30分以上にわたるグレーグライの独白を聞き終えたアーティットは、しばらく言葉が出てこなかった。 何を言って良いかわからなかった。
その内容は、まったく想像のつかないものだった。
あのサットがグレーグライの息子であり、コングの異母兄だったなんて。
「・・・・・・・・・」
目を見開いたまま自分を凝視して絶句しているアーティットへ、グレーグライがゆっくりと語りかけた。
「・・・自分の恥だともいえるこんなことを、本当なら人に話すべきじゃないのかもしれない。 だがきみなら、偏見や色眼鏡で見ないと確信があったから、こうして話せた」
「グレーグライさん・・・」
「それに何より、わたしのことを父親だと思ってるというきみの言葉が、わたしの中で燻っていた何かを解放してくれた。 ありがとう、聞いてくれて。 おかげでいくらか気持ちが軽くなったよ」
静かに語るグレーグライの表情は、言葉どおり清々しいものになっていた。 口元には微笑も浮かんでいる。
「・・・あの、ひとつ聞いてもいいですか」
「ん? なんだね」
それまでひたすら黙ってグレーグライの言葉を聞いていたアーティットが、意を決したように口を開いた。
「このことを、サットには・・・」
そこまでで言葉を途切れさせたが、グレーグライの心にはその先に続く言葉がしっかりと伝わってきた。 小さく何度も頷いて、目を伏せる。
当然の質問だと思う。 自分が父親だと、サットに告げるのかどうなのか。
しばらく頭の中で様々な思考を巡らせた後、グレーグライがおもむろに答えた。
「・・・それは、はっきり言ってまだわからない。 いや、迷っていると言った方がいいだろうな。 だが、母親であるマリアンとは話し合いたいと思ってる」
「・・・・・・・・・」
正直に胸の内を話すグレーグライを、アーティットがじっと見つめる。 彼の迷いは、当然だと思った。
このことを話せば、サットの家庭を揺るがすことになりかねない。 そしてサットの心に、良くも悪くもきっと大きな影響を及ぼすだろう。
ふとアーティットの脳裏に、サットと交わしたいつかの他愛無い話が甦った。
「・・・そういえば、以前サットが父親について話してたことがあるんです」
「え?」
「あの時は確か、お互いの家族のことを話してて。 僕の父親はもう亡くなっていないって言ったら、あいつも父親はいないんだと言ってて。 でも生まれた時からいないから、それが普通で寂しいとか思ったことなかったって」
「・・・・・・・・・」
「父親がどんな人なのか知りたくないのかって聞いたら、小さい頃はそう思ったこともあったけど、今はもう何も思わない。 母親が選んだ人だから、きっと良い人なんだろう、と」
「・・・・・・・・・」
静かに紡がれるアーティットの言葉を聞いて、グレーグライの胸にじわりと温かい何かが広がった。 それは次第に熱を帯び、やがて胸全体を熱く支配していく。
「・・・もしあなたが父親だと名乗り出たら、はじめは戸惑うかも知れないけど、きっと彼は受け入れてくれると思います」
「・・・・・・・・・」
穏やかな微笑みを浮かべてそう告げるアーティットは、どこか少しだけ寂しそうに見えた。
父親はもう亡くなっていると言っていた。 やはりその寂しさは、いつまでたっても無くなることはないのだろう。
ゆっくりと立ち上がったグレーグライが、アーティットの隣へ移動して腰を下ろす。 不思議そうに見つめている彼の肩を、グレーグライがぐっと抱いた。
「わたしは幸せ者だよ。 素晴らしい息子を3人ももつことができたのだから」
驚いて目を見開いているアーティットの耳元へそう囁くと、そのまま彼の体ごと抱きしめた。
「グレーグライさ・・・」
「父さんだ。 そう呼んでくれ」
大きな手が、広い胸が、アーティットの体を温かく包み込む。 コングの抱擁とはまた違い、それはどこまでも慈しみに満ち溢れたものだった。
脳裏に、もう忘れたはずの遠い記憶が蘇る。
幼い頃の、父の大きな手。 大きな体。 小さかった自分の目に映る父は、何よりも大きくて力強く、そして優しかった。
「う・・・」
不意に熱く込み上げるものを感じ、アーティットが低く呻く。 喉に何かが詰まったようになり、鼻の奥がツンと痛む。
