南海高野線の我孫子前駅は、各駅停車しか停まらないこぢんまりした駅だ。
そして今は平日の昼間ということもあり、電車が到着しても降りてくる人はまばらだ。
駅の出口で佇んでいる幸佑の前を、ぽつぽつと改札から出てきた乗客が通り過ぎていく。 そうして何人かを見送ったところで、見覚えのある背の高い男性の姿が目に映った。
「馬場さん!」
胸に広がる懐かしさを噛みしめながら、足早に駆け寄る。
「久しぶり。 待ったか?」
「いえ、全然。 ほんとお久しぶりです。 4年近く経ちますかね?」
「そうだな。 元気そうで何よりだ」
「ええ、馬場さんも。 以前と変わらないですね。 なんか安心しました」
「たかが数年でそんなに変わらないさ。 それより、こんなとこで立ち話か?」
懐かしさのあまりそのまま話し込んでしまいそうな勢いだった幸佑が、馬場の言葉ではっと我に返る。
「あ、そうですよね。 そうだ、馬場さんお腹すいてませんか? もうお昼だし、お墓へ行く前に何か食べません?」
腕時計をちらりと見た馬場が、そうだなと相槌を打つ。
「大阪に来たら、うまいたこ焼きを食いたいと思ってたんだ。 どこかあるか?」
「たこ焼き? そんなものでいいんですか?」
「そこまで空腹じゃないんだ。 軽く食べるなら、前から食いたかったたこ焼きがいいなと」
「そうですか・・・」
しばし思案した幸佑が、あ、と声を上げた。
「それなら近くにありますよ。 俺が今バイトしてるお店なんですけど」
「ん? たこ焼き屋でバイトしてるのか?」
「はい。 学生時代によく通ってたとこで、お店のおばちゃん達とも家族みたいな関係なんです」
味は保証しますよ、と微笑む幸佑に、ふっと笑みを浮かべた馬場が頷いた。
「こんにちは~」
引き戸を開けながらそう声をかけると、店の奥から少しハスキーな女性の声でいらっしゃい!と威勢の良い声が飛んできた。
「あれ、幸ちゃんやん。 今日は休みやろ、どないした?」
「今日はお客さん連れてきてん。 めっちゃおいしいたこ焼き作ったってや」
そう言って背後の馬場を指さす。 店主と目が合った馬場が、小さく会釈した。
「うわー、めっちゃカッコええ人やなぁ! なんか緊張するわぁ。 幸ちゃんの友達?」
「東京にいてた時の先輩やねん。 すごいお世話になった人でな。 大阪のたこ焼きが食べたいて言わはったから」
「ん、わかった。 えらい汚い店ですいませんけど、まあ掛けてください」
「ありがとうございます」
平日の昼時で他に客もいない店内の、4人掛けのテーブル席に二人は腰を下ろした。 すぐにカウンター奥の調理場から、ジューッという鉄板を焦がす音が聞こえ始める。
「――明日は雨か」
「え?」
不意にそう呟いた馬場が、カウンター上部に設置されたテレビを指さす。 画面には一面の傘マークが示された天気図が映っている。
「そういえば台風が近づいてるみたいですね。 今日は晴れてて良かった」
「そうだな。 でも雨が近いせいか、だいぶムシムシしてるな」
そんな他愛もない話をしているうちに、たこ焼きが出来上がったらしい。 ソースの香ばしい匂いとともに、皿を手にした店主の恵子がやってきた。
「はい、お待ちどうさま! 熱いうちに食べてや」
「うわ、美味しそう! 馬場さん、どうぞ食べてください」
「お、ほんと美味そうだな。 いただきます」
恵子に向かって手を合わせた馬場が、つまようじに刺さった少し小ぶりのたこ焼きを1個頬張った。 すると顔をしかめて口をパクパクさせた。
「あつ・・・! でも、美味い!」
「あはは、熱々ですからね。 それに大阪のたこ焼きは、外はカリカリでも中はトロトロだから、噛んだ瞬間口の中をヤケドしちゃうんですよ」
どうにか飲み込んだ馬場が、すかさず氷水を飲み干す。 だがすぐに2つめに手を伸ばし、今度はしっかり冷ましてから口に放り込んだ。
そうして皿に盛られた8個のたこ焼きは、あっという間に馬場の腹に収められた。
「とても美味しかった。 東京のたこ焼きとは全然違うんだな」
「ええ、東京は生地がしっかりしてるし、味も違いますよね。 だから東京の人が大阪のを初めて食べると、みんなびっくりするんですよ」
幸佑がそう解説していると、興味津々な様子で恵子が口を挟んできた。
「どないです? お口に合いました?」
