヴァ・グナは存在とイコールや。存在は、ラジャス・グナとタマス・グナによって現象世界で活性化されとんねん。ラジャスは活動。タマスは自分を行為者とか作者や思うプライド。サットヴァ・グナは存在だけ、ただ在るいうことや。この3つのグナは、食べもんエキスから出てきたもんや。食べもんあらへんかったら、”自己存在”消えて、その性質みんな消えんねん。

訪問者:”自己存在”いう炎を、ワイらは知性の助け借りて今見とるわけやけど、発展いうかある種の進化が続いとるみたいな気するわ。どっちに向かって進んでる思う?

ニサルガダッタ:滅亡や。どんな進化であっても、最後には破滅に向かって進んでくねん。
さっきお前さんが喋っとった話に戻るけど…お前さんが守りたかったり、守りたなかったりするもん何かあるんか?

訪問者:わからん。

ニサルガダッタ:こんなんみんな意識に依存しとるもんや。お前さんは意識手放しとうないねん。

訪問者:意識を意識するいうことさえしたないねん。マハラジが自己のこと喋っとるとき、耳に綿の詰めもんしよ思うとったわ。

ニサルガダッタ:これ誰が言っとん?

訪問者:知らん。誰かでなきゃあかんのか?

ニサルガダッタ:これ誰が言っとん?

訪問者:言葉、ただの言葉や。

ニサルガダッタ:意識があらへんかったら、言葉が何の役に立つんや?

訪問者:意識は在るねん。意識が知らんもん何でほのめかしとん?

ニサルガダッタ:これどういう意味や?言わなあかんことちゃんと説明せえ。

訪問者:ずっと在るもんに観念付ける必要あるんか?

ニサルガダッタ:「在るべきとか、在るべきやない」て感じるんやったら、そのいっちゃん下にあるもんは何や?

訪問者:在るもんが在るねん。

ニサルガダッタ:お前さんが自分は在るて感じとんのは明らかや。せやから、それお前さん中に生えとんねん。自分が在ること感じとるとき、すべてのトラブルは始まんねん。その感覚あらへんかったら、どんなトラブルも存在せえへん。

訪問者:なんでそれがトラブル引き起こすんや?お前さんは在るもんに名前と観念付けよる。ほっといたらんのか?

ニサルガダッタ:これ誰が言っとん?

訪問者:意識ん中に現れた理解や。

ニサルガダッタ:せやったら、ほんまに厄介なヤツは誰や?世界がお前さんを困らせとんのか、お前さんとこに現れた意識が困らせとんのか?

訪問者:ワイが黙れば、何もワイを困らせへん。

ニサルガダッタ:お前さんが座っとるいうこと、それ自体がお前さんを困らせんねん。これがお前さんのトラブルや…お前さんは意識を支えるポジションにおらんくて、それ認められへんねん。体があらへんとき、意識があらへんとき、お前さんは何やったんや?お前さんはそれ理解するポジションにおらへんねん。

訪問者:前に体あって、そんで意識現れてん。在ったもんが在ったんや。

ニサルガダッタ:お前さんは自分が在ること意識しとる。それはお前さんが望んだもんなんか、それともただ勝手に、自動的にお前さんに現れたもんか?

訪問者:自動的に現れとる。

ニサルガダッタ:今お前さんは、意識したいからしとるんやなくて、自動的に意識しとる。それが事実とちゃうか?

訪問者:せや。ワイは、意識に意味を付けようとしとる、この霊的な考えまるまるトラブルに過ぎんと思うとる。意識が自身広げてそういうもんぜんぶになりたがっとんのに。

ニサルガダッタ:ちゃうで、それはお前さんを困らせるもんちゃう。厄介なんは、お前さんに現れた意識や。それはお前さんが名前を付けるとか付けんとか、何かするとかせえへんとかっちゅーだけのことや。

訪問者:それがトラブルの元やねん。意識がただそれ自身でいて、すべてに観念付けようとせえへんかったら、何もトラブルあらへん。

ニサルガダッタ:これみんな妄想や。

訪問者:めっちゃ単純なことや。ワイらが人生呼んどる体験ぜんぶ意識ん中で起こっとって、どこでも意識体験するいうことが人生の唯一の意味や。せやから、終わりが来たらそんでお仕舞いや。意識は、終わりをただ正面から見ることできんのか?

