月曜日の朝。
休み明けでどこか気だるげな顔をした社員が出勤してくる中、ジェーンは速足で社屋の廊下を歩いていた。
まっすぐ前を見据え、一心不乱に歩くその表情は険しい。
時折すれ違う社員が挨拶をしてくるのも構わずに、歩を緩めずひたすら足を進める。
やがてたどり着いたのは、建設部長室だった。
ドアの前で立ち止まり、一瞬あたりを窺ったジェーンは、誰もいないことを確認するとノックもそこそこに素早くドアを開けた。
「なんだ、随分早かったな」
入室してきたジェーンとスマホの画面を交互に見て、部長のブランカが意外そうに告げた。
「まだラインきてから数分しか経っていないのに」
「もう少ししたら出張に出かけなきゃいけないの。 その前にどうしても部長に言っておきたいことがあるのよ」
到底部下とは思えない親しげな口調でそう訴えるジェーンを、驚いた様子もなくブランカが見つめる。
すると、なぜかブランカがニヤリと唇を歪めた。
「そうか、出張で会えなくなる前に私に抱かれたくなったか」
そううそぶきながら席を立ち、ゆっくりとジェーンに近づいたブランカが、彼女の腰に手を回した。
だがジェーンはその手を振りほどき、首を左右に振った。
「違うわ。 重要な話があるの」
目論見が外れたことに少々落胆したブランカが、ため息をこぼしながら再び席へと戻ると、ジェーンがデスクへ歩み寄って口を開いた。
「来月からの中国行きのことだけど、とても心配なことが起こったの」
「心配なこと? 何だそれは」
デスク上で両手を組んだブランカが、予想外の言葉を受けてジェーンの顔を見上げる。
「・・・コングが、ゲイだったのよ」
「なに?」
単刀直入に言われて、ブランカにはすぐにはどういうことかわからなかった。
言葉の意味を図りかねて不可思議な顔をしているブランカへ、さらにジェーンが付け加える。
「コングには、男の恋人がいるの。 ゲイが中国行きのメンバーにいるのは、まずいでしょ。 中国は同性愛に強い偏見があるって聞くし」
「・・・そういうことか。 しかし、あのコングがゲイだったとは・・・」
ようやく彼女の言わんとすることを理解したブランカの表情が、にわかに険しくなる。
この中国行きプロジェクトの責任者は、このブランカだった。
彼の名の下にあらゆるプランが練られ、もちろん派遣メンバーについても、彼が太鼓判を押した精鋭たちが集められたのだ。
その中でも、コングは特に優れたメンバーだった。
そして、愛人であるジェーンも彼のことを絶賛し、共に中国で仕事をしたいと熱望したほどだ。
滅多に他人を誉めたりリスペクトしたりしない彼女が、これほどに絶賛するのを珍しく思いながらも、そこまで言うならとメンバーに加えたのだった。
しかし、そんな彼がまさかゲイだったとは。
ジェーンの言うとおり、中国には未だ根強く同性愛者への偏見があり、大企業になるほどその傾向は強い。
このネオジェネシス社と提携している中国企業も、業界内では最大手と言われている大会社だ。
もしそんな相手に、派遣社員の中にゲイがいると知れたらどうなるか。
恐らく問題になり、最悪の場合業務にも悪影響を及ぼすことになるかも知れない。
頭の中で様々な思案を巡らせているであろうブランカに、ジェーンがとどめの一言を突き付けた。
「・・・それに私、ゲイと一緒に中国へなんか行きたくないわ」
唇を歪め、心底憎らしそうにそう吐き捨てる彼女を、ブランカが見る。
ついこの前までは、コングのことをあんなに褒めちぎっていたのに、彼がゲイだとわかった途端手の平を返したようにその態度を豹変させた。
彼女には、以前からゲイに対する嫌悪が見受けられた。
周囲にいるゲイカップルを目にするたび、彼らを強く非難し、激しい拒絶反応を見せていた。
ブランカには、なぜ彼女がそこまでゲイを毛嫌いするのかはわからない。
恐らく過去に何かしらの因縁があるのだろうが、それが自分たちの関係に影響を及ぼすわけでもないため、さほど気にはしていなかった。
ふと、その疑問をぶつけてみたくなった。
「・・・おまえ、前からゲイに対して過剰な反応するよな。 何か理由でもあるのか」
