会わないことで、記憶を根拠に感じられること__。
会わないからこそ気づくことも多い。
そういえば__。
彼の歩き方や話し方、言葉遣い。
ドアの開け閉めからお茶の飲み方。
ジャケットの脱ぎ方や小走りするときの足運び。。
<変わってしまった立居振舞>に、私の記憶も寄せ集められている。。
その殆どに彼の積極的な意識が働いていると思われるが、そのこと自体をどうこう言うつもりはない。
不自然な、というか場違いな意識的行動に、私は根深い抵抗感を抱いてきた。
ここにも書いたが、昨秋の運動会や自転車転倒事故、春先の兄弟の祝宴__などもそう。
ダイビングやボーリング、テニスやゴルフ等もそう。
自分の姿やその都度必要となる着衣__常にその場での<性別感>を第一に、彼は気にしてきた。
そしてその自意識は、彼から男性的な走り方や身体能力を<元々はなかったもの>にしていた。
そういうところにこそ、私は<違和感>を抱かざるを得ないのだ。。
自分の<女性性を意識できる気分>を第一に考えるのは彼にとってみれば当たり前のことかもしれないが、その場その場に相応しい言動ばかりとはいえない彼の判断の元が、私にはわからない。
無理矢理な、まるでとってつけたかのような、彼の考える女性的な立ち居振る舞いを、何でもかんでもに<採用>するのは如何なものだろうか。。
そんなこととあの自転車転倒事故とは無縁ではないだろうし、性同一性障害の告白後は殆どの機会を失った二人で楽しんできたはずのスポーツ。。
彼の運動神経は彼の記憶からは別人のものにされているかのよう。
いや、スポーツだけではない。
正装がマナーとなる非日常的なレストランやそういった場所でのパーティーや会合。。
<ワタシはGID>__そう言い放ってからの彼は、そういうところにも二人では行きたがらなくなっている。
私も敢えて誘わなくなってしまっている。。
そう、<禁句>のひとつなのだ。。
過月の兄弟の祝宴のときもひと騒動があったし。。
彼にとっての<正装>が何なのかは、彼の願望や考えだけで決めることではないと私は今も思っている。
何のための服装なのか__。
何のための社会なのか__。
主張も意識も大事なことだけど、彼自身がみている内面の女性性と、自他共に目に映る彼の容姿や行動との一致__というものは、そんなに容易なことじゃない。
こうして、日々の生活の様々な場面で、私は寂しさややりきれなさを感じてきた。
彼にとっても私にとっても、それまでの日常的な生活が失われてしまっているのだ。
しかし彼にとってはそんなことは寂しさの対象ではないのかもしれないが__。
でも私は以前のように、彼の背中を追いかけながらおもいきり走ってボールを追いかけたり、水中にも潜りたかった。
あの頃のように、おもいっきりお洒落して、お洒落自体を楽しんで、少しの緊張感を伴いながら、素敵なお店や美術館、建物に足を運びたかったと思う。
お互いに共有できていた楽しみまで、そこで感じ取っていたお互いの想いまで、<なかった事><私だけの記憶>にされてしまっていることが、とても悲しい。
会わないからこそ気づくことも多い。
そういえば__。
彼の歩き方や話し方、言葉遣い。
ドアの開け閉めからお茶の飲み方。
ジャケットの脱ぎ方や小走りするときの足運び。。
<変わってしまった立居振舞>に、私の記憶も寄せ集められている。。
その殆どに彼の積極的な意識が働いていると思われるが、そのこと自体をどうこう言うつもりはない。
不自然な、というか場違いな意識的行動に、私は根深い抵抗感を抱いてきた。
ここにも書いたが、昨秋の運動会や自転車転倒事故、春先の兄弟の祝宴__などもそう。
ダイビングやボーリング、テニスやゴルフ等もそう。
自分の姿やその都度必要となる着衣__常にその場での<性別感>を第一に、彼は気にしてきた。
そしてその自意識は、彼から男性的な走り方や身体能力を<元々はなかったもの>にしていた。
そういうところにこそ、私は<違和感>を抱かざるを得ないのだ。。
自分の<女性性を意識できる気分>を第一に考えるのは彼にとってみれば当たり前のことかもしれないが、その場その場に相応しい言動ばかりとはいえない彼の判断の元が、私にはわからない。
無理矢理な、まるでとってつけたかのような、彼の考える女性的な立ち居振る舞いを、何でもかんでもに<採用>するのは如何なものだろうか。。
そんなこととあの自転車転倒事故とは無縁ではないだろうし、性同一性障害の告白後は殆どの機会を失った二人で楽しんできたはずのスポーツ。。
彼の運動神経は彼の記憶からは別人のものにされているかのよう。
いや、スポーツだけではない。
正装がマナーとなる非日常的なレストランやそういった場所でのパーティーや会合。。
<ワタシはGID>__そう言い放ってからの彼は、そういうところにも二人では行きたがらなくなっている。
私も敢えて誘わなくなってしまっている。。
そう、<禁句>のひとつなのだ。。
過月の兄弟の祝宴のときもひと騒動があったし。。
彼にとっての<正装>が何なのかは、彼の願望や考えだけで決めることではないと私は今も思っている。
何のための服装なのか__。
何のための社会なのか__。
主張も意識も大事なことだけど、彼自身がみている内面の女性性と、自他共に目に映る彼の容姿や行動との一致__というものは、そんなに容易なことじゃない。
こうして、日々の生活の様々な場面で、私は寂しさややりきれなさを感じてきた。
彼にとっても私にとっても、それまでの日常的な生活が失われてしまっているのだ。
しかし彼にとってはそんなことは寂しさの対象ではないのかもしれないが__。
でも私は以前のように、彼の背中を追いかけながらおもいきり走ってボールを追いかけたり、水中にも潜りたかった。
あの頃のように、おもいっきりお洒落して、お洒落自体を楽しんで、少しの緊張感を伴いながら、素敵なお店や美術館、建物に足を運びたかったと思う。
お互いに共有できていた楽しみまで、そこで感じ取っていたお互いの想いまで、<なかった事><私だけの記憶>にされてしまっていることが、とても悲しい。