ニサルガダッタ:お前さんはそこにおれるか?

訪問者:せやけど何がワイを、あれこれ見たり、探したり、しようとしとるもんに留まらせてくれるんや?

ニサルガダッタ:意識があれば、生命力もある…思考は流れとるし、たくさんの言葉も出てきよる。それがお前さんの心や。ただ、自分が意識に関心持っとらんことを理解せえ。意識はずっとあるし、ずっと続いとるけど、「ワイはあれやこれや。」言うて、意識を自分や思っとらんねん。
自分が在るいうんは自明の事実やさかい、どんな困難もあっちゃいかんねん。止まって、その地点見つけてみたらどうや?その境地がどんなもんか見てみい。

訪問者:ほれほれ、意識について喋っとる。

ニサルガダッタ:意識の意味わかったんか?

訪問者:意識は、現れとるもんすべてや。

ニサルガダッタ:これ誰が言うてんねん?

訪問者:感覚や。ワイや。

ニサルガダッタ:これ誰が体験しとん?

訪問者:意識がそれ自身体験しとる。

ニサルガダッタ:せや。もう暫くこの対話聞いとき。何が続いても、もう暫く聞いとき。「ワイはぜんぶ正しく理解したで。」いうて思う、それ自体が最初の間違いや。空間が創られて、それによってほんまは非個人の意識が一人の人になって、体と心に限定されんねん。お前さんは、意識が体と心に限定されとるて感じとるけど、意識を非個人やいうて受け入れたら、何もトラブルあらへん。”我在り”いう知識があるさかい、ワイらは活動しとんねん。
お前さんは朝目え覚めたら、最初の保証、”我在り”いう確信受け取んねん。それから、”自己存在”支えたり認めたりするポジションにおらんさかい、忙しくすんねや…起きて、あっちこっち動き回って、活動開始や。活動に従事すんのは、”自己存在”維持させたいからや。後んなって、”自己存在”は熟睡中に自分自身忘れんねん…そうして初めて安らぐねん。

訪問者:瞑想に安らぎってあるんか?

ニサルガダッタ:何のために瞑想するんや?”自己存在”静めるためや。”自己存在”から苦しみが始まんねん。”自己存在”の薄っぺらさを自分で感じ取らんとあかん。

訪問者:どうやって?

ニサルガダッタ:注意、”自己存在”は起きとる間いっつもあるもんやいうても、ワイらは抜け目なく見とらん。他の注意のやり方はあらへん。”我在り”いう注意に注意するんやで。

訪問者:熟睡状態でも残っとるもんって何かあるんか?

ニサルガダッタ:覚醒状態にあるもんみんな、熟睡状態に溶けて、休眠状態であんねん。

訪問者:正しい行為って何や?

ニサルガダッタ:お前さんに行為起こさせえ。自分のこと行為者思いなや。お前さん通じて行為はあんねん…行為を善とか悪とか言いなや。それお前さんの仕事ちゃうねん。自分を行為者や思てるヤツは心状、心境の奴隷や。ジュニャーニは意識が働いとんの見とる…意識の行為に関与せえへんねん。

訪問者;周りを気にすんのは、意識ん中毒みたいや。

ニサルガダッタ:せや、中毒や。娯楽でもあるわな。ワイが水こぼすやろ。すぐにタオル取って拭くやん。せやけど、「ワイ何やアホなことしたわ。」いうて思わへん。それは起こってん。タオルが、「自分がやっとる。」なんて考えんと水吸うてるんと同じや。

訪問者:”自己存在”に対する愛ってごっつ奇妙やな。

ニサルガダッタ:奇妙やけど、具体的な形で現れとんねん。どいつもこいつも世界救済とか善行いう観念にしがみついとる。偉い観念と考え持った偉いヤツらおったけど、救われたヤツらと救ったヤツら今どこにおんねん?そこのお前さんは何が欲しいんや?

訪問者:すべてが調和して、秩序立ってほしいわな。

ニサルガダッタ:名前と形にしがみつきなや。名前と形捨てえ。

訪問者:そんな単純なこと理解すんのが、なんでこんな難いんや?

