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腐女子&妄想部屋へようこそ♪byななりん

映画、アニメ、小説などなど・・・
腐女子の萌え素材を元に、勝手に妄想しちゃったりするお部屋です♪♪

風に吹かれて(#215)

2023-01-09 21:50:38 | RUN&GUN風土記
真冬の霊園は、人影もまばらだ。 水汲み場にも、幸佑以外誰もいない。 水桶に注ぐ水道の音だけが、あたりに響いている。
いつものように雄也の好きだった百合の花を抱え、片手に水桶を持った幸佑が、通い慣れた通路を進んでいく。
あたり一面に居並ぶ墓碑の群れの中を歩いていると、不思議と心が落ち着いてくるのがわかる。
今は亡き人々の霊魂が、無言のままに心を鎮めてくれるのかも知れない。
米原家と書かれた石灯籠の前で、幸佑は足を止めた。 米原家先祖代々と彫られた墓石の隣に、小さな真新しい墓石がある。
墓碑銘は、『妙演雄大居士』。 ここに雄也が眠っている。
墓石に水をかけ、花を供えて線香をつけた後、数珠を手に目を閉じて瞠目する。
こうしてここに佇んでいると、すぐそばに雄也がいるような気がする。 姿も声もなくても、確かに雄也の気配を感じるのだ。
雄也が手紙に残した言葉。【おまえの幸せを祈って、きっとどこかから見守ってる】
ここに来るとそれを実感すると同時に、心が満たされていく。
今もまた、先ほどまでの胸に去来していた不穏な気持ちが、静かに浄化されていった。
ゆっくりと目を開けた幸佑が、ひとつ深呼吸する。 冷たい空気が肺の隅々まで行き渡り、清々しい気持ちになった。
やがて水桶を手に、元来た道を戻り始めた。 何気なくあたりを見渡しながら歩いていると、少し離れたところにいる2人連れの姿が目に入った。
徐々に近づいていくにつれ、2人のうち1人が見覚えのある人物だと気付く。
 「あれは・・・」
やがてはっきりとその姿が見えた時、幸佑が小さくその名を口にした。
 「澪さん?」
そう声をかけられ、澪がはっとして振り返った。 いつも制服姿しか見たことがなかったせいか、私服姿の彼女は少し違って見える。
 「え、米原さん?」
驚いたように目を見開いてそう呟いた澪が、小走りに駆け寄ってきた。
 「こんなとこで会うなんて、すごい偶然やね」
 「ほんまですね。 お墓参りですか?」
 「うん、いま参り終えてきたとこやねん。 澪さんも?」
 「私は、おじいちゃんのお墓をここに移しにきたんです」
 「え、お墓を移しに?」
 「はい。 高槻の方にあったんやけど、遠くて不便なので、ここにあるうちのお墓に入れることになって」
そう言って、背後にある小さな墓石を指さす。 表面には戒名、側面には生前の氏名である俗名が彫られている。
『永田藤三』と書かれた俗名を見た時、幸佑が不思議そうな顔をした。
 「あれ、おじいさんは名字が違うの? 澪さんは鈴木やったよね?」
 「はい。 お母さんの父親なんです。 お母さんは旧姓が永田っていうんです」
 「永田・・・」
ふと、幸佑の脳裏に何かがよぎった。 この名前には聞き覚えがあるような気がする。
 「澪、お友達?」
記憶の糸をたどろうとしていた幸佑の耳に、聞き慣れない女性の声が聞こえた。 顔を上げると、すらりと背の高い女性が立っている。
 「あ、お母さん。 いつも話してるやろ、こちらが米原幸佑さんやねん」
 「え、この方が?」
澪の母親らしき女性がふと幸佑の方を見た。 目と目が合った瞬間、幸佑の胸に小さな波紋が広がった。
それは、初めて澪に会った時にも感じたものだった。 初めて会うのに、いつかどこかで会ったような既視感。
その時、不意に幸佑の頭の中で何かが繋がった。
永田藤三という名前。 それは確か、雄也の祖父と同じ名前だ。
改めて目の前の女性を見る。 澪とよく似た面差し。 そしてなぜか、そこに雄也の顔が重なって見えた。
 「――もしかして・・・」
知らず知らずのうちに女性を指さした幸佑が、うわ言のように呟く。
 「雄也の・・・」
雄也という名を聞いて、明らかに女性が驚愕の表情を浮かべた。 だが澪の方は、不思議そうに幸佑を見ているだけで特に驚いた様子はない。
 「あなたは雄也の・・・」
さらに重ねて言葉を紡ごうとした幸佑の腕を、不意に女性が掴んだ。 そしてそのまま、澪から遠ざけるように引っ張られる。
 「あ、あの」
存外に強い力で引っ張られ、よろめきそうになりながら幸佑が問いかける。 澪から充分距離をあけたところまで来ると、ようやく女性が足を止めた。
