チームMONOKY

山好きのロートル(老頭児)な仲間です。チーム名はメンバーのイニシャルです。

地蔵岳2005/3

2005年03月22日 | 春山

地蔵岳山行報告

Dsc00834

山行日 2005/3/19~3/20

 

メンバー:中山好正(54歳)、記:岡本紀幸(56歳)

 

 

行動記録

3/19  

 

御座石鉱泉(標高1085M)7:00着、7:45発-(1230)8:12/8:16-(1335)8:45/56-(1540)9:34/44-(1750)10:25/30-(1910)11:02/21アイゼン装着-燕頭山(2105)12:10/47昼食-(2160)13:24/31-(2200)13:58/14:13-(2345)15:09/18-(2370)16:17/29-鳳凰小屋(2382)16:39着

 

 

3/20

 

鳳凰小屋7:07発-地蔵岳(2764)9:00/37-鳳凰小屋10:22着テント撤収12:05発-(2120)13:13/24-燕頭山13:41/48-(1895)14:11/16-(1460)15:01/05-西の平(1320)15:20/35-御座石鉱泉16:20着

 

 

前夜3/18

 

当初NOKで行く計画だったがK氏が風邪のため参加できず、NO二人で行くことになってしまった。K氏負担の共同装備は20㍍ザイルだけだったのでそれに替わる私の6㍉補助ロープ(20㍍)を持っていくこととした。観音~薬師間の稜線がチョット危なそうに思えたからである。

 

二人になったため東京駅集合を止め、直接18日(金)21時、N氏自宅近くの上北沢5丁目交差点で合流。中央高速を一路双葉SAに向かった。

 

 

御座石鉱泉

SAには今シーズン最後のスキー客が大勢いた。駐車場で車中泊。翌19日(土)6時に出発。須玉ICで降り、小武川沿いに1時間車を走らせ、御座石鉱泉に到着した。

 

南アルプス山峡の未舗装道の行き止まりにある宿としては大きな2階建て、RC造の建物だった。

 

先着の大宮ナンバーの車が1台。3人パーティが出発の仕度をしていた。

 

宿の女主人(お婆さん)が駐車位置を直すように遠くから叫んでいた。

 

宿の玄関でわがリーダーのN氏が登山届けを備付けノートに記入し、鳳凰小屋前のテント場代@630/人・日×2人×2日=2520円也を支払う。

 

トイレをすませた後、勇躍地蔵岳への第一歩を踏み出した。7年前に鍋割山荘で松田宏也氏にサインしてもらったバンダナを額にキリリと巻く。そこに氏の志の一端がうかがえる言葉「大きな夢も一日の一歩から」が書かれている。

 

 

 

鳳凰小屋へ

落葉で埋まる山道をしばらく行くとすぐに雪の残る道になった。今日の行程は2382㍍の鳳凰小屋まで標高差約1300㍍を登りっぱなしに登る辛い山行だ。

 

途中の燕頭山(2105㍍)までは水平距離は全体の5分の2ほどだが約1000㍍の高低差がある急登だ。とくに1400㍍からは地図上でコンターの密度が濃くなっているところを通るコースで前途の困難が予想できる。

 

N氏は輪かんを持ってきたが私は先行の3人組が持っていないのを見て多分、必要ないだろうと車に置いてきた。

 

西の平(1320㍍)を過ぎるころから大分雪が多くなってきたが、N氏はなかなかアイゼンを履こうとしない。3人組とは1600~1700㍍あたりまで抜きつ抜かれつできたが彼らはトウに装着している。われらは1900㍍(旭岳の直前)でようやくアイゼンを履いた。N氏の言い分は雪が少ないところはアイゼンの刃を傷めてしまうのと足首に余計な負担をかけ、怪我のもとになる惧れがあるからこれくらいのところではなるべく履かないほうが良いのだという。山の後輩の私は素直にそれを受け入れ、多少不安を生じるような斜面でも無理をして登っていった。けれど帰りはアイゼンなしではとても降りられそうにないと感じた。

 

 

先月購入したカシオのプロトレックによって高度を見ながら登っていく。あらかじめ25000分の1の地図を拡大コピーしたものに100㍍毎に印をつけておいたのを時々見、現在位置を確認する。1週間前、初めて今年最初の山行となった鍋割山で試行していたので扱いには慣れてきていた。

