小野なな nanaono CG イラスト フアイル

 小野ななCGイラスト作品画像 などの紹介。過去を伴う日常 コメント特に 環境問題、各ページ後付することあり。

NANA ONO nanaono 小野なな  貧乏学者と言いきって授賞式。

2019-05-13 15:35:24 | 知らない世界

昨日は母の日と言うことで少し、母の母から繋がり。長いこと開くことはありませんでした。そして解らないことも、人それぞれ、親がいるのは当たり前でも、言うに言えないこともあるだろう。この母の母がすすめたというかねじ伏せ、婚姻、父はこの人でなければ死ぬとまでいったそうです。母には婚約者がいたそうで、この婆さん、写真、軍属を弾き飛ばし、今で言う乗り換え。
母の条件。
山登りは一切辞めること。お手伝いさんをつけること。しかしこのご時世普通だったようです。父の父もそんな生活。通い、その都度決めていたそうです。家屋に関しては借家が当たり前でもーー大抵は親戚の誰かというように。ところがどっこい職場を追われる。戦中は母の着物で白米に変えていたらしく、婚姻の時、結婚指輪は奴隷制度の名残だといってのける。全て、その調子でした。今回は母についてですからこの辺で
と思いましたが父が平成3年、勲2等、旭日重光賞をいただくに当たってひともんちゃく。父は辞退を考え、妻、もう反対。その間バトル詳細は解らないけど。電話がバルセロナにありました。着物一式貸してくれと。ーーと言うのは、びた一文話、取りに行くなら自前でいけと言うことらしく、今はじめてきのついたこと。母、見覚えのある着物と帯を締めハイヤーに乗り込んでる写真。本日写真整理の中で宮中庭、記念撮影を見て、親父は行かなかっと知る。当時、天皇制度に関しては小野周は若干、反対と言う感じではいました。母のごね捲り。この経緯、今から思うとある部分、恐妻であった。その後、勲章のこと、一言もその出来事について語ることも無かった。



母の両親、





NANA ONO nanaono 小野なな  母の日に少し

2019-05-13 14:56:25 | 懐かしい

昨日は母の日と言うことで少し、母の母から繋がり。長いこと開くことはありませんでした。そして解らないことも、人それぞれ、親がいるのは当たり前でも、言うに言えないこともあるだろう。この母の母がすすめたというかねじ伏せ、婚姻、父はこの人でなければ死ぬとまでいったそうです。母には婚約者がいたそうで、この婆さん、写真、軍属を弾き飛ばし、今で言う乗り換え。
母の条件。
山登りは一切辞めること。お手伝いさんをつけること。しかしこのご時世普通立ったようです。父の父もそんな生活。通い、その都度決めていたそうです。家屋に関しては借家が当たり前でもーー大抵は親戚の誰かというように。ところがどっこい職場を追われる。戦中は母の着物で白米に変えていたらしく、婚姻の時、結婚指輪は奴隷制度の名残だといってのける。全て、その調子でした。今回は母についてですからこの辺で
と思いましたが父が平成3年の出来事。


戦争。赤呼ばわりされても、平気だったかどうか、結構強かになってしまったのか?ものしぐさ、南林間時代、私の同級生など母にあいたく立ち寄ったり。顔つき自分は母に似てなく 、ただ子供には活動のことは伏せて降りました。
そして自分の中で思い出と言うものもなく、親戚に如何にできが悪い。なんの仕事してるかも分からないので、私のことをぼやいていたようです。どちらかと言えば自慢できない。恥ずかしいの一念。認められなかった人間は死ぬまで卑屈の殻の中。