南風おじさんの4畳半生活

世人悉く春南風を歓ぶ。肖りたく号すが及ぶや否やを知らず。茅屋より世を管見すること60有余、腹膨るる思い止み難く…

男と女の関係

2006年05月25日 | Weblog
毎日新聞の記事である。

「ある店で、近くのゲームセンターで取ってきたぬいぐるみを抱え、メードさんにプレゼントする男性客を見た。誕生日にブランドバッグなどを贈る客もいるらしい。取材前に考えていたのとは逆に、圧倒的に優位なのはメードさん。ご主人様はぜい弱だ。

 数百円でご主人様になれるメードカフェの流行を、私は喜べない。幻想に守られた“家”で、飲み物を混ぜてくれるメードさんをうっとり眺める男性客に「いい若い者が大丈夫か」と胸ぐらを揺さぶってやりたい気持ちがわきあがってくるのだった。【亀田早苗】」

この記者は根本的に勘違いをしている。女性がメイドになる(一見男にかしずいているように見える)ということは、女性が優位に立つことなのである。

最近のアホなジェンダーフリーにより、幻の「父権」なるものがやたらに喧伝されたため、勘違い女性が急増したようだ。

何時の時代にも男と女はフィフティフィフティ。男はその時代の女性が求める男性像に近づこうとするし、女性もそうなる。

昔は男に、泣き言をいわない強さ、責任感の強い頼りがい、家族のため国のために犠牲を厭わない潔さ、それらが求められた(そういう時代に生れなくて良かった)。

今はテレビのタレントに見られるような若い男がもてはやされる。責任感が薄くてもいい、強くなくてもいい、メイドに夢中になってもいい。

それが時代が求める男性像だからだ。何時の時代にも男と女はフィフティフィフティなのです。

花の香り

2006年05月24日 | Weblog
中国では花は香りを評価する。陳舜臣氏によると日本のサクラが中国人の好みに合わないのはそのためらしい。

今日、与野本町駅前を原付で通ったら、風の具合が良かったのかフワーッとしたバラの香りが漂ってきた。思わず原付を止めて、満開のバラを写真に撮りました。

普段から匂いに鈍感なせいか、いままでバラの香りには注意を向けてこなかったのですが、今日の香りの“発見”は嬉しい感じがしました。

他にもデジカメを持った同年輩の男が一人、携帯のカメラでバラを撮っていた女性が一人いました。

中央区役所の前には「バラのまち中央区」という看板が最近になって立てられた。バラを売り物にした街づくり、なかなか良いと思います。

写真はバラに囲まれた駅前のベンチです。お洒落な感じですね。

与野公園バラまつり

2006年05月22日 | Weblog
昨日の日曜日、天気にも恵まれてたいへんな人出でした。私も午後の1~2時ごろ行ってきました。(写真)

アレだけの人がいたのに、知り合いに会ったのは一人だけ。この辺も人口が多くなったのです。

天祖神社のそばでボランティアの店を出していた人で、売り上げを明治神宮に寄贈するのだそうです。しばらく立ち話をしてきました。

相川市長が午前中に見えたとか。「井原さん(前与野市長)は元気?」と聞くと、「さっき来たわよ」とのこと。「この会の代表が井原さんの奥さん、ほらあそこにいる人」と紹介されました。

半分ほど白髪の混じった髪で、メガネをかけた落ち着いた品のいい感じの女性でした。

バラの花は今が盛り。バラに似合うような女性がいたら写真でもと思っていましたが、来場者は年配者が多かったですね。まさに高齢社会です。

エスプレッソコーヒー

2006年05月21日 | Weblog
今日コーヒーショップで、「エスプレッソ」というのを注文してみました。いつもはブレンドかアメリカンばかりで、実は以前からメニューにある「エスプレッソ」というものが気になっていたのです。

何だか美味しそうなお洒落な名前です。そこで本日、止せばいいのにコイツを頼んでしまいました。

何と、赤ちゃん用みたいな小さなカップにコーヒーは半分弱。エッ何なんだこれはと思いましたが、そこで慌てるわけにも行かず、席へ持って行きました。写真はまだ手をつける前にパチリと撮ったものです。

ひと口飲んでみると、これが苦い。エスプレッソというのは、苦く濃いコーヒーがほんの少量出てくるものだと初めて知りました。美味しそうなのは名前だけでした。

帰ってから辞書で調べてみたら、イタリア風の入れ方のようですね。ま、いい経験になりました。

ハンバーグを“健康食品”に

2006年05月21日 | Weblog
もらい物のハンバーグが冷凍庫に堪っている。美味しいのは分かっているが、ハンバーグというのは脂分が多いのが困りモノなのです。

どうすれば脂分を取り除けるか。考えた末に名案を発見しましたのでお知らせします。

まず、ハンバーグのパックに一か所切込みを入れる。それをレンジでチンする。3つで5分、このときにハンバーグを乗せたお皿にクッキングシートを2枚敷いておく。脂分が染み出してきます。