 

だいたい30分登っては4、5分休みをとるといったペースで燕頭山まで6ピッチでたどり着いた。N氏のザックはおそらく20㌔は超えていただろう。私のは18、19㌔くらいか。黙々と雪の斜面を見つめながらひたすら登行する。

 

樹林帯を行くので周りの景色に目を奪われることはない。時々曲がり角などで右手の開けたところから八ヶ岳の山塊が眺められる程度だった。

1910㍍のピーク近くになって眼前に甲斐駒の偉容が見え出した。山頂から右に去年辿った黒戸尾根が延び、その下には釜無川がゆったりと流れている平地が広がっている。八ツの遥か彼方に白い屏風となって連なっている連峰はどこだろう。

 

 

こんな景色を眺めるとき、しみじみと山に来てよかったなと思う。登山は確かに苦しい。危険なこともいたるところにある。昨夕の家人のあまり無理をしないで、無事で帰ってきてとの願いにもかかわらずまた、こういう山に来てしまった。

山にハマッてからかれこれ8年になるがNOKで年に数回行くようになってずいぶんと短期間のうちにいろいろな体験をさせてもらった。

 

 

冬の八ツ・赤岳を皮切りに剣・三の窓、同・源次郎尾根、同・早月尾根、谷川岳、唐松・五竜、黒斑山、木曽駒・宝剣岳、白毛門、甲斐駒・黒戸尾根、北穂・東稜。このほかに単独で丹沢を主に、北アルプスの表銀座や雲の平など夏の縦走、浅間隠山。雪山や雪渓でのアイゼン、ピッケルの使用。岩場でのザイルの使い方。

10数年前にK氏とスキーに行くようになって何年かはスキーだけの付合いだったのが、いつからか山に一緒に行くようになり、氏の山屋の過去を覚ましてしまいN氏も同様にK氏からふたたび目覚めさせられてしまったのだった。またK氏を介し平塚の藪歩き会のメンバーとの交流もできるようになった。

 

 

山道を登りながら想い出に耽っているうちにかなり高度を稼いでいた。

だが本当に辛くなってきたとき、自分にはとっておきの苦しさを忘れる方法がふたつある。

ひとつは娘たちの幼い頃を想い出すことだ。あの愛くるしいほど可愛かった頃のふたりの姿を頭に思い浮かべるのだ。もう20年も昔のことだが昨日のごとくいくつかの印象的なシーンが脳裡に映し出され、脳内モルヒネでも出てくるのか。しばし登りの辛さから逃れることができる。

 

いよいよそれでもダメな時は最後の手段だ。都はるみである。夫婦坂を口ずさむことになる。

「この坂を越えたなら幸福が待っている。そんな言葉を信じて越えた七坂、四十路坂~~~」

五十路坂も半ばを越えた自分ではあるが俗世間を眼下に見下ろし、至上の天の高みに向かって這い上がっていくとき、肉体の苦しさを超えた精神の快楽に浸ることができる。

On

どうやら燕頭山に着き、お湯を沸かし持参のおにぎりで簡単にお昼を済ます。ここから今日の宿泊地・鳳凰小屋までは高低差があまりないダラダラ登りの道だ。そう思って安易な考えで歩き出した。ところが踏み跡のない雪道は大変だった。表面がクラストで内部がグサグサの雪。先頭を行くN氏の踏み跡(穴)を忠実に辿りながら進む。

 

 

沢を渡るトラバースのときなどはスリップは許されない。やわらかい雪のためアイゼンがあまり効かないようだ。多少の恐怖を感じる。

クラストの上に静かに足裏全体を乗せ、何事もなく通過できるときもあるが、太股までズッポリ埋まってしまうこともあり難儀した。

トレースのない樹林の中を行くのでルートファインディングはやはり経験がものをいう。ところどころの樹についている赤いペンキやテープのマークを目安に進んでいった。

2300㍍の等高線に沿ってからのコースは地図では尾根の北側に書かれているが冬道は南側になっていた。

 

4時を過ぎいいかげんに着かないかと、この長い道程にいささかウンザリしてきた。先頭を替わった3人組のうちの若者が100㍍ほど先で小屋があったぞと声を上げた。こちらはその手前数100㍍で最後の休憩をとっていたところだった。Dsc00840

