京都に住むトイプードルの女の子、ナナです。
”はんなり”京都らしく暮らしています。
トイプードル☆ナナのはんなり日記
次男へ・・・ありがとう♪
Wカップに日本中が湧きかえる今日。
もうすぐ日本対オランダのキックオフを迎えます。
6月19日はみやちゃんチ次男くんの18歳の誕生日なんです
今日は、少し真面目に、次男と私たち家族のことを振り返ろうと思います。
ですから今回は敢えて「2号」と書かず、「次男」で記事を書きます。
1992年6月19日の夕方。3582グラムで誕生した次男。
長男が、長男らしからぬ自由奔放でやんちゃな野生児だったため私もパパも結構手を焼きました
このお話は、また別の機会にでも
それに引き換え、次男は生まれた時から幼少時代、ほとんど親を困らせるようなことはありませんでした。
やんちゃでお茶目な半面、すごく穏やかで優しい男の子でした。
この写真は次男が幼稚園の時に初めてピアノの発表会に出た時の
写真です。
演奏を終えてホッとしたお兄ちゃんとパチリ
次男の育児は二人目ということもあって、のんびりリラックスした
日々だったように思います。
そんな穏やかな日々が突如ジェットコースターのように地獄の底へ
まっしぐらに落ちていきました。
次男が8歳の時のことです。
命に関わる大病を患いました。
小学校2年生の秋。
半年間の入院。
辛く過酷な治療。
今はその日々を穏やかな冷静な気持ちで思い出すことだできますが、
そうなるまでに10年かかりました。
次男が入院していた時。。。。
ちょうど6年生で思春期にさしかかっていた長男にあらゆる我慢を強いて、パパと交代で病院に寝泊りしました。
今でもあの時、何も説明せずひとり我慢ばかりを長男にさせたことを
後悔しています。
取り戻せないあの日々を、私は一生十字架として背負っていきます。
おばあちゃん(私の母)を一切受け付けつけず、自分のことを「この家にはいらない子」と勘違いした長男。
大好きだったおばあちゃんに毒を吐き、拒絶しました。
子どもが入院すること・・・・それは家族が引き裂かれることなんです。
パパは、夜は会社から病院に直行して、個室に泊り、翌朝は病室から会社へ出勤です。
通称ボンボンベッドと呼ばれる「簡易ベッド」に181センチの長身を横たえて休むパパは、文句ひとつ言いませんでした。
体力的にもギリギリだったと思います。
パパが会社から病室へ来てくれるまで、私が個室で一日を過ごします。
病院から家に帰る時、毎日、次男が涙を浮かべて私に言います。
「おかあさん、明日朝、4時に僕のそばに来てね、手を握ってね」と。
でもお家には学校へ通う長男がいます。
そんな朝早くは来れないんだよ・・・・
でも、私は笑顔で「うん、来るよ」って答えて帰りました。
帰り道、毎日涙を流しながら、鴨川に架かる橋の上を歩いていたこと。
昨日のことのように思い出されます。
退院の日に私たちを迎えてくれた満開の桜。
桜はあの日から忘れられない花となりました
退院後も数年間の通院治療が続きました。
その後、無事完治というお墨付きをもらうまでトータル8年。
今、次男は完全な健康体で高校へ通っています。
でも、人間ってすごい生き物ですね。
辛いことを忘れる動物です。
たくさんあった辛い出来事を細かい部分で忘れているんです。
忘れること、忘れてはいけないことが交錯しますが、今は次男が入院していた病院で難病の子どもたちに何かできないか?と考え、入院中の親子に向けた絵本や紙芝居の「読み語り」病棟移動図書などの活動をしています。
このボランティアによって、大切なことを忘れないように自分に言い聞かせています。
幸い、次男は大切な命を神様に助けていただきました。
入院中に次男が描いた絵です。
個室の中から出られない毎日の中で、大好きな森林と昆虫を描きました。
この絵を病棟の保母さんがすごく気に入ってくださって、長い間
小児病棟のプレイルームに飾られていたんですよ。
保母さんは来春、定年退職されるのでラミネート加工をして、私にプレゼントしてくださいました。
あんな、辛い治療と難病との戦いの中でこんな絵を描けるんですね。
こどもの力ってすごいと思います。
あれから10年。
私たち家族にとって、次男の病気は一体なんだったのか?