あたりには誰もいないにもかかわらず、女性が声を潜めて問いかけてきた。
 「・・・あなた、雄也とどういう関係?」
 「俺は・・・雄也の友人です。 小学校から、ずっと」
 「・・・・・・・・・」
狼狽とも悲しみとも取れるような表情で、女性が押し黙った。 普段の幸佑なら相手が口を開くまでじっと待つのだが、今は違った。
心の中に芽生えた激しい感情が、幸佑の口を勝手に開かせる。
 「あなたは・・・雄也のお母さんですか? お母さんですよね!?」
 「私は・・・」
 「さっき澪さんが言うてました、永田藤三さんはあなたのお父さんやと。 永田藤三さんは、雄也のおじいさんですよね!?」 
 「・・・・・・・・・」
女性の表情が、苦し気に歪んだ。 だが幸佑はかまわず畳みかける。
 「なんで雄也を捨てて出て行ったんですか? あいつはずっとあなたに会いたがってた!」
 「そんなはず・・・」
 「口ではそんなこと言うたことないけど、でも俺にはわかるねん! あなたが置いていったっていう指輪を、あいついつも肌身離さず持ってたんです!」
 「――—!」
口元に手をやり、女性が目を見開く。 捨てた子供が自分を思っていたという事実を知らされ、驚きと悔恨が彼女の胸に襲来しているのかも知れない。
だが幸佑は彼女を許せなかった。 幼かった雄也を置いて、他の男のところへ行ってしまった母親。 
父親はもともといない。 結婚せずに雄也を産んだという。 今で言うシングルマザーだった。
親の愛情が恋しくて、家族の疑似体験ができる役者になりたいと望んだ。 それほど、彼の心の傷は深く大きかったのだ。
ふと、遠くからこちらを窺っている澪の姿が目に映る。
 「――このこと、澪さんは知らないんですか。 異父兄がいること」
口を手で押さえたまま、女性が小さく頷く。 すると素早く幸佑の両腕を掴み、必死の形相で訴えかけた。
 「お願い、澪には言わんといて! あの子は何にも知らんねん」
 「・・・・・・・・・」
眼を潤ませながらそう懇願する女性から目を背け、遠くの澪を見る。
澪を傷つけたくない一心というのはわかる。 幸佑だって、澪を傷つけたいと思っているわけではない。
だが・・・。
最後まで親の愛情を得られず、家族に看取られることもなく一人逝ってしまった雄也を思うと、どうにもやりきれなかった。
 「・・・じゃあ雄也はどうなるんです。 自分に妹がいてることも知らんかった。 家族がちゃんといてることを知らんまま、あいつは逝ってしもたのに・・・!」
 「え・・・」
懇願していた女性の動きが、ピタリと止まった。 何か怖いものを見たような表情で、幸佑を凝視する。
 「逝ってしもた、って・・・」
首をうな垂れて目尻に涙を滲ませた幸佑が、唇を噛みしめた。 そして重く言葉を発した。
 「――雄也は、4年前に亡くなりました」
 「・・・・・・!」
最大限に目を見開き、そのまま絶句してしまった女性を、幸佑が虚ろな目で見た。
どんなに恨んでも、憎んでも、女性には雄也の面影が見える。 まぎれもなく彼女は、血の繋がった雄也の母親なんだと思い知る。 
今さら何をどう言ったところで、雄也はもういない。 
それならせめて、雄也の墓前で手を合わせてほしいと、幸佑は思った。
 「・・・雄也のお墓はこの霊園にあります。 せめて、お参りだけでもしてあげてください」
それは先ほどまでの感情的なものではなく、いたって静かな口調だった。 女性の目に浮かぶ悲しみを悟った幸佑は、ほんの少し雄也の無念が報われたような気がした。
雄也を忘れ去っていたわけではなかった。 母親も、雄也のことを少なからず思っていたのだと。
 「案内・・・してください」
懐からハンカチを取り出して涙を拭きながら、女性が小さく呟いた。 
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風に吹かれて(#214)

2022-11-29 20:38:25 | RUN&GUN風土記
年が明け、お正月ムードもすっかりなくなった1月下旬。 幸佑の携帯に、意外な人物から着信があった。
 「――佐々木さん?」
相手は、かつてのマネージャーの佐々木だった。 数年ぶりに聞くその声は、幸佑の脳裏に懐かしさを呼び込んだ。
 『ああ、佐々木だ。 幸佑、久しぶりだな。 元気にしてるか?』
 「はい、元気でやってますよ。 佐々木さんも元気そうですね。 声にハリがあるような気がします」
 『お、鋭いな! そう、俺も元気にやってるよ。 いきなり電話してびっくりさせたよな、すまん』