記憶の中の父とグレーグライとが重なって、激しく感情を揺さぶる。 きつく閉じていた目から、ひとすじ涙が流れた。
「お・・・父さん・・・。 お父さん・・・」
グレーグライの胸に顔をうずめたまま、何度も震える声でそう呟く。 アーティットの胸の中で渦巻く様々な思いを汲み取ったグレーグライが、抱きしめる手に力をこめる。
「・・・亡くなったお父さんの代わりに、これからはわたしがいることを忘れないでくれ」
「はい・・・」
涙をぬぐいながら、何度もアーティットが頷く。 そんな彼を満足そうに見つめたグレーグライが、そっと腕をほどいて告げた。
「・・・わたしも、きみのおかげで決心がついたよ」
「え?」
まだ涙の跡が乾ききらない目で、アーティットが尋ね返す。 上目遣いに自分を見つめる彼に、グレーグライがゆっくりと語り掛ける。
「プイメークにも、コングポップにも、サットのことを包み隠さず話そうと思う」
「えっ」
驚いて目を見張るアーティットを、真摯な目でグレーグライが見つめ返す。
「わたしたちは家族だ。 隠しごとなどするべきではない。 折を見て、わたしの口からはっきりと告げることにするよ」
「お父さん・・・」
グレーグライの目には、曇りがない。 もう迷いはないのだろう。
だが、アーティットはコングのことが気がかりだった。 サットよりも、コングの方が受ける衝撃は大きい気がするのだ。
コングはグレーグライを父として経営者として尊敬し、畏怖している。 そんな尊厳の対象たるグレーグライの予想もしない側面を見たとき、コングはどうなるのだろう。
「・・・・・・・・・」
だが当事者であるグレーグライが告白すると決めた以上、それを阻むことはできないし、また阻む権利もない。
もしコングの受けたショックが大きければ、自分がその受け皿になってやればいい。 もし心に傷を受けたなら、傷が癒えるまで寄り添っていよう。
それが、自分の役割だ。
心の中でそう逡巡し、答えを見つけたアーティットは、もう余計なことは考えないと決めた。
「・・・僕も、及ばずながら協力します」
まっすぐ目を見てそう言うアーティットに、小さく頷いたグレーグライがありがとう、と呟いて微笑んだ。
その内容は、まったく想像のつかないものだった。
あのサットがグレーグライの息子であり、コングの異母兄だったなんて。
「・・・・・・・・・」
目を見開いたまま自分を凝視して絶句しているアーティットへ、グレーグライがゆっくりと語りかけた。
「・・・自分の恥だともいえるこんなことを、本当なら人に話すべきじゃないのかもしれない。 だがきみなら、偏見や色眼鏡で見ないと確信があったから、こうして話せた」
「グレーグライさん・・・」
「それに何より、わたしのことを父親だと思ってるというきみの言葉が、わたしの中で燻っていた何かを解放してくれた。 ありがとう、聞いてくれて。 おかげでいくらか気持ちが軽くなったよ」
静かに語るグレーグライの表情は、言葉どおり清々しいものになっていた。 口元には微笑も浮かんでいる。
「・・・あの、ひとつ聞いてもいいですか」
「ん? なんだね」
それまでひたすら黙ってグレーグライの言葉を聞いていたアーティットが、意を決したように口を開いた。
「このことを、サットには・・・」
そこまでで言葉を途切れさせたが、グレーグライの心にはその先に続く言葉がしっかりと伝わってきた。 小さく何度も頷いて、目を伏せる。
当然の質問だと思う。 自分が父親だと、サットに告げるのかどうなのか。
しばらく頭の中で様々な思考を巡らせた後、グレーグライがおもむろに答えた。
「・・・それは、はっきり言ってまだわからない。 いや、迷っていると言った方がいいだろうな。 だが、母親であるマリアンとは話し合いたいと思ってる」
「・・・・・・・・・」
正直に胸の内を話すグレーグライを、アーティットがじっと見つめる。 彼の迷いは、当然だと思った。
このことを話せば、サットの家庭を揺るがすことになりかねない。 そしてサットの心に、良くも悪くもきっと大きな影響を及ぼすだろう。
ふとアーティットの脳裏に、サットと交わしたいつかの他愛無い話が甦った。
「・・・そういえば、以前サットが父親について話してたことがあるんです」
