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心 結 ‪˙˚ʚ💚ɞ˚˙ ここな

迷子にしたくない記憶のカケラを集めておく場所です。

ソ・ジソプの道 9

2012年05月09日 20時14分38秒 | ソ・ジソプの道

この記事は、韓国の俳優ソ・ジソプ氏の著書である『道』の韓国版を、辞書を片手に一語一語つなぎ合わせて私的に日本語に訳したものです。よってこの著書の日本語版となんら関係のないことを最初に申し上げます。 また、素人の未熟な訳であり間違いがたくさんあることも合わせて申し上げておきます。





p.275
::8番目のスケッチ



    和解、  人






p.276
乙支(ウルジ)展望台  Eulji Obeyr atory.


北方を見渡せば北韓国(北朝鮮)の哨所と畑が見えた。
晴れ渡るに日は金剛山毘盧峰(クムガンサンピロボン)とイルチュル峰のように主要な峰なども見ることができる。非武装地帯南方限界線から最も近いところに位置する展望台だからだ。
戦争当時、熾烈な激戦地だったというこの場所は今も軍人たちが展望台周辺を守っている。
展望台の下にはパンチボール村がある。外国人従軍記者がここから眺めた姿が花菜器のように見えるからといって付けた名前だ。







p.280
加七峰(カチルボン)にある乙支(ウルジ)展望台に来た。金剛山(クムガンサン)の最初がイルマニチョン峰になるならば、最後はボンウリから加七峰(カチルボン)に入らなければならないという。
忙しくスケッチをするパク・ジェドン先生の横に座ってパンチボール村を眺めた。


この場所を旅しながら感じる思いの数々を簡単に整理できなかった。
ひっそりとして平和であること極まりない村や海辺、澄んで美しい自然、汚れることない多くのものがこの場所を作り上げた。
戦争が残していった傷と悲しみのせいで、こんなに美しい場所を眺めているのにただ感嘆してばかりいられない現実が重く感じられた。



あれ、遠くに 鳥が飛んでいる……….。







p.282
昭陽(ソヤン)湖

江原道(カンウォンド)春川(チュンチョン)と楊口(ヤング)、麟蹄(インジェ)を結ぶ韓国最大の人口湖だ。
1973年、東洋最大のダムだという昭陽江(ソヤンガン)ダムを作るのと同時にできた。
面積と貯水量のすべてが韓国最大なので‘内陸の海’と呼ばれている。







p.285
ずっと前、釣りを楽しんだときに何度か乗ってみた丸木舟に久しぶりに乗った。
船が騒がしい音を出しながら流れをかき分けて進むのだが案外と速い。
立っていたらややもすると重心を失って落ちそうだ。大人しく座っていなきゃ。


“ 行って来るね ! ”


手を振ってみた。
大物を釣ることはないけれど、この小さな船に何でも積んで来たい。


それは清涼な空気や風だけでもいい。







p.286
先生、頭の上に
吹き出しがついているみたい。

僕がどんな考えを
しているか
一度、当ててみて。







p.287
ここへ来る道
よくやったという思い。

はずれ。
僕は今、お腹がすいた。








p.288
私の父は青年時代、韓国戦争を経験した。

インターネットや電話、夢も見られなかった時代だから、通信手段というもの自体が滅多になかった。
だから、南の小さな田舎町に住んでいた人々は国で戦争が起こったことも知らないままのんびりと暮らしていた。
ある日、光復節記念行事を見るために多くの人々が集まっていた。
突然、軍人が押し寄せて若くて血気盛んな男たちを選び、大きなトラックに乗せて消え去った。
戦争の真っ最中なのに南の人々はその事実をまったく知らなかったと、
国では死傷者が生じて軍人の数が不足して以来、強制徴兵をしたようだ。
父も徴兵され彼らの中にいた。戦争に出て行った父の小隊はほぼ全滅してしまった。
父はひとりで生き残り、その場所がどこなのか方向も分からない場所から家を探し出した。
あてもなく歩き、お腹がすいたら戦争で廃墟になった家に入って塩や味噌を付けて食べながら持ち堪えた。
1ヶ月程で家を探しあてた。死んだと思われてばかりいた彼が、骸骨のように痩せた姿で戻ってくるや町中の人々すべてが驚いた。