息子の病気を通じて私たち家族の人生観や、家族観、命に対する考え方が変わったように思います。
私たち家族の大ピンチを救ってくださった多くのドクターのみなさん、ナースのみなさん、その他の医療従事者のみなさん、友人たち・・・・
昨晩、6月19日を迎えるにあたって、これまで私を支えてくださった皆さんの顔を思い浮かべて涙がこぼれました。
パパ、いつも私たち家族のために朝早くから会社に行って働いてくれてありがとう。
パパのおかげで、私も息子たちも生きていけるんです。
おにいちゃん、ダメダメでこどもみたいな母親に育てられて苦労したね。
でも、立派に大学生になってくれました。
親はなくとも子は育つ・・・・そんなくらい頼りない母です。
次男くん、いろんな困難を周りの方々に助けられたね。
あなたがいつも明るくて、前向きなので母は助けられました。
我が家で一番繊細で、感受性豊かな芸術家肌の次男くん。
これからも自分らしく人生を謳歌してください。
人生の折り返し点を曲がってきた私。
今はいろんなことに感謝して、毎日を精いっぱい生きています。
明日のことを考える余裕もなくて、今日がいっぱいいっぱいのみやちゃんです。
だから、よくポカもしますがそれも私かな?
すごく上手に完璧にできたらいいけど、面白くない。
私は私らしく。
若い時は自分のことがすごく嫌いで自己嫌悪の塊でした。
でも、ここ数年はいろんな欠陥だらけのポンコツな自分が好きです
我が家のバラもそんな私を支えてくれています。
そして、向こうから見つめる可愛い子、ナナたん
ナナたんも次男くんが大好きだよね。
みやちゃんチの家族は派手なことやオシャレなことが苦手です。
明日はささやかに家族で外食をして、次男くんのバースデーパーティを
する予定です。
18歳。
人生、何が起こるか分かりませんね。
どんな苦難が彼を待ち受けているかも、誰も予測できません。
でも、それが人生。
苦しみも年月が生きる肥やしとしてくれます。
苦難も全て捨てたもんじゃないって思って明るく生きていきましょう。
母が生きている間はずっとあなたを見守っているからね。
長~いひとりごとにお付き合いいただきありがとうございました
今日もナナたんに会いに来てくださってありがとうございます
ご訪問に感謝いたします
もうすぐ日本対オランダのキックオフを迎えます。
6月19日はみやちゃんチ次男くんの18歳の誕生日なんです
今日は、少し真面目に、次男と私たち家族のことを振り返ろうと思います。
ですから今回は敢えて「2号」と書かず、「次男」で記事を書きます。
1992年6月19日の夕方。3582グラムで誕生した次男。
長男が、長男らしからぬ自由奔放でやんちゃな野生児だったため私もパパも結構手を焼きました
このお話は、また別の機会にでも
それに引き換え、次男は生まれた時から幼少時代、ほとんど親を困らせるようなことはありませんでした。
やんちゃでお茶目な半面、すごく穏やかで優しい男の子でした。
この写真は次男が幼稚園の時に初めてピアノの発表会に出た時の
写真です。
演奏を終えてホッとしたお兄ちゃんとパチリ
次男の育児は二人目ということもあって、のんびりリラックスした
日々だったように思います。
そんな穏やかな日々が突如ジェットコースターのように地獄の底へ
まっしぐらに落ちていきました。
次男が8歳の時のことです。
命に関わる大病を患いました。
小学校2年生の秋。
半年間の入院。
辛く過酷な治療。
今はその日々を穏やかな冷静な気持ちで思い出すことだできますが、
そうなるまでに10年かかりました。
次男が入院していた時。。。。
ちょうど6年生で思春期にさしかかっていた長男にあらゆる我慢を強いて、パパと交代で病院に寝泊りしました。
今でもあの時、何も説明せずひとり我慢ばかりを長男にさせたことを
後悔しています。
取り戻せないあの日々を、私は一生十字架として背負っていきます。
おばあちゃん(私の母)を一切受け付けつけず、自分のことを「この家にはいらない子」と勘違いした長男。
大好きだったおばあちゃんに毒を吐き、拒絶しました。
子どもが入院すること・・・・それは家族が引き裂かれることなんです。
パパは、夜は会社から病院に直行して、個室に泊り、翌朝は病室から会社へ出勤です。
通称ボンボンベッドと呼ばれる「簡易ベッド」に181センチの長身を横たえて休むパパは、文句ひとつ言いませんでした。