ニサルガダッタ:理解したもんにしがみついたり、抱えたりしとるからや。それ捨てえ。
この世から理解したもんに、お前さんはしがみついとる。捨てるんや。自分を理解する技法、それも捨てえ。

お前さんは意識の観照者や(1979年8月12日)

2016-09-05 11:13:28 | ニサルガダッタ・マハラジ
1979年8月12日

ニサルガダッタ:満足しとるか?

訪問者:満足あるときもあるけど、ないときもある。

ニサルガダッタ:これ誰が言うてるんや?誰がお前さんに言うんや?

訪問者:ワイが満足を、意識ん中の感覚見とんねん。ワイには関係あらへん。起こっとるもんぜんぶ、意識ん中に現れるもんぜんぶ、ワイは気にせえへんし、興味ない。ワイには無関係や。

ニサルガダッタ:それ無関係言わへん、無執着や。不幸なんてもんはあらへん。お前さんは何にも煩わされへん…それがその状態、ほんまの状態や。この世のもんに何も魅力感じへんのか?

訪問者:何が起こってても、得るもんも、失うもんもないねん。

ニサルガダッタ:これどないして起こったん?

訪問者:わからん。

ニサルガダッタ:他人の言う通りの振りしなや。この教え聞いたら、お前さん王侯みたいに振舞わんとあかんで。内面でも外面でも、それがお前さんの態度でないとあかんんねん。アハム・ブラフマスミ、「ワイが主。」や。理解したんか、しとらんのか?

訪問者:わからん。

ニサルガダッタ:もっと聞きたいことあるか?

訪問者:この自分に気づいとるいう感覚には、ごっつ圧迫感あんねん。いっつも頭ん中のひどい圧迫感と一緒に出てきよる。

ニサルガダッタ:その観照者でないとあかん。お前さんは意識に気づいとるさかい、意識超えとんねん。お前さんはその観照者やねん。

訪問者:その感覚ずーっとあんねん。

ニサルガダッタ:お前さんの意識は体ん中にはあらへん。まだ体に執着残っとるさかい、その感覚完璧に消えへんねん。お前さんの意識は、体に執着、愛着持っとんねん…せやから、そんな圧迫感あるんや。
お前さんは今、意識を認識して、意識を観照しとる。昔はそのこと真実ちゃうかったんは、自分を体や思うとったからや。今は自分は体やあらへんてわかっとる。自分が意識やあらへんいうこともわかっとる。
昔、お前さんがこれ聞く前、インドに来る前、意識の名前は心やった。今、意識を表す言葉はジュニャーナ(知識)や。

ニサルガダッタ:(別の訪問者に)お前さんの目的かなってんから、満足しとるか?

訪問者:おお、しとる。めっちゃ前、ここ離れたときにな。

ニサルガダッタ:お前さんはいろんな体験してきて、今は、体験より前にあるもんは同じやいう結論や。お前さんはこの世で起きる体験に影響されないんか?

訪問者:せや、その結論に達してん。

ニサルガダッタ:この世の魅力あるもんみーんな、お前さんにとっては取るに足らんもんにすぎんのか?そういうもんに影響受けんのか?その域に達しとるんか?それか、まだ他人の尊敬を、まだ多くの技の知識渇望しとんのか?

訪問者:ワイはもうそんなもん持てんさかい、渇望しとらん。持っとくもん持ってへんねん。せやかて、持っとくもんワイが見つけたとしても、そんなもん知らん。

ニサルガダッタ:渇望いうんは、お前さんがそれに何か利益とか機会ある思うてるいうことや。

訪問者:そんなん無益や。最後にはぜんぶ相殺されんねん…せやから役に立たんもんや。

ニサルガダッタ:せやったら、ぜんぶわかっとる、ぜんぶ理解しとるわ。最後に広がっとるもんは何や?

訪問者:認識できへんもんや。

ニサルガダッタ:最初にあるもんは何や?根っこにあるもんは何や?

訪問者:ものちゃう。

ニサルガダッタ:それ悟ったんか?

訪問者:いーや。悟っとらんいうんは、それワイよりでっかいからや。どうやったらワイに見えんねん?

