チームMONOKY

山好きのロートル(老頭児)な仲間です。チーム名はメンバーのイニシャルです。

西穂高岳2007/5

2007年05月09日 | 五月山

               西穂高岳

         -------到達点2800m-------Nisihookuho

山行日 :2007/4/30~5/3

メンバー:大内力(写真)、松枝勝(写真・ムービー)、中山好正(記)

       岡本かの子

はじめに

西穂高岳から奥穂高岳までの縦走を計画した。MONOの4名で行く予定が、Oが都合悪くなり、MONの3名になった。その代わり岡本嬢が西穂山荘まで同行することになった。

MONは、初日は丸山で幕営し、2日目は奥穂山荘、3日目は白出沢下山を予定し、岡本嬢は、初日は西穂山荘泊まり、2日目は上高地下山の計画である。結果的には岡本嬢は予定どおり行動した。MONは予備日を消化しながら西穂高岳の手前で退却せざるを得なかった。

4/30 新宿7:00---新穂高温泉12:00---西穂山荘15:00---丸山テント15:35Tyuusyajyou_1

新宿に集合し、中央道を順調に走る。談合坂SAとみどり湖SAでトイレタイムを取り、道の駅「風穴の里」で休憩しながら、新穂高温泉に着く。ホテル穂高で昼食を摂り、約1km下った無料駐車場に駐車し身支度をする。ロープウェイを乗継ぎ西穂高口に着く。料金はザック代300円を含み1800円だった。ロープウェイ駅を出ると積雪がたっぷりとあった。踏み跡がついた林間の雪道を西穂山荘へ向かう。山荘で岡本嬢が宿泊手続きした後、全員で丸山へ向かう。丸山を少し通り越した広い雪面を掘り下げテントを張る。

19時を過ぎると南東から強い風が吹きはじめ雪も降ってきた。22時の天気図によると低気圧が朝鮮半島にあり、明日も一日中荒天であろう。

5/1 西穂山荘で沈殿

5時に起床するが天気が悪く、視界もない。2名用テントに3名が入っているのでザックをNisihosannsou 外に出しても狭く窮屈である。今日は沈殿日と決めてテントを撤収し西穂山荘に引きこもることにする。7時30分に山荘に着くが岡本嬢は30分ぐらい前に上高地に向けて出発した後だった。山荘のチェックインは11時からなので、それまで売店でぶらぶら過ごす。ストーブがついていて暖かくOは座布団を敷いて寝ていた。この売店ではテーブルの上で自炊してもよいとのことだった。11時になりチェックインする。4人部屋に3人で快適である。18時の夕食まで昨夜の寝不足のため布団にもぐりこむ。夕食は我々3名と沖縄から来た男性1名だけだ。沖縄から毎年数回山を登りに来ているとの事だった。フロントに備え付けられた天気情報の画像を見ると明日の9時には低気圧は東北地方を通過し太平洋に抜けるようだ。

5/2 西穂山荘5:00---独標7:00、8:10----ピラミッドピーク9:15-----退却地点13:35、2800m-----ピラミッドピーク15:00

3時45分に起床。売店で自炊し朝食を摂る。昼前には晴れるだろうと期待して5時15分出Piramidotennto 発する。昨日とは真逆の北西の風で、相変わらず視界は悪く吹雪である。丸山を越え独標へ向かう。独標ピークへの登り口が一瞬わからず立ち止まるが、右へ回り込むとロープが見えた。その上方に鎖があり、鎖をつかんでトラバースすると傾斜の強い浅いルンゼとなっていた。ルンゼを直上すると独標ピークに出た。今度はピークからの下り口がわからない。視界が悪く下が見えないので、Oが空身でルートを探ると、アップザイレンしたのだろうか捨て縄があった。その方向にクライムダウンすると稜線らしき所に下りた。行く手は見えず、夏道の丸印などは、まったく確認できないので稜線をはずさないように進む。急登するとピラミッドピークに着いた。もう出発してから4時間経過してしまった。ルートを探しながらの登降は時間がかかる。9時を過ぎても北西風はおさまらずミゾレが左頬をたたき痛い。眼鏡は役に立たずとっくにポケットにしまいこんでいる。まつ毛も凍りつき、ハーネス・ザックにも着氷している。唯一、ゴアテックスのジャケットには氷がついていない。ピラミッドピークから先へ進むが稜線を離れて飛騨側のトラバースが多くなる。急傾斜のトラバースを繰り返し、コルのような広い所で小休止する。初めての休憩だ。テルモスの紅茶を回し飲みする。ここからも稜線通しは困難で左へトラバース気味に進むが、夏道ルートをはずれているようだ。西穂手前まで来ているのはわかるが、肝心のルートが読めない。時間も13時を過ぎ天候も回復しない。前日に予備日も消化しているので、これ以上、進むのは無理である。ここで引き返すことにする。Piramidonisiho_1

