久しぶりにゆっくり食事と会話を楽しみ、身も心も満足したアーティットとコングは、宵闇の中車を走らせながら心地良い夜風に吹かれていた。
「・・・先輩、相変わらず窓を開けて走るのが好きですね。 エアコンの方が涼しいのに」
助手席で気持ちよさそうに風を受けているアーティットへ、ステアリングを操作しながらコングが話しかける。
「海辺や川の近くを走る時だけだよ。 水の近くの風が気持ちいいんだ。 街中はいつも渋滞してて空気が悪いし」
そうは言うものの、ここタイは常夏の国。 夜とはいえまだまだ暑さは健在だ。 コングとしてはエアコンの涼しい空気が恋しい気分だが、隣で快適そうな顔をしているアーティットを見ていると、やはりここは諦めざるを得なさそうだ。
「・・・着きましたよ。 降りましょう」
橋詰にあるパーキングスペースに車を停め、コングとアーティットは車を降り立った。
肩を並べて二人欄干にもたれる。 川面から吹き渡ってくる風は少し冷気を孕んで、汗ばんだ肌に心地いい。
「・・・先輩、髪の毛が乱れてますよ」
少し強めの風がアーティットの前髪を弄んでいることに気付いて、コングがそう言いながら手を伸ばす。 意外と柔らかな髪の感触を味わい、そっと整える。
コングの手を遮ることこそしないが、それでも少し居心地悪そうにもぞもぞと身じろぎするアーティットの様子を見て、コングがふっと笑う。
「――何年経っても先輩は変わりませんね。 いつだってウブでシャイで・・・可愛い」
微笑みながらそう呟いたコングが、急に顔を近づけてアーティットの耳元へ小声で囁いた。
「ベッドの中ではあんなに淫らで色っぽいのに」
吐息めいたその囁きに、瞬時にしてアーティットの耳が真っ赤になる。 同じく頬も紅潮させて、わかりやすく狼狽えた。
「おまっ・・・! こんなとこで何言って・・・!」
「こんなとこで? じゃあ誰もいないところならもっと俺の本音を言っていいですか?」
「あのなぁ・・・」
顔を真っ赤にしながらも、呆れたような口調でごちる。 だがコングには、そんなアーティットの素振りが照れ隠しからくるものだとわかっていた。
そして当のアーティットも、そんな自分の心の中を見抜かれていることに気付いていた。 こんな応酬はもういつものことだからだ。
そうして何度も繰り返してきた甘いルーティンを今また味わいながら、コングがふっとアーティットから視線を外して、暗い川面の果てを見つめた。
「・・・ここで、初めて先輩が俺にキスしてくれたんですよね。 あれから何年経つんだろう・・・」
巨大な吊り橋が美しくライトアップされ、天高くそびえる支柱から伸びる幾本ものワイヤーが放射状に広がっている。 そんな光景を見渡したアーティットが、しみじみとした口調で頷いた。
「あの頃はまだ俺たちは学生だったな。 おまえはまだ大学1年で・・・」
若かったよな、と懐かしそうに目を細める。 その横顔と当時の面影を重ねたコングが、不意にアーティットの肩を抱き寄せた。
「――コングポップ?」
少し驚いたアーティットが、間近にあるコングの顔を見て名を呼ぶ。
「・・・先輩、今もまだ俺信じられないんです。 先輩が俺とともに生きる道を選んでくれたことが」
「コングポップ・・・」
「あなたが、俺のために自分の生き方を変えてくれるなんて。 こんな奇蹟が起きるなんて」
「・・・・・・・・・」
自分を見つめるコングの目のまっすぐさが胸に響いて、アーティットの胸が震えた。 込み上がってくる言葉にならない思いに耐えられず、コングから視線を外して大げさだよと小さく呟くのが精いっぱいだった。
「大げさなんかじゃありませんよ。 心の底からそう思ってます。 ただ欲を言うなら、一番俺のそばで支えてもらえる秘書になってほしかったですけど」
コングのその言葉に、小さくアーティットが反応した。
「それは・・・」
「わかってます。 先輩の性格を知ってるから、用意されたポストにただ安穏と座るわけないって」
「・・・・・・・・・」
アーティットの脳裏に、先日のグレーグライの言葉が蘇る。
サイアムポリマー社へ来たからには、当然アーティットにはコングの片腕となる部署に所属してもらうつもりでいた。 事実、秘書課に彼のデスクもすでに用意してあった。
だが予想に反し、アーティットはそれを固辞したのだ。
『なぜだね? コングポップを支えてくれると言ったじゃないか』
『はい、言いました。 けれどそれは、俺の働きぶりを直接見てもらったうえで、グレーグライさんの目に適うと判断してからにしてほしいんです』
