チームMONOKY

山好きのロートル(老頭児)な仲間です。チーム名はメンバーのイニシャルです。

剣岳源治郎尾根2002/7

2002年07月29日 | 夏山

剱岳源治郎尾根2002/7

 

山行日 :2002/7/25~7/28

メンバー:甲斐哲(58歳)、中山好正(51歳)、記:岡本紀幸(53歳)

 

いつものように東京駅丸の内側中央郵便局前で落ち合い、午後9時40分出発。この日は予定ではもっと前に出発するはずだったのだが、仕事の関係で遅くなってしまった。

 

夜間、中央高速を中山氏と交代の運転で走り、扇沢の駐車場に午前2時前に到着。仮眠後、黒部アルペンルートで室堂に9時過ぎ着。第一日目は2時過ぎにキャンプ地に着くという、余裕ある行程だった。

 

二日目、本番の日。4時起床。5時出発。剣沢雪渓を降り、源治郎尾根に6時に取り付いた。それから延々10数時間の苦闘であった。中山氏の不調、甲斐岳兄のピッケル紛失騒動。小生のルンゼ上部での立ち往生事件。苦難の雪渓降り。ナイトワンデリング。実に我がテントに帰りついたのは、午後8時45分だった。それでも全員怪我もなく、無事に所期の目的は達成したのだった。

 

帰京の日は、大町の薬師の湯に立ち寄り、汗を流した後、往路を辿り、高井戸・大手町でそれぞれ中山氏・甲斐氏を降ろし、午後10時30分になつかしの我が家に帰宅したのだった。

 

今回の山 行で印象深かった場面を、強い順に綴ってみる。 

 

 一番目、1峰手前

 

源治郎尾根に取り付いてすぐ、急登になった。私や甲斐さんは快調に登って行くのだが、中山氏が遅れ気味だった。

 

Ⅰ峰へのルートを先頭にたって切り開いていく。下から見上げると何とか行けそうなルンゼだった。先へ行くほど傾斜が強くなっていくのだが、怖いもの知らずで攀じ登る。右手にオーバーハングのうす暗い壁が立ちふさがっている。左手は手がかりの少なそうなバンドが上方に伸びている。1、2メートルを何とかかわせば草付きの斜面の上は登れそうなルートだと思った。

 

やや冒険だったが、バンドの左端に達した。そこまでだった。その場所で完全に行き詰まってしまった。下方は、30メートル以上、垂直に近いガレ場。降りるに降りられない。

 

ここに着くまでに大小の石を落としていた。そのうちのやや大き目の石が甲斐さんの腹部を直撃した。ワンバウンド後だったので打撃は比較的小さかったようだが、危うく大事故になるところだった。ルンゼの下部で黄色のヘルメットをかぶった単独行の老山男が、ルートを教えてくれと叫んでいたが、こちらはそれどころではない。

 

漸く追いついた中山氏が左横5、6メートルのところ、その右上の潅木帯に甲斐さんがいた。甲斐さんに上方に行ってもらい、ザイルを投げてもらうことにした。1回目の投擲でザイルをつかむことができた。腰にまわし、素早くボーライン結びで確保した。日頃の練習の成果だ。中山氏からお腹との間が空き過ぎているのでもう一度結び直せと指示が飛んだ。安全を確認し、振り子トラバースで左に移ろうとした。その前に、草付きの斜面を上がれないものだろうかと1歩踏み出した。とたんに足場が崩れ、数メートル滑落した。ザイルが無ければそのまま奈落の底だった。

 

バンドのうえで立ち往生した時、ふと頭の中に死の影が過ぎった。ここから落ちれば何度もバウンドして谷底まで行ってしまうだろう。打ち所が悪ければ命は無い、良くても重傷だろう。恐怖感はあまり感じなかったが、自分ではどうしようもない窮地に陥ったことを認識した。まさに立ったままでどうすることもできない状態だった。10数分は立ちすくんでいた。