 「ええ、びっくりしましたけど嬉しいです。 久しぶりに佐々木さんの声が聞けて」
そうしてしばし二人は世間話をしていたが、やがて佐々木が本題を切り出した。
 『――実は、おまえにとって良い話があるんだ。 それを知らせたくて電話した』
 「良い話? なんですか?」
 『おまえの初主演の映画【哀歌の街】が、来年ついに上映されることになったんだよ』
 「えっ」
佐々木の嬉しそうな声音が、幸佑の耳の奥にこだまする。 驚きと喜びと、そして戸惑い。 瞬時に幸佑の心に様々な気持ちが交錯し、思わず言葉を途切れさせる。
だが佐々木は幸佑の絶句を、思いもよらぬ吉報を聞いたせいと良心的に捉えたようだった。
 『おまえのファンをはじめ、この映画を観たいと思ってる人たちが団結して、配給元やスポンサーに働きかけて上映実現に漕ぎつけたんだ』
 「・・・・・・・・・」
 『本来なら桐畑が刑期を終えて出所してからになるところだったんだが、ファンの強い要望が異例の早期上映を実現させたんだよ』
 「・・・・・・・・・」
嬉々として語り続ける佐々木の声を、幸佑は複雑な気持ちで聞いていた。
佐々木にすれば、いや佐々木でなくとも、誰もが幸佑にとってこの話は喜ばしいことだと思うだろう。
人気小説が映画化され、著名な役者陣が名を連ねる話題作に初主演として大抜擢されて、華々しい出世作となるはずだった。 
ところが共演役者である桐畑の不祥事で上映は中止になり、しかも幸佑自身も被害者なのに世間からは好奇の目で見られ、心身ともに疲労困憊してしまった。
そして何より、桐畑晃という人間に対する恐怖と嫌悪に、長きに亘って苦しめ続けられることにもなった。
そんな【哀歌の街】が、紆余曲折を経て上映される。 
あれからもう5年近くが経つが、それでもこの作品が取り沙汰されて再び話題に上るようになれば、否応なしに忌まわしい記憶も再び蘇るだろう。
それが、幸佑には怖かった。 頭ではもう二度とあんなことは起こるはずないとわかっていても、一度心に刻まれた強烈な傷跡は、おそらく一生消えることはないだろう。
 『——幸佑? どうした』
幸佑が黙り込んでいることに、ようやく佐々木が気付いた。 電話越しに、幸佑が息を呑む気配が伝わった。
 「あっいえ、なんでもないです。 そうなんですか、哀歌の街が・・・」
妙に明るく振る舞う幸佑の声が、佐々木の耳には不自然に聞こえた。 
 『・・・もしかして、嬉しくないのか・・・?』
 「えっ、いや、そんなことは・・・」
とっさにそう答えてみるが、それに続く妥当な言葉が出てこない。 なぜか、ふと嘲笑が漏れた。
自分は本当に役者だったのだろうか。 自分の感情を殺して役柄を演じるのが生業のはずなのに、今こうして佐々木相手に偽りの仮面をかぶることすらできない。
 「・・・幸佑? なんか変だな。 何かあったのか?』
 「いや、本当に何でもないんです。 なんか、久しぶりに佐々木さんの声聞いて、懐かしくなっちゃって・・・」
そう言って幸佑は笑うが、佐々木の胸に芽生えた違和感はなかなか消えない。
 『でもおまえ・・・』
さらに深く追及しようとした佐々木が、不意にあ、と声を上げた。
 『くそ、キャッチだ。 すまん、また連絡するよ』
早口にそう告げ、幸佑の返事を待たずにそのまま電話は切れた。 ツーツーという電子音が鳴るのを、幸佑はどこかホッとした気持ちで聞いていた。
静かに終話ボタンをタップし、暗くなった画面のスマホをゆっくりと床に置く。
佐々木にしてみれば、純粋に幸佑を喜ばせたくて連絡をしてきただけだ。 なのに予想外の反応をされて、きっと戸惑ったことだろう。
なぜか脳裏に、馬場のことが浮かんだ。
馬場は、幸佑のこんな複雑な心境をわかってくれた。 いつかたこ焼き屋のテレビから流れてきたこの話題を、さりげなく幸佑の目に触れないよう配慮してくれたりもした。
何も言わなくても、彼だけは察してくれた・・・。
 「――馬場さん・・・」
なんだか無性に、彼に会いたくなった。 会って、このざわざわとした胸の雑音を消してほしい。 
知らず知らず、手がスマホに伸びる。 アドレスの中から馬場の名前を探し出し、通話ボタンをタップするべく指先が画面に近づいていく。
だが、すんでのところでその動きが止まった。
 「・・・俺、何やってんねん・・・」
ぽつりと言葉が漏れ、画面に触れそうになっていた指をすっとしまう。 そしてそのまま、スマホを手放した。
馬場に電話して、泣き言をいうつもりだったのか。 慰めてほしいと、この気持ちをどうにかしてほしいと懇願するつもりだったのか?
