△1961年16歳のペンフレンドのSheila Morganとkenneth~彼女の自宅にて。
ロンドンの旅
*ペンフレンド・シーラの話
(注)この話は53年前の実話です。
第1章の項で述べたが、私が高校2年の時に彼女と文通を始めた。彼女から最初に来た手紙は、1961年(昭和36年)9月2日付でした。彼女(Sheila Morgan~シーラモーガン)はウェールズのスウォンジーやニースから近いColobren(コロブレン)に両親と弟の4人で住んでいました。彼女は当時15歳、私は16歳でした。送ってくれた彼女の写真は美しかった。「ダークヘアーにグリーンの目をしている」と自身言ってました。
彼女の父は文通を始めた最初の頃、炭鉱労働者であったが、閉山になり1968年現在は無職の年金暮らし、名はIvor(アイボー)でした。そして母の名はSal(サル)、そして弟はKenneth(ケネス)と言う名前でした。7~8歳の時にシーラと一緒に撮った弟は、かわいい感じであった。
以後7年間、我々はお互いの事、家の事、学校の事、そして国や風俗習慣等、色々な事について手紙のやり取りをして来ました。私が高校を卒業し、それから1年後、彼女もロンドンでOLとして仕事をするようになってからも文通は続きました。
文通を始めて以来、彼女だけが私の唯一の異性の友達であった。その文通を続けて行く過程で、「彼女に一目会いたい」と思う気持が、日増しに強くなって来ました。そして文通を始めてから7年、やっと会える機会が来て、既に私は23歳、彼女は22歳になってました。歳月経つにつれて彼女からの手紙は、70通を超える数になっていました。それと私の「彼女に一目会いたい」と言う事は、「外国へ行って見たい」とある意味に於いて、同義語であったのでした。
私が、「今年の夏の8月頃、ロンドンへシーラに会いに行く」と手紙を出しました。彼女の返事は、大変驚いた様子であったが、「私もYoshiに会いたい」との事でした。数日後、彼女のお父さんからも、「ウェールズに来たら何日でも泊まって良い」旨の手紙が届きました。
その様な訳であるから、私が7年間想い続けた事が明後日、実現するのです。