「え?」
「あの時は確か、お互いの家族のことを話してて。 僕の父親はもう亡くなっていないって言ったら、あいつも父親はいないんだと言ってて。 でも生まれた時からいないから、それが普通で寂しいとか思ったことなかったって」
「・・・・・・・・・」
「父親がどんな人なのか知りたくないのかって聞いたら、小さい頃はそう思ったこともあったけど、今はもう何も思わない。 母親が選んだ人だから、きっと良い人なんだろう、と」
「・・・・・・・・・」
静かに紡がれるアーティットの言葉を聞いて、グレーグライの胸にじわりと温かい何かが広がった。 それは次第に熱を帯び、やがて胸全体を熱く支配していく。
「・・・もしあなたが父親だと名乗り出たら、はじめは戸惑うかも知れないけど、きっと彼は受け入れてくれると思います」
「・・・・・・・・・」
穏やかな微笑みを浮かべてそう告げるアーティットは、どこか少しだけ寂しそうに見えた。
父親はもう亡くなっていると言っていた。 やはりその寂しさは、いつまでたっても無くなることはないのだろう。
ゆっくりと立ち上がったグレーグライが、アーティットの隣へ移動して腰を下ろす。 不思議そうに見つめている彼の肩を、グレーグライがぐっと抱いた。
「わたしは幸せ者だよ。 素晴らしい息子を3人ももつことができたのだから」
驚いて目を見開いているアーティットの耳元へそう囁くと、そのまま彼の体ごと抱きしめた。
「グレーグライさ・・・」
「父さんだ。 そう呼んでくれ」
大きな手が、広い胸が、アーティットの体を温かく包み込む。 コングの抱擁とはまた違い、それはどこまでも慈しみに満ち溢れたものだった。
脳裏に、もう忘れたはずの遠い記憶が蘇る。
幼い頃の、父の大きな手。 大きな体。 小さかった自分の目に映る父は、何よりも大きくて力強く、そして優しかった。
「う・・・」
不意に熱く込み上げるものを感じ、アーティットが低く呻く。 喉に何かが詰まったようになり、鼻の奥がツンと痛む。
記憶の中の父とグレーグライとが重なって、激しく感情を揺さぶる。 きつく閉じていた目から、ひとすじ涙が流れた。
「お・・・父さん・・・。 お父さん・・・」
グレーグライの胸に顔をうずめたまま、何度も震える声でそう呟く。 アーティットの胸の中で渦巻く様々な思いを汲み取ったグレーグライが、抱きしめる手に力をこめる。
「・・・亡くなったお父さんの代わりに、これからはわたしがいることを忘れないでくれ」
「はい・・・」
涙をぬぐいながら、何度もアーティットが頷く。 そんな彼を満足そうに見つめたグレーグライが、そっと腕をほどいて告げた。
「・・・わたしも、きみのおかげで決心がついたよ」
「え?」
まだ涙の跡が乾ききらない目で、アーティットが尋ね返す。 上目遣いに自分を見つめる彼に、グレーグライがゆっくりと語り掛ける。
「プイメークにも、コングポップにも、サットのことを包み隠さず話そうと思う」
「えっ」
驚いて目を見張るアーティットを、真摯な目でグレーグライが見つめ返す。
「わたしたちは家族だ。 隠しごとなどするべきではない。 折を見て、わたしの口からはっきりと告げることにするよ」
「お父さん・・・」
グレーグライの目には、曇りがない。 もう迷いはないのだろう。
だが、アーティットはコングのことが気がかりだった。 サットよりも、コングの方が受ける衝撃は大きい気がするのだ。
コングはグレーグライを父として経営者として尊敬し、畏怖している。 そんな尊厳の対象たるグレーグライの予想もしない側面を見たとき、コングはどうなるのだろう。
「・・・・・・・・・」
だが当事者であるグレーグライが告白すると決めた以上、それを阻むことはできないし、また阻む権利もない。
もしコングの受けたショックが大きければ、自分がその受け皿になってやればいい。 もし心に傷を受けたなら、傷が癒えるまで寄り添っていよう。
それが、自分の役割だ。
心の中でそう逡巡し、答えを見つけたアーティットは、もう余計なことは考えないと決めた。
「・・・僕も、及ばずながら協力します」
まっすぐ目を見てそう言うアーティットに、小さく頷いたグレーグライがありがとう、と呟いて微笑んだ。