心 結 ‪˙˚ʚ💚ɞ˚˙ ここな

迷子にしたくない記憶のカケラを集めておく場所です。

ソ・ジソプの道 5

2011年09月27日 16時17分56秒 | ソ・ジソプの道

この記事は、韓国の俳優ソ・ジソプ氏の著書である『道』の韓国版を、辞書を片手に一語一語つなぎ合わせて私的に日本語に訳したものです。よってこの著書の日本語版となんら関係のないことを最初に申し上げます。 また、素人の未熟な訳であり間違いがたくさんあることも合わせて申し上げておきます。




P119.

:: 4番目のスケッチ

傷 そして 治癒






p121.

ウォルチョンニ(月井里)駅


江原道(カンウォンド)、鉄原郡(チョルウォングン)、鉄原邑(チョルウォンウプ)、にある簡易駅。

現在は廃駅状態だ。

南側から行くことのできる最北端の駅で、
ソウルから原産(ウォンサン)をつなぐ京元(キョンウォン)線が走れなくなり最後に止まる場所だ。

病んだ父を水溜りの綺麗な水で生き返らせて死んだという

一人の少女の悲しい伝説が伝えられている。

その話に由来して月の光が照らす水場、

‘ウォルチョン(月井)’と呼ばれている。








p124

汽車を待った。


僕が1番目のお客さんなのか、駅には誰もいなかった。

ときどき軍人たちが僕をちらちらと見て通り過ぎて行った。

子供が持ってきて遊んで置いていったおもちゃのように。小さな駅はぼんやりと立ったまま場所を守っていた。



来ない汽車を待って座っている。









P127

ぶどう農園を営む写真作家?


すっかり顔が日焼けした彼に会った。










P129

イ・ウンジョン先生は写真作家ではなく久しぶりに会った小さい叔父さんのような感じだった。

最近はぶどう農園の面白さにどっぷりと嵌ったと、ぶどうは好きかとたずねられる。



皮まで全部丸ごと食べるよ!



農薬が多くかけられていることで知られているから良く洗って食べろという。

チュス(秋の収穫)したら何箱か送ってやると約束してくださったので、すぐさまありがたくて笑った。



複雑なカメラ装備の代わりに陽の暑さを避けるシャツをざっと肩にひかけた先生が
周りがとても静かだと何かが起こりそうじゃないかと冗談を飛ばした。









P131.

俳優という職業、大変じゃないの?

表に見えるものほど華やかではないでしょ。

こんな風にのんびりと歩いてみるのも本当にひさしぶりじゃないの?

そうですね.....。 とても忙しかった。

心ゆくまで休んだときがいつだった思い出せないくらい。


では何も考えずに少し歩こうか。



ふと俳優という職業が白鳥のような気がした。

水面上の美しい姿のために絶え間なく足を動かす白鳥。

僕がテレビで見られなくなれば人は休んでいると思う。

一瞬の華やかな姿を見せるために

どれほど多くの時間を準備するのか、

どれほど多くの人たちの努力があったのか、

人々はよく分かっていないようだ。




あ、歩こうと言われただろ、何も考えずに.....。









P132.

写真家イ・ウンジョン。


私は町の写真師だ。流浪劇団のようにあちこちを旅した。

道の上でシャッターを押せなければあきらめた。

それが私の仕事であったし今もそうである。

朝鮮日報写真部の記者を経て今は写真作家と大学の講義を並行している。

この夏、忠清道(チュンチョンド)、成歓(ソンファン)でぶどう農園を始めた。果実、結実という単語が深くしみるように懐かしかったためだろう。



写真というブラックコメディーのようだ。ひとり密かに思いついた考えだ。
深い忍耐心を持ってファインダーを覗いたことのある人は分かるだろう。人生の瞬間がどれほどつまらなく砕けるかを。



私は魔術師になりたい。泥んこ遊びをしながらヒキガエルを呼ぶときのように私の目の前の世界に呪文をかける。

騒々しいシャッター音が呪文になって出てくるとすぐに中が深くてつばが狭い帽子の中から白い鳩が飛びあがる。鳩の羽ばたきは私の苦闘だ。









P134.