ニサルガダッタ:お前さんがいろんな体験しとるとき、お前さんが気づいとらん、ちょうど始まりから広がっとったもん悟ったんか?こんな体験ぜんぶより、ぜんぜんでっかいもんに気づいたんか?それ見つけたんやったら、それと一緒にいられるか?それか、まだ体験しとんのか?

質問者:体験しとらんし、一緒にいれるわ。なんやお前さんがボート乗っとるときに似とるな…お前さんは水が動いてる思わへん。ボートが動いてるて認識しとる。せやけど、水があることに気づいとんねん。自分に「おおそうや、ワイは水の上動いとるんや。」て繰り返す必要なんかあらへん。そこにあるもんが動いとんねん…下っ側は、お前さんがその上動いとるもんや。

ニサルガダッタ:お前さんがこれみんな体験しとるとき、それ完璧に作られた、パチモンや悟っとるんか?何体験しとるんや?

訪問者:ワイが体験しとんのは、自作の投影やいうことや。

ニサルガダッタ:お前さんが幻影、投影て悟ったもんは、自分の自己のごっつ小さい変形やわからんのか?

訪問者:ああ、せやな。

ニサルガダッタ:これ悟ったら、いっちゃん古いもん、果てしないもんが垣間見えへんか?

訪問者:ワイは、体験とか、体験の制限に限定されへん。

ニサルガダッタ:この世はいっつも変化しとるし、いっつも新しいけど、ただの古老の思考、古老の幻術にすぎんもんや。せやから、お前さんが限定されへんいう問題どこにあんねん?その存在否定しとるんか?

訪問者:ちゃう、その存在否定しとるんとちゃうで。その実在否定しとるんや。

ニサルガダッタ:お前さんに子供がおって、ソイツがティンブクトゥに行って、そこの王様になったとしよや。ソイツは依然お前さんの子供やってこと、わかるか?
何が起こっとっても、「起こっとる。」言うために、そこに出来事の観照者がおらんとあかん。すべての活動の古老が活動語るには、見るためにそこにおらんとあかんねん。

訪問者:その観照者って、絶対者なんか、それとも意識ん中のもんなん?体験の観照者っておらなあかんもんなん?

ニサルガダッタ:ワイはこの観照者のこと言うてるんやない。核、ワイらの核祖先のこと言うとんねん。
一個の実から、実がごっつなっとる林ん中のその木から、この木みんな生えとんねん。そのたった一個の実からや。
創造物と創造以前の境地見とる原理は何や?絶対者や。存在のあらへん状態、意識のあらへん状態だけが、意識認識しとんねん。あの”自己存在”のあらへん状態や。
たっくさんのヤツラがお前さんに、お前さんの心の性質、心の流れ、意識圏内の活動について教えるやろ。これしよったら、これゲットできんで、てな…せやけど、意識より前の状態について教えてくれたヤツおったか?
(霊性の道で)いっちゃん低い状態が、ムムクシュの状態や。ムムクシュはな、霊的探求を始めたばっかで、心体と自己同一化しとるヤツのことや。ソイツはいっつも、心体感覚から利益とか得失を引っ張り出そうとしとる。グルに会うと、グルは、「お前さんは心体ちゃう、お前さんは”自己存在”いう顕れやでー」て教える。ソイツは”我在り”が顕在世界やってことを悟んねん。自分をそこに確立させて、自分は心体やのうて顕れやってことがわかんねん…そのうち、「ワイは”自己存在”やない。意識でも顕在世界でものーて、絶対者や。」いうことも悟んねん。何で黙っとんのや?混乱しとるからか、それとも混乱しとらんと静寂に達しとるからか?

質問者:この”自己存在現象”いう状態が無執着なんか?

ニサルガダッタ:”自己存在”を何て呼んどるん?

質問者:意識や。

ニサルガダッタ:意識認識しとんのか?意識観照しとんのか?

質問者:わからん。

ニサルガダッタ:どんな原理に、その名前付けとんのや?

質問者:知覚認識するすべてにや。すべてや。

ニサルガダッタ:意識認識しとんのは誰や?