何気なく投げかけられたその言葉に、ジェーンが明らかに狼狽した。 一瞬、言葉に詰まる。 そんな彼女の反応が、ブランカの好奇心をさらに煽った。
「おまえがそんなに狼狽えるなんて珍しいな。 やはり何かあるんだな?」
「な、何でもないわ。 あなたには関係ないでしょ」
「そりゃ関係ないが・・・」
尤もなことを言われ、今度はブランカが口をつぐむ。 これ幸いに、ジェーンがとにかく、と強制的に話題を戻した。
「コングをメンバーから外してちょうだい。 じゃなきゃ私が行かないから」
「おいおい、それは困るよ。 おまえは派遣される中で唯一の女性なんだから」
「だったらなおさらコングを外すべきね。 頼んだわよ」
そう言い残すと、さっさと踵を返してジェーンが部屋を出て行った。
それまで身を乗り出して彼女と向かい合っていたブランカが、やれやれ、とでも言うように背もたれへと体を投げ出し、大きくため息を吐く。
ジェーンが中国へ行くことには、深い意味がある。
この建設業界は、未だに女性の進出が遅れている。
男女平等と叫ばれて久しい中、遅々として進まない女性の地位が、この業界でも問題視されている。
そんな中で、今回のこのプロジェクトに女性を登用したことの意味は大きい。
その栄えあるメンバーにジェーンを抜擢できたことは、公私ともにブランカの自尊心を大いに満足させた。
そんな彼女を、コングといういち新人のためにメンバーから外すわけにはいかない。
こんなタイミングで暴露されたコングの正体が恨めしく思える一方で、なぜジェーンがそんな情報を手に入れたのかも気になった。
だが、今はそんなことを詮議している場合ではない。
「・・・仕方ないな・・・」
誰にともなくそう呟いたブランカは、おもむろに体を起こすとデスク上の電話に手を伸ばした。
「・・・あ、ナラック君か? ちょっと緊急で重要な話があるんだ。 今から私のところへ来てくれ」
それだけ告げて電話を切ったブランカは、気疲れした気持ちを切り替え、ナラックとの話し合いのために応接セットへと移動した。
休み明けでどこか気だるげな顔をした社員が出勤してくる中、ジェーンは速足で社屋の廊下を歩いていた。
まっすぐ前を見据え、一心不乱に歩くその表情は険しい。
時折すれ違う社員が挨拶をしてくるのも構わずに、歩を緩めずひたすら足を進める。
やがてたどり着いたのは、建設部長室だった。
ドアの前で立ち止まり、一瞬あたりを窺ったジェーンは、誰もいないことを確認するとノックもそこそこに素早くドアを開けた。
「なんだ、随分早かったな」
入室してきたジェーンとスマホの画面を交互に見て、部長のブランカが意外そうに告げた。
「まだラインきてから数分しか経っていないのに」
「もう少ししたら出張に出かけなきゃいけないの。 その前にどうしても部長に言っておきたいことがあるのよ」
到底部下とは思えない親しげな口調でそう訴えるジェーンを、驚いた様子もなくブランカが見つめる。
すると、なぜかブランカがニヤリと唇を歪めた。
「そうか、出張で会えなくなる前に私に抱かれたくなったか」
そううそぶきながら席を立ち、ゆっくりとジェーンに近づいたブランカが、彼女の腰に手を回した。
だがジェーンはその手を振りほどき、首を左右に振った。
「違うわ。 重要な話があるの」
目論見が外れたことに少々落胆したブランカが、ため息をこぼしながら再び席へと戻ると、ジェーンがデスクへ歩み寄って口を開いた。
「来月からの中国行きのことだけど、とても心配なことが起こったの」
「心配なこと? 何だそれは」
デスク上で両手を組んだブランカが、予想外の言葉を受けてジェーンの顔を見上げる。
「・・・コングが、ゲイだったのよ」
「なに?」
単刀直入に言われて、ブランカにはすぐにはどういうことかわからなかった。
言葉の意味を図りかねて不可思議な顔をしているブランカへ、さらにジェーンが付け加える。
「コングには、男の恋人がいるの。 ゲイが中国行きのメンバーにいるのは、まずいでしょ。 中国は同性愛に強い偏見があるって聞くし」
「・・・そういうことか。 しかし、あのコングがゲイだったとは・・・」