 「――ふっ」
今度は、自嘲の笑みが零れた。 なんて愚かしいことをしてしまうところだったのか。 未遂に終わって良かったと、心から思った。
もし本当に縋ってしまったとしても、おそらく馬場は受け入れてくれるだろう。 だが心の中では、こんな軟弱な幸佑を軽蔑するかも知れない。
それが、幸佑には耐えられなかった。
馬場に、情けない人間だと思われたくなかった。 軽蔑されたくなかった。 敬服されなくてもいいが、幻滅されるのだけは嫌だった。
 「よかった・・・」
思わず心の中の声が零れた。 取り返しのつかないことをせずに済んで、安堵の息を漏らす。
床に放置されたスマホを手に取り、ゆっくりと鞄の中へしまう。 何気なく、壁に掛けられたカレンダーが目に映った。
今日は1月28日。 雄也の月命日だ。
 「・・・そや、雄也に会いに行こう」
ふと思いついた考えが妙案に思えて、幸佑は立ち上がった。 雄也のところに行けば、この心の不穏な気配も鎮まる気がした。
ダウンジャケットと鞄を手に、幸佑は速足で部屋を出た。
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風に吹かれて(#213)

2022-09-18 01:39:11 | RUN&GUN風土記
幸佑のファンだったという澪と知り合ってから、早や数ヶ月が経った。
季節もすっかり移ろい、うっすらと雪化粧をした街はクリスマスムードで盛り上がっている。 
あと数日でイブだが、ここ最近強い寒波が到来しており、このままいけばホワイトクリスマスになるかも知れない。
澪の言葉どおり、あれからちょくちょく澪は店にやってきた。 一人のときもあれば、友人たちと一緒のこともあった。
一人で来た時には幸佑と言葉を交わすが、友人と一緒の時や他に客がいる時はほとんど話しかけてこない。 
幸佑が店内に出るようになって、明らかに女性客が増えた。 一応メガネをかけてバンダナなどで素顔を隠してはいるが、それでも彼の美しさは隠しきれていないのだろう。 世の女性は、そういうところに鋭く反応するのだ。
若い女性にはおよそ相応しくない、古くてお世辞にも綺麗とは言い難いこの店に嬉々としてやってくる彼女たちは、ひどく場違いな雰囲気を醸し出している。
時には、他の客のことなどおかまいなしに騒ぎ立て、幸佑の仕事の邪魔をすることもあった。
だがそれでも、彼女たちはお客だ。 無下にするわけにもいかず、笑顔を張り付けて対応している幸佑の心中を、澪は知っていた。
自分が幸佑と会話すれば、そんな彼女たちから妬みの目で見られるし、最悪の場合追及されて幸佑の過去を知られてしまうかも知れない。
幸佑が過去を暴露されたくないのはよくわかっていたから、そんな事態にならないよう、澪は気遣っているのだった。
現に友人たちも、幸佑に興味津々になっている。 そんな彼女たちの前で幸佑と話せば、質問攻めにされるのは明らかだ。
無遠慮に話しかける女性客たちを横目に見ながら無言を貫いている澪の様子に、幸佑も気付いていた。
自分と話したいから、また来てもいいかと尋ねていた澪。 だがここのところは客が多くて、なかなか話せずにいる。
幸佑もまた、雄也を彷彿とさせる彼女ともっと話したい気持ちになっていた。
そんな折・・・。
 「――なぁ幸ちゃん。 営業時間をな、ちょっと短くしようかと思ってんねん」
閉店時間を過ぎ、客がいなくなった店内でテーブルを拭いていた幸佑に、恵子が話しかけてきた。
 「え、なんでですか?」
手を止めて恵子の方を見た幸佑がそう尋ねると、タオルで手を拭きながら恵子が厨房から出てきた。
 「今は6時までやってるけど、5時閉店にしよかなと」
 「なんでです? やっぱり足がしんどいから?」
 「いや・・・」
首を左右に振った恵子が、近くの椅子に腰を下ろした。
 「あんたにはこれまでどおり6時までいてもろて、5時から6時までは掃除の時間にするわ」
 「掃除て・・・」
幸佑が腑に落ちない表情で呟く。 今でも閉店してから掃除はしているが、テーブルを拭いたり床を掃いたりする程度で、ものの15分もあれば終わってしまう。
それを1時間もかけて掃除をするとなると、毎日が大掃除なみになる。 幸佑が不可解に思うのも無理はない。
 「・・・まぁ掃除言うのは表向きで、ぶっちゃけこの1時間は常連さんだけの時間にしようと思ってな」
 「常連さんの?」
 「ん。 ほら、最近は若い子がぎょうさん来てて、常連さんがなかなか落ち着いて食べられへんようなってるから」
 「・・・・・・・・・」
恵子の言葉を聞いて、幸佑の表情が複雑なものになった。 それを見て、恵子がすぐさま弁明する。
 「あ、ちゃうねん。 あんたを責めてるわけやないで? むしろ売り上げがめちゃ伸びて、感謝してるくらいや」
 「でも・・・」
 「しゃあないやん、あんたそんだけイケメンなんやから。 どこにおっても女の子が寄ってくるのは当たり前や」
そう言って恵子は笑うが、それでも申し訳ない気持ちはぬぐい切れない。
 「そやから、あんたもあの子にそう言うとき。 これからは5時過ぎてからおいでって」
 「あの子?」
反射的にそう訊き返すと、ニッと笑った恵子が付け足した。
 「澪ちゃんと、ゆっくり話したらええ」
 「恵子さん・・・なんで」
驚いた顔で自分を見る幸佑を楽しそうに眺めていた恵子が、ふと呟いた。
 「――あの子、どことなく雄也くんに似てるな」
何気なさそうにそう呟かれた言葉が、幸佑の胸に突き刺さった。 目を見開いて恵子を凝視する。
 「・・・もっと話したいんやろ? これからは夕方ここでゆっくり話したらええ」
そう言ってひときわニッコリ笑った恵子が、さ、仕込みや!と言い残して再び厨房へ消えていく。 そんな彼女の背中を見送る幸佑の胸中は、穏やかではなかった。
もしかして恵子は、自分の雄也に対する想いに気付いていた・・・?