質問者:わからん。

ニサルガダッタ:わからんもん、それがいっちゃん重要や。

質問者:意識ん中で、体験は常に変化しとるけど、同時に、変わらんもんがある思うわ。

ニサルガダッタ:無知やったとき、よくお前さんそれのこと心や言うとったけど、それそのものが顕在知識、顕在力、この知識や。それが顕在の源(ムーラマーヤ)や。それがマヘーシュヴァラ、アートマンて名前の最高イーシュヴァラ原理や。

質問者:誰の名前やて?

ニサルガダッタ:お前さんが持っとる”自己存在”の感覚や。言葉なしの”我在り”。それがアートマンや。それめっちゃダイナミックで活動的やねん。意識はな、絶対者の心や…知力、記憶力、”自己存在”いうメッセージ。

質問者:顕在状態は、執着の状態なんか?

ニサルガダッタ:その発生とか創出は自発的、無執着なもんやけど、現れたとたん執着が始まんねん。お前さんらみんな口閉じよって、思い切って質問するヤツおらん。

質問者:質問は前もって準備しとってん…ここにお前さん来たら、消えてもうたわ。

ニサルガダッタ:無知の子宮ん中に知識はあって、その知識が成熟してこの顕在になったんや。せやけど、無知よりも前に、あの偉い古老がおんねん。
お前さんは、わからんいうベースがあらへんかったら、わかるいう知識持てへん。最初、お前さんはわからん…そのわからんいう基盤の上に、この認識が芽え出しとんねんけど、そのベースはただの無知や。無知やいうても、成熟したら知識になって顕在ん中に満ちんねん。せやけど、その祖先は無知にすぎん。無知より前に、あの絶対者の原状態があんねん。

質問者:ジュニャーニを見分ける印って何や?

ニサルガダッタ:自分をジュニャーニ、知識人、智者や思とるヤツはアホや。自分を智者や思ったとたん、ソイツは社会的認知、地位を欲しがんねん…それがアホや。
誰がジュニャーニや?ジュニャーニは自分がおることわからんし、誰が誰に認められるんいうんや?無為から勝手に、数え切れん創造が毎瞬起こって、ごったがえしまくっとる。ジュニャーニがそんなん起こさせるか?
ジュニャーニは、無知から知識出てきて、その過程でみーんな起こっとるいうこと理解しとる。せやけど、そのベースが無知やさかい、邪魔しよらん。自分がおることわからんからや。ジュニャーニが注意集められへんのは、ジュニャーニには注意があらへんからや。

通訳者:マハラジが、知る者、絶対者呼ぶもんは、どんなもんにも注意留めへん。観照は起こるけど、ソイツは観いへん。注意いう属性超えとんねん。そんで、お前さん、意識はそれに注意留めることはできへん。認識できへんもんやからな。

質問者:マハラジは自分の熟睡状態観とるんか?

ニサルガダッタ:おお、せや、めっちゃ上手く観んで。

質問者:こういう体験あったわ。ぜーんぶ、体と心があったんと同時に、何もなかったいう。

ニサルガダッタ:それはまだ体験や。体験主は体験とは別もんや。体験はどんなやり方でも描写できるけど、体験主は描写できへん。

通訳者:マハラジは、絶対者は描写できへんくて、顕れとるもんについてしか喋れへん、言うとる。「知っとる。」言われへんねん。それは在んねん…認識の問題ちゃうねん。

ニサルガダッタ…目覚めと眠りは、それより前のことわからんねん。意識には、意識があらへんかった状態わからんねん。絶対者はわかっとるけど、わかったもんには属さん。知らんうちに認識始まってん。勝手にや。認識なくなったら、何もあらへん。認識から五大は生まれたんや。認識なくなったらお前さんが残んねん。認識がある間は、それ使って調べえ。ワイはサソリに刺されとるけど、その一刺しって何や?この”自己存在”や。お前さんは”自己存在”の毒牙に耐えられへんから、あっちこっち走り回っとんねん。その牙を無毒化するには、”自己存在”、自己認識を観察せえ。その一刺しの結果が、目覚め、眠り、飢え、渇き、とかやねん。その毒牙、その認識を捕まえるんやで。

質問者:束縛は、解放されるのに必要なんか?

ニサルガダッタ:まず、束縛が何か理解し。24時間連続で自分を調べえ。いっかい「ワイは体でも心でもありえへん。」て悟ったら、自然に、お前さんおるわ。
この話終わった後、言葉の響きに何か必要性見つけられるか?何の話にや?言葉に何か必要性あるか?ほんまの霊性に、ほんまに言葉が必要なんか?