ハンバーグをパックから取り出して、再びお皿に新しいクッキングシート2枚を敷き、その上に乗せる。そこで再び5分間のチン。

これでほぼ脂分は除去できました。もちろんハンバーグの柔らかな(ジューシーな)美味しさは無くなります。それでも“健康”が大事ですから安心して食べられる方が良いのです。

単純なことですが、これでも自分にとっては大きな発見でした。

針槐樹(はりえんじゅ)

2006年05月21日 | Weblog
旧友に針槐樹の好きな男がいた。針槐樹をよく短歌に詠んでいた。いま、この針槐樹が可憐な白い房状の花を咲かせている。

槐(えんじゅ)といえば、実朝の和歌集のことを金槐和歌集という。「金槐(きんかい)」とは鎌倉の右大臣という意味である。

知ったかぶりで字解きをすれば、金は鎌倉の意味。槐は大臣の意味である。なぜ槐が大臣の意味になるかといえば、昔、中国の宮廷で三公(皇帝に仕える臣の最高クラス)が槐の下に並んだからである。

針槐樹はまたの名を「ニセアカシア」という。あまり名誉な名前ではない。

旧友は多少偏屈ながら、信頼できる人物だった。いま越後の国で高校の教員をしている。

なぜ彼が針槐樹をあれほど好んだのか、聞く機会を逸してしまったが、針槐樹の花が咲く頃(ちょうど今ごろ)、毎年あの頃の彼を思い出す。

篆刻

2006年05月20日 | Weblog
石の印材に篆字で雅号などを彫ることを篆刻という。旧友に書家がいるので、私も多少教えてもらってやってみたことがある。

10年ほど前だったか、別所公民館で「篆刻講座」があり、受講して2、3本彫ったこともあった。面白いものである。

道具も一通り持っていたが、病気になって引越しをするときに全て捨て去ってしまった。その篆刻をまたやってみたくなり、湯沢屋で1セット購入してきました(写真)。

印材を固定する台を含めてセットで4410円は安いと思いました。

篆刻というのは趣味としてもいいものだと思う。一人コリコリと石の印材に集中している時間は、喫茶店で読書をする時間と同様に楽しいものだ。

これで友人や娘の雅印を作ってやるつもりである。

帆足興之氏

2006年05月17日 | Weblog
さいたま市議会議員で、先年亡くなった方である。長男の和之氏が3年前に後継者として市議選に出馬、当選しながら、公選法違反(アルバイトを雇って選挙活動をした)で有罪判決を受け、議員辞職した。

その亡き興之氏の塋域を偶然見つけることができた。興之氏には個人的に多少のお世話になったので、こころから合掌してきました。

墓地は岸町5丁目、岸町コミュニティセンターに近い小規模の霊園にあった。墓石に興之氏の写真が張られていた。和之氏が1周忌の法要を行ったことがわかる。

自分を良く知ってくれる人が亡くなるのは悲しいことであり、寂しい思いに駆られる。帆足興之氏の逝去の時にも同様の思いになった。

自分がかつて会社を立ち上げたときに、株主の一人になってくれた。その後も何かと目をかけてくれたことは忘れがたい。

和之氏も、何時の日かきっかけを掴んで再起して欲しい。それが最大の親孝行だと思うからだ。

交通博物館

2006年05月16日 | Weblog
先日の日曜日(14日)、神田の交通博物館が閉鎖された。来年の10月にはさいたま市で「鉄道博物館」として再スタートする。

14日の最終日には、閉館を1時間延長し、午後6時には博物館の入り口付近に多数の群集が押しかけ、「ありがとう」「ばんざい」などの歓声に包まれたという。

自分にも懐かしいところで、子どもの頃に親父に連れていってもらい、長く印象に残った。昨年七月には娘と一緒に行って見ました。(写真)

鉄道だけでなく、船舶や自動車、飛行機などまでが展示されていて、自分の子どもの頃に来た内容とはだいぶ違っていましたが、それなりに楽しめました。

さいたま市では、内容を鉄道に絞って展示するらしいので、その方が印象には残るような気がする。

新しい鉄道博物館が楽しみである。

不憫な敏子

2006年05月16日 | Weblog
同じ金光教の墓苑に、自然石に刻まれた「嗚呼不憫敏子之墓」と刻まれた墓石を見つけた。「大正11年10月21日、齢19歳」とある(写真)。

関東大震災の1年前、この花も恥らう19歳の女性に何が起こったのか、墓石には他に何も彫られていない。

塋域は立派な「青山」という浦和にはよくある名前の家だ。

これが多少でも歴史に関する人物なら、年表を調べて、この年月日に浦和で何が起こったのか調べるのも興味深い。

いまはただ、80年ほど前の、19歳の女性の「不憫な死」について想像を巡らすだけである。

相川家の戦死者

2006年05月15日 | Weblog
岸町のコミュニティセンターの斜め後ろに、小規模の霊園があった。入り口付近に「金光教」と書かれた大きなお墓があったので、その宗派の墓地かもしれない(詳しくは不明)。

