墓苑を後にし、幸佑と馬場が最寄り駅である喜連瓜破駅に到着した。
「ーー次に会うときは東京だな」
優しい目をした馬場がそう言うと、幸佑が頷きながら答えた。
「はい、こちらの仕事の区切りがついたら上京するつもりです」
「『哀歌の街・2』のことはまたこれから具体的な連絡がくると思う。 今はまだ製作が決まったって情報だけしかきてないから」
「ええ。 こないだ佐々木さんを通じてディレクターの仲野さんと話した時、詳細が決まり次第また追って連絡するって言ってました」
「きっと撮影は来年になってからになるだろうな」
「そうですね。 だから今年中には上京しようと思ってます」
「ーー待ってる」
そう言って馬場が幸佑の肩に手を置いた。 それに応えるように、幸佑が深く頷く。 それを確認した馬場が、手を戻しながらふと空を仰いだ。
「・・・もうじき夕暮れか。 陽が落ちるのも早くなったな」
馬場の言葉につられて幸佑も空を見る。 頭上には澄んだ青空が広がっているが、西の方はオレンジ色に染まりかけている。 腕時計を見ると、時刻は16時40分だった。
「やっぱり、季節は少しずつ確実に移ろってるんですね。 ついこの前までは6時になってもまだまだ明るかったのに」
「来週にはもう10月だからな。 ていうか、しみじみ季節の話するなんてなんだか年寄りみたいだな」
そう言った馬場が、珍しく歯を見せて笑った。 ぱっと笑顔になった幸佑が、笑いながら同調する。
「ですね。 回顧録にはまだまだ早いですよね」
ひとしきり笑い合った後、馬場が幸佑に向き直った。
「ーーじゃ、また東京で会おう」
「え? 新大阪まで送って行きますよ」
「いや、ここでいい。 おまえさっきこの後まだ行くところがあるって言ってただろ」
そう言われて、そういえばそんなことを言ったのを思い出す。 だが特に用があるわけでもなく、なんとなく海を見たい気分だったから南港へ行こうと思っていただけだった。
「いえ、特に用があるわけじゃ・・・。 そうだ、馬場さんも一緒に行きませんか? この後海を見に行こうと思ってたんですよ」
「海? 港か?」
「ええ、ここから自転車で20分くらいのとこに南港があるんです。 タクシーだったら10分もしないくらいで着きますよ」
「残念だけど、18時台の新幹線に乗らないといけないから無理だな。 また今度一緒に行こう。 俺も海は好きだから」
「そうですか、じゃあ次回はぜひ一緒に行きましょう。 天気がいいと六甲山がはっきりと見えるし、ポートタワーなんかも見えてけっこう良い景観なんですよ」
「ああ。楽しみにしてる。 じゃ、行くよ」
ふわりと笑った馬場が、軽く手を上げて足を踏み出す。 そしてそのまま、人々の雑踏に紛れていく。
次第に小さくなるその背中に、しばらく幸佑は手を振り続けた。
馬場の姿が完全に見えなくなると、ようやく幸佑は手を下ろして駐輪場へと向かった。
夕暮れも近くなったこの時刻、自転車で駆け抜ける街の風は、真昼の暑さが徐々に薄れて冷気を孕みはじめ、汗ばむ肌を心地よく冷ましていく。
爽快な気分でそのままペダルを漕ぎ続け、南港に到着したのは午後5時半だった。
あたりはすっかりオレンジ色に包まれ、港を行き交う船舶も、白く波立つ海面も、すべてを暖かな色に染め上げている。
自転車から降り立った幸佑は、ゆっくりと自転車を押しながら岸壁近くの階段のあるところまで進んだ。
雲ひとつない空を見上げると、青からオレンジ色に続くグラデーションがとても美しい。 その大空のキャンバスを背景に、時折カモメが横切っていく。 カモメの白と黒のコントラストが際立つ。
周囲に人影はなく、遠くでカメラを構えた人がちらほら見える程度だ。 岸壁に打ち寄せる波音と、船舶のエンジン音だけが静寂の中に響く。
潮の香りを深く吸い込んで、幸佑は階段に腰を下ろした。
遠くまで見晴らしの良い景色を眺めながら、胸に広がる様々な想いをかみしめる。
再び表舞台に立つことへの希望と不安、また芝居ができることの喜び、そして悲願だった馬場や澪との共演。
時にそれらは混沌として心を揺さぶることもあるが、今は不思議と穏やかな気持ちでいられる。
ふわりと沖から海風が渡ってきて、幸佑の体を優しく通り過ぎる。 その風はほのかに暖かくて、無性に懐かしい気分になった。
「雄也・・・?」
無意識に幸佑の口から雄也の名前が零れた。 思わずあたりをキョロキョロと見まわすが、そこにはやはり誰も居ず、ただ静かな夕暮れの風景が広がるのみだ。