「ええ、とても美味しかったです。 口の中は痛いですけど」
やや苦笑いを浮かべた馬場を、幸佑と恵子が見て笑った。 すると引き戸が開く音とともに、チリンチリンという鈴の音が店内に響いた。
「こんにちは~!」
見ると、制服を着た女子高校生3人が店内に入ってきた。
「あれ、あんたら今日学校は? えらい早いやないの」
「今日から試験やから、お昼までやねん。 おばちゃん、たこ焼き3つ頼むわ~!」
「はいよ! って、一人初めて見る顔がいてるやん」
「ああ、この子前から来たい言うてたから、今日は連れてきたってん。 おばちゃん、紹介したからちょっと負けてな!」
「あんたなぁ! まったくかなわんわ!」
きっと常連なのだろう。 楽しそうに会話しながら、恵子は調理場へと消えて行った。
「・・・懐かしいな」
「ん?」
「あの制服。 俺が通ってた高校なんです」
目を細めて彼女たちを見つめる幸佑を、馬場も見つめる。 十数年前の自分を、彼女たちに重ねているのかも知れない。
そういえば、雄也も同じ高校だったと聞いた。 おそらく、かつて隣にいた親友のことも同時に思い出しているのだろう。
ふと、彼女たちのうちの一人が、幸佑を見た。 それは今日初めて来たらしい生徒だった。
なぜか彼女はじっと幸佑を見つめたまま、微動だにしない。 その目には驚愕の色が浮かんでいるようにも見える。
それに気づいた馬場が、幸佑と彼女を見比べる。 幸佑の方は、彼女だけを見ているわけではない。 彼女たち全体を何となく見つめている程度だ。
「・・・彼女、知り合いか?」
「え?」
小声で馬場が尋ねる。 馬場が示す方を見ると、例の生徒と目が合った。 目が合ったことに気付いた生徒が、不自然に目を逸らした。
「・・・いえ、知らない人です。 でも、俺を見てた・・・?」
「・・・・・・・・・」
馬場の表情が、ふと曇った。 もしかして、幸佑の過去を知っているから・・・?
幸佑が芸能界を賑わしていたのは、もう3年以上前のことだ。 だがそれだけの時間が過ぎても、やはりまだ人々の記憶から完全には忘れ去られていないということか。
すると、不意にどこかから幸佑の名を呼ぶ声がした。 それは、かけっぱなしのテレビからだった。
『哀歌の街という映画が、最近になってまた話題になってきてるようですね』
『そうなんです。 この映画は5年ほど前に製作されたんですが、主演の桐畑晃の犯罪が明るみになって、そのままお蔵入りになってしまったんですよね』
『桐畑の相手役として出演していた米原幸佑さんは、この映画が初主演だったそうですね』
『ええ。 でも桐畑のせいで、すべて水の泡になってしまった。 それがもとで、結局は芸能界を引退してしまいました』
『気の毒な話ですよね。 でもこの映画が、上映されるかも知れない状況になってきたようで』
『ファンの根強い要望と、桐畑の刑が確定したことでひとつの区切りがついたようで、今上映に向けて色々動き出してるという情報も・・・』
不意に、画面が暗くなった。 見ると、馬場が無言でリモコンを手に佇んでいる。
「馬場さん・・・」
慌てた様子で調理場から出てきた恵子も、動きを止めて馬場を見ている。 どうやらテレビを消しに来たようだが、馬場に先を越されて驚いているようだ。
「――ねえ、あの人。 さっきテレビで映ってた人に似てない?」
不意に、女子生徒の一人が幸佑を指さしてぼそりと呟いた。 先ほどコメンテーターが話しているとき、画面に幸佑の画像が映し出されていたのを思い出したらしい。
「え、ちゃうやろ。 まさかそんな」
もう一人がそう否定したが、あの初めて来た生徒だけは、何も言わずにただ俯いていた。
「あの、ごちそうさまでした。 会計を」
すっと彼女たちと幸佑の間に立った馬場が、恵子に向かってそう告げた。 はっとした恵子が、慌ててレジへ向かう。
「え、ちょっとめっちゃカッコええ人やん! なんか芸能人みたい」
「あ、なんか見たことある! えっと、確か俳優やったような・・・」
「マジ!? 誰なん!?」
今度は馬場を見てそう騒ぎ出した彼女たちを見て、幸佑が馬場の背に手をやり、恵子も速やかに勘定を済ませた。
「また来てな!」
事情を察した恵子が素早く幸佑たちを外へ送り出し、短くそう告げた。 しっかりと頷いて見せた馬場が幸佑の肩に手を回すと、そのまま足早に歩き出した。
