私小説
私は私小説が好きである。
明治時代の夏目漱石、大正時代の芥川龍之介、昭和時代の太宰治。
昨今、私小説を書く作家はほぼ皆無に等しい。
これより先、もう私小説を書く作家はでないかもしれない。
それでは私が何故に私小説にこだわるのかについて書いておこうと思う。
つまるところ、ファンタジーや物語などは所詮偽物だからである。
所詮絵空事に過ぎない。
私小説には「私」から見た苦悩を内面から惑うことなしに凝視し、
それに逃げることなく刻銘にそれを文字に焼き尽くした真に「私」の告白があり
「私」にしか体験できない真実が記録されているからである。
この行為は蒼蒼たる覚悟なくして語ることはできない。
狂気の境目を辛うじて正気に軸足を落として歩くのである。
それを読むと心臓が鷲掴みにされたように「私」を捉えて離さなくなる。
そこに「私」と「私」の暗黙の対話があるように感ずる。
一旦その壮絶さを知ると他の小説が如何に稚拙な遊びで文字を刷っているかが
よく分かる。
逃げ場のない「私」がそこにはある。
だから私は幾つの歳になっても日本文学の金字塔として
繰り返し彼らの小説を読み返すのである。