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YOSHIの果てしない旅(人々との出会い、そして別れ)

ソ連、西欧列車の旅、英国滞在、欧州横断ヒッチ、イスラエルのキブツ生活、シルクロード、インド、豪州大陸横断ヒッチの旅の話。

カルカッタの人口過剰の話~インドで見た・感じた・経験した事の話

2022-03-05 14:26:17 | 「YOSHIの果てしない旅」  第10章 インドの旅
・カルカッタの人口過剰の話
 今日(1969.3.1)、YMCAから歩いて街へ行って帰って来たが、それにしても人の数が凄かった。デリーやボンベイの大都市でその凄さに慣れていたが、カルカッタの凄さは、正に一級品であった。それはインド独特の臭いがする中、人人人又人、男男男又男が途切れる事なく街の全ての通り(裏通りも含む)を溢れんばかり(物凄い雑踏、超過密状態)に歩いていた。更に通りにはそんな人々と共にこれ又、大勢の物乞いをする乞食や浮浪者、家を持たない路上生活者達がそれに輪を加えていた。
通りに女性が見掛けられないと言う事は、その男性の数だけ女性は家に閉じこもっている、と言う事なのだ。街の中で数少ない女性、特に綺麗なサリーを纏った女性を見かけると、その部分だけパット花が咲いた様な華やかさを感じた。
 街へチョッと出掛けただけで、色々なアンバランスが目に付いた。農村と都市の人口構成のアンバランス、男と女の社会的活動のアンバランス、貧富のアンバランス、不潔で粗末なスラム街の家々と中心部の立派な建物のアンバランス、不潔なゴミの山々が幾つもある通りと高級店が並ぶ通りのアンバランス等、超際立った対照を示しているのも『インド的カルカッタ』(この表現がズバリだと思う)なのであろう。
 超雑踏した街角に立ち、ぼんやりとそんな光景を見ていたら、私は深い溜息と共に息苦しく、気が遠くなりそうな感じがした。これがカルカッタの正直な実感であった。



シーク教徒の話~インドで見た・感じた・経験した事の話

2022-03-05 14:11:58 | 「YOSHIの果てしない旅」  第10章 インドの旅
・シーク教徒の話
 インド旅行中に於いてトラブルがあった時、よく助けて貰ったのが英語を話せるシーク教徒の人達であった。シーク教とはヒンドゥ教とイスラム教の融合をめざした宗教で、インドの中では2%の少数派、禁酒禁煙、不殺生を規則に持つ宗教であると言う。彼等はカースト制度の古い仕来りに縛られた伝統的なヒンドゥ教徒に比べて進取(職業の積極的な姿勢、取組)の気性が強く、近代化に対する適応も早かった。従って彼等は海外への商業活動も盛んに行なっていた。その影響か海外で見掛けたインド人は、大抵シーク教徒であった。特にロンドンで多くお見受した。  
 カーストの職業よる身分差別を受けないから、色んな職業に進出しているのだが、彼等の中にはバスやタクシーの運転手、闇両替屋、或はストリートボーイの元締めのオッサン達もいた。シーク教徒のシンボルは、ターバンと髭であった。彼等は皆、立派な髭を生やしていた。
 所で、ターバンは布で頭にいちいち巻くのかと思っていたら、帽子の様に簡単に、被ったり脱いだり出来る。