質問者:ないわ。

”我在り”そのものが幻影なんやで(1979年7月22日)

2016-09-05 11:11:36 | ニサルガダッタ・マハラジ
1979年7月22日

質問:意識と観照者って同じなん?

ニサルガダッタ:認識できるもんには、意識が観照者や。意識を観照する別の原理があって、この原理は世界を超えとる。

質問:意識をどうやって観照するん?

ニサルガダッタ:お前さんは自分が座ってる言う現実をどうやって観照するんや?努力なしで、それとも努力してか?

質問:努力なしでや。

ニサルガダッタ:同じや。お前さんが努力するときはな、体の立場からしとんねん。”我在り”いう知識が、世界全体の精髄や。”我在り”いう知識の観照者は”我在り”いう知識より前におる。何も制限加えんと、ありのままの自分自身を理解しようとせえ。いろんな材料からいろんな料理作るんと同じで、お前さんは何か作りたいねん。観照とか気づきは、深い眠りを観るんと同じや。それと変わらん。

質問:わけわからん。

ニサルガダッタ:わからんもんや。自分で観んとあかん。観のスクリーン上に現れるもんは、絶対消えるもんや。観主は残ったままや。

質問:観主も心ん中の観念なん?

ニサルガダッタ:観念と心は、観主から出た光線や。

質問:”我在り”が、認識するもんすべての元なんか?

ニサルガダッタ:そうや。”自己存在”は勝手に現れて消えてく…ホームレスや。夢の世界みたいなもんや。何かであろうとしたらあかん。霊的な人でもあかんで。お前さんは顕在者や。種ん中に木はすでにおる。この”我在り”はそういうもんや。あるがままに、それ見てみい。見るもんに干渉しようとしなや。これ理解したら、お前さんに何が要んねん?

質問:何も。

ニサルガダッタ:この確信の中で落ち着かんとあかんで。知識(ジュニャーナ)が全宇宙の精髄や。シッディ(霊能力)に耽ったらあかんで。自分からシッディ求めんくても、お前さんの周りで奇跡起こるかもしれん。その著作権主張したらあかんで。1000km離れとってもお前さんの信者は、お前さんのダルシャンを形で受けれんねん。お前さんの信者がお前さんの知識を讃えれば、いつでもその知識は具体的な姿取んねん。自分が何かしてる、て思うなや。音は空間全体に満ちとる…似とって、”我在り”言う知識が場全体に満ちんねん。このこと理解したら、お前さんに死はあらへん。自分を個人やと思っとったら、死は絶対や。
霊的探求者は何かでありたいねん…ただ、あるがままでおり。人がお前さんとこ来たら、勝手に言葉出てくるわ。ヴェーダの勉強しとらんかっても、お前さんから出てくるもんはみんな、ヴェーダとかウパニシャッドん中にあるもんと同じや。喋っとるとき、自分がジュニャーニとか知者やなんて思いは、お前さんに微塵もあらへん。

質問:”自己存在”が鬱陶しいわ。どうやったら取り除けるん?

ニサルガダッタ:それ自分で蒔いたもんちゃうねんから、取り除くとかいう問題どこにあんねん?

質問:わかっとるけど、心が、「取り除かなあかん。」て感じてるわ。

ニサルガダッタ:心に最高原理認識できるんか?心追っかけんなや…心はな、心に沿った道を辿んねん。お前さんは心に同一化して、代弁しとる。どんだけ無理したら、心に、空とか空間の中に変化起こせる?
空間は”我在り”のメガネで、そのメガネから世界観とんねん。五感にお前さん認識することはできんくて、お前さんが五感認識すんねん。

質問:”お前さん”ってどういう意味や?どの”お前さん”や?