そして今は平日の昼間ということもあり、電車が到着しても降りてくる人はまばらだ。
駅の出口で佇んでいる幸佑の前を、ぽつぽつと改札から出てきた乗客が通り過ぎていく。 そうして何人かを見送ったところで、見覚えのある背の高い男性の姿が目に映った。
「馬場さん!」
胸に広がる懐かしさを噛みしめながら、足早に駆け寄る。
「久しぶり。 待ったか?」
「いえ、全然。 ほんとお久しぶりです。 4年近く経ちますかね?」
「そうだな。 元気そうで何よりだ」
「ええ、馬場さんも。 以前と変わらないですね。 なんか安心しました」
「たかが数年でそんなに変わらないさ。 それより、こんなとこで立ち話か?」
懐かしさのあまりそのまま話し込んでしまいそうな勢いだった幸佑が、馬場の言葉ではっと我に返る。
「あ、そうですよね。 そうだ、馬場さんお腹すいてませんか? もうお昼だし、お墓へ行く前に何か食べません?」
腕時計をちらりと見た馬場が、そうだなと相槌を打つ。
「大阪に来たら、うまいたこ焼きを食いたいと思ってたんだ。 どこかあるか?」
「たこ焼き? そんなものでいいんですか?」
「そこまで空腹じゃないんだ。 軽く食べるなら、前から食いたかったたこ焼きがいいなと」
「そうですか・・・」
しばし思案した幸佑が、あ、と声を上げた。
「それなら近くにありますよ。 俺が今バイトしてるお店なんですけど」
「ん? たこ焼き屋でバイトしてるのか?」
「はい。 学生時代によく通ってたとこで、お店のおばちゃん達とも家族みたいな関係なんです」
味は保証しますよ、と微笑む幸佑に、ふっと笑みを浮かべた馬場が頷いた。
「こんにちは~」
引き戸を開けながらそう声をかけると、店の奥から少しハスキーな女性の声でいらっしゃい!と威勢の良い声が飛んできた。
「あれ、幸ちゃんやん。 今日は休みやろ、どないした?」
「今日はお客さん連れてきてん。 めっちゃおいしいたこ焼き作ったってや」
そう言って背後の馬場を指さす。 店主と目が合った馬場が、小さく会釈した。
「うわー、めっちゃカッコええ人やなぁ! なんか緊張するわぁ。 幸ちゃんの友達?」
「東京にいてた時の先輩やねん。 すごいお世話になった人でな。 大阪のたこ焼きが食べたいて言わはったから」
「ん、わかった。 えらい汚い店ですいませんけど、まあ掛けてください」
「ありがとうございます」
平日の昼時で他に客もいない店内の、4人掛けのテーブル席に二人は腰を下ろした。 すぐにカウンター奥の調理場から、ジューッという鉄板を焦がす音が聞こえ始める。
「――明日は雨か」
「え?」
不意にそう呟いた馬場が、カウンター上部に設置されたテレビを指さす。 画面には一面の傘マークが示された天気図が映っている。
「そういえば台風が近づいてるみたいですね。 今日は晴れてて良かった」
「そうだな。 でも雨が近いせいか、だいぶムシムシしてるな」
そんな他愛もない話をしているうちに、たこ焼きが出来上がったらしい。 ソースの香ばしい匂いとともに、皿を手にした店主の恵子がやってきた。
「はい、お待ちどうさま! 熱いうちに食べてや」
「うわ、美味しそう! 馬場さん、どうぞ食べてください」
「お、ほんと美味そうだな。 いただきます」
恵子に向かって手を合わせた馬場が、つまようじに刺さった少し小ぶりのたこ焼きを1個頬張った。 すると顔をしかめて口をパクパクさせた。
「あつ・・・! でも、美味い!」
「あはは、熱々ですからね。 それに大阪のたこ焼きは、外はカリカリでも中はトロトロだから、噛んだ瞬間口の中をヤケドしちゃうんですよ」
どうにか飲み込んだ馬場が、すかさず氷水を飲み干す。 だがすぐに2つめに手を伸ばし、今度はしっかり冷ましてから口に放り込んだ。
そうして皿に盛られた8個のたこ焼きは、あっという間に馬場の腹に収められた。
「とても美味しかった。 東京のたこ焼きとは全然違うんだな」
「ええ、東京は生地がしっかりしてるし、味も違いますよね。 だから東京の人が大阪のを初めて食べると、みんなびっくりするんですよ」
幸佑がそう解説していると、興味津々な様子で恵子が口を挟んできた。
「どないです? お口に合いました?」
「ええ、とても美味しかったです。 口の中は痛いですけど」