ふと思い出す。 いつかここに雄也と一緒に来たことを。
「あれはいつやったか・・・」
そう、あれは確か桐畑のことで幸佑が傷ついた時、故郷に帰れば少しでも傷が癒せるかもという雄也の発案で大阪へ帰ってきたときだ。 二人で自転車を走らせ、今と同じように夕暮れの港で海を見ながら色んなことを語り合った。
不意に、その時の光景が鮮明に蘇る。
あの時の雄也の声、表情、体温・・・。 すべてが記憶とともに五感に訴えかけてくる。
「雄也・・・」
知らず知らず両腕をぎゅっと抱き、惜慕の思いにのまれそうになるのを堪える。 何年経っても、やはり雄也を失くした痛みは消えることはない。
そうして一人じっと佇む幸佑の頬を、再び海風が撫でていく。 その風を受けた時、なぜか幸佑の耳に『大丈夫』という雄也の声が聞こえたような気がした。
硬くしていた体から力が抜け、自分を抱きしめていた両腕をほどく。
時折感じる、雄也が見守ってくれているという気配。 今またそれを感じ、幸佑の胸を暖かく満たしていく。
「・・・うん、俺は大丈夫や。 おまえがいつもそばにいてくれてるから。 これからもずっと見守っててくれよな」
そう呟いて、ゆっくりと立ち上がる。 オレンジ色から群青色へと変わっていく空の下、深呼吸する。
これから出航していく貨物船が、ひとつ汽笛を鳴らした。 長く余韻を残すその音色は、まるで大阪湾の隅々まで響き渡っていくようだ。
今また優しい潮風が吹き渡る。 今も昔も変わらぬその風の香りは、無条件に穏やかな気持ちにさせてくれる。
やがて幸佑は海に背を向けて歩き出した。
新しい『これから』に思いを馳せ、あの頃と同じ風に吹かれてーー。
≪後記≫
今まで「風に吹かれて」を読んでいただきありがとうございました。
約9年にも及ぶ長い間こうして続けてこられたのは、ひとえに読者のみなさまのおかげでございます。
私のライフワークにもなっていたこのお話がついに完結を迎え、感無量な気持ちであるとともに
どこか寂しい気持ちでもあります。
機会があればまたどこかのタイミングで、番外編という形で幸佑たちのその後やサイドストーリーなどを
書けたらなぁと思っております。
長い間どうもありがとうございました!
ななりん
「ーー次に会うときは東京だな」
優しい目をした馬場がそう言うと、幸佑が頷きながら答えた。
「はい、こちらの仕事の区切りがついたら上京するつもりです」
「『哀歌の街・2』のことはまたこれから具体的な連絡がくると思う。 今はまだ製作が決まったって情報だけしかきてないから」
「ええ。 こないだ佐々木さんを通じてディレクターの仲野さんと話した時、詳細が決まり次第また追って連絡するって言ってました」
「きっと撮影は来年になってからになるだろうな」
「そうですね。 だから今年中には上京しようと思ってます」
「ーー待ってる」
そう言って馬場が幸佑の肩に手を置いた。 それに応えるように、幸佑が深く頷く。 それを確認した馬場が、手を戻しながらふと空を仰いだ。
「・・・もうじき夕暮れか。 陽が落ちるのも早くなったな」
馬場の言葉につられて幸佑も空を見る。 頭上には澄んだ青空が広がっているが、西の方はオレンジ色に染まりかけている。 腕時計を見ると、時刻は16時40分だった。
「やっぱり、季節は少しずつ確実に移ろってるんですね。 ついこの前までは6時になってもまだまだ明るかったのに」
「来週にはもう10月だからな。 ていうか、しみじみ季節の話するなんてなんだか年寄りみたいだな」
そう言った馬場が、珍しく歯を見せて笑った。 ぱっと笑顔になった幸佑が、笑いながら同調する。
「ですね。 回顧録にはまだまだ早いですよね」
ひとしきり笑い合った後、馬場が幸佑に向き直った。
「ーーじゃ、また東京で会おう」
「え? 新大阪まで送って行きますよ」
「いや、ここでいい。 おまえさっきこの後まだ行くところがあるって言ってただろ」
そう言われて、そういえばそんなことを言ったのを思い出す。 だが特に用があるわけでもなく、なんとなく海を見たい気分だったから南港へ行こうと思っていただけだった。
「いえ、特に用があるわけじゃ・・・。 そうだ、馬場さんも一緒に行きませんか? この後海を見に行こうと思ってたんですよ」
「海? 港か?」
「ええ、ここから自転車で20分くらいのとこに南港があるんです。 タクシーだったら10分もしないくらいで着きますよ」
