今のこの世界は、3次元だと言われています。
それについてはなにか違うような気もしますが、
特には言及しません。
最近見た、次元の見分け方というか、作り方で面白かったのは、
ある次元を切ったらその断面が一次元下がって見えるというものです。
たとえば、三次元は、幅・奥行き・高さによって表されます。
豆腐のようなものを想像するのが簡単でしょう。
それをすぱっと切ると、断面は幅・奥行きだけになり、二次元になります。
二次元の代表的なものは紙で、紙を適当に切ると幅だけになり、
線である一次元になります。
では、切ったら幅・奥行き・高さが出てくるようなもの、
四次元とはいったいどんなものでしょうか?
今までは時間かと思っていましたが、それは違うとわかりました。
縦であろうと縦横であろうと、縦横高さであろうと、
世界には時間が流れています。
それは世界の仕組みとは関係のない別のものです。
そもそも時間は空間とセットで語られるものであって、
三次元空間にも四次元空間でも、空間には入らないものです。
そう考えて、考えに考え抜いてみたところ、
もしかすると四次元とは、「幅・奥行き・高さ」に
「深さ」を加えたものではないかと閃きました。
たとえばわたしたちは、なにかが「ある」ことを「ある」と見ています。
そこになにかがあることをあると思っていますが、
それは表面を見ているだけに過ぎないのではないでしょうか。
たとえば膨らんだ風船を見て、人は風船が「ある」と思います。
風船には幅・奥行き・高さがあるように見えます。
でも、風船が風船であるのは表面だけです。
風船の本質はその中身、「気体」です。
それと同じように、動物も静物も、本体は「気」のようなものであり、
肉や形はそれを表面的に見ているだけに過ぎないのではないでしょうか。
この世界はひとつに見えますが、実は同じ場所に別の世界があり、
たとえば霊魂や光、気のようなものが、
肉や実態に重なって存在しているのです。
この次元の人は、その「気体のようなもの、そのもの」を
見ることも感じることもできないので、
その表面にある実体だけを見て感じます。
でもそれは表面だけのもの。
死んで肉を脱ぎ捨てた魂や、空と同じく重なって存在するあの世など
根源的なものは見ることができないのでしょう。
この世に重なって別次元があると考えると、
断面が三次元になることの説明ができます。
簡単に言えば、三次元とは風船の外側。
それをその形のまま固めてはがしても、もちろん幅・奥行き・高さはあります。
そこからはがされた中身は、幅・奥行き・高さがあり、深さもあります。
……というところで、わたしが考える四次元は、
幅・奥行き・高さ・深さのある空間だと思うのです。