 

 

テントにて

N氏は輪かんをはいて到着。キャンプ地は数棟ある小屋の前のほぼ平らな雪面であった。

 

3人組は冬季小屋泊りだったようで入口が雪で埋まっており、われわれに手伝ってくれないかといってきた。こちらはテント泊なので手伝うかわりにN氏持参のスコップを貸してあげた。

 

テント設営も終わり中に入って落ち着いたのが5時ころ。すぐには夕食の支度をする気にもなれない。とりあえず空腹を満たすため、今回用意したもち焼き網で丸もちを焼き、のりと醤油で各自2個ずつ食べた。私はサンマの甘露煮やらビーフジャーキーなどをつまみに小さなポリ容器に入れたウィスキーをチビリチビリ飲み始めた。

 

こうしてテントの中に入って何かやり始めるといつの間にか時間が過ぎ、外に出ることもなくそのまま夕暮れの景色も見ずに夜を迎えてしまう。ランタンの灯りをともし、ストーブを焚いて雪から水を作っているとテントの中は温度が上がり、厳しい外の寒さから二人を守ってくれる。今日の9時間にもなる雪の中のアルバイトで、横になっているとすぐにでも寝入ってしまいそうだ。疲れ過ぎたせいかあまり食欲はないがポタージュスープと炊き込みご飯で素早く夕飯をすませた。

 

持ってきた防寒用の衣類を身にまといシュラフにもぐりこみラジオなど聞くうち、すぐに夢の世界の住人になっていた。キジ打ちに起きなくてはと夢うつつの意識で思っていてもそのまま夜中まで眠ってしまった。

背中があまり寒いのとN氏が外から戻ってきたのをきっかけにようやく小用を足しにテントから出た。

 

半月と星明りで雪が白く光っていた。地蔵岳から観音岳にかけての山並みが黒い衝立のように背後を覆っている。都会では滅多に夜空など眺めることはないが3月の星空は満天の星というわけにはいかないが、それでも沢山の星々が煌いていた。

 

この晩は風もほとんど吹かず、それからはエアマットからずり落ちもせずグッスリ眠ることができた。N3p

 

地蔵岳登頂

翌朝5時過ぎまで目が覚めなかった。こんなことは家にいるときでも珍しいことだ。この頃はたいてい3時から4時くらいの間にぼんやりと半覚醒の状態で寝床に入っているのが普通だ。

 

隣のN氏もようやく起きだしたので今回の目標・鳳凰三山登頂を果たすべくムックリと起き上がった。

 

テントでの朝食はいつものことながらすぐにはなかなか食べる気がしない。

出かける準備をして朝のお勤めを済ませてスッキリした後、昨晩の残り飯と味噌汁をようやく胃の中に流し込んだ。

 

さあ出発だ。サブザックに行動食、雨具、補助ロープ等を入れ、身軽な格好で出かけた。

われわれの出発のすぐ後で例の3人組も小屋から這い出て来た。目指すは地蔵岳。ここからは高度差約380㍍。

 

すぐに樹林の中に入り、しばし行く手に迷う。3人組の若者が先頭に立ち、ラッセルしながら登行する。N氏が20分くらいで交代を申し出、先頭に立つ。この2人の強力な機関車のおかげで案内地図にあるコースタイムより少し遅い程度で、山頂のオベリスクの付け根に辿り着くことができた。

 

樹林帯を抜け出してからの途中の斜面はいつ雪崩が起きてもおかしくないようなスリバチ状の斜面だった。斜度は長次郎谷と同じくらいだろうか。グズグズの雪なのでキックステップがつき過ぎるくらいついているので、まずスリップすることはない。ただ、片足が深くはまってしまったときなどバランスを崩して倒れそうになることがある。滑落したらこの雪ではピッケルを雪面に打ち込んでもブレーキは効かないだろう。斜面のところどころに岩が出ている。Dsc00838

 

スピードが出た滑落の途中、岩にぶつかったらひとたまりもないだろうなと考えながら登った。即死であればいいが意識が残って痛いのはいやだななどとも思う。ともかく、私がトリになって山頂に着いた。正確には山頂とはいえない。というのは、それはオベリスクといわれる大きな岩がそびえ立つふもとだったからだ。