そう心の中で自問してみるが、すぐに打ち消す。 
いや、単に親友だった雄也に似ている彼女と、幸佑がもっと話したいと思っているだけにすぎないと。
そうに違いないと、自分に言い聞かせる。 
第一、雄也はもういない。 仮に恵子がこの想いに気付いていたとしても、確認するすべはもうないのだから。
そう考えて安堵すると同時に、一抹の寂しさも感じた。
雄也がこの世を去ってもう3年あまりになるが、胸の中にぽっかり穴が空いた感覚は、ずっと消えていない。
亡くなったばかりの頃のような激しい悲しみは幾分和らいだが、それでも半身を失くしたような筆舌に尽くしがたい気持ちは、たぶん一生消えないだろう。 
だが澪と出会って、少しずつではあるがその深い傷が癒されていくのを感じている。
自分よりも10以上も年下の、まだ高校生の少女。 その顔貌にはまだ幼さが残り、大人びて見られたい同年代の少女たちの中では目立たない存在だろう。
だがそんな見た目とは裏腹に、静かだが芯の強さを感じさせる雰囲気。 なのに、人を包み込むような優しさも纏っている。
そして何より、雄也と似た眼差しを持っている。 
そんな彼女に、もしかしたら惹かれ始めているのかも知れないということを、幸佑はまだ気づいていないのだった。
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風に吹かれて(#212)

2022-08-16 21:39:02 | RUN&GUN風土記
 「ごめんな、無理言うて」
 「ううん、俺こそ今までわがまま聞いてもらってすいませんでした」
 「いや、厨房の仕事きっちりやってくれてて助かってたで。 私の足さえなんともなかったら、無理に店出てもらわんでもよかったのに・・・」
 「気にせんといてください。 もう4年も経つし、みんな忘れてると思うんで」
そうは言ってみたものの、内心幸佑は複雑だった。
このたこ焼き屋でバイトを始めて丸3年になるが、これまでずっと厨房の中の仕事だけをしていた。 それは、幸佑の過去を知る人間と顔を合わさないためだった。
店主の恵子も幸佑の事情はよくわかっていたから、快諾してくれた。
だが先日、恵子が足に怪我をしてしまい、当分歩き回ることができなくなってしまった。 そのため今後は恵子が厨房に入り、幸佑が店内で接客をすることになったのだ。
これまで幸佑の無茶な要望を聞いてくれていたことを考えたら、申し訳なさそうに頼む恵子を無下にすることなどできない。
 「お母ちゃんがいてたら、あんたにこんなこと頼まんでも済んだのになぁ・・・」
そこまで言うと、急に何かを思い出したのか「あ」と声を上げた。
 「そうや、今日はお母ちゃんの通院日やった。 10時までに施設へ迎えに行かなあかんのに、もうこんな時間やんか!」
9時10分を指す時計を目にした恵子が、慌てて走り出そうとした。 とっさに幸佑が制止する。
 「あかんて恵子さん! 足気ィつけな」
 「あー、つい・・・。 あかんな、すぐ足のこと忘れてまうわ」
 「俺が代わりに行ってきましょか? 阪和病院ですよね」
 「いや、ゆっくり歩けば大丈夫やから。 おおきにな」
 「無理せんといてくださいよ。 店は俺一人でやっときますね」
 「うん、頼むわ」
そう告げた恵子が慎重に歩き出し、部屋の奥へと消えていく。 やがて鞄と車のキーを手にした恵子が再び現れ、行ってきますと声を残して玄関から出て行った。
屋外のガレージから車の出て行く音が聞こえた後、あたりには静寂が戻った。
時刻は9時すぎ、開店時間の10時までにはまだもう少しある。 周囲をざっと見渡した幸佑は、用具入れからほうきを取り出すと、店の外へと出た。
店の周辺をほうきで掃いている幸佑のそばを、通行人が幾人か通り過ぎていく。 住宅街の一角のためか、あまり人通りは多くない。
それでも平日は近くの浪高の生徒がよく通るのだが、今日は日曜日のため学生もほとんど通らない。
静かな街を背に一人掃除を続ける幸佑の近くで、誰かが足を止める気配がした。
それに気づいた幸佑が、ほうきを動かしていた手を止める。 顔を上げると、浪高の制服を着た女子生徒が佇んでいた。
何を言うでもなく、ただじっと幸佑を見つめている。 そんな彼女を、幸佑も不思議そうに見つめた。
 「・・・あの、何か?」
どこかで見たような気もするが、でもやはり知り合いではない。 そう悟った幸佑が、おもむろに尋ねた。
 「あ、いえ、その」
声をかけられたのが意外だったのか、目に見えて動揺しているのがわかる。 必死で言葉を探している彼女を見ているうち、ふと幸佑が思い出した。
馬場が雄也の墓参りにきた日、店に来ていた女子高生3人組のうちの一人が、この彼女だったということを。
あの時も、初対面であるはずの幸佑を、今と同じようにじっと見つめていた。 
だがその視線には、幸佑に対してよく向けられる好奇な色は含まれず、ただ何かを訴えかけるような真摯さを孕んでいた。