ぶらぶらしていたら、相川市長家の塋域が見つかった。大きな墓域だ。今年の初めごろに亡くなった市長の父上・相川曹司氏の霊柱が立てられていた。

墓石に向かって右手の手前に、「海軍飛行兵曹長 相川博司」という小さなお墓があった(写真)。23歳の若さで、終戦の直前に戦死したらしい。

辞世の歌が刻まれていた。「我もまた 手柄話を身につけて 祖母のまします あの地にゆかん」。特攻隊でもあったのだろうか。墓誌によると、曹司氏のご兄弟のようである。

墓石の後ろに、小さな文字で博司氏の略歴が彫られているが、拓本でも取らなければ判読しにくい。このような一片の石にも小さな歴史が刻まれている。

白幡沼

2006年05月15日 | Weblog
別所沼は多くの市民に知られている。案外知られていないのは「白幡沼」(写真)だ。今日の夕方近くに近くまで行ったので、久しぶりに見に行ってきた。

何かの記念碑があるわけでもない、特別な謂れもない、昔の文人が愛でた風景でもありません。でも、市街地の近くにこれだけの沼が残っているというのは、有難い気がしますね。

もう10年ぐらい前に来たときと、ほとんど変わっていない風景です。沼の入り口付近にマンションが建って、やや風情を損ねているぐらいでしょうか。

通りから少し入っているせいか、訪れる人も少ないようです。じいさんが一人釣りをしていました(良いのかな)。

対岸は浦和商業高校と白幡中学です。地図は以下のURLで分かります。

http://map.yahoo.co.jp/pl?nl=35.50.42.760&el=139.39.14.405&la=1&fi=1&sc=3

稲垣田竜と家紋

2006年05月12日 | Weblog
与野に稲垣田竜(1789~1861)という剣術家&数理学者がいた(鈴谷に住んで初めて知った)。妙行寺にそのお墓がある。

鈴谷天神に記念碑が立っている。(写真)

家紋というものに興味を持っていて、墓石に刻まれた家紋を見るのが楽しみの一つだが、田竜の家紋は苗字に由来した稲紋だった。

与野には稲垣姓が多く、妙行寺だけでなく円乗院でも多数の稲垣姓を見た。ほとんどは稲紋であった(例外もあった)。

稲紋にもいろいろな種類がある。5円玉の裏の模様も稲である。たぶん稲紋を参考にしたのではないかと思う。稲は家紋全体の中では少ない方である。

さいたまパソコン同好会の会員にも同姓の方がおられる。伺ったことはないが、たぶん稲紋なのだろう。

有徳院

2006年05月11日 | Weblog
昨日、玉蔵院の境内を見て歩いたら、「東叡山 有徳院殿尊前」と掘られた太鼓を立てたような石碑があった(写真)。

有徳院というのは八代将軍吉宗のことである。東叡山とは上野寛永寺のことで、これが寛永寺の吉宗の墓前に立てられた両基の一つ(片方)であることが分かる。太鼓のように見えるのは、上部の灯篭部分が欠落したからだった。

普門院にもあったが、明治以降の徳川将軍家凋落の時代に、こういう堂々とした両基が近郊の寺院に流れたのだろう。また、上野戦争(彰義隊)で寛永寺が焼け落ち寺域が狭められたため、両基などを置く場所にも不自由したものと見える。

寛永寺の徳川家の墓地には、今も相当数の両基が残っている。一つ一つの送り主を調べるのも面白い。

玉蔵院の両基の送り主は「沼田城主」とあるが、名前の部分は磨耗して判読が難しかった。拓本でも取って読むしかないようである。

牡丹と芍薬?

2006年05月11日 | Weblog
牡丹を中国では「花王」として最大級の賞賛を与えている。花王石鹸のマークは牡丹であるはずだが、以前、花王石鹸の本社広報に確認の電話をしてみたが、電話口に出た女性社員は「花王=牡丹」ということをご存じなかった。

芍薬のことを「花の宰相」というそうだ。牡丹科の兄弟だからこれも中国人好みなのだろう。日本人の好むサクラは彼らは好まない。香りがないからである。

逆に日本人は花を見て観賞することが優先されて、香りの強い花は敬遠される傾向がある。茉莉花(ジャスミン)などはその典型かも知れない。

美人を形容して「立てば芍薬、座れば牡丹」という。牡丹は知っていても芍薬というのはどんな花なのか、あまりよく知らない。

▼追記:この写真の花、芍薬(しゃくやく)ではなく石楠花(しゃくなげ)ですね。どうもスイマセンでした。お詫びして訂正します。

先日、玉蔵院に行ったら、大輪の華やかな花が咲いていたので、近くにいた女性に聞いたら、これが「芍薬」だという。事典で確認したわけではないが、その芍薬を撮ってきたのでアップしておく。