 

2組のパーティーはお互い登頂の歓びを交歓し写真を撮りあったり、私などは行動食のドライフルーツを皆に配ったりした。

北の方の岩かげに小さな地蔵菩薩が数体据えつけられていた。そのお地蔵様を背景に記念撮影をした。Dsc00836

北方には北岳や甲斐駒ケ岳がそびえ立つ。登頂記念の石を拾ってザックにしまい、早々に下山を開始する。

 

 

時間はまだ9時半だ。予定では鳳凰三山、即ちここ地蔵岳から観音岳を経て薬師岳に行き、また鳳凰小屋のキャンプ地まで戻ることになっている。だが、ここまで相当体力を消費していることもあり、何となくこれからの稜線伝いのルートは危険そうでもあり、できれば一気に山を降り、温泉につかって今日中に帰宅するという易き流れに乗ってしまいたい誘惑にかられた。N氏に同意を求めるとやはり今日中に帰れれば三連休の最終日を有効に活用できるという専ら下界の論理を展開する。結局その論理に従うことになってしまった。

 

ということでテントに着きアイゼンは一応脱いだが、登山靴はそのままで行動食を摂りながら荷を整理し、休む暇もなく素早くキャンプを撤収した。Dsc00837

 

 

再び御座石へ

12時に出発。3人組もその直前に同じく下山のため小屋から旅立っていった。

 

初めは私が先頭に立ち、ユルユルと下っていった。黙々と進んでいった。下りはいつも40~50分ピッチで行くのが普通だったので、そのつもりでゆく。

やがて前方に二つのピークが見え、先行の3人組に追いつくところまで来た。地図を見ると燕頭山まではまだ距離があるのでここらで休もうかと後のN氏に声をかけた。が、氏はもう少し先へ行こうという。それではと歩行を続け、それから20~30分くらい歩いただろうか。ようやく燕頭山に着きひと休みとなった。

70分の長い1ピッチだった。

 

3人組はそこで昼食を摂っていた。こちらはひと休みしただけですぐに出発。

 

 

この先は急勾配の下りになる。今度はN氏が先を行き20分後に小休止。この間ふたりの登山者とすれ違った。まだ20代の青年だったがこの先の雪の状態を聞いていた。われわれがつけたトレースがあるので比較的楽に小屋に着けるだろう。

 

1600㍍を過ぎるあたりで急に膝が笑い始めた。N氏はズンズン先に行ってしまい、やがて姿が見えなくなってしまった。氏の方が荷が重いのだから背負っている時間が短いほど良いわけで、私がおいていかれるのは仕方のないことだ。そう考えてマイペース、安全第一で行くことにした。

 

雪もますます少なくなり、アイゼンが岩や木の根に当たるようになってきた。ついには岩角に引っ掛けた拍子に左のアイゼンが脱げてしまった。その時点で右のアイゼンも脱ぎ、一人で休憩をとった。N氏は西の平で待っていてくれた。だいぶ長く待ったと思う。残りの水を全部飲み干し早々に出発した。N氏には車のキーを渡し、先に行ってもらう。

 

北側の細い山道には氷が張ってあったりして滑って転んだりしたらかなりの傾斜の斜面を転げ落ちてしまいかねない。慎重にならざるを得ないので余計遅くなってしまった。

 

御座石鉱泉の緑の屋根が下に見えてきた。ホッとした。16時20分車のところに帰り着いた。下山は4時間あまりで無事帰還できた。

 

相当疲れたが無事故で怪我もせず何よりだった。

下山の報告を宿にすると女主人のお婆さんは律儀にも支払っていた二泊分のうち一泊分を返すという。おかげで入浴料が半額でよいことになった。

下山後の温泉は疲れを癒すのに本当に必要だ。中央高速に出るまでにどこかいい温泉があれば寄っていってもいいと考えたが折角、御座石という何やら由緒正しそうな名の鉱泉なのでここで2日間の垢を落とすこととした。

 

思えばこの2日間御座石から出発し帰着する34時間は、往き=登り6時間45分、帰り=下り6時間10分(地蔵岳登頂を含む)、その他=睡眠+休憩+食事等21時間余というシンプルな時間の消費だった。