樹海
中学生の時、遠足で富士山の麓である樹海へ行ったことがある。ちょっとした洞窟もあり、面白かった。
樹海といえば自殺の名所。樹海の小道を歩いていると、あちこちに立て看板があり、そこには「もう一度、よく考えてください」という文句が書かれていた。餓鬼であるMe達は、白骨死体があるのではないかと、目を凝らし、はしゃぎながら歩いていた。
何故樹海なのか。理由は2つある。まずこの密林は、全く人の手が入っていない原始の森である。自然の森は木が所狭しと立っており、光を奪い合いながら、一様に淘汰されてで きているから、風景がどこも同じで目印らしきものがないため、入っていくうちに、方向感覚を失う。
もう一つの要因は、樹海には土らしきものがあまりなく、噴火の後冷えてかたまった流岩の上に木が生えているため、方位磁石が狂ってしまい、完全に方角が分からなくなるからである。
この遠足の前、理科と体育の男の先生二人で下見に行ったそうだ。その時、魔が差したのか、ちょっと奥へ入ってみようと言って、入ってしまったのである。当然のごとく迷う。焦ったあげくに、誰かが木に巻き付けた赤い布を見つけ、それを頼りに帰ってきたそ うだ。全くの馬鹿者である。
ここで行方不明になろうものなら、馬鹿者として全国ネットで報道され、マスコミ沙汰となって、恥さらしとなろう。
Meはその話を後から聞いて、このまま行方不明になってしまえばよかったのに、と不遜なことを思っていた。
中学生の時、遠足で富士山の麓である樹海へ行ったことがある。ちょっとした洞窟もあり、面白かった。
樹海といえば自殺の名所。樹海の小道を歩いていると、あちこちに立て看板があり、そこには「もう一度、よく考えてください」という文句が書かれていた。餓鬼であるMe達は、白骨死体があるのではないかと、目を凝らし、はしゃぎながら歩いていた。
何故樹海なのか。理由は2つある。まずこの密林は、全く人の手が入っていない原始の森である。自然の森は木が所狭しと立っており、光を奪い合いながら、一様に淘汰されてで きているから、風景がどこも同じで目印らしきものがないため、入っていくうちに、方向感覚を失う。
もう一つの要因は、樹海には土らしきものがあまりなく、噴火の後冷えてかたまった流岩の上に木が生えているため、方位磁石が狂ってしまい、完全に方角が分からなくなるからである。
この遠足の前、理科と体育の男の先生二人で下見に行ったそうだ。その時、魔が差したのか、ちょっと奥へ入ってみようと言って、入ってしまったのである。当然のごとく迷う。焦ったあげくに、誰かが木に巻き付けた赤い布を見つけ、それを頼りに帰ってきたそ うだ。全くの馬鹿者である。
ここで行方不明になろうものなら、馬鹿者として全国ネットで報道され、マスコミ沙汰となって、恥さらしとなろう。
Meはその話を後から聞いて、このまま行方不明になってしまえばよかったのに、と不遜なことを思っていた。
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