それにしても一度ならず二度までもとなると、実は幸佑が覚えていないだけで、彼女とは面識があったということだろうか。
相変わらず必死に言葉を紡ごうとしながらも、この場から立ち去る気配もない彼女に、幸佑が提言した。
 「――俺に何か言いたいことでもある? 良かったら、中へどうぞ」
 「え、でも」
 「まだ開店前で誰もおれへんから」
 「・・・・・・・・・」
しばらく俯いてどうするべきか迷っているようだったが、やがて彼女が小さく頷いた。
 「ごめんな、今の時間お水しか出せへんけど」
カウンターの椅子に腰かけた彼女に、幸佑がコップに入った冷水を差し出した。 そして彼女の隣へと静かに腰を下ろす。
 「・・・まず、君の名前を教えてくれへんかな」
 「あ、鈴木澪って言います」
 「澪さんね。 俺は米原幸佑・・・って、知ってるか」
当然のことを口にしてしまった気恥ずかしさから、思わず幸佑が苦笑いを零す。 それにつられて澪も、少しだけ笑みを浮かべた。
その笑顔を見た時、なぜか幸佑の胸に何とも言えない気持ちが広がった。 
幸佑にとってはほぼ初対面で、言葉を交わすのはおろか、まともに顔を見たのも今日が初めてだ。 なのに不思議と既視感を感じる。
それはまるで、懐かしい誰かの面影を彷彿とさせるような。
どこか心地良さをも感じさせるそんな気持ちを不思議に感じながらも、幸佑は穏やかに語りかけた。
 「この前にも友達と来てくれてたよね。 よく来るの?」
 「いえ、この前が初めてです」
恥ずかしいのか、幸佑と目を合わさないままぼそりと答える。 その様子が、幸佑の目には新鮮に映った。
芸能界にいた頃は、こういう初心で純粋な反応をする女性はほぼいなかった。 それこそ、学生の頃以来こんな女性には出会っていない気がする。
澪に懐かしさを感じるのは、遠い学生時代を思い出させるからかも知れない。
 「・・・制服着てるけど、今日は学校は休みやよね?」
 「あ・・・部活なんです」
 「そうなんや、何部?」
 「演劇部・・・です」
 「へぇ・・・」
幸佑の胸のどこかが、微かに痛んだ。 演劇部ということは、将来は彼女も役者を目指しているんだろうか。
演劇の世界から逃げ出してきた自分と、そこへ飛び込もうとしているかもしれない澪。
口の中に苦い何かが広がるのを噛みしめていた幸佑へ、不意に顔を上げた澪が語りかけた。
 「――あの、私、米原さんに憧れてたんです」
 「え?」
予想外の言葉を聞いて、思わず幸佑が目を見開いた。 初めて、澪と幸佑の視線が絡まる。
 「米原さんの演技が好きで、東京へも何度か舞台を観に行きました。 演劇部に入ったのも、米原さんに影響されたからなんです」
 「・・・・・・・・・」
 「だから、引退したって聞いた時は本当に残念で・・・」
 「・・・・・・・・・」
幸佑の眉間に、小さく皺が寄せられた。 脳裏に、否応なしに辛い過去が蘇る。 
だがすぐに、無理やり何でもないような表情を張り付けた。 苦渋の表情をすれば、澪を責めてしまうことになるからだ。
しかし、澪はそんな幸佑の気遣いに気付いてしまった。
 「・・・あ、すいません。 米原さんにとって過去の話は触れられたくないですよね」
 「いや、その・・・」
図星なだけに、言葉が続かない。 そんな幸佑の心中を察したのか、澪がふっと微笑んで呟いた。
 「でも、またここで米原さんと会えた。 今はそれがとても嬉しいです」
 「澪さん・・・」
 「ここのお店のことは前から知ってたけど、米原さんが働いてたなんて全然知りませんでした。 いつからなんですか?」
 「3年くらい前からかな。 でもずっと厨房の中で仕事してたから、お客さんの前に出ることはなかってん」
 「そうなんですね。 この前ここで米原さんを見た時、最初はまさかって思ったんです。 大阪に帰ってきてるのは知ってたけど、まさかこんなとこにいてるわけないって」
 「・・・・・・・・・」
 「でも、馬場さんと一緒にいるのを見て、米原さんに間違いないって確信しました。 だからまたここに来れば会えるかも知れないって思って、それで・・・」
 「そうやってんな・・・」
役者を辞めてもう4年。 まさか今になって、ファンだと名乗り出る人物に出会うとは思いもしなかった。 
驚きもあったが、それよりもまだ忘れられていなかったことを嬉しく思った。
 「――お水、ごちそうさまでした。 時間なのでもう行きますね」
 「あ、うん。 今日はありがとう」
 「また来てもいいですか?」
 「ん、もちろん」
微笑みながらそう答えると、今日一番の笑顔になった澪が嬉しそうに頷いた。 その顔を見た時、不意に幸佑の中で何かが繋がった。
雄也に似ているのだ。
普通の表情は違うのだが、笑った時の雰囲気が雄也を思い起こさせるのだ。
そう気付いた幸佑は、思わず歩き出そうとした澪の腕を掴んだ。
 「・・・あの?」
驚いて振り向いた澪が、掴まれた腕と幸佑を見比べ、戸惑いながら問いかける。 はっとした幸佑が、素早く手を離した。
