デンカの宝刀(一男二女の父、元政府系金融機関職員の資格八冠王)

特定分野の記事を集中的に読まれる場合は、「カテゴリー」を御利用ください。

名古屋 対 東京(81:名古屋城復元 VS 江戸城再建)

2024年06月23日 | 名古屋 対 東京

名古屋城江戸城に関して

復元・再建の話しが出ている。

 

焼失前の名古屋城

特別史跡名古屋城HPより)

 

名古屋城は、徳川家康の命を受けた

豊臣恩顧の諸大名による天下普請で

築城された。

天守閣は、1612年(慶長17年)に

完成し、その後、徳川御三家筆頭の

尾張徳川家の居城として名古屋の町

と共に栄え、明治維新も乗り越えて

1930年(昭和5年)には、国宝第一号

に指定された。

しかしながら、1945年(昭和20年)

の空襲によって天守閣は全焼し、

その後、鉄骨鉄筋コンクリート造

天守閣が再現され、今日に到っている。

名古屋城には、詳細な実測図など豊富な

史料・資料が残っており、その気に

なれば忠実に復元することが可能だ。

そこで、名古屋市では、特別史跡

名古屋城跡の本質的価値をより広く

内外に発信するために、天守閣の

木造復元を決定し、計画を進めている。

問題点は2つある。

一つは、石垣の保全だ。天守閣自体は

戦後に鉄骨鉄筋コンクリートで造った

ものであるが、石垣は史跡であるため、

文化庁の許可がないと、建て替えなど

ができない。

耐震性などの絡みと史跡としての保全

という相反するような目的をどのように

調和させるかという問題がある。

もう一つは、一般客が名古屋城に入る

ことができるようにするのであれば、

障害者などのためのエレベーター

どうするかだ。

建物内にエレベーターを設置すると

いうことになれば、明らかに復元では

なくなり

復元でなくなれば、史跡としての価値

はがた落ちし、

お城の形をした新しい建物にすぎない

ということになれば、

現代の建物としての価値もかなり落ちる

ものとなってしまう。

(そもそも木造名古屋城エレベーター

 を設置できるのかという根本的問題も

 ある)

そこで、どうするかが問題となる。

 

江戸城は、元々は、1457年に麹町台地

の東端に扇谷上杉家の家臣である

太田道灌が築いた平山城であったが、

1590年(天正18年)に徳川家康が入城

した後、徳川家の居城となり、

江戸幕府が開幕すると、大規模な拡張

工事が行われ、日本最大の面積の城郭

になった。

1657年(明暦3年)、明暦の大火によって

天守閣を含め、城構の多くが焼失し、

その後、天守閣が再建されることは

なかった。

明治時代以降は、皇居となっている。

宮内庁は、約1億400万円と約2年間の

期間をかけて、寛永度天守の1/30スケール

復元模型を製作したが、

現在、民間で、NPO法人「江戸城天守を

再建する会」が観光庁が推進する観光立国

のシンボルとすべく、焼失した天守の再建

を目指して活動している。

問題点が5つはある。

そのうち2つは、名古屋城復元の問題点

の2つと同じものだ。

3つ目は、名古屋城復元については、

名古屋市が公式に決定していることで

あるのに対して、

江戸城再建は、民間組織であるNPO法人が

頑張っている段階にすぎず、

東京都民とかが、本気でやる気があるのか

という問題。

4つ目は、江戸城天守閣は、名古屋城

ように戦争の空襲で焼失したのではなく、

明暦の大火で天守閣が焼失したのを

江戸幕府が再建しないという決定をして

再建しなかったのであるから、

歴史を残すという意味では、再建しない

方が正しいのではないかという問題。

5つ目として、これが最大の問題かも

しれないが、

現在は皇居が存在する場所であり、

このような場所で、トンカン、トンカン

巨大建築物の工事を行い、

その後は、観光客がわんさか来て、皇居

を見下ろすような施設を作って良いのか

という根本問題。

NPO法人江戸城天守を再建する会HP

 

まあ、お城の復元ということも

なかなかに難しいことではある。

 

 

この記事についてブログを書く
« 名古屋 対 東京(80:最高・... | トップ | 2025年入試:河合塾の最新偏... »