超私事!葉月の『今日の出来事』

粗にして野、しかし卑にあらず。
お下劣大好き、お下品大嫌い!
オババの好き勝手な独り言。

安らかなんかに眠ってくれるな

2012年12月28日 | 独り言

■野田秀樹氏 弔辞


 見てごらん。列をなし、君を見に来てくれている人たちを。

 君はこれほど多くの人に愛されていた。

 そしてきょう、これほど多くの人を残して、さっさと去ってしまう。

 残された僕たちは、これから長い時間をかけて、君の死を、

 中村勘三郎の死を越えていかなければならない。

 いつだってそうだ。生き残った者は、死者を越えていく。そのことで生き続ける。

 分かっている。けど、いまの僕にそれができるだろうか…。

 君の死は僕を、子供に戻してしまう。

 これから僕は、君の死とともにずっと、ずっと生き続ける気がする。

 芝居の台本を書いているときも、桜の木の下で花を見ているとき、

 けいこ場でくつろいでいるとき、落ち葉がハラハラと一枝を舞うとき、

 舞台初日の舞台本番前の袖でも、ふとしたはずみで、君を思い出し続けるだろう。



 たとえば、君が、僕に歌舞伎のホンを書かせてくれたとき。

 初日、君の出番寸前で、歌舞伎座の君の楽屋で、2人で不安になった。

 もしかしたら、観客から総スカンを受けるんじゃないか。

 つい、5分前まではそんなことをまったく思いもしなかったのに、

 君が「じゃあ舞台に行ってくるよ」。そう言った瞬間、君と僕は半分涙目になり、

 「大丈夫だよな?」「大丈夫、もう、どうなっても…、ここまで来たんだから」。

 どちらからともなく、同じ気持ちになりながら、君が言った「戦場に赴く気持ちだよ」。

 やがて、芝居が終わり、歌舞伎座始まって以来のスタンディングオベーションで、

 僕たちは有頂天となり、君の楽屋に戻り、夢から覚め、しばし冷静になり、

 「よかった。本当によかった」と抱き合い、君は言った。「戦友ってこういう気分だろうな」。

 そうだった。僕らはいつも戦友だった。



 僕らはいつも何かに向かって戦って、ときには心が折れそうなとき、

 大丈夫だと励ましあってきた。

 君が演じる姿が、どれだけ僕の心の支えになっただろう。それは、僕だけではない。

 君を慕う、あるいは親友と思う、すべての君の周りにいる人々が、

 君のみなぎるパワーに、君の屈託のない明るさに、ときに明るさなどを通り越した無謀な明るさに助けられただろう。

 

 君の中には、古き良きものと、挑むべき新しいものとがいつも同居していた。

 型破りな君にばかり目がいってしまうけれども、

 君は型破りをする以前の古典の型というものを心得ていたし、

 歌舞伎を心底愛し、行く末を案じていた。

 とにかく勉強家で、人はただ簡単に君を天才と呼ぶけれど、

 いつも楽屋で本から雑誌、資料を読み込んで、ありとあらゆる劇場に足を運び、

 吸収できるものならばどこからでも吸収しそうやって作り上げてきた天才だった。

 だから、役者・中村勘三郎。君の中には、芝居の真髄というものがぎっしりと詰まっていた。

 それが、君の死とともにすべて、跡形もなく消え去る。それが、悔しい…。



 君のような者は残るだろうが、それは君ではない。誰も、君のようには二度とやれない。

 君ほど愛された役者を僕は知らない。誰もが舞台上の君を好きだった。

 そして、舞台上から降りてきた君を好きだった。

 こめかみに血管を浮かび上がらせ憤る君の姿さえ誰もが大好きだった。

 君の怒りは、いつも酷いことをする人間にだけ向けられていた。

 何に対しても君は真摯で、誰に対しても君は思いやりがあった。

 

 そして、いつも芝居のことばかり考えて、夜中でもへっちゃらで電話をかけてきた。

 「あの、あれ、どう、絶対に頼むよ。絶対だよ」。

 主語も目的語もない、わけの分からない言葉でこちらを起こすだけ起こして切ってしまう。

 電話を切られた後、いつも深夜のこちら側には、君の情熱だけが残る。

 いまの君と同じだ。僕の手元に残していった君の情熱を、これからどうすればいいのだろう。

 途方に暮れてしまう。

 


 そして、君はせっかちだった。

 エレベーターが降りてくるのも待てなくて、

 エレベーターの扉を両手でこじ開けようとした姿を僕は目撃したことがある。

 勘三郎。そんなことをしてもエレベーターは開かないんだよ。

 待ちきれずエレベーターをこじ開けるように、君はこの世を去っていく。

 

 お前に安らかになんか眠ってほしくない。

 まだ、この世をウロウロしていてくれ。化けて出てきてくれ。

 そして、ばったり俺を驚かせてくれ。君の死は、そんな理不尽な願いを抱かせる。

 君の死は、僕を子供に戻してしまう。



 『研辰の討たれ』の最後の場面。

 君はハラハラと落ちてくるひとひらの紅葉を胸に置いたまま、

 「生きてえなぁ。生きてえなぁ」と言いながら死んでいった。

 けれども、あれは虚構の死だ。嘘の死だった。

 作家はいつも虚構の死を弄ぶ仕事だ。だから、死を真正面から見つめなくてはいけない。

 でも、いまはまだ君の死を、君の不在を真正面から見ることなどできない。

 子供に戻ってしまった作家など、作家として失格だ。 

 でも、それでいい。

 僕は君とともに暮らした作家である前に、君の友だちだった。親友だ。盟友だ。戦友だ。

 戦友に諦めなどつくはずがない。

 どうか、どうか、安らかなんかに眠ってくれるな。

 この世のどこかをせかせかとまだウロウロしていてくれ。

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