『わたしの・・・』
『もともと俺はモノづくりに携わる仕事がしたくて、オーシャンエレクトロニック社に入りました。 それは今も変わってません。 だからこれからは、サイアムポリマー社でその力を発揮したい』
『・・・・・・・・・』
『そして俺の力がサイアムポリマー社に必要だとあなたに認めてもらえたなら、その時はコングポップの補佐として働かせてください』
『アーティットくん・・・』
真摯な目をしてそう訴えるアーティットの気持ちは、グレーグライにも強く伝わった。
自分の力が、能力が、本当にサイアムポリマー社の発展に寄与するのか。 寄与することを証明できるまで、コングの補佐はできないという確固たる意志。
恋人という立場だけで、大企業のトップの直近に胡坐をかくことはできない。 そのポジションにふさわしいと認められるまでは。
何事にも真面目で真剣なアーティットらしいと思った。
『・・・わかった。 正直残念な気持ちはあるが、きみの意志を尊重しよう。 ひとまず製造部に配属してもらうことにするよ』
『本当ですか? ありがとうございます!』
『試用期間は1年間としよう。 その間きみの働きぶりを見せてもらう』
『わかりました。 わがまま言ってすみません』
『その代わり、1年後わたしがコングの補佐にふさわしいと判断したら、その時はもう異論は言わせないからね』
『はい、わかりました』
張りつめていたアーティットの表情が、ぱっと明るい笑顔になる。 それにつられてグレーグライも笑顔を浮かべた。
「――先輩、アーティット先輩?」
いつしか感慨に耽っていたらしい。 隣で何度も名前を呼んでいたらしいコングの声が、ようやくアーティットの耳に届いた。
「あ?」
「急に黙りこくっちゃってどうかしたんですか?」
「いや、ちょっと考え事してて・・・すまん。 で、何だった?」
「もう21時をまわったし、そろそろ行きましょうかって言ったんです」
「そうか、もうそんな時間か・・・。 うん、行くか」
そう言って二人は橋を後にし、車へと歩き出した。
「先輩の部屋へ行くの、久しぶりですね」
「そうだな。 忙しかったから掃除してないぞ」
「先輩いつもそう言うけど、そんなに散らかってないですよ」
他愛のない会話を交わしながら、車へと乗り込む。 やがて車は、アーティットのアパートへ向けて走り出した。
「・・・先輩、相変わらず窓を開けて走るのが好きですね。 エアコンの方が涼しいのに」
助手席で気持ちよさそうに風を受けているアーティットへ、ステアリングを操作しながらコングが話しかける。
「海辺や川の近くを走る時だけだよ。 水の近くの風が気持ちいいんだ。 街中はいつも渋滞してて空気が悪いし」
そうは言うものの、ここタイは常夏の国。 夜とはいえまだまだ暑さは健在だ。 コングとしてはエアコンの涼しい空気が恋しい気分だが、隣で快適そうな顔をしているアーティットを見ていると、やはりここは諦めざるを得なさそうだ。
「・・・着きましたよ。 降りましょう」
橋詰にあるパーキングスペースに車を停め、コングとアーティットは車を降り立った。
肩を並べて二人欄干にもたれる。 川面から吹き渡ってくる風は少し冷気を孕んで、汗ばんだ肌に心地いい。
「・・・先輩、髪の毛が乱れてますよ」
少し強めの風がアーティットの前髪を弄んでいることに気付いて、コングがそう言いながら手を伸ばす。 意外と柔らかな髪の感触を味わい、そっと整える。
コングの手を遮ることこそしないが、それでも少し居心地悪そうにもぞもぞと身じろぎするアーティットの様子を見て、コングがふっと笑う。
「――何年経っても先輩は変わりませんね。 いつだってウブでシャイで・・・可愛い」
微笑みながらそう呟いたコングが、急に顔を近づけてアーティットの耳元へ小声で囁いた。
「ベッドの中ではあんなに淫らで色っぽいのに」
吐息めいたその囁きに、瞬時にしてアーティットの耳が真っ赤になる。 同じく頬も紅潮させて、わかりやすく狼狽えた。
「おまっ・・・! こんなとこで何言って・・・!」
「こんなとこで? じゃあ誰もいないところならもっと俺の本音を言っていいですか?」
「あのなぁ・・・」
顔を真っ赤にしながらも、呆れたような口調でごちる。 だがコングには、そんなアーティットの素振りが照れ隠しからくるものだとわかっていた。
そして当のアーティットも、そんな自分の心の中を見抜かれていることに気付いていた。 こんな応酬はもういつものことだからだ。