体力的にもギリギリだったと思います。
パパが会社から病室へ来てくれるまで、私が個室で一日を過ごします。
病院から家に帰る時、毎日、次男が涙を浮かべて私に言います。
「おかあさん、明日朝、4時に僕のそばに来てね、手を握ってね」と。
でもお家には学校へ通う長男がいます。
そんな朝早くは来れないんだよ・・・・
でも、私は笑顔で「うん、来るよ」って答えて帰りました。
帰り道、毎日涙を流しながら、鴨川に架かる橋の上を歩いていたこと。
昨日のことのように思い出されます。
退院の日に私たちを迎えてくれた満開の桜。
桜はあの日から忘れられない花となりました
退院後も数年間の通院治療が続きました。
その後、無事完治というお墨付きをもらうまでトータル8年。
今、次男は完全な健康体で高校へ通っています。
でも、人間ってすごい生き物ですね。
辛いことを忘れる動物です。
たくさんあった辛い出来事を細かい部分で忘れているんです。
忘れること、忘れてはいけないことが交錯しますが、今は次男が入院していた病院で難病の子どもたちに何かできないか?と考え、入院中の親子に向けた絵本や紙芝居の「読み語り」病棟移動図書などの活動をしています。
このボランティアによって、大切なことを忘れないように自分に言い聞かせています。
幸い、次男は大切な命を神様に助けていただきました。
入院中に次男が描いた絵です。
個室の中から出られない毎日の中で、大好きな森林と昆虫を描きました。
この絵を病棟の保母さんがすごく気に入ってくださって、長い間
小児病棟のプレイルームに飾られていたんですよ。
保母さんは来春、定年退職されるのでラミネート加工をして、私にプレゼントしてくださいました。
あんな、辛い治療と難病との戦いの中でこんな絵を描けるんですね。
こどもの力ってすごいと思います。
あれから10年。
私たち家族にとって、次男の病気は一体なんだったのか?
息子の病気を通じて私たち家族の人生観や、家族観、命に対する考え方が変わったように思います。
私たち家族の大ピンチを救ってくださった多くのドクターのみなさん、ナースのみなさん、その他の医療従事者のみなさん、友人たち・・・・
昨晩、6月19日を迎えるにあたって、これまで私を支えてくださった皆さんの顔を思い浮かべて涙がこぼれました。
パパ、いつも私たち家族のために朝早くから会社に行って働いてくれてありがとう。
パパのおかげで、私も息子たちも生きていけるんです。
おにいちゃん、ダメダメでこどもみたいな母親に育てられて苦労したね。
でも、立派に大学生になってくれました。
親はなくとも子は育つ・・・・そんなくらい頼りない母です。
次男くん、いろんな困難を周りの方々に助けられたね。
あなたがいつも明るくて、前向きなので母は助けられました。
我が家で一番繊細で、感受性豊かな芸術家肌の次男くん。
これからも自分らしく人生を謳歌してください。
人生の折り返し点を曲がってきた私。
今はいろんなことに感謝して、毎日を精いっぱい生きています。
明日のことを考える余裕もなくて、今日がいっぱいいっぱいのみやちゃんです。
だから、よくポカもしますがそれも私かな?
すごく上手に完璧にできたらいいけど、面白くない。
私は私らしく。
若い時は自分のことがすごく嫌いで自己嫌悪の塊でした。
でも、ここ数年はいろんな欠陥だらけのポンコツな自分が好きです
我が家のバラもそんな私を支えてくれています。
そして、向こうから見つめる可愛い子、ナナたん
ナナたんも次男くんが大好きだよね。
みやちゃんチの家族は派手なことやオシャレなことが苦手です。
明日はささやかに家族で外食をして、次男くんのバースデーパーティを
する予定です。
18歳。
人生、何が起こるか分かりませんね。
どんな苦難が彼を待ち受けているかも、誰も予測できません。
でも、それが人生。
苦しみも年月が生きる肥やしとしてくれます。
苦難も全て捨てたもんじゃないって思って明るく生きていきましょう。
母が生きている間はずっとあなたを見守っているからね。
長~いひとりごとにお付き合いいただきありがとうございました
今日もナナたんに会いに来てくださってありがとうございます
ご訪問に感謝いたします
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