涙目筑前速報+

詰まるところは明日を知る。なだらかな日々につまずいて
向かうところはありもせず、未来の居場所だって未定―秋田ひろむ

2024.4.15

2024-04-15 10:23:00 | チラシの裏
どっかの掲示板だかの書き込みで、「異世界転生なんかのなろう小説はある種の浄土信仰なんじゃないか」みたいな書き込みをみたんだけど、これは確かになと感じた。

今の自分の体たらくに全くの希望が持てないから、いったん死んで異世界という浄土で美少女にチヤホヤされて、自分の薄っぺらい知識でも凄い凄いと絶賛してくれて、修行や葛藤なんかなくても世界最強になれる。

今自分が存在している世界には早々に見切りつけて次で幸せになろうっていう発想は結構近しいものがあるなって。

浄土宗なら「南無阿弥陀仏」って題目で救われるもんな。
分かりやすいって意味でも近い。

そういうこと考えたら、なろう系好んでいるヤツらは今の時代に突然現れたタイプの連中じゃなくて、昔にも似たような連中がいたんじゃないかっていうハナシで、社会の情勢や構造に関係してるんだろうなって。

あと主人公がオッサンになったのは、読者層がそこに近い年齢層になったからっていうのがあるんだろうな。
ヒロインが幼馴染キャラから母親キャラが出てきたっていうのも、無条件でいっちゃん甘やかしてくれるのが母親っていうのがあるんだろう。
今も昔も、楽して幸せになりたいっていう願望は普遍的なモノなんだろうな。

これをバカにするかどうかは人それぞれな所で、個人的にはまあ気持ちは分からんでもないという。
そりゃあ苦労しても報われない世の中だし、普段から学校だの会社だのでさんざっぱら気遣って苦労してるんだから、創作や想像の世界くらいはチヤホヤさせてよって思いたくもなるよな(笑)

ただまあ、こんなん好き好んでる自分を客観的に観たらマジで人として終わってるなって思う自分も存在してるんだよね。俺のハナシですよ。俺のハナシ。
別に世界最強じゃなくても良いから、少しくらいは何か自分で掴み取りたいっていう感情があるんだよね。
そういう生き方をしたいです。俺は。

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