やや苦笑いを浮かべた馬場を、幸佑と恵子が見て笑った。 すると引き戸が開く音とともに、チリンチリンという鈴の音が店内に響いた。
「こんにちは~!」
見ると、制服を着た女子高校生3人が店内に入ってきた。
「あれ、あんたら今日学校は? えらい早いやないの」
「今日から試験やから、お昼までやねん。 おばちゃん、たこ焼き3つ頼むわ~!」
「はいよ! って、一人初めて見る顔がいてるやん」
「ああ、この子前から来たい言うてたから、今日は連れてきたってん。 おばちゃん、紹介したからちょっと負けてな!」
「あんたなぁ! まったくかなわんわ!」
きっと常連なのだろう。 楽しそうに会話しながら、恵子は調理場へと消えて行った。
「・・・懐かしいな」
「ん?」
「あの制服。 俺が通ってた高校なんです」
目を細めて彼女たちを見つめる幸佑を、馬場も見つめる。 十数年前の自分を、彼女たちに重ねているのかも知れない。
そういえば、雄也も同じ高校だったと聞いた。 おそらく、かつて隣にいた親友のことも同時に思い出しているのだろう。
ふと、彼女たちのうちの一人が、幸佑を見た。 それは今日初めて来たらしい生徒だった。
なぜか彼女はじっと幸佑を見つめたまま、微動だにしない。 その目には驚愕の色が浮かんでいるようにも見える。
それに気づいた馬場が、幸佑と彼女を見比べる。 幸佑の方は、彼女だけを見ているわけではない。 彼女たち全体を何となく見つめている程度だ。
「・・・彼女、知り合いか?」
「え?」
小声で馬場が尋ねる。 馬場が示す方を見ると、例の生徒と目が合った。 目が合ったことに気付いた生徒が、不自然に目を逸らした。
「・・・いえ、知らない人です。 でも、俺を見てた・・・?」
「・・・・・・・・・」
馬場の表情が、ふと曇った。 もしかして、幸佑の過去を知っているから・・・?
幸佑が芸能界を賑わしていたのは、もう3年以上前のことだ。 だがそれだけの時間が過ぎても、やはりまだ人々の記憶から完全には忘れ去られていないということか。
すると、不意にどこかから幸佑の名を呼ぶ声がした。 それは、かけっぱなしのテレビからだった。
『哀歌の街という映画が、最近になってまた話題になってきてるようですね』
『そうなんです。 この映画は5年ほど前に製作されたんですが、主演の桐畑晃の犯罪が明るみになって、そのままお蔵入りになってしまったんですよね』
『桐畑の相手役として出演していた米原幸佑さんは、この映画が初主演だったそうですね』
『ええ。 でも桐畑のせいで、すべて水の泡になってしまった。 それがもとで、結局は芸能界を引退してしまいました』
『気の毒な話ですよね。 でもこの映画が、上映されるかも知れない状況になってきたようで』
『ファンの根強い要望と、桐畑の刑が確定したことでひとつの区切りがついたようで、今上映に向けて色々動き出してるという情報も・・・』
不意に、画面が暗くなった。 見ると、馬場が無言でリモコンを手に佇んでいる。
「馬場さん・・・」
慌てた様子で調理場から出てきた恵子も、動きを止めて馬場を見ている。 どうやらテレビを消しに来たようだが、馬場に先を越されて驚いているようだ。
「――ねえ、あの人。 さっきテレビで映ってた人に似てない?」
不意に、女子生徒の一人が幸佑を指さしてぼそりと呟いた。 先ほどコメンテーターが話しているとき、画面に幸佑の画像が映し出されていたのを思い出したらしい。
「え、ちゃうやろ。 まさかそんな」
もう一人がそう否定したが、あの初めて来た生徒だけは、何も言わずにただ俯いていた。
「あの、ごちそうさまでした。 会計を」
すっと彼女たちと幸佑の間に立った馬場が、恵子に向かってそう告げた。 はっとした恵子が、慌ててレジへ向かう。
「え、ちょっとめっちゃカッコええ人やん! なんか芸能人みたい」
「あ、なんか見たことある! えっと、確か俳優やったような・・・」
「マジ!? 誰なん!?」
今度は馬場を見てそう騒ぎ出した彼女たちを見て、幸佑が馬場の背に手をやり、恵子も速やかに勘定を済ませた。
「また来てな!」
事情を察した恵子が素早く幸佑たちを外へ送り出し、短くそう告げた。 しっかりと頷いて見せた馬場が幸佑の肩に手を回すと、そのまま足早に歩き出した。