 「あ・・・ごめん、何でもあれへん。 気ィつけてな」
 「は・・・はい、ありがとうございます」
まだどこか後ろ髪を引かれながらも、澪は立ち去って行った。 引き戸が閉まった後も、幸佑はその場に立ち尽くしていた。
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風に吹かれて(#211)

2022-06-27 00:57:51 | RUN&GUN風土記
たこ焼き屋を出た幸佑たちは、タクシーを拾って瓜破霊園に向かった。
9月の終わりとはいえ、日中はまだまだ厳しい暑さが続いている。 炎天下からクーラーの効いた車内に乗り込んだ二人は、ようやく人心地が着けた。
 「・・・悪いな」
 「え?」
首元を寛げて手うちわで仰ぎながら、ふと馬場が詫びた。 不思議そうに訊き返す幸佑に、馬場が小さく呟いた。
 「暑いのが苦手な俺のために、タクシーにしたんだろ」
 「あー・・・と、でも電車だと乗り継ぎがめんどいし、歩いてくにはかなり距離ありますから」
 「・・・サンキュ」
馬場に気を遣わせたくない思いから、それらしく理由を並べる幸佑に、ふっと微笑んだ馬場が礼を述べる。
心の中を見透かされているようで少し気恥ずかしく思いながらも、幸佑は胸がじんわりと暖かくなるのを感じた。
少しの切なさと、懐かしさ。 
こうして馬場といると、幸せだったあの頃が脳裏に蘇ってきて、何とも言えない気持ちになる。
 「・・・・・・・・・」
馬場から漂うかすかな香水と、絶えず体を揺らす心地良い振動が、自然と幸佑の瞼を閉じさせた。
昨夜は、あまり眠れなかった。 雄也の命日が近くなると、いつも思い出が胸を埋め尽くして、眠れぬ夜を数える。
それはまるで、雄也が自分を思い出してほしいと幸佑に訴えかけているような気がした。
 「・・・・・・・・・」
ふと、幸佑の気配に馬場が気付いた。 うっすらと微笑んだまま目を閉じている幸佑を見て、馬場が目を細める。
車の振動で不安定に揺れている幸佑の体を、そっと自分にもたれかけさせた。 肩先に幸佑の体温を感じ、馬場の胸が穏やかな気持ちで満たされていく。
やはり幸佑は、馬場にとって特別な存在だと改めて思う。
こうしてそばにいるだけで、心が落ち着いて心地良い気分になる。 こんな気持ちになるのは、幸佑だけだった。
 「・・・不思議なやつ・・・」
馬場の肩にもたれたままスースーと小さな寝息を立てている幸佑へ、小さく馬場が囁いた。
 「――お客さん、着きましたよ」
それから10分あまり経った頃、運転手の声で幸佑ははっと目を覚ました。
 「あ、俺もしかして・・・寝てた?」
 「ああ、気持ちよさそうにな」
 「うわ、すいません! 起こしてくださいよ~!」
慌てて居住まいを正す幸佑を見て、馬場がクスッと笑った。
 「ほら、慌ててないで降りるぞ」
そう言いながら素早く財布から一万円札を取り出した馬場が、運転手へと手渡す。 釣銭を取ろうとした運転手を制止し、首を左右に振って見せた。
 「ありがとうございます!」
満面の笑みを浮かべた運転手が、後部座席のドアを開けた。
 「あ、あの、お金・・・」
 「ほら、早く降りろ」
完全に財布を取り出すのが遅れた幸佑が困惑したように馬場を見たが、馬場はかまわず幸佑の体をぐいぐいと車外へ押し出した。
やがて二人を下ろしたタクシーが走り去っても、幸佑はどうしたらいいか戸惑ったままその場に立ち尽くしていた。
 「――さ、行こう」
そんな幸佑の背中をぐっと押した馬場が、歩き出すよう促す。 幸佑はとうとう諦めて、財布を握りしめたままだった手を下ろした。
 「・・・すいません、お金出してもらっちゃって・・・」
 「気にするな。 バイトのお前より、俺の方がきっと稼いでるしな」
そう言った馬場が、ニヤリと笑った。 それにつられて、幸佑も苦笑いを零す。 そうして二人は、ゆっくりと霊園の入口をくぐった。
入り口横の水場で手桶に水を汲み、花と線香を手に二人は雄也の墓前までやってきた。
 「雄也、今日は馬場さんも来てくれたで」
墓石に水をかけながら、幸佑が嬉しそうに語りかける。 馬場も墓前に花と線香を供え、戒名が刻まれた石面をじっと見つめた。
享年28歳と書かれた文字が、哀しく目に映る。 幸佑も馬場も、こうして毎年雄也の年齢をどんどん超えていく。
思い出の中の雄也は、今も屈託のない笑顔で笑っている。
 「・・・・・・・・・」
墓前で手を合わせ、それぞれの胸の中で雄也に語りかける。 そうしてしばし逡巡したのち、幸佑と馬場が静かに手を下ろした。
 「・・・雄也の前で、おまえに報告したいことがある」
ぽつりと呟いた馬場が、鞄から茶色い封筒を取り出して幸佑へ差し出した。
 「これは・・・?」
 「桐畑晃の裁判結果の閲覧謄写だ。 つい先日、ようやく裁判が終了した。 懲役3年6か月の有罪判決が下されたよ」
 「有罪判決・・・」
 「桐畑の弁護側は執行猶予を求めたが、事態を重く見た裁判官が最終的に実刑判決を下したんだ」