ニサルガダッタ:お前さん二元性感じとるさかい、お前さん中で聞いとるヤツのことや。

質問:ワイは意識超えとらんで。

ニサルガダッタ:お前さんほんまは意識超えとって、意識認識しとんねん。「ワイは意識や。」言うんやったら、お前さんは丸々世界や。お前さんは”我在り”とは別物なんや。”我在り”そのものが幻やねん。”我在り”いう知識と世界は、マーヤの幻術なんや。そんなもんに実体なんかあらへん。ほんまは言葉なんかあらへんさかい、お前さんは自己満で喋っとんねん。
お前さん、ハラ減った、ノド渇いた、起きとる、寝とる言う状態知っとる。これあらへんかったら、お前さんって何や?こういったもんみんな、自分にずーっと必要なもんやて思とる…これがムーラマーヤ(原初の幻)の幻術や。”自己存在”には一定の寿命がある。こういったもんといつまで付き合うつもりや?

質問:記憶が世界を本物に見せんねん。記憶が緑色記録せえへんかったら、緑色なんてあらへん。

ニサルガダッタ:記憶は”我在り”ん中のもんや。相互反復がマーヤの作用や。8日間眠れんかったら、お前さん生きとるか?

質問:いーや。

ニサルガダッタ:つまり、お前さんは起きとる状態と眠っとる状態を超える言うことや…要するに、幻は消えんねん。

質問:朝起きるとき、”我在り”言う意識はどっから来るん?

ニサルガダッタ:わかるわけないやん。フィルムみたいに、もうそこにあって、再生しとんねん。このケミはヴェーダでは最高原理呼ばれとる…ヒラニャガルバ(金の子宮)やと。”自己存在”は熟睡しとるときには忘れられとって、起きとるときと夢見とるときに出てくんねん。

質問:前のことをどうやって覚えとるんや?

ニサルガダッタ:”自己存在”の技や。お前さん自分自身を何や思とる?

質問:観照者や。

ニサルガダッタ:何のや?

質問:心体活動ぜんぶのや。

ニサルガダッタ:これは心体だけの性質で、自己知識とちゃう。腐った食べもんに虫湧くやん。似とって、体は腐った食べもんや…がそん中で蠢いとんねん。体が腐ってくと、”自己存在”いう虫が動きよる。その味が”自己存在”で、ソイツ舌あらへんのに楽しんどる。ワイらこの腐った食べもんの味にプライド持ちすぎとんねん。お前さん何の知識欲しいんや?

質問:ほんまのや。

ニサルガダッタ:体が自分や思てる間は、ほんまの知識手に入らん。マラーティー語に、返さなあかん妻、「借り妻」いう言葉あんねん。似とって、体は借りもんや…お前さんはそれ返さなあかん。体が自分やいう観念捨てなあかんねん。

質問:この自己同一化を捨てるんは、どないしたら上手くいくんや?

ニサルガダッタ:熟睡状態と覚醒状態を調べてみい。両方とも時間制限あるもんやろ。覚醒状態と睡眠状態なしに、自分が何なのか説明してみい。

質問:したら唖や。

ニサルガダッタ:ほんまか?ヴェーダも「これやないーあれやないー」言うて、言葉超えとるもんやからって、仕舞いにだまっとったで。熟睡状態と覚醒状態なかったら、自分が在るてわかったり、”我在り”体験するか?

質問:せえへん。

ニサルガダッタ:生まれたんは何や?…お前さんか、その2つの状態か?ここまで来たら、お前さんすぐに消えるわ。この2つの状態ん中から、何を自分自身に選ぶんや?

質問:何もないわ。

無認識の境地に気づけぇ!(1979年7月7日)