あとで中山氏から自ら降りられないような登攀をしてはダメだと注意を受けた。

 

二番目。Ⅱ峰からのアップザイレン。

 

Ⅱ峰にあがるまでに相当バテてしまっていた。脚も手もつるようになっていた。なんとかⅡ峰頂上に這い上がり、最初に目に付いた石を記念に拾った。

 

降下地点まで行き、案内書の写真で見た確保点を確認した。沢山の残置シュリンゲがあった。下を覗いた。かなりの高度感だ。

 

10数分遅れで中山氏が到着。完全に様子がおかしい。その場にうずくまってしまった。

 

初めての降下前にしては緊張感も感激も湧いてこない。何故だろう。暑さのせいか。

 

最初に甲斐さんが降下。50メートルと20メートルのザイルを結び、ダブルにした。25メートル下に棚があり、そこからさらに5~6メートル下が着地点になっている。上から何枚か、写真を撮った後、2番手で降下する。ザイルをエイト環に装着した。この方法については前日、解説書を参考に3人でアレコレ試し、漸く理解できた成果であった。

 

最初の飛び出しもスムーズにいった。恐怖感はなかった。10メートルくらいまでは上方の左手に頼っている感じだった。下になっている右手さえしっかりしていれば何ということはないのだということが、壁の中ほどを過ぎる頃にわかり、それからは楽な気分で降りることができた。空中散歩を楽しみ、棚のところで一度止まり、ザイルのつなぎ目をエイト環の大きな方の輪の中に通し、再び降下。ザイルのたるみを計算せず、不用意に降りたため地面まで一挙に落ちてしまった。幸い怪我はなかったが。初体験の懸垂下降としては、上出来だったと自分では満足できた。

 

三番目の印象。ナイトワンデリング。

 

小雪渓を苦労して下り、熊の岩に着いたのは5時を過ぎていた。

 

夫婦でテントを張っている横を通り、水場に降りた。思いっきり冷たい水を飲み、のどを潤した。熊の岩には他に3人の岩登りのグループがいた。帰りがけに夫婦組の奥さんからミカンを頂いた。

 

長次郎谷は長かった。剣沢との出合い近くは、デブリの跡のうねうねと続くぬかるんだ路だった。小キジを打つためにハーネスをはずした。アイゼンもとる。出合いで先行の二人に追いつき、先ほどのミカンを分け合って食べた。両名はアイゼン装着のままだったので自分も再びアイゼンをつけた。

 

剣沢雪渓を登り始めた。快調なペースで歩くが、途中の目安にしていたところに着いた時、急に動悸が激しくなり、小休止した。

 

中山氏、自分、甲斐さんの順で雪渓を行く。午後7時を過ぎ、漸く平蔵谷出合いを通過。雪渓から通常コースに上がるため、アイゼンを脱ぐころにはヘッドランプが必要になってしまった。

 

中山氏はドンドン先へ行ってしまったので、甲斐さんと二人で暗い山道を行く。どこかで曲がるところを間違えたらしく、小屋の廃墟下のゴミ捨て場のようなところに迷い込んでしまった。そこから這い登り、何とかもとの道に出、小雪渓を横断し、遠くに剣沢山荘の灯りが見えるところまで辿り着いた。頭上には満天の星達が輝いていた。北斗七星が行く手にあった。

 

テントに着く前に剣沢山荘に寄り、売店は既に閉まっていたのだが居合わせた山荘の人にビールを売ってもらった。

 

水場で汗を流した。そこにはⅡ峰の懸垂下降地点で別れた人達がいた。彼らは本峰に達し、別山尾根経由で今、辿り着いたとのことだった。彼らも別れた地点から6時間あまりかかって帰って来たことになる。

 

テントに入ったのは、午後8時45分。朝の5時に出発して16時間になろうというアルバイトだった。

 

