いつの間にか、ふたたび眠っていたらしい。 部屋の外で誰かが話している声で、アーティットは目を覚ました。
まだぼんやりする頭のまま、カーテンから漏れる斜陽が目に入る。
部屋全体を温かなオレンジ色に染めるその光を見つめていると、徐々に意識が明瞭になってきた。
「・・・!」
がばっと、それこそ音がするほどの勢いでベッド上に起き上がる。 とっさに腕時計を見ると、もう夕方の6時半だった。
一瞬、何が何だかわからなくなる。
記憶にあるのは、プイメークが作ってくれたお粥をほんの少し食べ、それから鎮痛剤をもらって飲んだ。 それはまだ朝日が差し込む時間帯だったはずだ。
あれから数時間が経っているなんて、にわかには信じられない。 思わずアーティットが頭を抱えた。
だが、ひどかった頭痛と悪心が、今はすっかりなくなっている。 頭も妙にすっきりした気分だ。
鎮痛剤には少なからず傾眠薬が含まれているというが、それにしても何時間も意識を失ったように眠りこけてしまうとは。
ベッドサイドに置かれていたお粥の入っていた土鍋も、いつの間にか下げられている。 きっとプイメークが下げに来たのだろうが、それにも気づかずにいたということか。
思えば、最近は退職に向けて多忙な日々が続いていた。 夜も遅くまで、そして朝も早くから仕事づくめの日々だった。
次第に蓄積されていった疲労と睡眠不足に加え、とどめの深酒でついに体が悲鳴を上げたのだろうか。
なぜか因果応報という言葉が頭に浮かんだが、そんなことよりももっと重大なことを思い出した。
先ほど聞こえた話し声。 内容まではわからなかったが、一人はきっとプイメークだろう。
そして話していた相手。 それはもう、グレーグライしかいない。
そう思い至った瞬間、アーティットは脱兎のごとくベッドから抜け出し、勢いよく部屋から飛び出した。
「――あ、アーティットさん。 気分はどう? 良くなった?」
ドアから廊下へ出たところで、プイメークがそう声をかけてきた。 続いて、グレーグライも話しかけてきた。
「ゆっくり休めたかね」
二人からの言葉を受けて、アーティットは乱れた呼吸を速やかに整え、深々と頭を下げた。
「すみませんでした、大変お世話をかけてしまって」
前後不覚になるほど泥酔し、意識を失った自分をプイメークに介抱させた挙句、二日酔いで仕事までも休むような体たらく。
合わせる顔がない、というのはまさにこのことだ。
そんなアーティットの心情がわかったグレーグライが、彼のそばまでやってきて肩をポンポンと叩いた。
「顔を上げなさい、そんなに恐縮しなくていい。 まぁ気持ちはわかるが、完璧な人間などいないんだ。 若気の至りというのは、誰にでもある」
「そうよ。 それに前にも言ったけど、私たちは家族同然なんだから、遠慮なんかしないで」
二人がかりで優しい言葉をかけられ、ますます恐縮してしまいそうになるが、それでもアーティットはゆっくりと顔を上げた。
「――うん、すっかり顔色も良くなったわ。 これなら、夕食も一緒に食べられるわね」
満足げに頷きながらそう話すプイメークに、ぎこちなく微笑みを返す。
「じゃあ私は夕食の準備の続きをしますね。 夕食が出来上がるまで、アーティットさんはもう少し休んでらっしゃい」
そう言い残して、プイメークが一足先に階下へ降りて行った。 その後に続こうとしたグレーグライの腕を、アーティットがとっさに掴んだ。
少し驚いた表情で振り向いたグレーグライの目に、真剣な目をしたアーティットの顔が映った。
「――あの、グレーグライさん。 ちょっとお話が・・・」
一瞬アーティットをじっと見たグレーグライだったが、やがて目を細めて頷き、アーティットを伴ってドアが開け放しになっていたままの部屋へ入った。
ベッド上の乱れた布団を簡単に整え、二人は並んで腰を下ろした。
「なんだね、話とは」
そう問いかけられ、アーティットがやや戸惑う。 自分から言い出したものの、やはり話すには勇気がいる。
だが、これ以上サットに対して嘘をつき通す自信がなくなった今、どうしても話さなければならないことだ。
ひとつ小さく息を吸ったアーティットが、覚悟を決めて口を開いた。
「・・・あの、サットのことなんですが」
「サットくん? どうかしたか」
「実は、サットはあなたのことが気になってるようなんです」
「気になっている・・・とは?」
まだアーティットが何を言おうとしているのかわからない顔のまま、グレーグライがそう訊き返す。 慎重に言葉を選びながら、アーティットが続ける。
「あなたがなぜこんなに自分に良くしてくれるのか、ここまでしてくれる理由は何なのかと・・・」
反対していた恋人の両親への説得しかり、結婚式場の斡旋しかり・・・。
アーティットの話を聞くうち、グレーグライの表情が次第に険しくなってきた。