そうして何度も繰り返してきた甘いルーティンを今また味わいながら、コングがふっとアーティットから視線を外して、暗い川面の果てを見つめた。
「・・・ここで、初めて先輩が俺にキスしてくれたんですよね。 あれから何年経つんだろう・・・」
巨大な吊り橋が美しくライトアップされ、天高くそびえる支柱から伸びる幾本ものワイヤーが放射状に広がっている。 そんな光景を見渡したアーティットが、しみじみとした口調で頷いた。
「あの頃はまだ俺たちは学生だったな。 おまえはまだ大学1年で・・・」
若かったよな、と懐かしそうに目を細める。 その横顔と当時の面影を重ねたコングが、不意にアーティットの肩を抱き寄せた。
「――コングポップ?」
少し驚いたアーティットが、間近にあるコングの顔を見て名を呼ぶ。
「・・・先輩、今もまだ俺信じられないんです。 先輩が俺とともに生きる道を選んでくれたことが」
「コングポップ・・・」
「あなたが、俺のために自分の生き方を変えてくれるなんて。 こんな奇蹟が起きるなんて」
「・・・・・・・・・」
自分を見つめるコングの目のまっすぐさが胸に響いて、アーティットの胸が震えた。 込み上がってくる言葉にならない思いに耐えられず、コングから視線を外して大げさだよと小さく呟くのが精いっぱいだった。
「大げさなんかじゃありませんよ。 心の底からそう思ってます。 ただ欲を言うなら、一番俺のそばで支えてもらえる秘書になってほしかったですけど」
コングのその言葉に、小さくアーティットが反応した。
「それは・・・」
「わかってます。 先輩の性格を知ってるから、用意されたポストにただ安穏と座るわけないって」
「・・・・・・・・・」
アーティットの脳裏に、先日のグレーグライの言葉が蘇る。
サイアムポリマー社へ来たからには、当然アーティットにはコングの片腕となる部署に所属してもらうつもりでいた。 事実、秘書課に彼のデスクもすでに用意してあった。
だが予想に反し、アーティットはそれを固辞したのだ。
『なぜだね? コングポップを支えてくれると言ったじゃないか』
『はい、言いました。 けれどそれは、俺の働きぶりを直接見てもらったうえで、グレーグライさんの目に適うと判断してからにしてほしいんです』
『わたしの・・・』
『もともと俺はモノづくりに携わる仕事がしたくて、オーシャンエレクトロニック社に入りました。 それは今も変わってません。 だからこれからは、サイアムポリマー社でその力を発揮したい』
『・・・・・・・・・』
『そして俺の力がサイアムポリマー社に必要だとあなたに認めてもらえたなら、その時はコングポップの補佐として働かせてください』
『アーティットくん・・・』
真摯な目をしてそう訴えるアーティットの気持ちは、グレーグライにも強く伝わった。
自分の力が、能力が、本当にサイアムポリマー社の発展に寄与するのか。 寄与することを証明できるまで、コングの補佐はできないという確固たる意志。
恋人という立場だけで、大企業のトップの直近に胡坐をかくことはできない。 そのポジションにふさわしいと認められるまでは。
何事にも真面目で真剣なアーティットらしいと思った。
『・・・わかった。 正直残念な気持ちはあるが、きみの意志を尊重しよう。 ひとまず製造部に配属してもらうことにするよ』
『本当ですか? ありがとうございます!』
『試用期間は1年間としよう。 その間きみの働きぶりを見せてもらう』
『わかりました。 わがまま言ってすみません』
『その代わり、1年後わたしがコングの補佐にふさわしいと判断したら、その時はもう異論は言わせないからね』
『はい、わかりました』
張りつめていたアーティットの表情が、ぱっと明るい笑顔になる。 それにつられてグレーグライも笑顔を浮かべた。
「――先輩、アーティット先輩?」
いつしか感慨に耽っていたらしい。 隣で何度も名前を呼んでいたらしいコングの声が、ようやくアーティットの耳に届いた。
「あ?」
「急に黙りこくっちゃってどうかしたんですか?」
「いや、ちょっと考え事してて・・・すまん。 で、何だった?」
「もう21時をまわったし、そろそろ行きましょうかって言ったんです」
「そうか、もうそんな時間か・・・。 うん、行くか」
そう言って二人は橋を後にし、車へと歩き出した。
「先輩の部屋へ行くの、久しぶりですね」
「そうだな。 忙しかったから掃除してないぞ」
「先輩いつもそう言うけど、そんなに散らかってないですよ」
他愛のない会話を交わしながら、車へと乗り込む。 やがて車は、アーティットのアパートへ向けて走り出した。