チームMONOKY

山好きのロートル(老頭児)な仲間です。チーム名はメンバーのイニシャルです。

八海山2009/5

2009年05月15日 | 五月山

           八海山 八つ峰

山行日 :2009/5/3~5/5Hachikaizan11

メンバー:CL八尾、藤原、甲斐、吉川(記)

はじめに

 5月の連休の予定が、前半別件があり後半にせざるを得なかったのであるが、MONOKYの前半の予定には、「毛勝山縦走」と聞くからに厳しそうであり、昨年、谷川岳西ゼンで、失敗して以来のリハビリとしては無理と思い、甲斐さん計画の八海山に、参加することにした。実質は1泊であり、しかも登りはロープウェイでということで、それほど深刻には考えていなかった。ただ、鎖場が多いということだが、具体的にはあまりイメージはなかった。

報告書本文は以下をご覧ください。

八海山八つ峰報告(記:吉川):「0905hachikaizan.doc」をダウンロード


毛勝三山2009/5

2009年05月05日 | 五月山

          毛勝山~釜谷山~猫又山の縦走

・山行日 :2009/4/29~5/2

・メンバー:大内(コース記録)、松枝(写真)、中山(文記)、以上3名は縦走

       村田(写真)は、ブナクラ乗越から毛勝山往復0905kekatu6

・はじめに

 村田さんは、先月の0905kekatu7

4/29(水) 新宿(18:40)---北陸道・越中境PA(24:00、3時間仮眠)---魚津IC(4/30 3:30)--片貝第二発電所(4:00~5:00)

 大内・松枝・中山は、新宿西口に集合し中山号で関越道に乗る。上里SAで夕食をとり、上信越道から北陸道を順調に走り、魚津ICで降りてIC近くのコンビニを探し、今日の朝食弁当を買う。魚津ICからの一本道を片貝川沿いに走り、懐かしく思い出した東蔵を過ぎると第二発電所に着く。車が6~7台駐車していて、ゲートが下りて通行止めになっている。これより先の片貝第四発電所まで車で入るつもりだったし、うまくいけば片貝山荘まで入れると踏んでいたので 大きな誤算である。第二発電所から片貝山荘までは、7.5kmの車道歩きである。あわてても仕方がないので明るくなってから出発した。

4/30(木) 片貝第二発電所(5:00)---レリーフ(5:45)---片貝山荘700m(7:00)---宗次郎谷出合850m(8:00)---大明神沢出合1250m(9:30)---毛勝谷三俣1500m(11:00)---毛勝谷1950m地点(14:00~17:00)---毛勝山北峰・南峰コル2350m(19:00テント泊)0905kekatu9

 舗装された車道を歩き、東又谷と南又谷の分岐の500m先にあるレリーフに花束を捧げて、先に進む。片貝山荘から林道に入り宗次郎谷の出合に着く。ここまであまり雪はない。今年は雪は少ないのだろう。大明神沢出合では、さすがに雪で埋まっていた。毛勝谷には3人パーティが先行しているのが見える。三俣1500mまでは順調なペースで来た。これから谷は傾斜が増してくる。それでも1700mまではペースは落ちながらも登ってきた。時刻も12時をまわり、足元の雪も腐って歩きづらい。ペースもガクンと落ちてしまった。1900mまでの200mの登高に2時間かかっている。目の上に見えている稜線コル2350mまで400mの標高差がある。すぐ上に見えているのに信じられない。コルから単独者と3人パーティが続いて下降して来た。彼らのトレースを使っても足が沈み込みペースは、あがらない。とうとうテント場を探そうと、谷の左上に凹地のように見える場所があった。行って見ると凹地ではなく傾斜のきつい斜面だった、下から見上げた時の目の錯覚である。ピッケルで斜面を削り取り、幅3m奥行き1mの3人が座れるテラス(毛勝谷テラスと命名)をつくり休憩する。甘い紅茶を沸かし一息つき、しばし眠る。やはり、深夜車で来たので寝不足は体にこたえている。17時になったが、太陽はまだ高く明るい。気温も下がってきて、雪0905kekatu10 の状態も良くなるのではないかと淡い期待をした。このまま座ったままのビバークするよりは夜間登山でも、残り400mを登ろうと意見が一致した。念のためヘッドランプを装着し、ジャケットを着て再スタートする。3時間の休息で体力は少し回復し、雪の状態もよくなっている。19時、暗くなる前に稜線に到着した。早速、テントサイトを削り出しテントに転がり込んだ。携帯で連絡は取れなかったが、今日は村田さんは馬場島荘に宿泊している予定だ。夜は寒くよく眠れなかった。

5/1(金) テント(6:00)---毛勝北峰2414m(6:15)---毛勝南峰2400m(6:40)---釜谷山2415m(7:40)---猫又山2378m(9:20)テント設営---(中山9:30発---ブナクラ乗越手前1850m11:00村田さんと出会----猫又山テント場14:10)