グレーグライにしてみれば、非公表とはいえ我が息子。 これまで何もしてやれなかった分、何とか力になってやりたいと思うのは親心として当然だ。
だが当のサットにしてみれば、ほぼ無関係の自分に大企業の社長がなぜここまでしてくれるのか、疑問に思うのもまた当然だろう。
自分の欲求を満たすことばかりに気を取られて、他に目が行っていなかったことに今さらながら気付く。
「――昨日はサットからそんな話をされて、ついぎこちない態度を取ってしまって。 そしたらあいつに追及されて・・・何か知ってるんじゃないかと」
「・・・・・・・・・」
「知ってるなら教えてくれと強く言われて・・・それで、酒に逃げたんです。 酔っ払ってしまえば、どうにかなるかと」
バカですよね、と自嘲するアーティットを、グレーグライは笑えなかった。
サットにはいずれ真実を話すつもりでいた。 だがそれをずるずると先延ばしにして、結局まだ何も言えないままでいる。
それが裏目に出て、アーティットを困惑させることになったとは。
「――すいません、俺嘘をつくのが苦手で・・・。 これ以上あいつに追及されたら、いつか話してしまいそうで・・・」
不器用で、正直な人間。 それがアーティットだ。 そんな彼だからこそ、コングのパートナーとして、そして家族としても受け入れた。
アーティットの言葉はそこまでで途切れたが、グレーグライにはその先の言葉が聞こえるようだった。
「――わかった。 サット君には、明日にでも私からはっきり伝えるよ。 わたしのせいで、君に辛い思いをさせてすまなかったね」
そう詫びるグレーグライを、慌ててアーティットが宥める。
「いえ、そんな。 あなたの葛藤もよくわかります。 だけどいつか俺が口を滑らせてしまう前に、あなたの口から直接あいつに伝えてもらえたら、それが一番いいと思うので・・・」
「ああ、そうだね。 これはわたしの問題だから、わたし自身で解決するのが当然だ。 悪いが、明日出社したらサット君の都合を聞いておいてくれないか?」
「わかりました、聞いたらまた連絡します」
「頼むよ」
グレーグライの中で、ようやく踏ん切りがついた。 結果がどうなろうと、すべて受け入れる覚悟もついた。
ちょうどその時、ドアの外から食事ですよとプイメークの声が聞こえた。
「さ、行こう」
グレーグライに促され、アーティットが腰を上げる。 頷き合った二人は、ゆっくりと部屋を後にした。
まだぼんやりする頭のまま、カーテンから漏れる斜陽が目に入る。
部屋全体を温かなオレンジ色に染めるその光を見つめていると、徐々に意識が明瞭になってきた。
「・・・!」
がばっと、それこそ音がするほどの勢いでベッド上に起き上がる。 とっさに腕時計を見ると、もう夕方の6時半だった。
一瞬、何が何だかわからなくなる。
記憶にあるのは、プイメークが作ってくれたお粥をほんの少し食べ、それから鎮痛剤をもらって飲んだ。 それはまだ朝日が差し込む時間帯だったはずだ。
あれから数時間が経っているなんて、にわかには信じられない。 思わずアーティットが頭を抱えた。
だが、ひどかった頭痛と悪心が、今はすっかりなくなっている。 頭も妙にすっきりした気分だ。
鎮痛剤には少なからず傾眠薬が含まれているというが、それにしても何時間も意識を失ったように眠りこけてしまうとは。
ベッドサイドに置かれていたお粥の入っていた土鍋も、いつの間にか下げられている。 きっとプイメークが下げに来たのだろうが、それにも気づかずにいたということか。
思えば、最近は退職に向けて多忙な日々が続いていた。 夜も遅くまで、そして朝も早くから仕事づくめの日々だった。
次第に蓄積されていった疲労と睡眠不足に加え、とどめの深酒でついに体が悲鳴を上げたのだろうか。
なぜか因果応報という言葉が頭に浮かんだが、そんなことよりももっと重大なことを思い出した。
先ほど聞こえた話し声。 内容まではわからなかったが、一人はきっとプイメークだろう。
そして話していた相手。 それはもう、グレーグライしかいない。
そう思い至った瞬間、アーティットは脱兎のごとくベッドから抜け出し、勢いよく部屋から飛び出した。
「――あ、アーティットさん。 気分はどう? 良くなった?」
ドアから廊下へ出たところで、プイメークがそう声をかけてきた。 続いて、グレーグライも話しかけてきた。
「ゆっくり休めたかね」
二人からの言葉を受けて、アーティットは乱れた呼吸を速やかに整え、深々と頭を下げた。
「すみませんでした、大変お世話をかけてしまって」
前後不覚になるほど泥酔し、意識を失った自分をプイメークに介抱させた挙句、二日酔いで仕事までも休むような体たらく。
合わせる顔がない、というのはまさにこのことだ。