 「・・・・・・・・・」
手渡された封筒を見つめる幸佑の目が細められた。 
桐畑によってもたらされた苦しさや悲しみを思うと、今でも胸が張り裂けそうになる。 だがそんな憎むべき桐畑も、ついに獄中の人になる・・・。
 「・・・てっきり控訴すると思ったが、意外にもしなかった。 あんな奴でも、まだどこかに良心のかけらがあったのか・・・」
 「・・・・・・・・・」
 「とにかく、これで俺の長かった闘いもようやく終わったよ。 おまえにも良い報告ができて良かった」
馬場の言葉を聞きながら、先ほどたこ焼き屋で流れていたテレビの映像を思い出す。 桐畑の刑が確定したことで、哀歌の街の上映について再び取り沙汰されているという。
 「・・・以前から、哀歌の街を上映してほしいというファンの要望があったが、ここにきてその訴えが急加速してきてる」
幸佑の考えを読み取ったかのタイミングで、馬場がその話題に触れた。
 「今すぐには無理だが、桐畑が刑期を終えて出てきたら、製作サイドも上映について考えるかも知れない」
 「・・・・・・・・・」
封筒を見つめていた幸佑が、顔を上げて馬場を見た。 何かを訴えかけるような、それは思い詰めた表情だった。
 「――わかってるよ。 もうおまえは一般人だ。 もし映画が上映されることになったとしても、この世界に戻れとは言わないさ」
 「馬場さん・・・」
 「おまえにしたら、思い出すのがつらいことの方が多いかも知れない。 でも思い出さなくてもいいから、忘れないでいてくれないか」
 「え・・・」
一歩、幸佑へ歩み寄った馬場が、真摯な目をしてそう懇願した。 
 「おまえと初めて共演した映画。 おまえと出会わせてくれた作品。 俺にしたら、とても感慨深くて思い入れのある作品だから・・・」
 「馬場さん―—・・・」
 「おまえと出会えて、俺は本当に良かったと思ってる。 俺にとって、かけがえのない存在だ。 おまえがいてくれたから、救われたことも多いんだ」
 「・・・・・・・・・」
 「だから、心の片隅でもいい。 ほんのわずかでもいいから、忘れないで・・・」
そこまでで、馬場の言葉は途切れた。 感極まった幸佑が、馬場に抱きついたのだ。
 「馬場さん・・・馬場さん! 俺だってそうです。 あなたに会えて、本当に良かった・・・! 忘れるはずありませんよ!」
自分にしがみついて声を震わせる幸佑の背を、しっかりと馬場が抱きしめた。
 「――ありがとう」
幸佑の髪の香りを感じながら、目を閉じた馬場が力強くそう言った。 馬場の肩に顔を埋めた幸佑は、とめどなく溢れてくる涙を止めることもできず、ただ小さく嗚咽を漏らしている。
 「・・・ほら、もう泣くな。 雄也の前だぞ」
 「あ・・・」
馬場の言葉にはっとした幸佑が、顔を上げて涙をぬぐった。 同時に、馬場が幸佑の体をすっと離して告げた。
 「・・・じゃ、そろそろ行こうか」
気付けば、あたりには傾きかけた西陽の斜陽が降り注ぎ始めている。 時計は16時前を指していた。
 「そうですね、もうこんな時間なんですね。 時間が経つのは早くて・・・」
 「ゆっくりしたいところだが、明日は東京で仕事なんだ。 今日中には東京へ戻らないと」
 「わかりました、行きましょう。 ここから歩いて10分くらいのところに、地下鉄の喜連瓜破駅がありますので」
 「ああ」
空になった手桶を持った馬場が、最後にもう一度墓前で手を合わせて、二人は霊園を後にした。
やがて喜連瓜破駅の入口までやってきた二人が、ホームへ降りる階段の前で足を止めた。
 「・・・本当に、ここでいいんですか? 新大阪まで送るのに」
 「いいんだ。 行き方だけ教えてくれ」
まだ納得いかない顔ではあるが、言われるまま幸佑が説明を始める。
 「天王寺駅で御堂筋線に乗り換えて、20分くらいで新大阪に着きます」
 「天王寺で御堂筋線だな。 わかった」
口の中で反芻した馬場が頷く。 平日の夕方、だんだん人の数が多くなる駅で、二人はしばし見つめ合った。
 「・・・また来年、命日にお参りに来るよ」
 「え?」
 「これから毎年命日には来ようと思う。 おまえに会いにもな」
 「本当ですか?」
ぱぁっと、幸佑の表情が明るくなった。 こんな晴れやかな笑顔を見るのは久しぶりだと、馬場は心の中で思った。
 「ああ。 また来年会おう」
 「はい! 待ってます」
また来年も馬場に会える。 この約束を糧に、これからも頑張っていこうと幸佑は前向きな気持ちになれた。
 「じゃ、また来年」
 「ああ、また来年」
そう言い残して、馬場の姿が階段へ消えて行った。 一抹の寂しさはあるが、それでもまた来年会える。 もう会えないと思っていた馬場と、これからも毎年会えるのだ。
やがて完全に馬場の姿が見えなくなると、ひとつ深呼吸をした幸佑がゆっくりと踵を返した。
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