2016-09-05 11:10:52 | ニサルガダッタ・マハラジ
1979年7月7日

ニサルガダッタ:ニサルガ本質)の中にあるもんは、みーんな時間に縛られとるけど、本質そのものは縛られとらん。本質は男でも女でもない。たくさんのアヴァターたちが現れては消えてくけど、本質は影響されへん。本質についての話は、お前さんが生まれた後に心に刻まれた印象からみーんな出てきたもんや。この記憶にしがみついとる間は、の知識はあらへん。本質の中で起こったこと、歴史とか伝記とかを学んでるだけやったら、を悟ることはできん。内に行かんとあかんねん。本質の中で起こったことは、どれだけ凄いもんでも、どれだけ力があるもんでも、今ここで消えてまう。こういった状況は現れては消えてくもんやねん。こんなんほんまに抽象的なもんで、いま具体的なんは”我在り”言う知識や。認識されるもんと認識が消えるねん。ワイはな、聞く準備ができたヤツにだけ、このこと話すんやで。現れたものは消える定めや。一番偉い現れが”我在り”言う知識や。それは体が生まれる前と、死んだ後には認識されへんもんで、認識されとる間は具体的なもんや。たくさんの偉い聖者たちが現れては消えてったんは、”我在り”言う力の種のせいや。プラーナが体から出て行ったら、知識は支えがなくなって消える、つまり認識されなくなんねん。
ワイが説いとるものはめっちゃ深い。お前さんがブラフマンを体験してるとしても、その体験は残らん。すべての体験は、”我在り”言う細胞あってのものや。その細胞も体験も、どっちも消えてまう。お前さんの記憶のなかの最高のもんもいつか消えんねん。”我在り”言う知識は時間に縛られとって、お前さんの知識はみーんな”我在り”言う観念から出てきたもんや。
ごっつたくさんの聖者が来ては去ってった。ソイツらは今”我在り”言う状態を体験してるんか?ソイツらは、自分たちの存在を永続させる力持っとらん…自分たちの”自己存在”を認識できなくなっとる。聖者たちには、この世にいっこも変化もたらすことなんかできん。起きるもんは、起きるんや。

質問:でもマハラジは、ジュニャーニの存在によって世界は恩恵受けとる、言うてたやん?

ニサルガダッタ:それは無知なヤツ、身心に執着しとるヤツに言うたんや。”自己存在”あらへんかったら、お前さん何が必要や?

質問:ワイ、なくなったわ。

ニサルガダッタ:誰が喋っとるんや?誰に向かって言うてるんや?

質問:ワイに、や。

ニサルガダッタ:お前さんがほんまになくなったなら、存在の感覚なくなったって、何でお前さんにわかんねん?お前さん、観念に乗せられとるで。このごっつ小さい種の中に宇宙入っとんねん。お前さんは勘違いしとって、ワイをちゃんと理解しとらん。この”我在り”言う大元について、何遍も何遍も話しとんねん。
何を自分や思ってるか、見つけぇ。現れたもんはみーんな消えてく。ルーズベルトとかガンジーに今何できる?ソイツらが支配しよったちょうどその場所で、変化は起こっとる。なんで口出さんのや?プラーナが体から出て行ったら、偉い聖者でも喋れんのや。

質問:ギーターで、クリシュナはん、「破局とか無法なったらなー、ワイ行って直したるわー」言うてんで。

ニサルガダッタ:これは季節みたいなもんで、周期があんねん。この周期では、のもっと深い意味が理解されなあかん。”我在り”の謎解いたら、疑問みーんな尽きんで。

質問:良い感じのときもあれば、悪い感じのときもあるし、満たされとるときも、沈むときもある。これが心やってことはわかっとる…ヴェーダは、「心は月から生まれてん。せやから変わんねん。」言うてる。

ニサルガダッタ:せっかくここに来てんから、お前さんの心を脇に退けてワイに応えてくれ。良いも悪いも、心の範疇にしかあらへん。心から手に入れたもの全部と縁切り。

質問:ワイに、ここに来てマハラジから教えを受けるよう言うんは誰なんや?

ニサルガダッタ:言葉では言われへん…お前さんの好きなように呼んだらええねん。月は心を表しとって、心は絶えず流れよるから液体みたいなもんや。ただ単純に、冷静に、心の流れを観察しぃ…心の流れを手にしたらあかんで。言葉のあらへん”自己存在”状態にいとき。お前さんは言葉に意味つけとるけど、仕舞いに言葉は死ぬ…最後には、認識できるもんと観察できるもんは、認識できへん境地と観察できへん境地に入んねん。それを見つけだし。お前さんはゆっくりこれ理解して、平らぎと静けさ手に入れるやろ。お前さんが何かするんちゃう。起こんねん。お前さんは知識について語るけど、その知識は他から見聞きしたもんや。自分自身のに確信持ってなかったら、他の威を借りんとあかんけど、ワイは自分のほんまの境地から語っとる…ギーターとかマハーバーラタとかの権威を引用せんと、ワイが体験し、認識した通りに喋っとんねん。お前さんがギーターについて話すとき、それが自分について語っとる、どの言葉も自分自身のについて語っとるもんやってことに気づかなあかん。