そんなアーティットの心情がわかったグレーグライが、彼のそばまでやってきて肩をポンポンと叩いた。
「顔を上げなさい、そんなに恐縮しなくていい。 まぁ気持ちはわかるが、完璧な人間などいないんだ。 若気の至りというのは、誰にでもある」
「そうよ。 それに前にも言ったけど、私たちは家族同然なんだから、遠慮なんかしないで」
二人がかりで優しい言葉をかけられ、ますます恐縮してしまいそうになるが、それでもアーティットはゆっくりと顔を上げた。
「――うん、すっかり顔色も良くなったわ。 これなら、夕食も一緒に食べられるわね」
満足げに頷きながらそう話すプイメークに、ぎこちなく微笑みを返す。
「じゃあ私は夕食の準備の続きをしますね。 夕食が出来上がるまで、アーティットさんはもう少し休んでらっしゃい」
そう言い残して、プイメークが一足先に階下へ降りて行った。 その後に続こうとしたグレーグライの腕を、アーティットがとっさに掴んだ。
少し驚いた表情で振り向いたグレーグライの目に、真剣な目をしたアーティットの顔が映った。
「――あの、グレーグライさん。 ちょっとお話が・・・」
一瞬アーティットをじっと見たグレーグライだったが、やがて目を細めて頷き、アーティットを伴ってドアが開け放しになっていたままの部屋へ入った。
ベッド上の乱れた布団を簡単に整え、二人は並んで腰を下ろした。
「なんだね、話とは」
そう問いかけられ、アーティットがやや戸惑う。 自分から言い出したものの、やはり話すには勇気がいる。
だが、これ以上サットに対して嘘をつき通す自信がなくなった今、どうしても話さなければならないことだ。
ひとつ小さく息を吸ったアーティットが、覚悟を決めて口を開いた。
「・・・あの、サットのことなんですが」
「サットくん? どうかしたか」
「実は、サットはあなたのことが気になってるようなんです」
「気になっている・・・とは?」
まだアーティットが何を言おうとしているのかわからない顔のまま、グレーグライがそう訊き返す。 慎重に言葉を選びながら、アーティットが続ける。
「あなたがなぜこんなに自分に良くしてくれるのか、ここまでしてくれる理由は何なのかと・・・」
反対していた恋人の両親への説得しかり、結婚式場の斡旋しかり・・・。
アーティットの話を聞くうち、グレーグライの表情が次第に険しくなってきた。
グレーグライにしてみれば、非公表とはいえ我が息子。 これまで何もしてやれなかった分、何とか力になってやりたいと思うのは親心として当然だ。
だが当のサットにしてみれば、ほぼ無関係の自分に大企業の社長がなぜここまでしてくれるのか、疑問に思うのもまた当然だろう。
自分の欲求を満たすことばかりに気を取られて、他に目が行っていなかったことに今さらながら気付く。
「――昨日はサットからそんな話をされて、ついぎこちない態度を取ってしまって。 そしたらあいつに追及されて・・・何か知ってるんじゃないかと」
「・・・・・・・・・」
「知ってるなら教えてくれと強く言われて・・・それで、酒に逃げたんです。 酔っ払ってしまえば、どうにかなるかと」
バカですよね、と自嘲するアーティットを、グレーグライは笑えなかった。
サットにはいずれ真実を話すつもりでいた。 だがそれをずるずると先延ばしにして、結局まだ何も言えないままでいる。
それが裏目に出て、アーティットを困惑させることになったとは。
「――すいません、俺嘘をつくのが苦手で・・・。 これ以上あいつに追及されたら、いつか話してしまいそうで・・・」
不器用で、正直な人間。 それがアーティットだ。 そんな彼だからこそ、コングのパートナーとして、そして家族としても受け入れた。
アーティットの言葉はそこまでで途切れたが、グレーグライにはその先の言葉が聞こえるようだった。
「――わかった。 サット君には、明日にでも私からはっきり伝えるよ。 わたしのせいで、君に辛い思いをさせてすまなかったね」
そう詫びるグレーグライを、慌ててアーティットが宥める。
「いえ、そんな。 あなたの葛藤もよくわかります。 だけどいつか俺が口を滑らせてしまう前に、あなたの口から直接あいつに伝えてもらえたら、それが一番いいと思うので・・・」
「ああ、そうだね。 これはわたしの問題だから、わたし自身で解決するのが当然だ。 悪いが、明日出社したらサット君の都合を聞いておいてくれないか?」
「わかりました、聞いたらまた連絡します」
「頼むよ」
グレーグライの中で、ようやく踏ん切りがついた。 結果がどうなろうと、すべて受け入れる覚悟もついた。
ちょうどその時、ドアの外から食事ですよとプイメークの声が聞こえた。
「さ、行こう」
グレーグライに促され、アーティットが腰を上げる。 頷き合った二人は、ゆっくりと部屋を後にした。