四番目の印象に残ったこと。源治郎の急登。

 

源治郎尾根に取り付いてすぐ、急登になったが、最初の岩を乗り越すとき、トップの中山氏が大分苦労していた。自分はさして苦労せず乗り越すことができた。これが自信になってやがて過信となり、後ほどのトラブルの原因となったと思う。

 

先頭で進み、ハイマツの上などにルートを切り開いていった。

 

右手のルンゼのルートに戻る手前のテラスで小休止を取ることにした。その時、甲斐さんがピッケルを紛失していることがわかった。甲斐さん、中山氏がここまでのルートを逆に辿り、ピッケルを探しにいった。結局見つからず、小1時間ほどのロスタイムとなってしまった。

 

源治郎尾根は一度、取り付いたら引き返せない。エスケープルートの無いコースだ。本峰まで行かなくては帰れない。先のことを思うと体力、時間とも不安だった。また、水も心配だった。好天に恵まれているため、水分摂取の調整が難しい。自分は合計2リットルの水を持ってきてはいたが。

 

遅れ気味の中山氏が気にかかる。やむを得ず、自分がトップを行くが、ルートファインディングに自信がない。ピッケル探しの間にガイドブックを読み直したりしたのだが、結果は先に記したような状況に陥ってしまったのだった。山は体験を通して自らの勘を鍛えていかなくてはならないと痛感した。

 

五番目の印象。Ⅱ峰からのエスケープルート。

 

Ⅱ峰から懸垂下降で3人がコルに降り立ったのは、1時を過ぎていた。中山氏の体調が回復するのを待つ間、本峰に登るべきか、ここから長次郎谷に降ろうかと協議した。

 

中山氏がインターネットで得ていた情報によると、ここから長次郎に降りたグループがあるとのこと。これはエスケープルートになる。降りであればこれ以上の体力は使わずに済むし、時間的にも早いだろうと判断した。

 

さてどこから降り始めればいいのか。右手の少し降ったところの岩に残置シュリンゲがぶら下がっているのが見つかった。そこからザイルで降れば良いと思われた。ところがそのシュリンゲは古く、日に曝されて使いモノになりそうにない。なおかつ、新しいものに換えたとしても岩がもろく、危険な感じがした。甲斐さんは大丈夫だろうというが他の二人の意見が通り、岩場を諦め、もうひとつのルート、小雪渓を降ることにした。

 

短い雪渓ではあるが、急な勾配だ。しかも甲斐さんにはピッケルがない。そのため、ピケッルを持った一人が雪渓をトラバース気味に降り、ザイルをフィックスする。そのザイルを伝い、中間のひとり(私)が向こう岸にわたる。下で降りてくる3人目を確保する。その繰り返しで急な雪渓を降っていった。

 

降り始めたのが2時頃だったが、思いのほか、時間がかかり、長次郎谷に着いたのは5時だった。着く少し前、私だけでなく、甲斐さんもスリップし、危うくシュルンドの中に落ちかけるという一幕もあった。

 

六番目。新室堂乗越に登る途中で休憩したとき眺めた景色。

 

初日、室堂から雷鳥平に下り、いつもはまっすぐに雷鳥沢を登るのだが、今回はやや遠回りになるが傾斜のゆるい新室堂乗越経由で別山乗越に向かった。

 

その途中、この日は時間がタップリあり、気持ちもユッタリとしているので、お花畑が左右に広がる中腹の山道でティータイムとした。

 

快晴の空は蒼く、弥陀ヶ原から立山連峰にかけて広がる白と緑のまだら模様が、鮮やかなコントラストをなしている。草の上に腰をおろし、今、ここでしかこの景色を見、感じることができないことを実感した。

 

この時空間に居られることの有り難味をつくづく、感謝せずにはいられない気分だった。誰に、何に、感謝したらいいのだろう。ここまで自分の肉体を運んで来ることができた全状況―――。