「残念だけど、18時台の新幹線に乗らないといけないから無理だな。 また今度一緒に行こう。 俺も海は好きだから」
「そうですか、じゃあ次回はぜひ一緒に行きましょう。 天気がいいと六甲山がはっきりと見えるし、ポートタワーなんかも見えてけっこう良い景観なんですよ」
「ああ。楽しみにしてる。 じゃ、行くよ」
ふわりと笑った馬場が、軽く手を上げて足を踏み出す。 そしてそのまま、人々の雑踏に紛れていく。
次第に小さくなるその背中に、しばらく幸佑は手を振り続けた。
馬場の姿が完全に見えなくなると、ようやく幸佑は手を下ろして駐輪場へと向かった。
夕暮れも近くなったこの時刻、自転車で駆け抜ける街の風は、真昼の暑さが徐々に薄れて冷気を孕みはじめ、汗ばむ肌を心地よく冷ましていく。
爽快な気分でそのままペダルを漕ぎ続け、南港に到着したのは午後5時半だった。
あたりはすっかりオレンジ色に包まれ、港を行き交う船舶も、白く波立つ海面も、すべてを暖かな色に染め上げている。
自転車から降り立った幸佑は、ゆっくりと自転車を押しながら岸壁近くの階段のあるところまで進んだ。
雲ひとつない空を見上げると、青からオレンジ色に続くグラデーションがとても美しい。 その大空のキャンバスを背景に、時折カモメが横切っていく。 カモメの白と黒のコントラストが際立つ。
周囲に人影はなく、遠くでカメラを構えた人がちらほら見える程度だ。 岸壁に打ち寄せる波音と、船舶のエンジン音だけが静寂の中に響く。
潮の香りを深く吸い込んで、幸佑は階段に腰を下ろした。
遠くまで見晴らしの良い景色を眺めながら、胸に広がる様々な想いをかみしめる。
再び表舞台に立つことへの希望と不安、また芝居ができることの喜び、そして悲願だった馬場や澪との共演。
時にそれらは混沌として心を揺さぶることもあるが、今は不思議と穏やかな気持ちでいられる。
ふわりと沖から海風が渡ってきて、幸佑の体を優しく通り過ぎる。 その風はほのかに暖かくて、無性に懐かしい気分になった。
「雄也・・・?」
無意識に幸佑の口から雄也の名前が零れた。 思わずあたりをキョロキョロと見まわすが、そこにはやはり誰も居ず、ただ静かな夕暮れの風景が広がるのみだ。
ふと思い出す。 いつかここに雄也と一緒に来たことを。
「あれはいつやったか・・・」
そう、あれは確か桐畑のことで幸佑が傷ついた時、故郷に帰れば少しでも傷が癒せるかもという雄也の発案で大阪へ帰ってきたときだ。 二人で自転車を走らせ、今と同じように夕暮れの港で海を見ながら色んなことを語り合った。
不意に、その時の光景が鮮明に蘇る。
あの時の雄也の声、表情、体温・・・。 すべてが記憶とともに五感に訴えかけてくる。
「雄也・・・」
知らず知らず両腕をぎゅっと抱き、惜慕の思いにのまれそうになるのを堪える。 何年経っても、やはり雄也を失くした痛みは消えることはない。
そうして一人じっと佇む幸佑の頬を、再び海風が撫でていく。 その風を受けた時、なぜか幸佑の耳に『大丈夫』という雄也の声が聞こえたような気がした。
硬くしていた体から力が抜け、自分を抱きしめていた両腕をほどく。
時折感じる、雄也が見守ってくれているという気配。 今またそれを感じ、幸佑の胸を暖かく満たしていく。
「・・・うん、俺は大丈夫や。 おまえがいつもそばにいてくれてるから。 これからもずっと見守っててくれよな」
そう呟いて、ゆっくりと立ち上がる。 オレンジ色から群青色へと変わっていく空の下、深呼吸する。
これから出航していく貨物船が、ひとつ汽笛を鳴らした。 長く余韻を残すその音色は、まるで大阪湾の隅々まで響き渡っていくようだ。
今また優しい潮風が吹き渡る。 今も昔も変わらぬその風の香りは、無条件に穏やかな気持ちにさせてくれる。
やがて幸佑は海に背を向けて歩き出した。
新しい『これから』に思いを馳せ、あの頃と同じ風に吹かれてーー。
≪後記≫
今まで「風に吹かれて」を読んでいただきありがとうございました。
約9年にも及ぶ長い間こうして続けてこられたのは、ひとえに読者のみなさまのおかげでございます。
私のライフワークにもなっていたこのお話がついに完結を迎え、感無量な気持ちであるとともに
どこか寂しい気持ちでもあります。
機会があればまたどこかのタイミングで、番外編という形で幸佑たちのその後やサイドストーリーなどを
書けたらなぁと思っております。
長い間どうもありがとうございました!
ななりん