戦争の悪夢を消しながら暮らしていた中、また令状が舞い込んだ。
参戦を照明する書類のようなものがないこともあり、あがき反抗してみたが効果がなかった。
結局、私の父は軍隊に二度も行くことになった。
悔しいはずなのに、父は生きて帰ってこられたことだけでも感謝したという。

- 時事漫画家 パク・ジェドン

* 光復節 / 1945年8月15日、朝鮮が日本の支配から解放され主権を回復したことを記念する韓国の祝日。ちなみに、朝鮮民主主義人民共和国ではこの日を「開放記念日」(祝日)としている。





素敵な白髪のパク・ジェドン先生は我が国の時事漫画の叔父のようだ。
寸鉄殺の時事漫評から温かな視線で描き出す普通の人々の顔まで、
彼の絵は、鋭いながらも決して人間に対する愛情を忘れない。
彼は‘時事漫画の代父’‘パク・ジェドン画伯’のような名前で呼ばれることより‘漫画家パク・ジェドン’がいいという。
子供たちが家に帰ることが嫌になるほど面白い学校を夢見た。
世の中のすべてのものが彼のモデルだという。通勤する時も地下鉄の中でスケッチすることを止めることはなかった。
みんな、いつパク・ジェドン先生のモデルになるか分からないから緊張することだ。



私は出勤の道にあちこち目が留まるように絵を描く。
路地でも地下鉄でも
絵を描きながら対象と対話することによって仲良くなり物事を大切に思い、
結局は愛することになる。
絵を描くことは対象を愛するということだ。
なんでも少しずつ、そうしたらみんな絵になって、そんな時は私がミダスの手になるのかという気持ちにを抱くこともあるが、事実は物事じたいが元々、黄金だったということだ。

- パク・ジェドン 『 人生漫画 』 から

* 寸鉄殺 / 短い言葉で相手の欠点を鋭く批判すること。 


現在は韓国芸術総合大学で学生たちを教えているパク・ジェドン先生は、誰より漫画が持つ力を信じて漫画の中の吹き出しのように面白い世の中を作るために絵を描き続けている。







p.290
あの..... どんな風にしましょうか?  頭をこんな風に回しますか?


カメラの前に立つ時とはまた違う気分でぎこちなくてそわそわする。
絵を描く間、じっと僕をみつめる先生の視線が、自分のすべてを見透かしているようだ。

独特な観点で世の中を見て、さらにそれを表現することができる先生が羨ましい。
絵や文章で考えと感情を表現するということは本当に凄い。
僕は自分の気持ちを言葉でも表現できないときが多いのに。

会った瞬間から今まで一度もペンと紙を肌身離さずに絶え間なくスケッチをされていた。
先生が物事と世の中を見る目は少し違っているようだ。
絵については良く分からないけれど、先生が描く絵には温かみが感じられる。
どんな人でも先生の絵に収められる顔は目にみえて穏やかな姿をしている。




思えば、それが愛だ。




世の中のものすべてに対しての愛と感心、そして頑張れという応援ではないだろうか?







p.291
スターとしての生活というものは、華やかだけれど孤独じゃないか。
僕もそうです。 対話する時間が
ないのです。 だけど僕は、
もっと仕事が好きです。



画中)  ソヤン湖でのソ・ジソプ 
チェドン 10.7







p.293
はっきりしない空だ。







p.297
気持ちがすっと晴れるようだ。
そうじゃないか、   ソ君?







p.300
あの中で私たちを待っているものは






p.301
何か......







P302
大厳山 龍沼(デアムサン、ヨンヌプ)  Yong Swamp of Daeam Mountain


大厳山(デアムサン)は‘大きな岩山’という意味で、車で上ってもかなり際どく感じられるほど山の地形が非常に険しい。
韓国戦争時代、熾烈な激戦が繰り広げられたこともあったという大厳山(デアムサン)の山頂には‘龍が空へ昇る途中で休んで行く場所’と呼ばれる龍沼(ヨンヌプ)がある。
龍沼(ヨンヌプ)は南韓国(韓国)で唯一、山の頂上に形成される高層の湿原で、もう4000余年前にできて環境部の保護を受けている。
世の中と断絶したまま長い時間を持ち堪えて巨大な原生林と同じ姿を呈する。







p.307
歳をとったらの話だ。 本当に楽しい。
こんな不思議な場所に来たら調子に乗って踊りを踊らないことはないじゃないか。
ジソプのように若い年齢にはたぶん私のようにはできないだろう。
若い友達たちが私のようにどの場所でもダンスしながら熱狂するという声も聞くだろうが、
私のように歳を食った人間が興に乗って踊ったら、
“あぁ、あの老人は気分が良いのだな。”と思うのではないかと。