この人類にリンゴがある。その最初がアダムとイブのリンゴ、二番目はニュートンのリンゴ、三番目がセザンヌのリンゴだ。

そしてイ・ウンジュの<四番目のリンゴ>がある。





私のリンゴは慰労のリンゴだ。



果樹園の道を歩きながら地面に落ちた紅く食べごろのリンゴをひとつ拾った。

反対側は腐っていた。頭を殴られたかのようにしばらくのあいだ腐ったリンゴを見つめた。

そこに自分の姿を見た。紅くてパンパンに膨らんだ私の欲望の陰に隠れて私も気づかない勢いで広がっていく傷口。

けれども<四番目のリンゴ>は治癒に関する話だ。

その際立った傷をそっと撫でながらすべて大丈夫だと慰労したかった。

そんな風に私とあなた、私たちの傷口と和解したかった。









悩み代行

すべてのアーチストたちは悩み代行業従事者だ。

傷とか痛みとかというものなんかかえりないで知恵を絞りながら悩むこと自体がどんでもないことだろう。

明洞(ミョンドン)を通り過ぎると‘芸術が空腹を満たすことはできなくても空腹だということを忘れさせることはできる’と書いてあった。正答だ。僕の空腹も解決できない自分に誰の何を解決できるというのだ。


ただ写真に変奏された僕の悩みを彼らが共に抱いて共感するとき、

私たちはしばらくのあいだでも空腹が錯覚に陥れないか。



― 写真作家 イ・ウンジュ









P137.

労働党社 Labor Party Headquarters

解散後、北朝鮮の土地だったときに作られた

昔の朝鮮労働党鉄原(チョンウォル)国党社の建物である。

江原道(カンウォンド)、鉄原(チョルウォン)、国鉄原邑(チョルウォンウプ)、クァンジョンリに残ったロシア式の建物で、朝鮮戦争前までコンサンチヒ反共活動をしていた多くの人々が拷問と虐殺にあった現場でもある。


あちこち深くへこみえぐられてすっかりすすけた外壁に耳をつけると

理由も分からないままお互いに銃口を向けて死んでいった人々の

泣き叫びと激しい銃弾の音が聞こえてくるようだった。










P138.

こんな静寂は何事も起こることがない死んだ時間だろう。

写真のように。



それで先生は写真の中に死んだ時間を収めるのか?



写真の中にすべてのものが死んでしまった時間を捕らえているではないか。

シャッターを押す瞬間、すべてのことが静寂と止まった時間の中に留まることになるから



私が愛する人たちは私が撮った写真の中で幸せに笑っていた。

私の心のままに止めておいた時間、それが私には写真であるので時間が死んだ。

本当に変な話をなさる。









P139.

階段からほぼ骨組みだけが残った労働党社の建物を見まわした。

ロシア式工法で作り、鉄筋がないコンクリートだけで作られた建物は崩れそうに危うく立っていた。

誰かの合わせかけのパズル、あるいは全てを合わせて壊したパズルのように。




死んだ時間.....。









P140.

銃弾が打ち込まれたという痕跡を見る。

こんな風に多くの人々が拷問で、さらには戦争で死んで行ったばしょである。

壁面に手を当てたら彼らの声が聞こえてさえ来るようだ。









P142.

傷とは関係ないかのように壁と床を突き抜けて生えてきた草が見える。

名前の分からない生命が育っている。









P143.

完璧な被写体


ひとりの青年と出会った。けちをつけるところのないマスクと体格の条件を持った俳優、ソ・ジソプ。それであまりにも完璧なのが面白くなくてつまらないくらいだ。


新聞社に通っていたこときに彼のように完璧な被写体と作業をしたことがあった。

文化面に載せるチャン・ドンゴンを映画俳優チャン・ドンゴンではなく村の青年のように撮るという指示を受けた。

お話にならないと不満を言った。大衆が記憶している完璧な俳優チャン・ドンゴンはこのように撮っても結局は完璧なはずなのに、

それは誰も望んでいないイメージなのだろう。


誰が撮っても当たり障りのない完璧な被写体は良い被写体なのか?

私はそんな被写体こそ魅力的ではないと言う。しかし、また反対にそれが故に試みたい作業を思いついたりもする。



ふと青年ソ・ジソプの都会的でモダンなイメージの向こうに隠れた何かが気になった。彼から狂気と原初的な感情に引きつけられる“人間”を見出したいという作家としての欲が騒ぎ出すようだ。それはソ・ジソプという俳優の成長、またその可能性の期待でもある。



― 写真作家 イ・ウンジョン









P144.

スンイル橋 Seungil Bridge



共産統治下にあったという時代に北方で半分、南方で半分、

そんな風に南北の合作で作られた橋だ。

建築様式も同様にきっちりと半分づつの橋だ。

韓国版“クワイ河の橋”と呼ばれていて漢難江(カンタン江)の中流地点に置かれ江原道(カンウォンド)鉄原(チョルウォン)郡ドンソンウプとガルマウプの間を結んでいる。

橋の名前は韓国戦争当時、北進して戦士したと知られているパク・スンイル(朴昇日)大領を賞賛するためとする説が支配的だけど、イ・スンマンの‘スン’とキム・ジョンイルの‘イル’を取って‘スンイル橋’としたという説もある。









P148.

Sketch book









P149.

人生は選択の連続だ。



この線を行くのか? このまま越えて行くのか?

でなければまた戻るのか?