 昨日の19時までの行動のおかげで、今日は猫又山まで行けばよい。しかし、のんびりしていると昨日同様に雪が腐り厄介になる。6時にテントをたたみ空身で北峰に行く。30数年ぶりの毛勝山頂だ。光陰矢のごとし、ここに居るのが不思議な気がしてきた。南峰からは大明0905kekatu11 神尾根が一望できる。雪庇が阿部木谷側に張り出している。南峰から釜谷コルへと下ると、単独者と2人パーティの3名が登って来てすれ違った。釜谷山では5mはあろうか大きな雪庇が黒部川に張り出している。その姿は圧巻で雪の量に圧倒される。釜谷山頂上で休憩していると、先ほどすれ違った単独者が毛勝山に登頂し我々を追い越していった。しばらくすると2人パーティも追い越していった。猫又山直下に立派なテントサイトが作ってあって、先ほどの3人が休んでいた。3度目の出合である。単独の人と話をしていると、ブナクラ乗越しからの登りでヤバイ箇所があり、登るには登ったが下りるにはザイルがいるが、持っていないので困ったと言う。村田さんが今日ブナクラから登って来るが、昨夜は連絡が取れていないため、ザイルを持って迎えに行くことにし、単独者の下山に協力することにした。大内・松枝はテント設営し、中山はブナクラに向かった。猫又山の下りは、だだっ広い尾根で吹雪いたら迷ってしまいそうな広大な斜面になっている。さらに下ると尾根は細くなり2000m付近では15mの傾斜のきつい雪壁状になっている。ザイルなしでも降れるが、荷物が重いと危険な場所である。ブナクラ乗越が見える1850mまで来ると、乗越しへのルートがどこなのかわかりづらい。単独者が言っていた危険箇所である。彼に登ってきたルートを聞いていると、「中山君」と声がかかった。しかも上の方から聞こえた気がした。びっくりしていると、傾斜のものすごくキツイ左側の雪壁から「中山君ではないですか?」とまた声がかかった。村田さんが、その雪壁の上に立って0905kekatu12 いた。私は、日焼け防止のためサングラスを掛け、頬被りし顔は完全に隠している。村田さんは雰囲気でわかったそうだが、見知らぬ単独者と同行していたので、不思議に思ったそうだ。もう少し時間がズレていれば村田さんとすれ違っていた。あぶないところである。村田さんは上から見て左側を登ってきた。私は右側を降りるところだから、ちょっとの差で確実にすれ違ってしまう。村田さんが登った所は危険で下れない。村田さんも「ここはダメだ、間違えて登った。戻るに戻れないから、しょうがなしに登った」と言う。単独者を下ろしてから村田さんの後を追いかけることにして、先に登ってもらう。右側の雪壁の上部に行くと2人組がいた。また、ブナクラ乗越しから5人ほどブッシュの中を登ってきたが、彼ら彼女らも降りる自信がないと言う。ザイルで単独者を30m降ろした。次の人は、それを見ていてザイルはいらないと言い、降り始めたが雪壁の途中で滑落してしまう。それを見て、今登ってきた人達も降りるのでザイルで下ろすことになった。

村田さんと出会ってから1時間以上たってしまったが、後を追った。迎えに来た意味があまりなかったが、出会えたことは、猫又山にテントがあるのが確認できたので、まあよかったのだろう。もし、テントがなかったら村田さんはビバークする覚悟だったのだ。猫又テントサイトに着くと防風壁とトイレがつくられていて、りっぱなサイトになっていた。このトイレには山に入って3日目の縦走隊3人が代わる代わるお世話になる。0905kekatu14

5/2(土)起床(3:00)---(村田4:10出発---6:00毛勝山---8:10テント到着)---テント撤収(8:50)---ブナクラ乗越し(11:30ー12:00)---大ブナクラ谷出合(14:00)---白萩川出合(14:40村田車)---片貝第二発電所(16:00中山車)---上田IC---草津村田別荘(21:00)

今日は、村田さんが単独で毛勝山ピストンする。残り3名はテントで待機する。テントから毛勝の稜線を見ていたが、村田さんが釜谷山を下るまでは確認できたが、その後、姿は見えなくなった。心配になり6時40分に中山、大内が迎えに出た。7時20分に釜谷山の頂上直下で、村田さんが頂上から降りてきた。村田さんからはテントも人も2人が登ってくるのも、見えていたそうだ。しかし、テントからは姿は見えなかった。不思議なこともあるものだ。光線の向きで、そのようなことがおきるのだろうか。テントからは当然見えるものと思い込んでいたが、村田さんは予定どおりのペースで毛勝山を往復し帰還した。テントをたたみブナクラ乗越し目指して下山をはじめる。2000m付近の雪壁ではザイルを出し下降する。ブナクラ乗越しへ0905kekatu15 の下降ルートは、松枝さんが2006年5月に降っているのでルートを思い出した。昨日のルートより更に右側の尾根の踏み跡を詰め、行き詰ると左の雪壁を20mアップザイレンで下降するのが最短ルートだった。ブナクラ乗越しに着くと10名弱のパーティがテントサイトを造っていた。大内、松枝は赤谷山に登る予定だったが、降ってまた登るのは、なんだかかったるくなり、このまま馬場島へ下山することにした。ブナクラ谷は雪がめっきり少なく、ほとんど夏道の踏み跡を探しながら下山し、白萩川の出合に停めていた村田号に乗り込んだ。