ようやく彼女の言わんとすることを理解したブランカの表情が、にわかに険しくなる。
この中国行きプロジェクトの責任者は、このブランカだった。
彼の名の下にあらゆるプランが練られ、もちろん派遣メンバーについても、彼が太鼓判を押した精鋭たちが集められたのだ。
その中でも、コングは特に優れたメンバーだった。
そして、愛人であるジェーンも彼のことを絶賛し、共に中国で仕事をしたいと熱望したほどだ。
滅多に他人を誉めたりリスペクトしたりしない彼女が、これほどに絶賛するのを珍しく思いながらも、そこまで言うならとメンバーに加えたのだった。
しかし、そんな彼がまさかゲイだったとは。
ジェーンの言うとおり、中国には未だ根強く同性愛者への偏見があり、大企業になるほどその傾向は強い。
このネオジェネシス社と提携している中国企業も、業界内では最大手と言われている大会社だ。
もしそんな相手に、派遣社員の中にゲイがいると知れたらどうなるか。
恐らく問題になり、最悪の場合業務にも悪影響を及ぼすことになるかも知れない。
頭の中で様々な思案を巡らせているであろうブランカに、ジェーンがとどめの一言を突き付けた。
「・・・それに私、ゲイと一緒に中国へなんか行きたくないわ」
唇を歪め、心底憎らしそうにそう吐き捨てる彼女を、ブランカが見る。
ついこの前までは、コングのことをあんなに褒めちぎっていたのに、彼がゲイだとわかった途端手の平を返したようにその態度を豹変させた。
彼女には、以前からゲイに対する嫌悪が見受けられた。
周囲にいるゲイカップルを目にするたび、彼らを強く非難し、激しい拒絶反応を見せていた。
ブランカには、なぜ彼女がそこまでゲイを毛嫌いするのかはわからない。
恐らく過去に何かしらの因縁があるのだろうが、それが自分たちの関係に影響を及ぼすわけでもないため、さほど気にはしていなかった。
ふと、その疑問をぶつけてみたくなった。
「・・・おまえ、前からゲイに対して過剰な反応するよな。 何か理由でもあるのか」
何気なく投げかけられたその言葉に、ジェーンが明らかに狼狽した。 一瞬、言葉に詰まる。 そんな彼女の反応が、ブランカの好奇心をさらに煽った。
「おまえがそんなに狼狽えるなんて珍しいな。 やはり何かあるんだな?」
「な、何でもないわ。 あなたには関係ないでしょ」
「そりゃ関係ないが・・・」
尤もなことを言われ、今度はブランカが口をつぐむ。 これ幸いに、ジェーンがとにかく、と強制的に話題を戻した。
「コングをメンバーから外してちょうだい。 じゃなきゃ私が行かないから」
「おいおい、それは困るよ。 おまえは派遣される中で唯一の女性なんだから」
「だったらなおさらコングを外すべきね。 頼んだわよ」
そう言い残すと、さっさと踵を返してジェーンが部屋を出て行った。
それまで身を乗り出して彼女と向かい合っていたブランカが、やれやれ、とでも言うように背もたれへと体を投げ出し、大きくため息を吐く。
ジェーンが中国へ行くことには、深い意味がある。
この建設業界は、未だに女性の進出が遅れている。
男女平等と叫ばれて久しい中、遅々として進まない女性の地位が、この業界でも問題視されている。
そんな中で、今回のこのプロジェクトに女性を登用したことの意味は大きい。
その栄えあるメンバーにジェーンを抜擢できたことは、公私ともにブランカの自尊心を大いに満足させた。
そんな彼女を、コングといういち新人のためにメンバーから外すわけにはいかない。
こんなタイミングで暴露されたコングの正体が恨めしく思える一方で、なぜジェーンがそんな情報を手に入れたのかも気になった。
だが、今はそんなことを詮議している場合ではない。
「・・・仕方ないな・・・」
誰にともなくそう呟いたブランカは、おもむろに体を起こすとデスク上の電話に手を伸ばした。
「・・・あ、ナラック君か? ちょっと緊急で重要な話があるんだ。 今から私のところへ来てくれ」
それだけ告げて電話を切ったブランカは、気疲れした気持ちを切り替え、ナラックとの話し合いのために応接セットへと移動した。