帰りもトレースは完全に消えルートを探しながらの登降となった。途中、大きくルートをはずれるが、MのGPSの軌跡データにより支尾根へ踏込んでいるのが判明し、引き返すことにより事なきを得た。GPSは引き返す場合は、信頼精度は高いし有力な武器になる。ピラミッドピークにたどり着き、少し下った所に稜線の鞍部があった。時間も15時を過ぎているので、ここでテントを張ることにする。ピッケルで雪面を掘りサイトをつくる。ザック等の荷物はツエルトにくるんで外に出しテントにもぐりこむ。ガスを全開にし、濡れた体をあたためて一息ついた。体を冷やすと坐骨神経が痛み出す、年をとったものだ。17時を過ぎるとやっと風も治まり、前穂の吊尾根が見え出す。しかし独標への下りの稜線は確認できなかった。明日は確実に晴天になるだろう。夜は高度が高いためか冷え込んだ。辛い夜を短くするため23時過ぎまで起きていた。真夜中でもウソのように無風で静かな夜だった。

5/3 ピラミッドピーク直下7:10---独標8:30----西穂山荘9:25-----新穂高温泉10:30----北軽井沢17:00----新宿22:00

4時30分起床し、小キジをうちに外に出ると独標への稜線がはっきり見える。朝食を摂りテントの撤収の準備を始めると独標ピークに人影が見えた。ピークからは動かないので朝日に輝く穂高の写真を撮っている人だろう。次に独標から単独行者が登ってくる。そDohhyousannninn の後方から3名パーティが続いている。彼らは晴天の中、登ろうとしているが、我々は下るのである。この不運はどうしたものか。

先頭の単独行者は、大きなザックを背負い歩くスピードも早く、かなりの力量の持ち主である。我々の出発準備ができた時にはテントサイトまで登ってきた。彼はザックを下ろし一服した。「できれば槍ケ岳まで縦走するそうだ」彼は西穂のくだりを気にしていたが、我々はその手前で引き返しているので参考になる情報を持ち合わせていない。単独行者と別れて我々も下り始めた。途中3人パーティとすれ違い独標につく。独標ピークで穂高との別れを惜しんでいると1人のオジサンが登ってきた。オジサンと写真の撮りっこした。その人は登ってきた所を下るのが不安な様子である。独標直下は傾斜の強い浅いルンゼになっていて、ちょいと怖い。「この下りはザイルがあったほうがよいか」と小生に話しかけてきたので、我々も降りるので、ザイルで確保するから先に下りてくださいと申し入れた。オジサンが先に下り、我々も下ろうとしたら6~7人のパーティがルンゼに現れた。しかたないので先に登るように言って待つことにした。そのパーティと入れ替わりに独標を後にした。西穂山荘までは広くなだらかな尾根が続いている。山荘では多くの登山者がいて、大変な賑わいである。重い足を引きずりながらロープウェイ駅をめざし、無事下山した。Yarimikann

下山後の楽しみは2つある。温泉と蕎麦だ。車で槍見温泉に向かう。なかなか古風な雰囲気のある温泉宿です。日帰り入浴は500円と安い。露天風呂につかっていると、ど~と疲れが出てきた。脱衣場には、井上靖「氷壁」にこの温泉がでてくると書いてあった。槍の頭も見え、湯温・雰囲気もすばらしく大満足である。

次の蕎麦は、4月30日に岡本嬢から教えてもらった新島々の駅近くの蕎麦「とくベえ」まで車を飛ばす。蕎麦・漬物・てんぷら・いなり寿司等を注文した。味はよく、量もたっぷりある。これで1100円とは驚いた。蕎麦も大満足である。蕎麦を食べながら携帯を見るとOさんからメールが入っている。「北軽井沢の別荘にいるので来ないか」との誘いです。回り道になるが本日中に帰京できるので、北軽井沢へ向かう。Oさんとしばし歓談し18:30北軽井沢を発ち新宿に向かう。

おわりに

帰京後の4日の朝にメールを開くと、アイランドピーク(標高6189m)遠征中の甲斐さん達が登頂に成功したとのメッセージが入っていた。すぐさま甲斐夫人に連絡をする。

甲斐快人快挙喝采

ムービー西穂退却「movie-nishihotakadake.MP4」をダウンロード

 

                                      了