歳を食うこと、こんなに楽しいことはない。


- 時事漫画家 パク・ジェドン







p.311
大厳山龍沼(デアムサンヨンヌプ)のソ・ジソプ   チェドン  10.7  (画中)







p.316
湿地の湿っぽい風と霧の中、真ん中に立っている。
吹いてくる風に目を開けるのも大変だ。身体が押されて倒れそうに風が強い。

全身を風にゆだねたまま立って目を閉じてみる。


今、この世界には僕一人きり、全世界がぜんぶ自分のものみたいだ。

し 、 あ 、 わ 、 せ 、 だ。







p.319
沼は背丈が凄く伸びてしまった草などですべて占領されてしまっていた。
草などはぜんぶ風の方向に身を横たえていた。
龍が這って通り過ぎた跡のようだ。
力強い草らを押し分けて歩くけれど道がよく見えない。
足が水に嵌まったり頑丈な草の根みたいなものに引っかかったりもした。
しかし、そこにははっきりと道があった。








p.322
ここへまた来られるだろうか ……… 。
心残りだ。






p.327
うしろを振り返ってみる。
やって来た道であり、うっそうとした草と木などは霧に消されたまま見えなかった。
先生は立ち止まり、案外に低い声でおっしゃった。


“今見れば、私たちは何もない場所へ来たのだね......”








p.329
これからまた、
どんな道が僕を待っているのだろうか?








p.330
江原道(カンウォンド) 麟蹄郡(インセムン) 大厳山(デアムサン)
龍沼(ヨンヌプ)に咲く高いやつ
チェドン    (画中)








p.331
Epilogue
 
今回の作業は、江原道(カンウォンド)の深い場所、民間人の出入りが統制されているその場所に旅行できたというときめきで始めました。戦争が残してくれたこの特別な空間が気がかりでもありました。さらにまた、作品の中でキャラクターになり演技者で見せているソ・ジソプとは少し違った僕の姿を見せることができる機会になるという思いもありました。過ぎてみれば、その尊い時間は僕が自分にもっと迫る中で僕を覗き見ることができた変わった作品であると同時にプレゼントのような休息になったようです。

少し知っているか、あるいは生涯知らずに生きる大切な方々と良い思い出を分かち合ってきました。

この方々と何も意識することなく笑ったり、気になったことはいつでも気楽に聞きながら、さらに人見知りにも勝ちました。 かなり楽しくてなかなかいい経験ができました。短かったけれど長く余韻が残るこの尊い時間は僕を幸せにするようです。今回の作品に参加してくださいましたすべてのゲストの方々と苦労をしてくださったスタッフの皆さんたちにも楽しい思い出になりましたことを願います。
寸鉄殺人漫画家のパク・ジェドン先生、多くの客食口(ケッシックドゥル/居候たち)の夕飯まで準備してくださったカンソン村の村長のイ・ウェス先生、芸術は他の人の悩みを代行することと教えてくださったイ・ウンジョン作家、僕らのものの素敵さを守ってくださるチェ・ミョンウクデザイナー、湖畔鳥(火の鳥)のように活気あってかっこいい鳥博士チョン・ダミさん、雨降る高速道路を長々4時間かけて走らせて来てくださったアーチスト、ティシク&ティルティルのカップル、そして疲れを微塵に砕き、とても忙しい時間を割いてくださったタイガーJK兄貴にありがとうと言いたいです。

暑かったり雨が降ったり鬱陶しい天気にもかかわらず、現場で苦労してくれたすべてのスタッフの方々と空、海、鳥、名前も分からない花と草、そしてこの本を読んでくれたあなたに感謝します。

ソ・ジソプ















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